75:闘技は遊戯
アリスティアの放つ言葉が、まるで空気を冷たくしたかのような錯覚を覚える。天宮照は僅かな寒気を覚えて、周囲を見回す。
エルタイルも、ルゥコも、照と同じように身震いを隠しきれない様子だった。唯一カンマだけが平然としている。未来視という能力を持つカンマにとっては「既に通った」道なのかもしれない。
「……神も、悪魔も」
「等しく滅ぼす……」
照とルゥコが反芻する言葉も、まるで白い呼気になって霧散するかのようだった。冷や汗が一粒、頬を伝って床に落ちた。
「って、簡単に言うけどよ……」
エルタイルもまた、アリスティアの言う「この世界が生き残る道」の困難さを理解しているようだった。
境界から魂が転げ落ち、神になって世界を創造し、その歪みによって悪魔が生まれる……そのプロセスから考えれば、確かに神を滅ぼさなければならない、それはわかる。
だが、本当にそれで解決するのか。
それが本当ならば、元栓を締めなければ解決しない問題なのではないか。
そもそもの話、それは本当に可能なのか。
疑問は尽きない。
「じゃが、やらねばならぬことじゃ」
そこに告げられるアリスティアの無慈悲な言葉。どうあれ、神も悪魔も滅ぼす、というのは、アリスティアの言う通り、やらなければならないことだった。
「……まあ、ここまで来たら乗りかかった船だ。やってやるさ」
照は自らの右手を見下ろして、握り込む。その感触は手汗が滲んで、やけに気持ちが悪かった。
アリスティアはそんな照を見やると、小さく笑みをこぼした。
そんな中、一人、黙っている少年がいた。
アリスティアは少年の様子に気づき、声をかける。
「どうした、小童」
「話はわかった。けど、まだ一つだけわからねえことがある」
「何じゃ。申してみよ」
「黒紋獣だよ。今までの話にあいつらは全然出てきてない」
アリスティアはエルタイルの疑問にため息で答えた。その様子にエルタイルは口をへの字に曲げるが、アリスティアは気にする様子もない。
「なんじゃそんなことか。当たり前じゃろう、奴らは枝葉の存在なのだから」
「枝葉……?」
枝葉、とは。
つまるところ、「どうでもいい」存在ということなのか。
「奴ら黒紋獣はな、この世界の動物が中途半端に虚数化されて生まれたものなのじゃ」
アリスティアは説明を始めた。たとえ枝葉と言えども、疑問には答える、ということなのだろう。
「悪魔の降らせる黒い雨が人間には効かんのは、人間の体が同じ虚数元素であるメンタル体に覆われているからじゃ。動物にはそれがない。故に奴らは黒い雨による虚数化の影響を受ける」
「それが黒紋獣に浮かぶ黒い紋様か……」
正確には、動物にもメンタル体は存在する。するが、人間のものと比べると無いに等しいと言えるものだった。
そもそも、メンタル体がなければ「中途半端」なんてことは起こらない。
「虚数化された彼らの肉体は、その霊的バランスを著しく損なうのじゃ。故にそのバランスを、メンタル体を多く持つ生物を捕食することで補おうとする」
「じゃあ奴らが人間を襲うのは……」
「崩れた魂のバランスを取り戻そうとするから……」
照にも覚えがあった。
アレフ村で起こった黒紋獣の襲撃。その時村人を襲っていた動物たちの中には、植物食の動物も多数いた。よほど飢餓に陥っていなければ肉など食べないであろう彼らは、人間の持つメンタル体を捕食しようとしていたのだ。
「じゃがまあ、それも神や悪魔がもたらす災害に比すれば小さきことじゃ。どうせ奴らは黒点の影響下でしか生きてゆけぬものども。放っておいても構わん」
「……なるほどな」
「疑問は解けたか。ならば本題へ移ろう」
エルタイルが驚いて顔を上げる様子が視界の隅に見えた。照は視線をアリスティアに向けたまま、彼女の言葉を待った。
「何故このような話をしたのか。それはお主らの覚悟を確かめたかった。真に戦うべき相手を知り、なおも闘志が消えぬことをな」
「……答えは?」
「ここまでは合格、及第点を与えてもいい」
「ここまでは、か……」
それは続きがある、と言外に表しているようなものだ。照は何も言わず、アリスティアの言葉の続きを待つ。
エルタイルも、ルゥコも、カンマも同じように、アリスティアが喋るのを待っている。
「お主らの用向きは存じておる。悪魔との決戦に備えるべく、戦力を集めている。そうじゃな?」
照たちは頷く。道中、神々の襲撃を受けはしたものの、その目的に虚偽はない。
「じゃが、それを聞いてはいそうですかと簡単に力を貸してやるわけにもいかん。それもわかるな?」
なるほど当然の話だ。
この後の展開なんて、もう決まっている。
「じゃあ、どうするの?」
確認のため訊いてみる。
その問いに、アリスティアはニヤリと笑った。
「どうするって、そりゃあもちろん、アレじゃろ」
・・・
地下都市アインの中央広場から西に向かった場所に設けられた、大闘技場。
舞台上に羊頭の魔人が立ち、声を張り上げる。
「レディース・エーン・ジェントルメーン! 魔族の紳士淑女、ならびに老若男女の皆々様、本日はお集まり頂きありがとうございまぁぁす! 会場におられない貴方もお手元のA-パッドにて中継をご覧ください!」
闘技場に備え付けられたスピーカーから、マイクを通した羊頭の魔人の声が出力され、闘技場全体に響き渡る。調整がうまく行っていないのか時々ハウリングを起こしたりもしているが、それはご愛嬌というものだ。調整はすぐに終了し、適正な音量になった。
「わたくし、本闘技大会の司会を務めさせていただくゴートと申します。本日もバトルを大いにアツく盛り上げていきたいと思いますので、よろしくお願いしまぁぁぁす!!」
魔族たちの歓声が上がる。
この中にあって、舞台に上がる連絡通路に佇む照たち。方や呆れ顔、方や呆気にとられている、といった様子である。
「……まあ、こうなるだろうとは思ってたよ」
「流れ的にはこうなるよな……」
とはいえ、ここまでとは思ってはいなかった。
戦うところまでは分かっていたが、まさか闘技場に来ることになるとは。
「さあ、早速本日の主役にご登場いただきましょう! まずはこの方! 我らが魔王様だああああ!!」
向かいの入場口から姿を表したのはアリスティア。
湧き上がる声援に囲まれながら、アリスティアは声を張る。
「皆の者、楽しんでおるか? 妾も皆を楽しませるよう、全力を尽くすぞ! 応援してくれ!」
「ワァァァァァァ」
「魔王様ァァァァ!」
「胸が滾るのを頼みますよォー!」
……などなど、やたら熱気のこもった声が闘技場内にこだましている。いやはや何というか、随分な熱狂ぶりだ。
「ウンウン、やはり我らが魔王様は人気だね。ではここで魔王様に挑戦する恐れ知らずを紹介しよう! 先の戦いでは魔王様も倒せなかったあの悪魔クルーエルを打ち破った、境界より来たりし異郷の神、アメミヤ・テラス~~~~!!」
名を呼ばれて、照は舞台に上がる。……のだが、緊張で足が震えている。その状態で無理やり足を動かすものだから、負荷がかかりすぎてフレームレートが落ちたゲームのキャラみたいになっている。要はカクカクである。
神様のくせにと言われるかもしれないが、照は人前に立つことは慣れていない。必要とあらばするが、それは何回、何十回も練習した末に行うものである。卒研発表みたいなものである。
そもそも照の大本の天照大御神からして、御簾越しに勅命を下す大いなる人見知りなのであって、その分け御霊たる照もまた、言うまでもなく。
そんな照を見ての魔族たちの反応はというと、
「特に言うことがないぃぃぃぃ!」
「とりあえず何か叫んどけーーー!」
「ウオオオォォォぉぉ!!」
……などなど。
「って言うこと無いんかい!」
そこはもうちょっと色々あるだろう。色々……
考えてみれば、照自身もそんなアピールポイントとか持っているわけではなかった。それも魔族に対してとなると、なおさらだ。
「うむ。すまんのう。ここには娯楽が少なくてな。定期的に発散してやらんと暴れ出す連中が多いんじゃよ」
「は、はあ……」
それはまた何というか、野蛮な。
なんて思うのは失礼かもしれないが、魔族の王たるアリスティアもまたそう思っているらしかった。
「これだから蛮族と言われるのじゃと言っても抑えが効かんくてな。ま、お主の実力も見れるし一石二鳥というわけじゃ」
「なるほどね。じゃあ派手に行ったほうがいいかい?」
照の震える声を聞いて、アリスティアは一瞬だけ怪訝な顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべて答える。
「そっちの方が盛り上がるのう!」
「了解!」
照のアリスティアの間の会話はそれきりとなった。
歓声の中で、静寂に包まれている二人がそこにいた。
「それでは、両者、位置についてぇ~~~……」
アリスティアが、
照が、
それぞれ構えを取る。
「始めっ!」
――――そして、二人の試合が始まった。