74:それは秩序でも混沌でもなく
境界から報われなかった魂が転落して、外殻に流れ着き、
偽性神となって世界を創造する。
その時生まれた歪みが宇宙に穴を開け、
虚界悪魔を産む。
何のことはない、宇宙の摂理。
そして悪魔たちはこの宇宙へと侵略を開始して、今に至る。
「それじゃあ、虚界悪魔は神様が産み出したようなものじゃないか……!」
エルタイルの言う通りだった。
この世界、ファルステラを創造したのが彼らレーヴ十神だとしたら、悪魔を産み出したのもまたレーヴ十神だということになる。
「疑問には思わなかったか? レーヴ十神と十の黒点。どちらも同じ"十"だということに」
「……それは、言われれば、そうだけど」
実のところ、気になりはしていた。だが、10という数字はそこまで特別なものでもなかったので、偶然の一致だろうと考えていたのが事実だ。
だがそれが繋がっていたとは。
「まあとにかく、そうして生まれた虚界悪魔は、外殻から漏れ出る力や物質を糧にして育つ。奴らが食らうのは虚数物質。要は虚数化したマテリアルじゃな」
それは納得の行く話だった。
虚数の存在である悪魔たちは、彼らが餌とするのもまた虚数である。例えば、メンタル体やコーザル体といった虚数元素。そして、今アリスティアが言ったような、虚数化したマテリアル……すなわち、彼らの体を構成する物質たちだ。
なぜなら、彼らは軸を異にする実数の物質を吸収できない。吸収しようとする場合、実数を虚数化する必要がある。
そこまで考えた時、今まで謎だった事柄に合点がいった。
「そうか。あの黒い雨は、あいつらの食料の虚数化マテリアルを作るための……」
悪魔が虚数化マテリアルを糧にするならば、実数の世界であるファルステラに干渉することはできないはずだ。干渉したところで餌となる虚数マテリアルが無い。
そこであの黒い雨だ。天宮照がはじめてファルステラに来た時に見た、世界に降りしきる黒い雨と宙に浮かぶ黒い幾何学的な破片。
黒い雨は世界を虚数化するためのもので、幾何学的な破片は虚数化された世界の残骸が宙に漂うものだったのだ。
「……おい、ちょっと待て。それじゃ話がおかしい」
突如、エルタイルが口を挟んでくる。
「何がじゃ?」
アリスティアは聞き返す。気分を害した様子はない。エルタイルの疑問に対して単に興味があったのだろう。
「だって、悪魔は外殻から漏れた物質を喰うんだろ」
「そうじゃな」
肯定するアリスティア。エルタイルは更に続ける。
「そこに餌があるんなら、この世界を侵略する意味がないじゃないか」
……なるほど、と照は思った。確かに、悪魔たちが宇宙から漏れ出てくるエネルギーを糧とするなら、そもそも侵略する意味がない。
歴史を紐解いてみても、完全に意味のない侵略などありはしない。たいていはその国の事情――宗教観や情勢、悪政といったもの――があって、他国を侵略したりするものだ。
となれば、悪魔たちの侵略にも意味があるのではないか。それがエルタイルたちにはわからないだけで。
「ふむ。筋は通る話じゃ。だが小童、一つ重要な視点が欠けておるぞ」
「……何だよ」
話が見えない、といった様子のエルタイル。そんなエルタイルに対して、アリスティアは粛々と問いを投げかける。
「単純な話じゃ。考えてもみろ。大型の生物で少食な種はおるか?」
「ッ……!!」
言われてみれば、確かにそうだった。
どんな生き物でも、生物である以上その体躯を維持するのに必要な代謝というものがある。一般的に、それは大型であればあるほど大きくなるものだ。
この理論が世界そのものであり生物である虚界悪魔たちにも適用されるのであれば、その存在の規模から必要となるエネルギーは、計り知れない。
その悪魔たちが世界を侵略する意味。
それが示すのは、ただ一つの事実。
「つまりだな、奴らは食糧不足なんじゃよ。だからこの世界に来た。これはそれだけの話じゃ」
「……っ……」
エルタイルは言葉を忘れたみたいに口をぱくぱくとしている。
思えばこの構図は、食料を食い尽くした原始人が次の土地へ移り住むような、そんなイメージを彷彿とさせる。
つまりは極めて原始的な理由による侵略、ということだ。
だが、原始的であるがゆえに切実な問題でもある。悪魔たちも自らの生存のために必死だということだった。
「とは言え、この世界をただ喰いに来たのではいずれ喰い尽くしてしまう。そうなればまた食糧不足に陥るじゃろう」
確かに、その結果は見えている。
自分たちでは糧となるものを生み出せないとなれば、他者から奪うしかない。だが、全て奪って、その先はどうなる?
食糧不足に陥った生物が、最終的に何をする?
「……見えてきたよ、奴らの目的」
それを避けるために、何をするべきか。
「悪魔は、ただ世界を喰いに来たんじゃない」
絶えず付きまとう食糧問題を解決するには、どうすればいいか。
そう。
「奴らはこの世界を、新たな世界の苗床にしようとしているのじゃ」
世界を虚数化し、悪魔たちは黒点からあるモノを産み出した。
「それが、あの黒い樹……」
「奴らはそのために精霊を狩り、神を狩り、世界を生む土壌にするつもりじゃ。当然ながら、この世界は滅ぶ」
言わば、世界の焼き畑である。
今ある世界を焼き払い、それを養分として、自分たちが食らう"世界"を生み続ける土壌にしようというのだ。
なんともおぞましく、そして凶悪な計画だろう。自分たちが標的だからそう思うのだとしても、そう思わずにはいられなかった。
「……生きるか、死ぬかしかないんでしょうか」
突如、ルゥコが口を開いた。
「ルゥコちゃん?」
照は訝しげにルゥコを見やる。
「今までの話だと、要するに食糧問題が解決すれば――――
「在り得ぬ」
ルゥコの言葉の途中で、アリスティアがただ一言で遮った。
そう、それはありえないことだ。
「……うん、無いな」
いつの間にやら起きていたカンマも、アリスティアを肯定した。……ともすれば狸寝入りだったのかもしれないが。
しかし、いつもはルゥコをかばう立場にいるカンマが突き放すとは、よほどのことだった。
「……ルゥコちゃん。戦いたくない気持ちはわかるよ。でもね」
そして照も、二人に同意した。ルゥコの心情もわからなくはないが、しかし、ありえないことはありえないのだ。
なぜならば、
「そういう話は、自分と相手が同じ次元だからできることだ」
人間たちが足元のアリを気にかけないように、悪魔は人間のことなんてどうでもいいと思っている。
悪魔にとって、人間たちはアリのようなものなのだ。たとえアリを踏みつけようが人間たちは気づきもしないように、悪魔たちは人間たちなど歯牙にもかけないだろう。
「その通り。無駄な望みは捨てよ。これは純粋なる生存競争。お互いの生きる場所が食い合う以上、避けて通れぬ道なのじゃ」
この門をくぐるものは一切の望みを捨てよ……とは、地獄の門の銘文だったか。
エルタイルには悪いが、なるほど確かに、この世界は地獄だ。世には悪魔がはびこり、その眷属が人を食らう。多少その領域を取り戻しはしたが、未だ暗雲に覆われている場所は多い。
さしずめ自分たちはダンテか、と自嘲的な笑いがこみ上げてくる。
「…………」
ルゥコはうつむき、押し黙っている。
その心情を推し量ることもしようと思えばできた。だが、それをしたところで掛ける言葉は変わらない。
だって、生き残るためには戦うしか無いのだから。
「それともう一つ、避け得ぬ問題がある」
その言葉に、照はアリスティアに向き直る。ルゥコやエルタイルもまた同様に。
避け得ぬ問題、とはどういったものなのだろうか。
その答えは、続くアリスティアの口から出た。
「偽性神じゃ。奴らを放っておけば、また新たな悪魔が生まれる。そうなれば同じことの繰り返しになる」
「……!」
確かに、それはその通りだった。
レーヴ十神が世界を創造したことで生じた歪みから悪魔が生まれたのであれば、この世界から逃げ出して新たな世界を作ろうとしている彼らは止めなければならない。
なぜなら、そうやって悪魔は生まれたのだから。
「……やっぱ、そうなるか」
カンマはこうなることが見えていたらしく、一言そう呟いた。
「じゃあ、オレたちがすべきことって……」
エルタイルの声が震えている。それもそのはずだ。アリスティアの言わんとしていることを考えれば、誰だってそうなる。
今、アリスティアが示さんとしているその道は、ニュートラルな道だからだ。
「そう。真に我らが生き残る術は、ただ一つ」
アリスティアは、告げる。
照たちが歩むべき、その道を。
「――――神も悪魔も、全て等しく滅ぼすことじゃ」