68:ディエティーズ・アサルト(6/8)~蹂躙
目の前で消えていった神の、その残した言葉が呪いのように天宮照の意識を蝕む。
「な、なんでお前が……私の親神の名前を呼ぶんだ……?」
稚日女尊という神が、日本神話には登場する。
その名前は日本書紀に登場し、古事記には名前こそ登場しないものの同様の神についての記述がある。
時は神代、スサノオがアマテラスに会いに行ったところ、それをスサノオの襲撃と思ったアマテラスは武装して彼を出迎える。スサノオは自らの身の潔白を証明しようと誓約を持ちかけ、これを証明する。
かくしてスサノオは高天原へ入ることを赦されたのだが、調子づいたスサノオは高天原で数々の狼藉を働き、ついには死者を出してしまう。
その犠牲者こそ、ワカヒルメだ。
……スサノオに殺された。横暴を許したせいで。
その言葉から連想されるのは、ワカヒルメ以外に考えられない。
だけど、それはありえない。
あいつはワカヒルメではない――――
「照さん!」
カンマの呼びかけで、照は意識を今起きている事象に引き戻す。
だが、それは既に遅かった。
気付いた時には、目と鼻の先に鎧武者、破壊神シビアギボールの姿があった。拳を振りかぶっている。
「惚けるな、境界の神性」
「ッ……!?」
シビアギボールの拳が照を弾き飛ばす。寸でのところでガードしたが、そのガードの下から突き抜けてくる衝撃波は防ぎきれず、照は吹っ飛んだ。
雪化粧を施した氷柱に衝突する。氷柱は砕け散る。だが吹っ飛ばされた照の勢いは留まることを知らず、ついには地面に墜落した。
「天宮さん!?」
「テラス!」
舞い上がる雪煙。だが照がその中から現れる様子はなかった。
・・・
「唖然、呆然、愕然。最も苦労すると思っていた境界の神性が、よもやこんなにも簡単に沈むとは」
感極まったのか、それとも失望か、シビアギボールは鎧の隙間から蒸気を吹き出す。その所作はエルタイルからはどういった感情のものか判別ができない。
シビアギボールはエルタイルの方を向き、一瞥する。その眼光に睨まれただけで、エルタイルの身体は跳ね上がった。
「先程はしてやられたが、二度は無い。貴様らが我を斃す手段は失われた」
「…………!」
こちらの要である照は撃沈し、切り札たる星辰誘導砲は正面からでは効果が無い。
シビアギボールの言う通り、状況は既に詰みだった。
「後はお前達を蹂躙するのみ」
一歩、また一歩とカンマに近付くシビアギボール。
「う……うおおおおおおお!!」
エルタイルは雄叫びを上げ、レールガンを放つ。
「弾丸タイプ、徹甲弾! 《アストラル・レールガン》、発射、発射、発射!!」
貫通力を増した弾体が矢継ぎ早に放たれる。爆音と反動にエルタイルの身体は振り回される。
だがその尽くは打ち払われた。跳弾した弾がシビアギボールの後方に落ち、雪煙を舞い上がらせる。
警戒されてからでは効果は薄まるとは言え、こうも容易く防がれるものとは。その力の差を改めて思い知る。相手は腐っても神なのだ。
「二度は無いと言った」
一歩一歩、悪夢のような足音が近付いてくる。エルタイルも少しずつ後退するが、歩幅の差か、その距離は縮まる一方だった。
そんな中でも、エルタイルは目前の破壊神から目を逸らさない。たとえ、その目が恐怖に彩られていても。
「エル、やめろ……!」
「エルタイル君……」
そんなエルタイルへの制止の声は、本人には届かない。
「ま、まだだ……」
しかし、もう対抗の手立てはない。それは今も相対する本人が一番良くわかっていることだった。
魔導で逃げる? できない。あっという間に捕まえられて終わりだ。
加護で応戦する? 無理だ。レールガンすら通じない相手に効くはずもない。
ではどうする? 何ができる?
その答えは火を見るより明らかだ。
何もできない。
こうなってはただ死を待つのみだ。
わかっている。わかっているのだ。
少年は今、「諦めたくない」という意地だけで立っている。
「下劣、愚劣、侮蔑。諦めが悪いな、小童。そんなに死にたいのなら、まずは貴様から殺してやろう」
シビアギボールは足を踏み込みエルタイルへと近付く。
「ッ……うおおおおおお!!」
そんなシビアギボールに対し、エルタイルは全速力で突っ込んだ。
それはあまりにも無謀な突進だった。こうなればもうやぶれかぶれだ、という思いだけがあった。エルタイルは首に下げたお守りを握りしめて殴りかかる。
だが、シビアギボールは受け止めさえしなかった。
金属を殴る音が小さく響く。
「下らん抵抗だ」
「……彼の者の……輝きを受けよ!」
お守りを握った手から炎が吹き出す。照の加護による炎。それが機能しているということは、照は未だ健在だということ。だがそれが一体何の気休めになろうか。今かの神は動けないでいる、それが事実。
シビアギボールにその加護が効いている様子はない。
「それで終わりか?」
シビアギボールはエルタイルの首を掴み、持ち上げる。苦悶の声を上げ、もがくエルタイル。力なくシビアギボールの腕を殴るものの、微動だにしない。
やっとのことで、エルタイルは一言だけ口にした。
「ッ…………なんでだ」
気のせいか、シビアギボールが首を締め上げるその力が弱まった気がした。
エルタイルの言葉が気になったのだろうか。
「なんでお前らは……ッ、そんな力が、あって……、悪魔から逃げてんだ……!」
そのエルタイルの言葉を聞いて、シビアギボールは蒸気を噴出する。まるで何だそんなことかと言わんばかりだ。
そして、一言返した。
「そのほうが効率がいい」
「効率、だと……?」
「エネルギー消費が少ないと言い換えてもいい。世界を守るため悪魔と戦うより、新しい世界を一から創り上げるほうが労力は少ない。それがソフィアが出した試算だ」
なるほど合理的だ。
人の命の尊さとか、この世界に生きる者のあがきとか、そういうものが全く勘定に入っていない辺りがいかにも"神様"らしい。
例えば、砂場に作った城を壊そうとする悪ガキが現れた時、城を守ろうとして悪ガキと戦うより、別の砂場を見つけて新しい城を作ったほうが安全だという、そういう話だ。その程度の次元の話だ。
要は"神様"から見れば、世界というものは子供の砂場と同じような感覚なのだ。
いや、この神に至ってはそれ以前の問題で――――
「……なんだ。考えたの、お前じゃ、ないのか……」
「何……?」
「お、前……要するに、自分で……っ、考えてないってことじゃねえか……!」
「ッ……貴様……!!」
それは、図星だったようだ。
「ぐっ……あああ! ああああああああ!!」
エルタイルの首を締め上げる力が強くなる。ただ強くしたのではエルタイルの首の骨を粉々に砕いてしまうから、少しずつ、かける力は強められていった。それはただでは殺さないという意思表示か、それとも……
「エ、エル……!」
カンマの声がかすかに聞こえる。苦しみに喘ぐエルタイルの耳には何を言っているのかほとんど理解できない。
視界がぼやける。黒ずんでくる。エルタイルの意識は今まさに、奈落へと通じる崖に手をかけた状態だった。
「受け身を取れ、エル――――!」
カンマの叫ぶ声が遠くで聞こえた。
すると、地を這う衝撃波のようなものがエルタイルとシビアギボールを分かつように奔り、シビアギボールの左腕を切り落とした。
「ッ――――!?」
空気に触れたコーザル体が爆発を起こす中、地面に投げ出されるエルタイル。幸いにも雪がクッションとなり事なきを得た。
「仰天なり、不可解なり。何事だ、これは」
「あ、あれは……」
エルタイルは定まらぬ視界の中、宙に浮かぶ何者かの影を見た。
「やれやれだのう、災難だのう。仮にも悪魔と戦おうという戦士たちがこの有様では、貸せる力も貸せぬぞ、お主ら」
「……だ、誰……?」
――――その姿は、まるで子供のような魔族の姿だった。




