62:価値問答
「――――え、オレ?」
突然の指名に、声を裏返すエルタイル。どうやら、この状況は全く予想していなかったらしい。
木々がざわめく。まるでエルタイルを囃し立てるかのように。
風が唸る。まるでエルタイルを見定めるかのように。
天宮照、カンマ、そしてルゥコはただ黙ってエルタイルを見ていた。
「そうじゃ、お前じゃ、小わっぱ」
「な、なんで……」
「何でも何もあるまい。お前の世界じゃ。お前の生きる世界じゃ。それを異界からの使者達が守る。その価値を我は問うておる」
「っ……」
それは、確かに考えてみれば当たり前の質問だった。
つまるところ、この精霊はこう問うているのだ。
お前の世界に守る価値はあるのか、と。
それは照やカンマ、ルゥコといった現世からの来訪者ではない、この場ではエルタイルにしかその問いに答えられるものはいない。
ずしり。めきめき。エルタイルはその意図に気づいた時、自らの内に思い重圧がのしかかる音を聞いた。
言葉にしてみればシンプルな問い。だが、この問いに軽々に答えていいものか、エルタイルは迷う。
「どうした、答えられぬか。難しい問いではなかろう。この者たちが命を賭すに値するものが貴様の世界にあるかどうか、それだけの話じゃ」
エルタイルの迷いを看破するかのように、人工精霊アーティファの言葉が穿つ。
森のざわめきは大きくなっていた。かと思えば急に止んだり、またざわめき出したりとまるでエルタイルの心情を表すかのようにゆらゆらと揺れ動く。
照もルゥコも固唾を呑んで見守る。未来を見ているはずのカンマも、ただ黙って見ている。特にカンマの場合、口出しすることで未来が変わりかねない。
「……オレは…………」
喉元まで出かかった言葉が急に引っ込む。
こみ上げてきた何かを飲み込む。
そうだ。この問題にそんな簡単に答えを出してはいけない――――
「…………わからない」
だから、エルタイルはそう言った。
「ほう……?」
顎を撫でて、アーティファが唸る。
気付けば、木々のざわめきは止んでいた。
「自らの世界の価値を示せぬというのか。他ならぬお前が」
エルタイルの内側では、先程までとは違う別の緊張が走る。
手に脂汗がにじむ。拳を握ると、じっとりと嫌な感触があった。
だけどエルタイルには、確信に近い何かもまたあった。
自分の答えですべてが決まるなら、それこそ答えだ。
「ああ。価値は示せない。……というか、自分にそんな資格があるとは思えない」
自分の思いのありのままを、エルタイルは口にする。
だって、きっと望まれているのは考えに考え抜いた答えじゃない。
自分の内から迸り出る何か。
抑えきれない激情。
そういった心の底からの答えを、この精霊は望んでいるのではないのか。
だから、取り繕うのは無意味だとエルタイルは思う。
「だって、世界は一つじゃないんだ。オレの見てる世界、みんなの見てる世界。それは少しずつ違ってて、同じじゃないから」
例えば、自分の見ている世界、照の見ている世界。それは明確に違う。
自分の見ている世界、カンマの見ている世界。言わずもがな。
自分の見ている世界、ルゥコの見ている世界。これも違う。
他人の見ている世界をエルタイルは想像することしかできない。その想像だって精度はあまり高くない。結局の所、自分の世界と他人の世界は違うものなのだ。
「だから、他人の世界の価値は示せない。それは自分に計れるものじゃないから」
狭義の世界が自分とその周りを意味するのなら、広義の世界はその集合体。少しずつ違うものがより集まってできたもの。
そんなものの価値など、ただの一個人が規定していいはずがない。
それに。
「自分の世界だって、同じことだ。オレは自分の価値がわからない」
本心だった。
エルタイルは未だに自分のいる意味がわからない。照についていってるのだってただの意地で、本当なら自分がいないほうがいいとも思っている。
だって未だに自分は照の役に立てていない。エルタイルはそう思っているのだ。
努力そのものはしているが、実を結ばないそれになんの価値があるのだろう。
だから、わからない。
「……わからぬまま世界を守れと?」
「ああ」
森が再びざわめき出す。
「そんな傲慢が許されるものか。わかっているのか、そんなものは通らぬ道理、わがままであると」
アーティファは両手を大げさに広げ、天を仰ぎ見る。
そして、エルタイルを見下ろす。
その挙動の一つ一つに、エルタイルに対する軽蔑が感じ取れた。
「そうさ。お前の言うとおりわがままさ。でもこう言うしかないんだ、オレは」
握った拳を開く。嫌な汗がべっとりとついた手を、ズボンで拭う。そして、また握る。震える足を何とか抑え込む。
そうだ。ただ本心を言ってやればいい。
なのになぜためらうことがある……?
「だって…………」
飲み込むな。吐き出せ。
その言葉こそ、結局言いたいことじゃないか――――
「だって、オレたちの価値はこれからのオレたちで決まるから」
沈黙と静寂。
森のざわめきも、風も止んでいる。
エルタイルはただ、自分の呼吸の音だけを聞いた。
「…………ほほ」
不意の笑い声。アーティファは突然に笑い出した。
甲高い笑い声に面食らうエルタイル。
「ほほほほほほほほ!! 貴様今なんと申した!?」
アーティファはエルタイルに詰め寄る。ずい、と顔を寄せ、鼻と鼻がくっつきそうなほど近い。
エルタイルが驚いて後じさると、よほどエルタイルの言葉が愉快だったのか、人工精霊は一歩引いて踊りだした。
「これから、これからと申したか! つまりアレか、『我に投資せよ』と、そう言いたいのだな貴様は!!」
軽快なステップが続く。右へ左へ、人工の精霊は神殿の壇上を駆け巡る。
急にアーティファの動きが止まった。かと思えば、再びエルタイルに接近する。腰を折り、エルタイルと目線を合わせ、額を押し付ける。
「それこそわかっているのか、ことが済めば異界の使者たるこやつらは元の世界に帰るのだぞ! それが道理! 投資も何もあるものか!」
照達を指差すアーティファ。
実のところ、その指摘をエルタイルはまるで考慮していなかった。と言うより、忘れていたと言ったほうが正しい。
そう、事が済めば照達は帰るのだ。この世界にいる意味がない。
この当たり前の事実を、どうして今まで考えてこなかったのだろう。
「…………あ」
「ほほほほ! 忘れておったのか貴様。とんだお笑い草じゃな! ほほほほほ!」
アーティファは腹を抱えて笑う。時間にして一分ほどは笑っていただろうか。ひとしきり笑った後、急に静まり返って、
「――――よい」
と、一言呟いた。
「は……?」
わけがわからない、といった様子のエルタイル。全力で笑っておいて、何なのだろうこの態度の振れ幅は。
アーティファの狂喜乱舞に伴い、物情騒然としていた森の中は今やその静寂を取り戻していた。アーティファの一挙手一投足に反応している以上、この空間そのものがこの人工精霊の勢力圏内と考えられる。
それはともかく。
「実によい答えじゃ。なんとも滑稽で、笑える話だった。それに……納得せんでもない」
先程までとは打って変わった落ち着いた様子のアーティファ。
その言葉が、エルタイルには解せなかった。
「それってどういう……」
「賭ける楽しみがなくはない、ということじゃ。お前ら人間が悪魔という脅威にどう立ち向かうのか、近くで見届けさせてもらう」
アーティファはその人工物らしい顔に笑みを浮かべる。エルタイルはその笑顔に少しばかり不気味なものを感じたが、それはさておき。
ということは――――
「お前ら人間への協力を誓おう。我ら人工精霊の力、来たるべき時に乞うがいい」
エルタイルはその状況を飲み込めない様子。
思案し、反芻して、ようやくその言葉の意味を飲み込めた時、
「っ――――よっしゃあああああああ!!」
飛び上がり、彼は叫んでいた。
そんなエルタイルの後方で、カンマとルゥコはというと、
「ま、おれは見えてたけどね」
「カンマ君そう言うと負け惜しみみたい」
「……む、たしかに」
というようなやり取りをしていたわけだが、それはエルタイルには聞こえていない出来事だったりする。
その一部始終を見守っていた照は、
「まあ、何はともあれ……これで次に進める、かな」
と、ひとまずの決着がついたことを安堵するのだった。
・・・
人工精霊の協力を取り付けた照たちには、既にその場に用は無かった。
一呼吸置いた後、次の目的地に向けて出発しようという時、人工精霊アーティファは彼らに声をかけた。
「おっと、忘れるところじゃった。そこの人間二人。神の魂が混ざった迷い人……そう、お前たちじゃ」
カンマとルゥコが振り返ると、アーティファの腕二本が二人を指差している。
迷い人という単語は聞き慣れないが、それがおよそ自分たちのような存在を差すのだろうくらいのことは、二人には予想できた。
「私たち……?」
「……あー」
カンマは生返事で答える。ルゥコはいつも不思議に思っているのだが、カンマはどのくらい先の未来をどのくらい正確に見ているのか、未だわからない所がある。
とは言え、カンマ自身が言うには"カンマがその人生で見るもの全て"らしい。当然その情報量を脳が処理できるはずもないので、視える事象は自ずとフィルターがかかる。重要なものは残して、それ以外の枝葉は切り落とされるのだ。
今回の場合はそういう枝葉の部分でちらりと見えた未来なのだろう。呼び止められて初めて思い出した、といった様子だった。
「見たところお前たちの魔力ではいささか戦力が足らぬように見える。こいつを持っていくがいい」
アーティファが腕の手首をひょい、とひねると、腕輪がカンマとルゥコの前に現れる。
「これはアルセイスが昔造ったものじゃ。魂の動きを調節して、魔力の"規模"を一段階上げる。悪魔との戦いには必要じゃろう」
なるほど、それは確かに必要だ。
未来視と量子果実があるとは言え、カンマとルゥコの魔力量は悪魔と戦うには少ない。少ないどころか無いと言っていい。
それが少しは是正されるとなれば、受け取らない手はないだろう。
「あ、ありがとう」
「礼などいらぬ。アルセイスの遺品などこちらとしても捨ててしまいたくての」
……なんというか、それはつまり、
「体よく不用品を押し付けたってコト……?」
ということになるのだが、
「ほほほ」
人工精霊は笑ってごまかした。
「なんか、やーなやつ……」
という感想が自然に出てきた。まあ、双方得をするという話であれば、何も問題はないのだが。それにしたって言い方というものがある。心証が悪いというか。
なんてやり取りを一通り見てから、照は一言だけ言った。
「いくよ、二人とも」
照の声を最後に、一行は歩き出した。その一行を見送るように、木々の葉はさわさわと揺れ、風は木々をすり抜けてひゅう、と音を鳴らしていた。
……こうして、照たちはラメドの大森林を後にしたのである。




