57:来たるべき日のために
星空に光の軌跡がひとつ、ふたつときらめいては消える。その幻想的な風景とは裏腹に、その"ステージ"には重苦しい空気が流れていた。
ここは神々の間。ファルステラのはるか上空、黒点をも超えて、最も星に近い場所。
すなわち、鋼鉄の神々がにらみ合う場所である。
今ここには八柱の神がいる。残り二つの席は、その主を失って、なんとも虚しい佇まいだ。
「パトスとハミルは死に、悪魔は滅びた。対してアメミヤ・テラスとその仲間は健在。更に精霊狩りを任せていた第一使徒はしくじって、"御座船"の薪になった……なんともひどい結果だ。そうは思わないかい、シェキナーダ?」
芝居がかった身振り手振りで、少年のような鎧の姿をした神"ソフィア"は水晶の鎧の神"シェキナーダ"に食いかかる。
対するシェキナーダは動じずに切り返す。
「何度同じことを言うつもりだ、ソフィア」
ソフィアの鎧から覗く灰色の眼光が鋭くシェキナーダを刺した。
「いいや何度だって言わせてもらうよ。ひどい結果だ。それもこれも君が何もしなかったおかげだよ。どう責任とってくれるって?」
「おやめ下さいソフィア様」
翼を持つダイヤモンドの鎧の神"クラウン"が割って入るも、他の神々からの反応は芳しくない。
「制止は無用。我はソフィアに同意する。貴様こそ下がれクラウン」
「確かに……こればかりは異議を唱えないわけには行きませんわ。どういうおつもりでして、シェキナーダ様?」
隕鉄の鎧の神"シビアギボール"が、
金色の鎧の神"サン・ビュナス"が、それぞれこのように言うのである。
これにはクラウンもただ息を吐くのみだった。
「……やれやれ。如何致しますか、姉上」
しかしシェキナーダは微動だにせず告げる。
「計画は予定通り進める。至って支障はない」
そこで黙っていないのがソフィアである。彼は苛つきを隠そうともせずにシェキナーダに詰め寄る。
「だからさぁ、大アリなんだよ! 黒点が消えたことで黒紋獣が減った! こっちがエサを用意したって喰わせる相手がいないんじゃしょうがないんだよ!
おかげでボクの転世者計画がご破産だ! その落とし前はどうしてくれんのって話だよ!」
「――――ぷっ」
そこまで聞いて、今まで黙っていた神が反応を示した。
……それも、苛立つ当人にはとても不愉快な反応を。
「ぎゃははははははは!!」
突然大声で笑い出したのは、真珠と鉛、少女のような鎧の神"イーデア"。
ソフィアはイーデアにその灰色の眼光を向けるが、イーデアは笑いを止めようとはしなかった。
「……何がおかしいんだ、イーデア」
「滑稽ダ、といウ話ダ」
銀の鎧の神"アストラ"が述べた言葉に、ソフィアはピク、と体を動かした。
笑うことに飽きたのか、アストラに便乗してイーデアも言葉を発する。
「いやさ、ホントに。アンタら、自分のことしか考えてないんだもん。これで笑うなってほうがおかしくない?」
「……何だと?」
そこでイーデアに代わってアストラが続ける。
「転世者計画を打ち切ッテも、本筋の計画ニ影響はなイ。我々はソう判断しタ」
「アンタは自分が頭いいって思ってるから、自分が舵取りしたくてたまらないんだよネ? でもザーンネン、そうはならないんだ。ごめんネ?」
「…………!」
一々小バカにしたような態度を取るイーデア。それを睨むソフィア。ソフィアの周囲の空気が棘になって飛び出すかのようだった。
その中で、シェキナーダはやはり動じず自らの所感を述べる。
「第一使徒と彼が狩った精霊の魂を回収したおかげで、我々の計画に必要な分は収集完了した。これ以上は不要だ」
それを聞き納得したかしていないのか、ソフィアは乱暴に自らの玉座に腰を下ろす。
「なるほどね。アメミヤ・テラスや悪魔のことはもう放っておいても構わない、どうでもいい、ってか」
しかし明らかに納得していない様子の神が二柱。
シビアギボールとサン・ビュナスだ。
「遺憾。痛感。納得が行かぬ」
「同意ですわ。シェキナーダ様」
口調こそ穏やかだが、サン・ビュナスの声には僅かばかりの怒気が含まれていた。
「奴らはハミルを殺したのですよ」
「感情的だな、サン・ビュナス」
「……!」
この金の鎧は、神の死を目にして何を思ったのか。
その心中は、あるいは彼女にもわからなかった。
「シェキナーダ様。いつまでもそのような態度では、足元を掬われますわよ」
水晶の鎧は、少しだけ押し黙った。
「……その忠告は、受け取っておこう」
・・・
闇の中、うごめく影が複数あった。
虚無の樹。地上に向かって逆さに育った黒い巨木の根本で、悪魔たちの眼光がギラつく。
「何故クルーエル達を行かせた、ネガ」
「急がずとも我々を待てばよかった。それをお前は……」
「これは、お前の、失策、だ、ネガ」
「……言い訳はすまい」
それぞれの輪郭がぼやけ、誰が何を言ったのかも判別がつかない闇の中。それでも悪魔の首魁の声は一際大きな存在感を放っていた。
リリス、アシュタロス、クルーエル。三体の悪魔が返り討ちにあった。
結果を見れば確かにそうなる。
「ネガをあまり責めるものではない。彼らの出立には我々も合意したのだ」
「だって、樹も育てなくちゃいけないし……」
ネガと呼ばれた悪魔の首魁を擁護する声が二つ。こちらも例に漏れず声も姿も判別できない。
「確かに樹は重要だが……境界の神性、これなる脅威を排除すればより安全に育成できたのではないか?」
誰とも判別のつかない影はそう宣う。
「境界の神性の排除には十分な戦力だと判断した。それまでだ」
ネガは答える。
そも、全員で行けば"境界の神性"を倒せたはずである。能力の食い合わせが悪いことを抜きにしても、存在の規模による力押しができた。
しかしそれではあまりに過剰戦力に思えたのも確かだ。
だから彼らを行かせた。
その結果としてのこれだ。
「境界の神性が複数いたことは予想外だった。分かっていれば止めた。しかしそれは結果論というもの」
そう、結果論だ。今更何を言おうと変わりはしない。
「ならば、どうする。攻め入る、なら、今、だが……」
「ならぬ」
さらなる襲撃を行うには確かに今が好機かもしれない。
だがネガはその提案を棄却した。
「理由は?」
影があって然るべき疑問を口にする。
別の影がそれに答える。
「境界は明らかに我らを阻止する目的でこの世界に介入している。今境界の神性を斃せば、彼奴らは介入の手を強めるだろう」
影は唸る。その考えもまたあって然るべきものだった。
そして、だからこそこう言える。
「我らは我らの本懐を遂げることに集中すべきだ」
ネガは頷き、その続きを述べる。
「我らが悲願を達成すれば、どの道奴らが手を出すことは叶わぬ。その意味が無い」
そうだ。"樹"さえ育ちきれば、境界からの介入、その行動自体が意味を失う。
であれば、やるべきことは明白。
影たちもこの論理には納得が言ったようである。
「境界の神性が来るならば迎え撃てばいい。その時まで我らも力を蓄えるとしよう」
ネガは、静かに告げた。
「――――全ては、来たるべき日のために」




