55:嵐は去って
間が空いたけど、何事もなく再開します。はい。
もう(内容)忘れてる? ですよね。
天宮照が目を覚ますと、見慣れぬ石造りの天井が目に入った。
記憶も認識も曖昧だ。一体どういう状況で、どのような経緯を辿って今に至ったのか、おぼろげにしか覚えていない。
確か、人類最後の生存圏、ヘレニク王国は王都ヘールにおける虚界悪魔との戦闘において、クルーエルと名乗っていた悪魔と戦って、それで――――
勝った。
そう、勝ったのだ。
勝ってそのまま照は意識を失ったのだ。
とすると、誰かによって運び込まれたのだろうか。
起き上がって周囲を見渡そうとするが、体がうまく動かない。ギギギ、と錆びついた機構がむりやり駆動するかのような感覚があった。
「っここは――――」
口に出して言ってみる。……ちゃんと正常に声を発せているようだった。
ふと横を見ると、エルタイルとルゥコの心配そうな顔があった。その顔は目を覚ました照を見て綻ぶ。
「テラス……!」
「ああ、よかった、天宮さん……」
「……エルくん、ルゥコちゃん……っ……」
上体を起こそうとして、身体に痛みが走る。照の肉体に蓄積したダメージもさることながら、コーザル体の消耗も激しい。どれだけ寝ていたのかはわからないが、すぐに回復できるものでもなかった。
「まだ動くな。力が戻ってないんだろ」
「っ……何日?」
照はエルタイルに訊く。エルタイルは「は……?」とだけ返したので、再度訊く。
「何日経ったの?」
「……一週間だ。お前ずっと寝てたんだぞ」
そんなに、という思いと当然か、という思いが同時に来た。
照はキョロキョロと周囲を見回す。だが外の様子などわかるはずもなかった。
「ここは地下街ですよ。地上は悪魔との戦いでめちゃくちゃだから、とりあえずみんな地下で生活してるんです」
そんな照の様子を察したのかルゥコが言った。
めちゃくちゃ……その言葉だけでは地上の様子はわからないが、山を腕の一振りで砕くような悪魔との戦いだ。その影響は想像するだに恐ろしい。
「外は大変だぜ。なんせ神官団の信仰の対象だった神様が死んで、街はほぼ壊滅。少ない食料の配給を巡って暴動が起きたり、まあひどい有様だ」
そしてこの口ぶりでは、被害は人の心にまで及んでいるようだった。それもそのはず、街は一夜にして壊滅し、神は息絶え、生き残ったものも満身創痍で帰ってきたのだ。
この惨状だ。生きているのが不思議なくらいだ。正直な所、照もそう思う。
「……そっか」
目を伏せ、呟く。
「思ってたよりも深刻だね……」
重苦しい空気がのしかかる。この沈黙は照の痛む身体によく響いた。
「ま、まぁとりあえずは喜ぼうぜ。オレ達は死の未来を超えたんだから!」
エルタイルはそう言うが、無理をしているような雰囲気が見て取れた。
未だ悪魔に打ち勝ったということを自分でも信じられない中、照を励まそうとしているのだろう。
「……そう、だね」
照はため息をつく。窓の外を見て、地下街の天井に魔導によって描かれた空の、流れる雲を見る。
作り物の空の虚ろさが目に痛い。ストレス軽減のために地下街に施された仕掛けが、現実とのギャップを意図せずに造り出していた。
皮肉にもその空は、とても綺麗だった。
・・・
悪魔の脅威が去った街では、人々が復興作業に勤しんでいる。
瓦礫をどかし、家屋の修繕をする。建造物の殆どが破壊されてしまった現状では、一から家を建てた方が早そうだった。
とにかく、そんな状況なので街の住人が総出で事に当たっていた。
そして、カンマもその中にいた。
片手にずた袋を何個も持ち、もう片方は角材をいくつも持ち運ぶ。カンマの外見の細さからは考えにくい芸当である。
そのカンマに頭にタオルを巻いた中年の男が声をかける。
「その資材は向こうの区画に運んで。それはここに。あと職人さんがモルタル欲しがってたから、魔道士さんに言ってコーデックス組んでもらってきて」
「ちょ、ちょ、おっちゃん指示多すぎ。一つずつ言って。わからないから!」
「あ? 何だい兄ちゃん。未来が視えるってんなら指示なくてもいけるだろうが」
「だから今調子悪くて視えないんだって!」
カンマはその無茶な要求に文句を言った。確かに未来視を使えばできなくもないが、いつでも使えるというわけでもなく。まあ有り体に言えば「疲れている」のだ。
そんなカンマの事情を目の前の中年が知るはずもないのだが。
「しかしまあそんなヒョロっこいのによくそんな大量に荷物持てるよな。流石仙術使いってか」
唸る中年。カンマは苦笑で返す。
ふと、視界の隅に照がちらと映った。
「忙しそうだね、カンマくん」
「あ、照さん」
照の姿を見るやいなや、中年は妙にかしこまった態度になった。
「いっ、異郷の神様……!」
随分と自分も有名になったものだと呟く照を尻目に、中年は瓦礫撤去に戻っていく。
カンマは抱えた資材を慎重に置いて、近くの適当な壁に背中を預ける。
「もう動いてもいいの?」
「おかげさまで。聞いたよ、エルくんがずっとメンタル体を分けてくれてたんだってね」
カンマも最近知ったのだが、「何かを信仰する」という行為は人間の魂の動きに着目すると「何かに自身のメンタル体を譲渡する」ことを意味するらしい。
譲渡されたメンタル体は、信仰の対象の中でコーザル体の次元に昇華される。
そうしてはじめて信仰心は"神"という存在の力になるのだとか。
「神様って意外と不便なんだね。信仰がなきゃ回復もままならないなんて」
自身の存続まで他人任せな存在というのは、なかなかに面倒なのだなと思ったカンマであった。
照はそう考えるカンマに「まあこればっかりはね」と笑い返したのだが。
「…………」
少しの間、二人は喋らなかった。
言いづらいことを言おうとしている雰囲気を感じ取ったのか、照はカンマが喋るのを待った。
やっとのことで、カンマは一言だけ言った。
「まだ、終わりじゃないよ」
それに対し、照は真剣な面持ちで一言。
「分かってる」
悪魔は未だいる。それは眼前に横たわる現実だ。
今襲われたらひとたまりもない……。
「おれの未来視はおれが見る全てを予知する。おれ自身の死の瞬間も。それが告げてるんだ。『お前はこの世界で死ぬ』って」
……カンマの未来視は、カンマにとって重要な事象を否応なく見せるものだ。当然、カンマ自身の死もその中には含まれている。
そしてそれは、未来が変わる度にカンマの死を予告するのだ。
カンマ自身、何十、何百回自分の死を見たのかわからない。
「君の能力も大概不便だよね」
「いやまったくだ。ゲームとかもう楽しめる気しないよ」
などと嘯くが、照は苦笑いで返すだけだった。
「……おれたち……おれとルゥコちゃんさ、前は日本にいたんだよ」
話題を変えたカンマに、照は一瞬戸惑いの表情を見せる。
しかしすぐにもとに戻って、照は相槌を打った。
「うん」
「ルゥコちゃんとは幼馴染で、その時は確か……おれん家の蔵の整理を手伝ってもらってたんだ。そしたらそこに突然雷が落ちてきて……」
「気付けばこの世界に、ってことね」
カンマは頷いた。
「それからしばらくは生きるのに精一杯だったかな。未来が視えるってことにはすぐ気付いたから、それ使ってなんとか生き延びて、戦うためにおれは仙術を、ルゥコちゃんは巫術を学んだ」
カンマは脳内でその光景を反芻する。
はじめ、二人は目が覚めると、とある雪の降り積もる山にいた。目覚めて早々、二人は野生の獣に襲われ、彼らは未来視によって獣の行動を予測し、小屋へ逃げ込んだ。そこで出会った仙人はカンマに仙術の才があることを見抜く。
カンマは仙人に師事し、ルゥコは同じく山で修行をしている巫術士を紹介してもらって、巫術を身に着けた。
ルゥコが自らに宿った力……量子果実に気付くのはそれから大分後の話である。
「状況が大きく変わったのは四ヶ月くらい前。この世界に黒点が現れてから。まぁ生きるのに必死だったのは変わんないけど」
とはいえ、黒点が現れる前のファルステラには余裕があったのは確かで、その余裕が消え去ったのも確かだ。
それまでも生きるために危ないことをすることはあったのだが、黒点が現れてからはその頻度が格段に多くなったのだ。
まさにそんな時である。
「突然、神様がニ、三人くらい出てきてさ、おれ達に言うんだよ。『この世界を救え。お前達はそのために選ばれた』って。理不尽だと思わない?」
「あぁ、それは……」
なんとも言えない顔の照を横目に、カンマは続ける。
「でもさ、結局生きるために戦わなきゃいけないのは同じでさ。……おれはいいけど、ルゥコちゃんがけっこう参っちゃってるみたいなんだよね」
「…………」
カンマよりルゥコの方が優秀だ。少なくともカンマはそう思っている。
しかし実のところ、ルゥコには"遊び"がない。
それが故の危うさも、カンマは感じていた。
「おれは死んだっていいけど、ルゥコちゃんだけは守りたいんだ。絶対……死なせたくない」
……カンマは自分の死をも見ている。当然、ルゥコの死も予知しているのだ。
平和な世界で死ぬならまだしも、予知したものは暗雲立ち込める中で悪魔に殺されるという未来。
カンマにとって、それは絶対に認めたくない未来だった。
「だから、その未来を変えるために、これからも協力してくれよ、照さん」
カンマの言葉に、照は大きく頷いたのだった。




