54:神魔大戦(12/12)~青空に響く勝鬨
悪魔クルーエルは、『反勇壮』の"理"を持つ悪魔である。
かの悪魔の持つ圧倒的な存在感。絶対的な力。即ち限りない膂力。誰の目にも明らかなその尺度を以て、クルーエルは告死する。
それがもたらすのは、絶対的な恐怖。押し潰されるかのような絶望感。心は凍り付き、身体はこわばり、武器を持つ手はぶれる。
結果、クルーエルに対する攻撃はその全てが逸れてしまう。
如何な強力な一撃でも、当たらなければ意味がない。
即ちクルーエルは、どんな状況でも、たとえ本人の意識が無くとも、自身に向けられた攻撃が直撃することはないのだ。
なんとなくではあるが、天宮照はこのことを理解していた。何度も何度も、これまでの打ち合いの中で実感していたからだ。
こいつには攻撃が直撃しない。致命打を与えられない。
それ故に照は二度もクルーエルを仕留め損ねたのだ。
……そして、絶望は今、目の前にある――――
・・・
目前に迫る拳を打ち払う。
あまりに自然に出た行いに、照自身も驚きを隠せない。
「…………!」
思わず飛び退いて、悪魔と距離を取った。
ゆっくりと立ち上がって、クルーエルを見据える。
体中に力が満ちてくる。心が沸き立つ。だけどこれは、照自身の力じゃなくて……
照の体にほのかに緑色の光が宿る。
「まだ立ち上がるか、境界の神性」
苦々しげに悪魔は呟く。
だけど照は、そんなことにはお構いなく。
「――――あんたは、そこまでして……」
手を握り、開く。
手を握り、開く。
その感触で、なんとなく理解した。
この力はハミルのものだ。
ハミルの命の輝き。それが照に宿ったのだ。
とはいえ全快とは言えない。あまり長くは戦えないだろう。
それでも。
「お互いのことなんか、ほとんど知らないくせに……」
向こうはどうかわからないけれど、こちらはハミルのことなど全く知らない。
なんとなく嫌なカミサマが、流れで悪魔を倒すために共闘した……それだけの関係だ。
ただ、それでも、分かったことはひとつだけあった。
「命を投げうってまで……私に全て渡してまで"勝ちたい"のか……」
勝ちたい。その思いだけがひしひしと伝わってくる。
納得できない運命に。抗いがたい絶望に。
誰にも、何にも、負けたくない。
「……いいさ。だったら、あんたの想いは、私が引き継いてやる」
だって、その"想い"は私も同じだから。
「終わりだ。境界の神性」
拳が突き立てられる。
死を告げるその拳が照を穿つその瞬間――――
天宮照は、ただ一言呟いた。
「起動、アイテムクリエイション……!」
驚くべきことが起きた。
照の身体がクルーエルをすり抜けて、一瞬の内に照はクルーエルの背後に回ったのだ。
当然クルーエルの拳は照には当たらず、空を切り裂き、巨大な砂埃を撒き散らしただけだった。
この思いも寄らない出来事に、クルーエルはほんの一瞬だけ、その思考を空白にした。
……そして、それが仇となった。
「なっ……何だ今のは……!」
「はあああああああッ!!」
クルーエルの背を尻目に、照は槍をぎゅっと握り、悪魔の頭に照準を据える。
それは完全なる不意。照は石突でクルーエルの脳天を穿ち、昏倒させる。これがクルーエルに初めて入ったまともな一撃……直撃であった。
「うありゃあああああ!!」
追撃に突きの乱打。最後に横薙ぎの一閃。
地に叩き伏せられたクルーエルに、照は炎の楔を五本、四肢と頭に撃ち込む。
楔は狙い過たず、悪魔の脳天と手首を地面に打ち付けた。
「はぁ……はぁ……!」
……やっと。やっとだ。
今の今まで地に伏さなかった悪魔が、ついにその背中を大地に預けている。
照はクルーエルの首元に穂先を突きつける。穂先が近付くだけで皮膚は焼け爛れる。それはクルーエルの"存在規模"からすれば微々たるダメージだろうが……
「グゥぅ……貴様ッ……何を、した……!」
「知りたい? なら教えてあげるよ」
冷たい声が小さく響く。
感情の乗っていない、低い声。
「ちょっとしたアイテムクリエイションの応用だよ。壁抜けってやつさ。……まあ、今みたいなのは一回しか通じないだろうね」
……『反勇壮』の"理"は、心に恐怖を呼び起こし、凍らせる。
それに対抗する手段は二つある。
一つは自ら心を凍り付かせること。それもただ凍り付かせるのではない。何者にも揺り動かされない、完全に静止した絶対零度の状態まで。
心は冷たく、されど身体は燃え上がるように。
口で言うほど簡単な芸当ではない。それには高度な精神修行が必要となる。ともすれば魂の変質すら伴う危険な行為だろう。
だがそこまでしてできるのは"理"を無力化することのみ。だからどうしても、確実に隙を突くための手が必要だった。
戦闘中の激しく動く敵に対しての壁抜けなど、成功するだけで奇跡。
だが、その奇跡にさえ縋る必要があったのだ。
「絶望も奇跡も超えて、ようやく……ようやく、お前を捉えたぞ!」
照は穂先をクルーエルの胸へと向けて――――力任せに突き刺す!
「はああああああああ!!」
接触は果たした。ならば後にやるべきことは、決まっている!
「お前への攻撃は全部逸れてしまう。だったら、お前の中から攻撃すればいい!」
『反勇壮』への対抗手段、その二つ目。
それはクルーエルの内側から攻撃すること。
内から外へと攻撃すれば、いくら逸れたところで結果は変わらない!
……虚界悪魔とは世界そのもの。その存在の規模は計り知れない。見かけの大きさとは裏腹に無尽蔵とも思える体力を有する。
だが。
「お前の"存在"の規模がどれだけ大きかろうと! 世界まるごと焼き払えば関係ないッ!」
クルーエルの内部からの攻撃にはもう一つの利点がある。
それはクルーエルの防御を無視できることだ。
自らの内からの攻撃は、どんな生物であっても無力。照の最大火力で以て、内側から攻撃できさえすれば!
「覚悟しろ虚界悪魔ッ! お前に一つ教えてやるよ!!」
槍の穂先から溢れんばかりの焔をクルーエルへと注ぎ込む。
そして、感情と顔色の戻った照は、肺が潰れんばかりに叫ぶ。
「神様怒らせると、怖いってことをぉッ!!」
膨大な熱と光がクルーエルの胸の傷から噴き出す。それはまるで火山の噴火……いや、それでは生温い。
もっと巨大な暴力的な炎が、クルーエルの内部で暴れ回っている。
まるで太陽の中にいるかのような熱量と圧力に晒されたクルーエルの身体は、その変化に耐えきれず――――
「グ……オオオオオオオオ!! 我が、我が敗れる、だとオオオオオ!?」
膨張し、破裂し、崩れ落ちる間もなく、燃える肉片が辺りに飛び散り、空気を燃やし、灰となる。
「消え去れ、爆散しろ! 虚界の悪魔!!」
「オォォォォォンノォォォォォレェェェェェェェ!!」
「でゃあああああああああ!!」
空気を震わせる断末魔を響かせて、首都そのものを飲み込みかねない規模の爆発が巻き起こる。
その爆風は天を衝き、世界に覆い被さる暗雲を払い、空高くそびえる黒点にまで届く。
強烈な爆風により弾き飛ばされた空気が吹き戻されて、強い風とともに瓦礫が舞う。
爆心地にいる照もまた、無事ではなく――――
――――立っていた。
ただ立っていた。
槍を杖にして、もたれかかり、力なくうなだれて。
倒れそうになる身体を必死に支えながら、照はやっとの思いで取り戻した青空を仰ぐ。
――――きれいな空だった。
「……った…………」
一歩、二歩。ほんの少しだけ歩いて――――
勝鬨を上げる。
「勝ったぞおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉッ!!」
だけど、意識を保てたのはそこまでで、程なく照は倒れ込み、意識を酩酊させていった……。




