51:神魔大戦(9/12)~かつてあった魂に問う
王都ヘール南部。悪魔が消え去り、静寂の訪れた街で、マルサネスとルゥコは瓦礫の中を佇む。
辺りを見渡す。光の残滓が溢れる中、気が抜けたように息を吐く。
「やっ、た……?」
思わず言葉が出た。
そんなルゥコに対し、マルサネスは自分に言い聞かせるように呟く。
「い、や……まだだ……」
ふらり、ふらりと揺れながら、地を踏みしめ、北の空を見つめる。
遠くでは、未だ戦いの光がちらちらと煌めいている。
力の入らない中で無理やり拳を握り、空を睨んでマルサネスは言う。
「まだ悪魔は……残ってる……テラス様、助け、ねえと……!」
だが、既に満身創痍のその体は、意思に反して地に伏せる。
土煙が少しだけ舞い、静寂の中で砂の落ちる音だけがぱらぱらと鳴った。
「っ、マール、さん……!」
そして、ルゥコもまた倒れる。
「ぅ……やっぱり今の、相当きつかったみたい……もう、動けないや……」
量子果実に使う魔力リソースは、量子果実では回収できない。そもそも手持ちの質料が既に無い。
――――回復ができない。それが示すのは、彼女らの戦線離脱。
「後、頼みましたよ……天宮さん……」
彼女らは、この先の全てを天宮照に託す他なかった。
・・・
王都ヘール郊外で、カンマとエルタイルはモニター越しにルゥコ達の様子を眺める。
「た、倒した……。これで未来は変わる、のか……?」
エルタイルは昂ぶる感情を抑え切れないようだった。
それもそのはず。彼らは世界を蝕む悪魔、その二体目を倒したのだから。また一つ、驚異を打ち砕いたという実感が、彼の声色を上ずらせていた。
……だが。
「いや。まだ、だよ……」
まだ終わりではない。
未来そのものはまだ何にも変わっていない。
そう、初めから。
未だ変えられずにいる未来。即ち……死の未来。誰がもたらすかの違いはあるが……それそのものは変わっていないのだ。
「あと二体残ってる……何とか、しなきゃ……」
うわ言のように言葉を吐きながら、カンマは倒れ込む。
エルタイルはそんなカンマを慌てて受け止めた。
「お、おいカンマ! っ……ひでえ熱だ。こんなになるまで……」
カンマの額は、恐ろしいまでに発熱していた。
これが未来視による脳への負担、その代償なのかと驚愕する。
間接的にとはいえ、同時に二つの光景をその未来まで見据えつつ、状況をコントロールする。とても常人にできる芸当ではない。たとえこの重い処理をこなせたとしても、必ずどこかにしわ寄せが来るのだ。
その結果としてのこれだ。もうカンマの未来視に頼ることはできない。
ゆっくりとカンマを寝かせる。
「もう休めカンマ。後はテラス達を信じよう」
「参ったな。そういうわけには行かない、のに……」
……どうあれ、エルタイルとカンマにできることは、もう無かった。
・・・
一方、王都ヘールの西方では、悪魔アシュタロスとパトスが睨み合っている。
二首を持つ巨竜を前にして、パトスの目はギラつく。その目に対して、巨竜の計六つの眼が鋭く光る。
空気が冷え、緊張が走る。強い耳鳴りが起こって、それでもパトスは睨み返す。
「なるほど。それがお前の真の姿か……!」
パトスの言葉にアシュタロスは唸る。
「然り」
「これこそ」
「我が魂」
「我が世界」
「偽りの神よ」
「貴様は」
「小さいな」
――――巨竜が一度羽ばたくと、建造物の一切が悉く吹き飛ぶ。
翼による殴打は避けた。しかし突風に煽られ、パトスの体勢は崩れる。
「ッ……何という……信徒達は無事、か……!」
パトス派の神官達はパトスの加護により守られたが、意識は無い。
だが次があるかはわからない。神官達は一度退避させる他無い。パトスは地面を隆起させ、神官達を岩の棘で覆って地面ごと遠くへ押し出した。
そして巨竜に向き直る。
「……この規模、この威力。これは覚悟を決める他に無いようだな……! 悪魔よ! 我が命の全てをかけて、お前を倒そう!」
この宣言に、巨竜の二つ首の間にそびえる美しき天使の如き人形は、冷たい笑みを浮かべる。
「愚かなり」
「小さき姿で」
「我を倒せると」
「思い上がるな」
巨竜は飛び上がり、その体躯を回転させ、強大な尻尾で以てパトスを襲う!
これに対し、パトスは拳を突き出す。
瓦礫が寄り集まって、巨大な腕を形成する。それはパトスの右腕に連動して動き、巨竜へ向かう!
「ぬん!!」
巨神の拳が巨竜を穿ち、巨竜の尻尾が腕を打つ。
パトスが大地に脚を突き刺すと、空中に巨大な岩の脚が現れ、巨竜を押しつぶさんとする。
恐るべき規模での神威の連打。それはパトス自身の身体にも大きな負担を強いるものであったのか、鎧のそこかしこから青色の液体……液状化したコーザル体が漏れ出す。
その巨大な鎬の削り合いの中で、パトスは高揚感を感じていた。
「――――ああ。何故だろうな」
一瞬一瞬が数百倍に引き伸ばされて、その中で思い出をなぞるように述懐する。
「どうして、こんなにも胸が高鳴るのか」
自分には覚えがない。だが、確かにこの魂に響くものがある。
巨大な怪獣に立ち向かう、その姿。懐かしさすら覚えるこの奇妙な感覚は何だ?
わからない。わからないが……この心は昂り、充足感に満ちている。
「まるで永い間、私はこうすることを夢見ていたかのようだな……!」
鎧は砕け、血は流れ、それでもパトスは立ち上がる。
「ぐぅゥ……流石に強いな……。だが、私とて斃れる訳には行かぬのだ!」
叩き伏せられ、蹴り飛ばされ、なおもパトスは立ち向かう。
倒れても。
倒れても。
立ち上がる。
「それが……私が夢見た姿だ……ッ!」
双頭の竜はそれぞれの口で無機質な言葉を吐く。
方や情動に突き動かされる者。方や情動を否定する者。
互いの激突は止むことなく。
「小癪」
「小癪」
「小癪」
「笑止」
「偽りの神よ」
「終焉だ」
その様に辟易したのか、巨竜は動きを止め、二つの首は吸息する。
中央のヒトの瞳がパトスを睨め付ける。
そして、言い放つ。
「朽ちるがいい」
傷だらけの体を引きずり、俯く。
顔を上げ、眼光を光らせる。
「――――ならば私も、最後の力で抗しよう……!」
パトスの両腕が光を放つ。鎧が地面に楔を打ち込み、パトスは大地から力を吸い上げる。
荒ぶるエネルギーが地響きを起こす。地より伝わり空へと捌ける。
そしてそれは、怒号とともに解き放たれた。
「慈悲なる大地よ、光を放て!!」
巨竜の放った咆哮とパトスの光がぶつかり合い、衝撃波を撒き散らす!
大地は割れ、空は震える。
「ぐ……うおおおお……!」
互いの力が押し合い、空間を捻じ曲げる。その応酬。
徐々に、パトスの光が押されていく。
「砕けよ。消えよ。散れ」
否。挫けるわけには行かない。
「何の、私は……、私は"神"だ……! 神はッ……正義を為すもの、そう在らねばならぬッ!」
地に付いた脚に力を込め、光を放つ両腕に活を入れる。
ごく僅かに、力の境界が揺らいだ。
その押しつ押されつの攻防の中、照の言葉が脳裏に過ぎる。
(――――人が求めるのなら、必ずそれに応えてみせる!)
不思議なものだ。付き合いも浅いのに、その言葉は深く胸に刺さっている。
「……ああ、そうだな」
神は人と共に在る。
人が神になり、人が神を創り上げ、人が神を支える。
そして神は人に応える。
「君の在り方は、正しく人に寄り添う神そのものだ。アメミヤ・テラス」
それはパトスの理想でもあった。
レーヴ十神。この世界の神。人を導かず、玉座に胡座をかき、神同士で信仰を奪い合い、世界の危機にあって協力すらしない。
そんな彼らの姿は、まるで理想とは程遠かった。
気づけば自分もそんな風に染まっていた。
人に崇められるのは、とても気持ちがいいから。
……そんな自分に、永き時の中で忘れていた思いを呼び起こさせた。
それほどまでに、照の威光は目映く映った。
「なればこそ、私も"そう"在ろう。例え、この身砕けたとしても――――!」
パトスの放つ光がよりいっそう輝く。
彼自身の命を乗せて、青く、より青く。
「おおおおおおあああアアッ!!」
不意に閃光のように蘇る、虚無な人生を送った男の記憶。
それはどこか、遠い昔の自分のようで。
英雄に憧れ、しかし自らが為し得たことは無く、搾取され続けて終える人生。
意味などなく、甲斐もない人生。だが、その果てに辿り着いたものには、必ず意味があるはずだ。
そうでなくてはならない。
咆哮と光は互いに打ち消し合い、行き場を失った力が熱と衝撃となって爆散する。
その中で、パトスは満身創痍の体を引き連れ巨竜に肉薄する。
「うおおおおオオオッ!!」
――――閃光。
パトスの拳が巨大な光となって巨竜を貫き、黒い霧が吹き出す。
「ッ我が」
「死ぬ」
「消える――――」
巨竜の体は塵となり崩れ始める。パトスの体もまた、崩壊を始める。
……薄れゆく意識の中、パトスは想いに耽る。
どこの誰とも知らない男の魂、その残滓に問う。
「君は、なれたか? ……正義の味方に――――」
――――黒い塵と青い光の粒が、天へと消えた。




