5:始まりの村
見渡す限りの暗雲に包まれ、闇に鎖された世界。その中で、獣達を燃やす炎が煌々と光を放っている。
その光を背に浴びて、天宮照は自らを崇めるように見つめる少女と少年に声をかける。
「ねえ」
「はっ、はい!?」
呆けていたのだろうか、やたら大仰な反応である。照は少し笑みをこぼした。
はてさてこれからどうしたものか。大まかな事情は聞いてきたが、照はこの世界の細かな情勢までは知らない。
ともなれば、やはり情報を集めるところから始めるべきだろう。丁度、話を聞けそうな人物が目の前にいる。
「私、この世界来たばっかでさ……その、どこか落ち着ける場所、ない? 話、聞きたいな」
その言葉に少女は少しぽかんとして、それから答えた。
「あっ、それは……はい、それじゃ私たちの村に……えっと……」
「……あー、名前? 照だよ。天宮照。君たちの名前は?」
少女は恭しく、少年はたどたどしく自らの名を名乗る。
「マリアです」
「ラザル……」
「マリアちゃんにラザルくんか。よろしくね、二人とも」
「はい……!」
照は右手を差し出す。少女……マリアもそれに応え、握手を交わした。
それからというもの、特に彼らは何を話したというわけでもなかった。それでもマリアはたまにちらりと照を見ては、目線が会うと目を逸らしたり。その様子は照には少し理解し難かった。
マリアとラザルの村はアレフ村というらしい。二人を助けた場所からはそれほど遠くなく、徒歩でも日が暮れる前には着いた。
……そして。
「マリア、ラザル! 二人とも無事だったかい!?」
村に着くなりこれである。
二人の父親と思しき人物と、母親らしき人物。他にも村人数名がわらわらと。
あまりこういう風に取り囲まれるのは慣れていないので、照は思わず二人の後ろに引っ込んだ。
「お父さん……お母さん……」
マリアの声には安堵が含まれていた。当然といえば当然である。
「あなた達が買い出しに出掛けた途端に警鐘が鳴ったもんだから驚いたわ。怪我はない?」
「ええ、お陰さまで。こちらのテラス様が助けてくださったのよ」
「……どうも」
マリアに引っ張り出されたので、さすがに出ていかなければならなくなった照である。
「まあそれはそれは。何もない村だけど、ゆっくりしていって下さいな」
そう言って、マリアの母親と思しき人物は去っていく。次第に他の村人も散っていき、そこには三人だけが残された。
照は村を見渡す。特に何があるわけでもない、普通の農村のようである。外の様子とは比べ物にならないほどののどかさがあった。
「……見たところ、平和そのもの……だよね。空模様以外は」
「ええ。他所はどこも大変みたいですけど、この村は平穏に暮らしていけてます。……それでいいのか不安にはなりますけど」
「……いや、平和なのが一番だよ」
「ですよね」
伏し目がちにマリアが言う。一方、「そんなに気にしなくてもいいのに」と照は思った。
むしろ、このような中でも平和でいられることは誇るべきことだ。この村の姿を見た時、それがどんな感情であれ沸き立つものがあるのだから。
そんなことを考えていると、ふと民家から先ほどのマリアの母親の声が。
「マリアー、お夕飯の支度手伝ってくれないー?」
「うん、わかった。すぐ行くね!」
マリアは返事をして、駆け出す。しかしその足は一瞬止まり、マリアは照に向き直る。
「テラス様、ラザルをよろしくお願いします。今夜は家に泊まっていってください」
「うん、そうさせてもらうよ」
マリアは小さく笑って、走り去っていった。
そうして残された照とラザルであるが、少々の沈黙が空気を支配する。
ちょっと気まずい感じになったが、気を取り直して。
「あー……何だ。遊ぶ? ほら、けん玉とか独楽とか色々あるよ」
照の袖口や襟元から出るおもちゃの数々。どう見ても容量オーバーなそれらを見て、ラザルはただ一言。
「それどこから出したの」
・・・
マリアの家。台所には、鼻歌を歌いながら夕食の準備を手伝うマリアの姿があった。その様子を見ながら、マリアの母は笑みを浮かべる。
「随分上機嫌ね、マリア」
マリアは母の言葉に頷いて、ふふ、と笑った。
「なんか、嬉しくて。神様って、ほんとにいたのね」
「……よくわからないけど、マリアが楽しそうならそれでいいわ」
何やら不思議なことを言い出すマリア。しかしこの母にしてみればそんなことはしょっちゅうだった。というのも、元からマリアは夢見がちで、良く言えば信仰心が強いといえるが、悪く言えば浮世離れしているといったような……まあとにかく、そういう感じの娘だったのだ。
まあ姉も神の声を聞いて神官となり、今や神団の重要職に就いているというので、そういう素養があるのだろう……と母は考えていた。
「お母さん、お芋置いとくね」
返事をしながら、ふとマリアを見ようとしたその時。
「ありがとう、マリア――――
視界の隅。黒くうごめく不気味な影が染み出すかのように現れる。
最初は虫かと思ったが違う。
大きく、虫とは違う全く別の何か。
――――それは獣だった。
黒い紋様を伴った獣が、部屋の壁をするりと抜けて現れた。
……あとはもう、瞬く間の出来事であった。
「マリア!」
反射的にマリアを突き飛ばし、母は襲いかかってきた獣の牙を肩に受ける。
鮮血が飛び散り、牙は肉に食い込む。激しい痛みが首から全身に染み渡って、意識を酩酊とさせる。
マリアは尻餅をついたその体制のまま、目の前の恐ろしい光景を前に怯えた表情でただ母親を呼ぶ。
「お母、さ――――
「逃げな、さい、早く!」
「あっ……あっ……」
村の外から悲鳴が聞こえてくる。遅れて警鐘。それは村への襲撃を意味する音。獣の足音、逃げ惑う声。その饗宴は絶望の去来。
「獣だぁぁ、黒い獣だぁぁぁ!」
「獣が村を襲いに来たぞぉぉぉ!」
マリアがその場から動く間もなく、母の表情は冷たく青くなる。痛みで既に動くこともままならず、獣の牙は今もなお食い込み続ける。
「そ、んな……マリア、マリア……ああっ!」
程なくして、母の首はねじ切られ、事切れる。血が飛び散ってマリアにかかるが、マリアがそれに対して反応を返すことはない。
言葉を失いただへたり込むマリアに対し、獣はそのまま飛び掛かった。
……だが、その牙がマリアを穿つことはなかった。
窓から赤い閃光が一筋、獣を穿つ。間髪入れずに窓から照が乗り込んでくる。
獣は脳天を撃ち抜かれ絶命していた。それを確認するやいなや、照はマリアに向き直って声をかける。
「マリアちゃん、無事!?」
「っ、テラス様……!」
マリアの顔に付着した血を見て、照は気付く。すぐ側に、マリアの母の首が転がっていたことに。そして分かたれた胴体もまた、すぐ側に……
「……ごめん。間に合わなくて」
「ぅ……ぁぁ……っ……」
マリアは照に縋り泣く。照は彼女の肩を抱きかかえそうになって、その手を止めた。そんなことは状況が許さない。
「気持ちはわかる……なんて言えないけど、でも……」
獣が襲ってきた以上、ここはもはや修羅の世界だ。泣く者、転んだ者、手負いの者から死んでいく。
そう、決して許されないのだ。
「泣くのは後だ、マリアちゃん。今は生き残ろう。死んだら、悲しむこともできない」
「…………はい……」
「動ける?」
「……大丈夫、です。ラザルを……守らなくちゃ」
「よし。いいお姉ちゃんだね。じゃあ行こう」
「はい……!」
涙を拭き、マリアは立ち上がる。
窓から抜け出て、すぐ近くのラザルと合流する。
「安全な場所は?」
「山の上の高台ならきっと……」
「じゃあそっち向かって」
そう言った後、照は袴の裏側から札を数枚抜き取り、渡す。何やら文字が書かれているようだが、マリアには読めなかった。
怪訝な顔をするマリアをちらと見て、それから目線を周囲に走らせ、照は言う。
「これはお守り。危なくなったら投げて。それから――――