39:鏡の欠片
――――夢を見た。
それは、私自身には覚えのない、彼方の星の記憶。
誰のものかも分からない、泡沫の記憶。
未来なのか過去なのか、それすら分からない。時の果ての果てに眠る雫たち。
ただ懐かしい、それでいて痛ましい、硝子の欠片。
――――なぜこのように思うのか、それは分からない。
夢の中の私は、疲れ果てた顔をした男だった。
朝早くに起きて、眠気の残る顔で会社に赴き、上司に怒鳴られながら仕事をして、青ざめた表情のまま帰宅して、使い捨ての皿とスプーンでシリアルを機械的に食べた後、泥のように眠る。
毎日がその繰り返し。たまの休日に撮り溜めた特撮ヒーロードラマを見ては、すり減らした心に継ぎ接ぎを足していく。
私にとって馴染みのない物の数々。それどころか「それがどういったものなのか」すら私には分からない。その概念達はファルステラには無いものだった。
だが私はそれらを知っていた。その夢の中でだけ、それらが何なのか理解できた。
この記憶に触れて、私は想う。
――――この男の人生に意味はあるのか?
疲れ果てた男。目に隈を浮かべた男。心に閉塞感を抱えた男。
誰にも見向きされず、誰をも見向きしない男。愛されることも愛することもしない男。
やがて男は衰弱し、玄関で倒れ込み、そのまま動かなくなって……。
結末は決まってこうだ。
孤独に生きて、孤独に死ぬ。何も起こらぬままに、その劇は幕を閉じる。人の思う幸せはそこにあるのだろうか。
もし、私がこの男だったなら、一体何を思っただろうか――――
・・・
「起きたな、我が信徒よ」
所変わって、学都ギーメル・パトス派神団支部、監督官の執務室。
クライブ監督官が目を覚ますと、その傍らに白金の鎧が立っていた。どうやら椅子にもたれてうたた寝をしていたようだ。
機械的でありながら有機的な印象を覚えるその姿は、ある種の神々しさを感じさせる。この姿こそ彼が信奉する神、"地と慈悲の神"パトスである。
「こ、これはパトス様、神殿にてお眠りになられていたのでは……?」
「そう畏まらなくてもいいぞ」
「は……」
「ところで、君は夢を見ていたな」
青色の眼光が、鎧の隙間からクライブを見据える。
「今の夢はな、私の心に残る鏡の欠片だ。私の魂と貴公の魂とで経路が繋がった結果だろう」
つまり、これはパトス自身の記憶なのか。
クライブが疑問を口にするより早く、パトスが回答を提示した。
「人の心とは鏡のようなものさ。人は他人を見るようで実は自分そのものを見る。あの夢は残りかす、割れた硝子だ。どこの迷い人のものかは忘れたがな」
「迷い人の記憶……」
クライブは迷い人と呼ばれる者達のことを知っている。
ファルステラには、境界からこぼれ落ちてくる魂が希少ながら存在する。迷い人とはそうした魂が受肉を果たした存在のことだ。簡単に言えば世界的な迷子である。
パトスは彼らを導き、また助ける存在でもあった。その影響を受けてパトス神団も彼らの支援を行っていた。
しかしそれも三ヶ月半ほど前、黒点が世界を覆い尽くすまでのことではあったが。
「やりきれぬだろうな。英雄に憧れ、しかし自らが為し得たことは無く、搾取され続けて終える人生、か」
「境界は相当に息苦しい世界なのでしょうな」
「今の我々に言えることではないさ」
苦笑交じりのパトスの声。
己が何のために生まれ、生きて、そして死ぬのか。答えを得られぬまま果てるのは、それは虚しいだろうに。
だが、クライブには同情の念は沸かなかった。というか、現実感がない。それこそ異世界の出来事であり、自分には関係がない。そもそも、そんな遠い世界の話よりこの世界の明日のほうが気がかりであった。
席を立ち、そしてパトスを見据える。
「聞きました、例の話。やはり神々は――――
「ああ。"御座船"の建造は進んでいる。この滅びゆく世界は見捨てられた」
「…………」
驚きはしない。王都ヘールで多くの信徒、それも全てパトス派やハミル派以外の者が姿を消したという報告が既にある。そもそも、先日の一件がことの真実を示していた。
そしてパトスはレーヴ十神に背く決断をした。
「先の夢ではないが、こんな甲斐のない話はいくらでもあるものだな」
「……それが世の常というものなのでしょうか」
クライブは窓辺に立ち、外に広がる景色を見る。
白い雲に青い空、そして彼方に黒い雲の群れ。ギーメル周辺の暗雲は祓われたが、今も世界の殆どはあのような雲に覆われている。
そして、殆どの動物が黒紋獣化している現状。まるで修繕の追いつかない街や城壁。悪魔や黒紋獣の脅威が去ったとしても、続く問題は山ほどある。
先の見えない暗闇はどこまでも続いていた。どれほどもがけば抜け出せるのか。
パトスは肩をすくめた。
「さあ、それは知らないが。だがまあ、それでも世界を見捨てぬ者もいるさ。それも皮肉なことに異郷の神と来た」
その"皮肉"はクライブも思っていたことだ。
はじめは異郷の神に頼らねばならない世界の脆弱さへの嘆きだったが、今となっては別の意味があった。
即ち……この世界の神は世界を見捨て、逆に異郷の神は世界を救おうとしている。
それを皮肉と言わず何と言おう。
「捨てる神あれば拾う神あり……迷い人の言でしたか」
「フッ……さて、どうしているかな、"彼ら"は――――」
パトスもまた、窓の向こうの空を見上げた。




