38:備える者たち
王都ヘール郊外では、今日も今日とて黒紋獣との戦いが繰り広げられている。その襲撃が止む日は一度として無い。
天宮照達は、度々黒紋獣との戦闘に駆り出されていた。この日もまた。
「はあっ……!」
黒紋獣の頭蓋を火の玉が穿つ。それを最後に、黒紋獣の群れは逃げ帰っていく。
その様を見ながら照は一息ついて、皆に戦闘終了の合図を送る。
「今日のところはこれで終わりみたいだね」
「はぁ……はぁ……ったく、毎日毎日うじゃうじゃ湧きやがってよ……」
頬を伝う汗を脱ぐって、エルタイルは悪態をつく。止むことの無い襲撃に皆がうんざりしていたが、誰も言葉には出さなかった。それは、その先にある不安に気づいていたから。
エルタイルもそれはわかっているのだろうが……。
「世界中の獣が黒紋獣化してるんだ、これでも少ない方だよ」
そう。まず襲ってくるのが、そういう現実だ。人の手により育てられた少ない家畜のみが、恐らく残された最後の動物であろうこと。
そして……
「……なあ。もし悪魔達を倒せたとして、その後俺らどうやって生きていきゃいいんだろうな」
虚空を見て、エルタイルは呟いた。
……そうだ。この戦いは悪魔を倒しただけでは終わらない。異界からの使者である照達の役割はそこで終わりなのだが、この世界に生きる者にはそうではない。エルタイル達にとって、これは大きな問題であった。
むしろ、彼らにとっての戦いは悪魔に勝ってからの方が重要なのである。
黒紋獣の肉は食用にならない。彼らの死体は数日も経てば塵になってしまうからだ。
生態系は破壊され、世界のほぼ全ては黒い幾何学的な破片に侵され、大地は痩せ細るばかり。
――――つまり、今にも襲いかかりそうなのが食料の問題だ。
戦いの後のこの世界に、人々を養えるだけの余裕はあるのか。エルタイルはそれが気がかりだったようだが……
「知らないよ。それは君たちで考えな」
照はエルタイルの疑問をその一言で切り捨てた。
エルタイルはその態度に少しだけ苛立ちを覚えて、突っかかる。
「なっ……お前他人事だと思って……!」
「他人事だよ。私は本来この世界の存在じゃない。役目を終えれば帰るのが道理さ。もちろん滞在してる間は協力するけどね、そもそも私はこの世界に対して責任を負う立場じゃないのさ」
「っ、それは、そうだけど……」
確かにそうなのだが。言っていることはわかるのだが。エルタイルは釈然としない様子だった。
彼もわかっているのだ。戦いの後の事に関して、照達異世界からの来訪者に頼るのは良くないと。
しかし理屈ではわかるものの、感情としては別の話で。
「はいはいお二方、そこまでにしておいて。今は後の事を議論する以前の問題でしょう?」
二人の会話を、同行していたマールが割り込むようにして諌める。そしてその意見はごもっともであった。
「……そうだね」
呟きながら北の空を見やると、照の目には空から延びる黒い巨木がそびえているのが映る。
……"虚無の樹"。悪魔達の拠点と思しき場所。最終的にはあそこへたどり着かなければならないだろう。
だが。
「敵の本拠地が分かってるのに、私達には攻め入る手立ても戦力もない。降りかかる火の粉を払うのに精一杯だ」
歯痒い問題だった。もちろん策は講じているが、いつ実を結ぶのかもわからない。
同じようにエルタイルも彼の地を見つめ、呟く。
「……虚数化マテリアルによって構成された存在、虚界悪魔、か……」
・・・
時は流れる。
王都ヘールの城下町。王城は既に陥落し、神官達の尽力によって辛うじて都市機能を維持しているこの町にも夜は来る。
時を刻むに連れ、町を覆う闇は色濃くなる。その中で赤い光が城壁付近を照らす。赤い光を遮るのは人型の影。天宮照だ。
「なるほど。連鎖反応のコツ、掴めてきたかも……」
照は息を吐く。このところ、こうした検証を毎日のようにやっている。特に"アイテムクリエイション"を利用したグリッチの研究は今後役に立つかもしれない。
しかし何事も限度というものが大事である。集中力も落ちてきたような気がする。
切り上げ時だと照は判断して、踵を返して街へと戻り行く。
その最中、エルタイルの姿を見た。
「はぁ、はぁ……」
エルタイルの頬からは雫が伝う。どうやら照と同じように自主的に特訓を行っているらしい。
気になったので、照はその様子を少し見てみることにした。
「コーデックス、起動……!」
エルタイルが手をかざしてコーデックスを起動させると、一瞬だけ弱々しい閃光が虚空を走った。
「くそ……うまく行かねえ……。もう一度解析からやり直しだ、ちくしょう……!」
見るだに必死である。少しでも役に立とうとしているのだろう。その姿に、照は少しばかりの微笑ましさを覚えた。
――――ふと、あることを思いついた。
「何してるの?」
近付いて声をかける。背後からの声に反応して振り向くなり、エルタイルは気まずそうな顔をした。
魔導術発動の残滓、コーデックスの光が今だ残る両腕を背中に隠している辺り、なぜだか笑いが込み上げてしまう。……といっても悪い意味ではない、微笑ましいということだが。
「っ、テラス……」
「特訓もいいけど、ちゃんと休まなきゃ効率落ちるよ」
「ああ、ご忠告ありがとよ。用はそれだけか?」
無論それだけではないのだが、エルタイルも何となく察したのだろう、そう聞いてきた。
特に引っ張る理由もないので、素直に用件を伝える。
「ん、ちょっとした工作をお願いしたいなって思ってさ」
「工作? なんか作ればいいのか?」
「えっとね――――
照が提示したモノに対して、エルタイルは少し拍子抜けした様子だった。
思うに、彼の技術レベルでは照の要求するモノは大いに簡単なのだろう。
だが彼は照の目論見については皆目検討も付かないようだった。
「それくらいなら材料があればすぐできるぞ。でも何に使うんだ?」
「んー、まあすぐ分かるよ」
「……んだよ、勿体ぶる必要ねえだろ」
まあ確かにそうなのだが、使う時にならないと説明がし難いのも確かだったので、照はここでは適当にはぐらかしておくことにした。
「じゃあお願いね」
とだけ言い、エルタイルを残して照は去っていく。
……結局、エルタイルはその後もしばらく訓練を続けていた様子だった。
・・・
同時刻、カンマ達が宿泊している宿。カンマは座禅を組み、瞑想を続けていた。
外界の余計な情報を断つ。現在の事象は今観測しなくていい。
目蓋の裏で目まぐるしく駆け回るのは、「これからカンマが目にするであろう」未来の光景。カンマの持つ"未来視"がもたらす観測結果だ。
その観測結果は、観測者が与える条件――すなわち、カンマの行動――によって変えることができる。これが"未来視"最大の利点である。
しかし、人間の脳というものはその与えられる膨大な情報に耐えることはできない。自らの見ている"現在の事象"でさえ、脳は勝手に情報を削ぎ落として認識するのだ。
当然それは"未来視"で見る事象にも適用される。観測者にとって緊急度の高い事象を除けば、多くの場合は観測者が"見よう"としたものしか見れない。
またその能力の特性上、見たくないものまで見てしまう可能性が非常に高く、使用には精神に多大な負担を強いられる。
それらを差し引いたとしても、望む未来に向けて最適化された行動を取ることができるというのは有用だった。
そのはずなのだが――――
「っ……!」
突然、モニターの電源が切れたかのように未来が途切れた。
まただ。またこれだ。
頭が重い。ずいぶんと長い間、呼吸を忘れていたみたいだった。
深く息を吸い、そして吐く。無意識の内に、それはため息に変わっていた。
「どう、和馬君?」
傍らのルゥコが覗き込むようにカンマの顔を見る。心配そうな色をした瞳に、カンマは申し訳なさそうに首を横に振る。
「……全然ダメ、前と変わらない。悪魔が来てからのことが全然見えなくなって、結果だけ突き付けられる」
「そう……」
物憂げな表情を浮かべるルゥコ。気を張らなければ、不安と焦燥に押し潰されそうになる。何とかしたいが、どうすればいいのか。
「多分悪魔の能力が関係してるんだろうけど、正直キツいね」
元々悪魔の能力を少しでも知れたらと思い始めた瞑想だが、今のところ成果は無い。
「相手の出方がわからないんじゃ、攻略の手も立てられない」
「どうすればいいんだろうね」
気まずい沈黙が訪れる。冷たく重い空気。カンマはとにかくそれが嫌いだった。
気分転換が必要だ。
「……うん、考えてても仕方ない。少し休憩しよう」
「だったら私、お茶貰ってくるね」
「ありがと、笠子ちゃん」
カンマの意図を汲んだのか、ルゥコはそう提案して立ち上がった。
ドアへと進んでいくルゥコの後ろ姿を見ていると、不意にカンマの視界に少し先の未来が過ぎる
。
――――そこはロビー。トイレに行こうと部屋を出た矢先にカンマは見るのだ。
そこでルゥコとマールが鉢合わせする場面を。
「あ、ルゥコさん。丁度いいところに」
少しだけ未来の光景の中、マールがルゥコを見かけて声を発する。
首をかしげて何だろうと考えるルゥコに、マールはこう言う。
「ルゥコさん、明日少し付き合って貰えませんか? あなたの力をお借りしたいのです」




