35:祈りの聖女とゲーム廃神
炊き出しの喧騒から離れ、天宮照とハミル派神団代行官・マールは地下の難民収容句を歩いていた。
ここは比較的治安が良いのか、物静かな雰囲気が立ち込める。聞こえてくる物音といったら、たまに子供たちのはしゃぎ声が聞こえるくらいか。
そんな中、マールははにかみながら話す。
「マリアったら、久しぶりに連絡したら貴女の事ばかり話すんですよ。貴女の事がよほど好きみたい」
「そうなんだ……」
「前までは私にべったりだったのに、少し妬いちゃいますよ私」
楽しそうな彼女の様子を横目に見ては、どう反応していいのか迷い、歯切れの悪い返事を返す照であった。
しかしマールはお構いなしに話を続ける。こんな調子なので、思わず照も笑顔を零してしまう。どうにもマールという女性は自然と人をそういう気分
にさせるような"気"の持ち主らしい。
「ラザルもどういう風の吹き回しか棒切れ持って『強くなるんだー!』なんて言ってるそうで。ふふっ。相変わらずみんな元気そうでした」
「へぇ……あの子がね……」
ふと、ラザルと交わした"指切り"のことを思い出す。
自分に課した誓約。果たさねば千本の針がこの身を内側から食い破るある種の"呪い"。
世界を救う――――途方も無いが、そのために今動いている。
「村が襲われたと聞いた時、いてもたってもいられなくなったんです。けれど私はハミル派の代行官だから自分の都合だけじゃ中々動けなくて……」
その事情は分かる。立場は人を縛るものだ。力には責任が発生し、責任は自由を圧迫する。動くに動けない状況が、彼女にとってどういうものだったのかは、想像に難くない。
「ですから、貴女がいてくれて良かった」
「あ、いや。そんな……」
「私に代わり村を、妹達を守ってくださったこと、改めて感謝します。テラス様」
そう言って、マールは深く頭を下げる。
「でも、ご両親は――――
「それでも、です」
彼女のこの態度に、学都ギーメルでの神官達との一幕を照は思い出す。
彼らとは最初、険悪そのものだった。色々あって協力する関係にはなれたが、その時の出来事がこの世界の「神官」と接するにあたって警戒する要因になったのは否めない。
それだけにマールの様子には少しばかり驚いた。
彼女には信仰より尊ぶべきものがある、ということなのだから。
「大事なんだ、マリアちゃんとラザルくんのこと」
照がそう言うと、マールは晴れやかな笑顔でこう返す。
「だって、私の妹と弟ですもの」
そのあまりの眩さに、ほんの少しの間言葉を失った。
……そうか。アレフ村にあった結界の痕跡は、マールさんの張ったものだったのか。
唐突に、照は理解した。
理解した所で、意識外の方向からボールが飛んできて、足に当たった。
見れば、少し離れたところから子供たちが数人。
「ねーお姉ちゃーん、ボール取ってー」
子供の声。照はボールを拾い上げ、子供に向かって放り投げる。
「ほら。もっと広いところで遊びなー!」
「はぁい、お姉ちゃーん」
走り去っていく子供たちを見ながら、微笑み混じりに嘆息する。
こんな時でもやはり、子供というものは遊んでいる姿が一番輝かしく思う。ゲームでも球蹴りでも、とにかく何かに夢中になっている子供の目ほどきれいなものがどこにあるだろう。
「好きなんですね、子供」
その姿を見て思ったのか、マールはそう言ってきた。
「私にも弟がいるから」
「テラス様にも?」
意外だと思われたのか、マールは目を丸くした。
「二人ね。特に下の方、これがとんでもないやんちゃ坊でさ。しょっちゅういたずらするし、泣かされたことも結構あってね、もう大変」
暴れん坊で、物怖じしない。それが時として厄介で、手がつけられずに押入れに逃げ込んだこともあったっけな。
などと述懐しながら、何だか少し腹立って来たので帰ったらアイツのゲーム一つ没収しよう、なんて考えた照であった。大人げないかもしれないが。
「……でもね、ふとした時に思うんだ。"これが結構楽しい"って。だからなのかな、子供の面倒見るのは好き」
「いいお姉さんなんですね」
そのコメントと今しがた考えていたことのギャップに噴き出す。
照は取り繕って、言葉を返す。
「マールさんの方こそ、妹達のために働いて、そっちの方が立派だと思うよ」
「じゃあお互い立派ってことで。私達、"お姉ちゃん"同士ですね!」
「あははっ。そうだね」
二人は笑い合う。
ひとしきり笑った後、マールは真剣な表情を作り、言葉を紡ぐ。
「……テラス様。この世界の現状は、もうご理解頂けていると思います」
王都ですら難民区はこの有り様。もはや国は機能せず、姦淫、暴悪、飢餓、病役。魔の都のような光景が、この地下にある。王都の人間は臭いものに蓋をして、不安から逃れるように日々を過ごしている。「神官達が守ってくれるから大丈夫だ」などと考えて。
これが王都。これがファルステラ最後の国。残された人の世界。
そう。みな不安なのだ。それが人を悪に染める。
考えれば考えるほど、この世界を救うなど無理難題に思えてくる。
「…………」
「今、私達に必要なのはその心を照らす強い光です。天に構える太陽のような光が」
まっすぐ照を見つめる瞳は、まるで照にそのような光を見ているようだった。
だけど――――
「……残念だけど、私はそんな風にはなれない。この世界の太陽は、この世界の者がなるべきだ」
いずれ元の世界に帰る者が、そんな存在になってはいけない。照はそう思う。
なぜなら、照が去った後に起きた問題に対して、照自身が責任を持てないからだ。
助けを求められても正直困るし、実際何ができるのかもわからない。世界を救った後のことは、その世界の人間がどうにかするしかない。
だから、「どうにか」できる人間を見つけておく必要があったのだが……
「ですが……」
「大丈夫、もう芽は出ているよ」
「…………?」
マールは訝しげに照を見る。
まあ、言っても当の本人には理解してもらえないだろうな……なんてことを、照は考えるのだった。
――――そんな折。
街中にけたたましく警報が鳴り響く。それとともに拡声魔術によって拡大された神官の声が聞こえた。
「東3区にて黒紋獣襲来、東3区にて黒紋獣襲来。市民は指定施設に速やかに避難してください。繰り返します――――




