33:見るなのタブー
酷いものを見た。
雑な言い方ではあるが、そう言うしかない。
それだけのものを、エルタイルはあの時――ハミル派の代行官に連れられて訪れた地下街で目の当たりにしたのだった。
地下街は元々、地下の都市開発計画で拓かれた空間だった。
それが悪魔の襲来以来、数々の難民が押し合いへし合い、ひしめき合う難民収容区へと変貌した。
飢餓に喘ぎ、治安は乱れ、病は流行り、犯罪は横行する。それを止める手は足らず、国としての体裁はそこにはない。
地下に混乱を押し留め、地上の人間は素知らぬ顔をしている。
それが王都ヘールの現状だった。
「へえ、そんなことが……」
それを天宮照達に報告した時の第一声がこれである。
緊張感の足りない返答だと思ったが、照に関してはいつものことだとエルタイルは思うのだった。
「噂には聞いてたけど、思ってたより酷いね……」
「ソドムとゴモラって感じする」
「どこが?」
……とは、この話を聞いていたルゥコとカンマの言である。ルゥコは良いとして、カンマもどこかユルい。
一々気にしていても仕方ないので、エルタイルは無視して話を進めることにした。
「にしてもよ、表の連中は対岸の火事ってところが気に食わねえよ」
「まあ、みんな揃って地獄に落ちましょうみたいなのよりマシじゃん?」
自らの所感を述べたエルタイルに対してのカンマのこの言。いや、確かにその通りではあるのだが……
「寝覚め悪いって話してんの。カンマお前無神経かよ」
「あーごめん。未来視のおかげで"見すぎてる"から、おれ」
手を振りながらカンマは答える。
見すぎている、とは未来のことだろう。では具体的に何の事を指すのか。文脈から察するに、人の死とか、そういう良くないものの数々だ。
……正直、正気を保てそうにない。
「何か、悪い」
エルタイルが謝るも、カンマは何ら気にしていない様子だった。
そこで、ルゥコが一声。
「ねえ、私達で何かできること無いかな?」
「どうだろうね。それこそあっちを立てればこっちが立たず、って感じだと思うよ」
カンマは腕を組み、考える素振りを見せる。
エルタイルも何か無いか考えるが、案らしい案は浮かんでこない。
そこで、先程から黙りこくっている"神様"に話を振ってみる。
「ううん……なあテラス、お前何かあるか?」
照は両のこめかみに指を当て、頭をぐわんぐわん動かす何やら奇怪な動きをしている。これ何か考えている仕草なのか?
そして唐突に立ち上がり、突拍子もなく宣言するのである。
「よし、決めた! 炊き出ししよう、炊き出し!」
「…………は?」
・・・
「本当に炊き出しやってるしよ……」
広場の一角に設営されたテントにできた長蛇の列を眺めながら、エルタイルはため息交じりに呟いた。
ただの照の思い付きでしかなかったこのアイデアは、カンマとルゥコの賛同によって、エルタイルの希望に反してトントン拍子で事が進み、現在この有様である。
とはいえ自分も手伝ってはいるのだが……
「でも信仰集めにもなるし、いいんじゃない?」
「なのかねえ……」
手元の《コーデックス・コンソール》を操作しながら、エルタイルは一言答える。
確かに、信仰が力になる神様にとっては戦力強化になり得る行いではある……のだが、その、なんか地味だ。
それに……
「天宮さーん、追加お願ーい」
「ハイヨー任せときー!」
当の神様本人がテントに隠れていては意味がないだろう、と思う。
テントの中で何をやっているのか気になりはするが、それよりも……
「しっかし、こりゃあ……すげえな」
広場を埋め尽くさんばかりの人の群れを見て一言。
難民は老若男女を問わず大勢。皆が皆、身なりを整えきれていない。衛生的な問題も多くあるだろうに。
コンソールを閉じて、エルタイルはルゥコに話しかける。
「コーデックス組んだぞ。後は材料突っ込みゃ勝手にできるから」
「ありがとうエル君。魔導って便利だね」
「まぁ、な」
黒紋獣との戦闘に役立てられればもっと良かったのだが……というのは言っても詮方無いなと思うエルタイルであった。
「ちょっとここ空けていいか?」
「いいよ。どこいくの?」
「カンマ達の様子見てくる」
「あ、じゃあ差し入れお願いできる?」
「了解っ」
ルゥコから渡された包みを手に、エルタイルは人だかりを縫うようにして歩く。
しばらくして、レンガ造りの建物の前に来た。そこからはカンマの声が聞こえてくる。
「よし、もう大丈夫。どう、おばさん?」
「大分痛みが引いたよ。ありがとうねお兄さん」
「どういたしまして」
「おーい兄ちゃん、次こっちの人頼むわー!」
「おっけーお兄さん。どこが悪いとかわかるなら言って!」
……などなど、怪我人の手当であっちへこっちへと動いている様子だ。
正直カンマのイメージにはそぐわないと思ったが、カンマの使う仙術……エーテル術というのは治療に向いているのである。
なので、こうしてカンマが怪我人や病人の面倒を見るのは違和感がなかった。
「……忙しそうだな、カンマ」
「ん、まあね」
エルタイルは隙を見つけてカンマに話しかける。カンマもそれに応え、
「病人はともかく怪我人も多いんだよね。だいたいエーテルの流れを調節すれば治るんだけどさ……ほら、アレはちょっと……」
などとまくし立てる。指差した先には足を無くした兵士らしき男が、壁にもたれかかっている。見るも痛ましき戦傷者の姿だ。
黒紋獣と戦い、傷つき、それで守れたものと言ったら自分の命くらい。彼が一体どのような気持ちなのか、エルタイルが想像するまでもなく、その表情から如実に現れている。
……そう、仙術では失った手足は取り戻せず、傷ついた心も癒やせないのだ。
「それで、何か用?」
まぁ細かいことは気にしない、と言わんばかりにカンマは笑い、とっくに分かっているだろうことを聞いてきた。
いちいち聞くなと答えると、カンマは確かにと笑った。
「はは。んじゃ言っとくよ。照さんのテントの中は覗かないほうがいい」
「…………?」
カンマの言葉の意図を、エルタイルは掴みそこねて首をかしげる。
「知らないほうがいいこともある、ってね」
「よくわからん……」
カンマの下を離れ、エルタイルは照の引きこもっているテントの傍へ。
「テラスー、テラスいるかー?」
呼びかける。だが返事はなかなか帰ってこない。
エルタイルが再度呼びかけると、照はようやく反応してきた。
「うぇっぷ……うん、いるよー。何か用ー?」
「様子見に来た。それと差し入れ」
「あぁ、ありがとー。テキトーに置いといて。あと追加のお米出してあるから、持ってってー。ぅぷ」
うん?
エルタイルからはテントの中にいる照の様子は見えない。だが何だろう。気分でも悪いのだろうか。何やら吐き気を催しているような雰囲気だが……
「……お前なんか様子ヘンだぞ。体調でも悪いのか? だったらカンマにでも――――
テントの幕をめくり上げ、中の様子を覗き見る。
その中に広がっていたのは、結論から言うと――――
「うぉええぇぇぇぇ……!!」
酷いものを見た。
「なっ……」
嘔吐する照。照の口から吐き出される食物たち。
は? 吐いてる? 食物を? 何で? え? 戻してる? 何? 何これ? ゲロ? ゲロだよねこれ? 何のために? ゲロのフルコース?
思考は混乱の極みであった。
「何やってんだてめええええ!?」
叫ぶエルタイルに、照は一言。
「……見てしまったね?」
「うっせえよ! 何やってんだって聞いてんだよ!」
食物を用意するのではなかったのか。ていうかなんでひたすらゲロ吐いてんだこいつ。
「フフフ。聞かれたならば答えよう。これぞウケモチ直伝、"神饌豊受"の神威! 腐った食べ物を元通りにしたり、生み出したりできるのさ! フフ、これで私も神話的ゲロインの座にうぼぇぇぇぇぇ」
「絵面めちゃくちゃ汚えんだけど!?」
つまりそのゲロを難民たちに食わせてるわけで。なるほどカンマの言ってたのはこういうことかと合点がいった。
まぁ、そのために色んなものが犠牲になったわけだが。
「そこはそれ、美少女のゲロなら食える!って人が……」
「お前の美少女の定義どうなってんだ!」
ゲロ食いたがる奴いねえよ! 神様でも無理だ! そもそもお前は男だろうが!
などなど、ツッコみたくなることはあったが追いつかなかった。
この騒ぎを聞きつけたのか、ルゥコがやってきた。
「エルタイル君どうしたの? 大声出して」
……まずい。今はまずい。この現場をルゥコに見せるわけには行かない。
とはいえエルタイルにはどうすることもできず。
「げっ、ルゥコ……なんでもねえ、なんでもねえよホント」
なんて、至極無理のあるごまかし方になってしまうのだった。
ルゥコは訝しげな視線をエルタイルに向けるが、すぐに本題を思い出したようだ。
「そうそう、天宮さんに会いたいって人がいるんだけど」
その言葉に、照はテントの中からひょっこり顔を出す。
「……私に?」




