29:栄光の神殿にて
翌日、エルタイルが起きた時には天宮照の姿はなかった。
宿屋のどこを探しても見当たらない。大方どこかで"グリッチの研究"とやらをしているのだろう。
仕方ないので、街に出ての情報収集は彼一人で行うことになった。
彼にとっては正直言って好都合だ。照と一緒だとペースを狂わされるのだ。
それでいて照はちゃっかり情報を掴んでくるので、彼だけ何も分からずじまいになることが簡単に予想できる。
ともあれ、エルタイルはハミル派神団・ヴィクトリア神殿へと来ていた。王都にて難民受け入れや黒紋獣対策を主導しているのはハミル派との情報を得ていたためだ。
ハミル。ファルステラの創造神・レーヴ十神が序列の七、『栄光』と『雷』の神。いかにも戦神らしい権能の神である。
その信徒達が人々を守るため立ち上がるのは、まあ分からなくはない。
……殆どの神がこの世界を見限っているという現状を知っていると、渇いた笑いしかこみ上げてこないのだが。
「あの、すいません……」
そんな笑いを押し殺しつつ、エルタイルは受付に声を掛ける。
受付の女性は少し苛ついている様子だった。
「難民の方ですか? でしたらあちらの方へ――――
作った笑顔が張り付いているものの、その目は濁っている。
この状況だ。忙殺されていても不思議ではないが……
「ああいや、そうじゃなくて。すこし話を聞きたくてですね」
「はあ……何ですか。この神団全体が忙しい時に……」
受付はうんざりしたように答える。それに対しエルタイルは食い下がるが……
「そこをなんとか……」
「と言われましてもねぇ。あなた今の状況わかってます?」
「う……」
いやはや困った。取り付く島もない。確かにたかが子供一人、相手にもしないか。いきなり壁にぶち当たってしまった。
どうしたものかと考えていると、どこからか横槍が入ってきた。
「何、どうしたんです。何を揉めてるの?」
「っ……マール代行官!」
背後からの声に振り返ると、そこにいたのは女性だった。
照明の光を反射して光る銀の髪。白い神官服。エルタイルはどことなく神聖な雰囲気すら感じた。照なんか比ではない程に。
……流石に失礼かともエルタイルは思ったが、「いや別にテラスならいいか」と思い直した次第である。
それはともかく、エルタイルにとって聞き慣れない言葉があった。
「代行官?」
「神の声を聞き神団のトップに立つ十の使徒のことだこの田舎者! この御方は我らハミル派のトップなのだぞ!」
「はえー……」
「アホ面か貴様!」
お間抜けな相槌を打ったエルタイルに、受付は厳しいツッコミを浴びせかけた。
実を言うと彼は代行官の何たるかは知っていたのだが、受付の人が勝手に言い出したので、「知らないフリしておくか」程度の反応であった。
「すみません代行官、この者どうやら神官の業務を邪魔しに来たみたいで……」
受付はその女性……マール代行官に申し訳なさそうに説明する。
対するマール代行官の反応はと言えば、
「まあまあ、あなたも落ち着いて。この子は私が面倒を見るわ」
疲れを微塵も見せない笑顔でこう答えたのだ。結構な冷静ぶりである。
結局、受付はマール代行官の前に折れた。
「そんな、代行官自らが……」
「いいから」
「っ……」
神団のトップたるもの、こういった面でも強くなければならないのだろうな……などとエルタイルは思うのだった。
・・・
それから少し経ち、エルタイルとマールは表通りから離れた、静まり返った区画を進んでいる。
やはりというべきか、その区画はまるで修繕が追いついていない状況だった。
こういう場所もあるのが現実か、と改めて思う。
エルタイルが周囲を見回していると、マールは声を掛けてきた。
「ごめんなさいね、ここのところ余裕がなくて。みんな気が立っているのよ」
「いえ……事情はわかります」
世界が滅ぶ瀬戸際、太陽さえ見えない。そんな状況だから無理もない。
エルタイルは照からもらった"お守り"なるものを、首にかけられるよう結わえられた紐を指に引っ掛けてくるくると回す。
特に意味はない、手癖のような行動だったが、その様を見てマールは一言。
「あなた、異郷の神の信徒みたいだけど」
「え、なんで――――
「背中の"刻印"見れば分かるわよ。見たことない形ねそれ。落書き?」
言われて納得した。
そう、エルタイルは"神官"になったのだ。
神なる存在と魂のパスを繋げ、"加護"を授かった者達。神官。
神官となるには神との間で"契約"を結ぶ必要がある。その印は神官のメンタル体に刻まれるので、霊的知覚を持つ者には見えるのだ。
ていうか"落書き"って。何描いたあいつ。
「まあ、成り行きで……」
「へぇ~……?」
それは照からの提案だった。
エルタイルが神官になれば、"加護"の力で黒紋獣と戦えるようになるためだ。ついでに霊的知覚も身につく。
……ただ、神官になった後で待っていたのは照のしごきだったわけだが。
「もう大変ですよ、ヘヘ……」
少年は光の無い目で笑みを漏らす。
踏み込んではいけないと思ったのか、マールは苦笑してから話題を変えた。
「それで、知りたいのは王都の現状?」
「はい。なんか、話に聞いてたのとは違うような気がして」
急に変わった話題に少し驚きつつ、エルタイルは答える。
昨日から気になっていた。
この王都は比較的平和に思える。
「……そうね。まだ活気があるわよね。表側は」
いつの間にやら、彼らは地下通路への入り口らしきものの前に来ていた。
立ち止まった少年に対し、マールは振り返って手招きした。
何故だかそれが、悪魔の誘いに思えた。
「それは、どういう……ていうかどこへ?」
「聞きたい?」
恐る恐る肯くと、暗がりの中で光る両の目が少年を覗き込んで、その問いに答えた。
「――――難民収容区よ」




