27:星に願いを
「――――損害報告は以上だ」
虚数領域の存在、虚界悪魔マテリアの襲来から一週間。
神官や魔導士達を始めとするギーメルの住民は戦後処理に追われていた。
この会議室に集まった面々――クライブ監督官やローズ補佐官といった神団の代表達、そして学術院の魔導士は、事後処理の中間報告のために集まっていた。
「死者だけでこの数とは……人的被害だけを見ても、これは……」
魔導士達が唸る中、ローズは肩をすくめる。これはもはや災害だ、と。
「神団の方もごたついている。我々パトス派以外は先日の件で存続自体が危ういそうだ」
「自分が信じていた神様があれじゃあ、信仰が揺らいでもおかしくないですって」
呆れ調子のローズの声。クライブもそれについては同意見だった。
神官にも多数の殉職者を出した上にあの一件だ。元々そんな節はあったが、ことここに至り、神々への不信が噴出した結果となる。
派閥の存続自体が危ういというのはギーメル支部に限った話ではあるのだが、噂はすぐ広まるだろう。あの神々はそれもお構いなしに見えたが……。
「まあ、神様が頼れないのでは、我々で何とかするしかないでしょうね」
「……承知しています」
「これに懲りたなら軍備の方頼みますよ?」
苦笑交じりのローズの言葉に魔導士達は顔を見合わせ、ため息をつく。
それを傍から見ていたクライブには、魔導士達が本当に理解したのかは分からない。今までのやり方が間違っていた、ということくらいは理解してほしいものだが……。
何れにせよ、少しは役に立ってほしいものである。
クライブは嘆息し、手元の書類を数枚めくる。
「……報告を続けよう。アレフ~ギーメル間に存在していた黒点が、悪魔の撃退と共に消失したとのことだ。また周知の通り、現在までで黒紋獣の襲撃は無い」
この報告は、言葉通りに受け取れば、悪魔の脅威は去ったようにも思える。
実際に魔導士達もそのように受け取った。
「それは、『悪魔の勢力圏内から外れた』ということで?」
「まだ結論するのは尚早だと考える。我々としては引き続き警戒を行う所存だ」
そう。世界の状況としては、まだ悪魔が一体滅びただけ。
残り九体。それら全てを滅ぼさない限り、悪魔の脅威は消えないのだ。
依然として人類が、世界が立たされた窮地は変わりない。現状は少しも改善していないというのがクライブの、ひいてはパトス神団ギーメル支部の総意、見立てだった。
クライブはさらに紙をめくり、報告を再開する。書類に記されていたのは、"奴ら"についての情報と、もう一つ。
「続けて異郷の神テラスからもたらされた情報を報告しておく。加えてかの神から依頼を賜っている。諸氏にはそちらの作業に注力していただきたい――――
・・・
「まずい……」
天宮照がファルステラに来てから、はや半月が経過した。そこで前々から照が思っていたことが一つ。
これは、由々しき問題である。
「ご飯がまずい……」
そう。
ご飯が不味いのだ。
あまりの不味さに耐えかねて、アイテムクリエイションで塩を創り出す始末。塩化ナトリウムなら簡単に創れるので大助かりである。
本当は塩以外にもいろいろ欲しかったのだが、照はスパイスに詳しくもなければ分子構造などわかるはずもない。塩ひとつ取っても、照がよく口にするような海水塩が再現できるわけではない。その他問題を上げればいくらでも。
なんてことを考えながら、照は学術院の学生寮の廊下を歩いていた。
さて、照の目的は一つ。
照は近くを通りかかった学生に声をかけてみる。
「ねえ君、エルく……エルタイルくんの部屋ってどこか分かるかな?」
「ああ、それなら――――」
照の目的というのは、つまるところエルタイルだ。
マテリアとの戦い以来、照はエルタイルと一度も会ってない。聞けば寮に籠もりきりだというのだ。きっと今回の件で落ち込んでいるのだろう。
そっとしておくのもひとつの優しさかとは考えた。
でもそれは違う気がした。
(だって私は……)
とある一室の前で立ち止まると、照は部屋の番号を確認する。学生に教えられたものと同じだった。
ノックをする。返事はない。
鍵は開いていたので、ドアを開け、立ち入る。
そして、恐る恐る声をかけた。
「――――エルくん?」
「……テラス?」
ベッドに腰掛けうつむいていたエルタイルは、照の声を聞くと顔を上げ、照を見た。
その様子は、とてもではないが元気とは言い難い。
「あ、あはは……一週間ぶり……だね」
何を言っていいのかわからず、当たり障りの無いことを口走ってしまう。
エルタイルは返事もせずにまたうつむいた。あの時「うつむくな」と鼓舞した彼がこの調子なのは、照には少し信じられなかった。
握り拳を作っては解き、手汗が滲んできてはそれを拭う。そうした行動を数度繰り返した末に、照はやっと言葉を紡ぐことができた。
「……聞いてたよ、君の声」
だけど、すぐに詰まった。
何を言うか何度も考えたはずなのに、本番で全く出てこない。我ながら困った性質だと照は思う。
「っ~~~~……なんて言えばいいのかな。えっと、その……」
「……迷惑だったろ」
私の言葉を遮って、エルくんが言う。
「ダメだなオレ。また足引っ張った」
「エルくん……」
そんなことを気にしていたのか。
いや、照には理解できる。戦いで役に立てないどころか助けられてばかり。その上誰かの足を引っ張ってるかもしれない……かなり来るものがある。
それにエルタイルは、自分自身が取った「あの行動」を照が迷惑に思った……きっとそう思っているのだ。
だが……。
「あの悪魔、とんでもねえヤツだった。正直怖いって思った。次あんなのが出てきたら、オレは間違いなく邪魔になる。だったら――――
「……違うよ、それは」
一歩ずつ、ゆっくり、少年に近寄る。
「私ね、嬉しかった。君の行動が、君の言葉がみんなを動かした。私に力をくれた。君はみんなを助けたんだ」
それは、照の嘘偽りない気持ち。
エルタイルがいたから、悪魔に勝つことができた。照だけではできなかったことも、その壁さえ超えて届かせることができた。
今ここにあるものの全ては、彼の諦めたくない想いが生んだ結果なのだ。
だから、きちんと伝えなきゃだめだ。
その一言を。
「――――ありがとう、エルくん。君こそ本当のヒーローだ」
エルタイルの横に腰掛け、それから微笑みかける。
思いつめていた少年の顔は、思いもかけない言葉に歪んだまま照の方を向く。
「テラス……?」
信じられないと言いたげな表情を見せる少年の頭を、照はそっと抱き寄せる。
エルタイルは何をされているのかも理解できていないかのようだった。強張り硬直した身体を支えて、いつか弟が泣いた時にしていたように、照はエルタイルの頭を撫でた。
そして、ぽつりと言う。
「だから……これからも私を助けてくれたら、嬉しいな」
「……っ――――
そこまでが限界だった。
エルタイルは小さく嗚咽を漏らす。
それは、次第に大きくなっていった。
「っ……ぅ……ぅぅううあああああああああぁぁぁ……!」
――――慟哭。
きっと、ずっと張り詰めていたのだろう。今まで泣いていなかったのだろう。その場所さえ、余裕さえなかったのだろう。
彼自身が家族の死を知ってから、ずっと。
そんな何ヶ月か分の溜め込まれた感情が、堰を切って流れ出すようだった。
長い間泣かずに耐えてきた少年の心が膿を出す。手当てもされず放置された傷が、軋みを上げて訴えているかのように。
それはとても痛いはずなのに、なぜだか少し嬉しかった。
「うん、うん。今は泣きな。受け止めてあげるから」
「っ、うるさい。姉ちゃんぶるなっ……」
これは、泣きじゃくりながらの一言である。
少し懐かしいような感覚を、照は覚えた。
「はは。なんか弟に似てるよ、君」
遠く彼方の、星に願いを。
世界はまだまだ、暗澹とした雲の中にある――――
ひとくぎり




