23:未知との遭遇(4/6)~邪悪の木
それは、数刻前のこと。
虚界悪魔マテリアによる学都ギーメル襲撃から時は遡る。
ノース大陸北方の内陸部、砂漠の最中にある湖の上に建設された巨大都市タヴー。
ウァレンティヌス魔導帝国の首都であったこの都市は、今や人の気配も、獣一頭、虫の一匹さえも見つけられない廃墟となっていた。
――――いや、もはや廃墟ですらない。
人の叡智と息吹の結晶、文明の象徴たる建造物は何一つ見当たらず、その残り香さえも感じられない。僅かばかりの瓦礫と、乾いた風だけがそこにある。
何もかもが黒き虚の影へと消えたのである。
この地の空には今、樹があった。
星にさえ届きそうなほど高くから天を穿つ巨大な幹と、ノースの大地を覆わんばかりの無数の枝。
人間はそれを、"虚無の樹"と呼ぶ。
世界樹が如き広大な樹を遡り行った、その根本。
暗闇の中で、マテリアは彼らにしか理解できない"言葉"を紡ぐ。
魔宴の合図であった。
「――――虚列ノ十ガ招集。要求。"計画"ノ進捗報告ヲ」
深く暗い闇の中に、青白い輪郭が浮かび上がる。
異形。一言で言ってしまえばそう言い表せるその姿。見る者によっては狂気を呼び起こすだろううねりと艶めき。虚界悪魔マテリアである。
一つ、一つと輪郭が現れ、蠢く。
その数、十。
世界に現れた黒点の数と一致していた。
マテリアの呼びかけに、輪郭の内の一つが応える。
呼応して、他の輪郭もまた。
「虚列の一が応じる。吾等、進捗は良好也。繰り返す。吾等、進捗は良好也」
「"樹"は順調。だが"実"を成すにはいささか足りぬ」
輪郭の一つが唸りを上げる。それはまるで機械の駆動音が如き響きだった。
それらが"天"を仰ぎ見れば、頭上に広がるは大樹。人間達の言う"虚無の樹"だ。大地に伸びる枝の合間に、更地となった湖上の巨都が見える。
虚界悪魔は"虚数"の存在。彼らを支配するのは虚数の理である。実数世界の物理法則ではない。
いかなる現象においても、それが実数ならば望まぬ干渉を受けない上に、重力にさえ従う必要はない。
故に、このように大地を仰ぎ見ることも可能なのである。
「やはり"苗床"は必要となるか」
ざわめきが起こる。
"樹"を育て、"実"を成す。彼らにとって、それは重要な案件であった。
「なれば今一度、神々を討ち滅ぼす時ぞ」
「事を急くな。愚神などいつでも滅ぼせるであろう」
「その通り。彼奴ら、自ら、証明、済」
輪郭達は沈黙する。
その静寂を破ったのは"虚列の十"……マテリアだった。
「閑話休題。憂慮スベキ事案ガ在ル」
輪郭達は一斉にマテリアへと視線を向ける。
「何だ。申してみよ、我が同胞」
十の輪郭の中で最も巨大な――実際のところはともかく――印象を受ける輪郭、自らが名乗るところの"虚列の一"が言うと、マテリアが答えた。
「コノ世界ニ現レタ神性。取ルニ足ラヌと放置シテイタガ……」
「境界の神性……やはり障害になり得るか」
彼ら悪魔が障害と見なした神性。それこそ、現世より招かれた太陽神の分け御霊、天宮照である。
照の力は彼らにとって"取るに足らない"ものであったが、それはファルステラでの信仰がほぼ無い状態での話だ。
その神性には成長の余地がある。
自らの脅威になり得る存在、潰さなければならない……悪魔達はそう考える。
「であれば吾が――――
"虚列の一"が言いかけると、マテリアはそれを遮る。
その必要は無い、と。
「コノ役目、妾ガ請ケ負ウ。彼ノ神性ノ亡骸、妾ガ"苗床"ニ捧グトシヨウ――――」
輪郭達が蠢いて、低い笑い声が闇の中で響いていた……。




