22:未知との遭遇(3/6)~アンチクリスト
「あの……家が崩れて! 降りられないんです!」
「今なんとかする!」
エルタイルは、破壊された城壁の瓦礫が飛来した区画の救助と避難誘導に従事していた。
今呼びかけたのは子供を抱えた母親。背の高い集合住宅の三階で、破壊された家屋の妨害を受け立ち往生していたといったところだ。階段はなく、赤ん坊を抱えた状態で飛び降りさせるわけにもいかない。
階段がない? ないなら作ればいい。
「起動、《コーデックス・コンソール》。仮想アストラル体による視覚的記述モード。認証過程省略……」
手元に黄白色の光の板が現れる。コーデックスを効率的に構築するための魔導術だ。
目の前に人体の模型図が現れたら、盤状の光によって刻まれた文字を次々に叩く。
見る見る内に模型図に文字が刻まれていき、文字の羅列が完成した。
「よし……刻印! 起動、《アストラル・ステア》!」
右足に刻まれたコーデックスが光り、そこから母親のいる集合住宅の三階まで、光の板が次々に現れて階段を作っていく。
エルタイルはその階段を駆け上がり、母親の元へと走る。
「もう大丈夫。ここを降りたら学術院に行って」
「あ、ありがとうございます、魔導士さん」
「良いって。それよりその赤ん坊、守ってやって」
エルタイルと親子がちょうど階段を降り終えたタイミングで、爆音が空気と地面の両方を伝わってきた。
流星が落ちた場所はこの区画。近い……!
「え……な、何……? 何なの……?」
「ッ、とにかく学術院へ! 急いで!」
嫌な予感がして、エルタイルは幽端末を手に取り、天宮照に渡した端末に通話を試みる。
まさか、やられたわけじゃないよな……?
通話が繋がるより前に、エルタイルは空の"悪魔"に気づく。
……顔のない女。邪悪の女。何の力場も無いのに宙に浮いているのが不気味だ。
照は一体どこに――――
「境界ノ神ハ死ンダ。ナレバ次ハ神々ノ地盤ヲ揺ルガストシヨウ。人間ドモヲ殺スコトデ」
瞬間、街が割れた。
土砂と瓦礫が轟音を伴奏にして空高く踊る。
振動によろめき、転びそうになる。
「がっ……な、んだ……!?」
悪魔が放った何らかの攻撃は、街を真っ二つにした。それもいとも簡単に、たったの一振りで。この区画ではなかったが、衝撃は街全体に響き渡っただろう。
……何人だ?
今ので何人死んだ?
学術院は無事か?
あまりのことに頭が回らない。
「っ……何だよ、これ……!」
この悪魔は、高位の魔導士が大量のアストラル体を消費してやっとできるであろうことを、平然とやったのだ。
舐めていたというわけではない。
だが正直な所、照がいれば勝てると思っていた。
けれど、これは何だ。
奴らは世界なんて容易く壊せるんだ。それも時間なんて必要ない。オレ達が生きてこれたのは、奴らにその気が無かったからだ。
こんなのが十体いる。
ダメだ。
勝てない。
絶望が去来する――――
「サア神々ヨ、妾等ガ苗床ヨ、信仰ヲ絶ヤシタクナケレバ現レルガイイ。ソウスレバ以前ノヨウニ屠ッテヤル」
不気味な音の羅列が悪魔から発せられる。エルタイルにはその意味は理解できなかったが、誰かを煽っているかのような雰囲気なのは分かった。
静寂。そして、不穏な気配。
「フム……ナレバ仕方アルマイ。更ニ人間ヲ殺スノミ。貴様ラガ現レルマデ」
悪魔がエルタイルのいる区画を見下ろす。
エルタイルの脳が危険を伝えるかのように激痛を訴える。逃げろ、今すぐ逃げろと本能が叫ぶ。
(ッ……どこに逃げるってんだ……!)
もう分かっていた。逃げ場なんて無い。これは人間の力でどうこうできるレベルのものではない。何もかも無駄なのだ。
この絶対的な死の圧力を目の前にして、エルタイルは最早何も感じない。
不可視の何かが迫る。
だというのに、エルタイルはただ立ち尽くしていた……。
「――――天焦がす焔、渦巻きて我が手に宿れ!」
声と共に、東の方角から閃光が昇る。肉を弾く音がして、四方八方へと火の粉が舞い上がる。
熱と光と共に、照が再び空へと昇った。
「っ……テラス……!?」
一瞬だが、それが照とは分からなかった。
さっきまでとはまるで姿が違ったから。
その姿は、鎧を纏い髪を纏めた、赫い槍持つ戦士だった。
「ねえ君、どういうつもり? 君から連絡しといて応答なしって!」
「それは……悪い、呆けてた!」
「おかげで良い目覚ましになったよ。早く逃げな!」
照の視線は空中の悪魔を見据えたままだった。
……悪魔の姿は、エルタイルには細身の女にしか見えないし、その声は不協和音にしか聞こえない。
だがそれにはなにか理由があるのではないか。
エルタイルになくて、照にあるものが。
「……考えるのは、後だ……!」
再び宙に上がり悪魔と対峙する照を背に、エルタイルは走り出した。
・・・
真っ二つに割れた街を眼下に収めて、冷や汗を一つ。核となる部位はせいぜい5~6mだというのに、もたらす被害はもはや怪獣の規模だ。
参ったな。とんだインフレっぷりだ。
そんなことを考える。
気の抜けた話に聞こえるかもしれないが、天宮照としての"いつもの調子"を崩してはいけない。内にうねりを孕みながら、常に心は凪いでいなければならない。それが神威の心得なのだから。
「コロコロト姿ヲ変エルナ、境界ノ神性」
体中のいくつあるともわからない眼で照を見据え、悪魔は言い放つ。
それに対し、照は挑発混じりに言葉を返した。
「ちょっとしたイメチェンだよ。カッコいい路線にしてみたくてね」
「興味ハナイ」
「ああそう。私は興味あるんだけどね、君たちのこと」
「ホウ……?」
悪魔が唸る。その声は特に何ら変わりはしない不協和音だったが、伝わる"意思"は照の言葉に興味を示したようだった。
流れる汗を拭いながら、照は口を開く。
「ディアボロスなんてカッコつけてるけどさ、ようは君ら、"虚数領域"の存在……でしょう?」
「ダトシタラ?」
「納得も良いとこだわ。実数の攻撃が効かなくて、虚数の攻撃が効く。君達の身体を構成するマテリアルが虚数だって証だ」
そう。剣も魔導も効かない理由はそれで説明がつく。"実数"では虚数軸上に存在する悪魔には届かないからだ。
この悪魔の姿が霊的知覚――"精霊"や"神"を見る力――を持たない人間には正しく映らないらしいのも、そこに理由がある。
つまり、悪魔に太刀打ちできるのは、同じ虚数の存在……"精霊"や"神"、あるいはそれに準ずる者しかいない。黒紋獣も同様に。
なのにその"神"は人間に対処を投げている。それがこの世界の現状だ……!
「んで、その虚数領域の悪魔さんが何でこんな世界侵略してんのか、私としては少し疑問なんだけど。その辺どうなの?」
「オマエニ教エル事デハナイ」
「ッ、やっぱそうなるか……!」
触手が数本、照に向かう。
その触手を手に持った槍で打ち払っている間に、あらゆる方向から触手が包むように回り込み、先端の硬質化した棘が迫る。さしずめ肉の塊でできた"鉄の処女"。
逃げ場のないオールレンジ攻撃。しかもこれは…………
「神威を打ち消す力場……!」
「オマエノ神威ハ妾ニハ通ジン」
虚界悪魔マテリアの体表には、常に自身に向けられた神威や加護を打ち消す力場が発生している。そのことは先の二度三度の衝突でわかった。
つまり、この包囲陣を突破する方法は無い。
肉が蠢き、照を取り囲む球体が収縮する。何か手を打たなければ、程なく照は血まみれのぼろきれになるだろう。
「肥ヤシニナレ、境界ノ神性」
「誰が……なるかッ!」
槍が閃光と共におびただしい熱を放つ。穂先が、柄が、石突が、槍が動いて空気に触れる度、白い炎を散らす。
――――確かに、打つ手はない。
さっきまでの私なら!
「天焦がす焔よ、逆巻く猛りの波濤となれ、我が仇敵を穿て!」
槍を振りかぶり、穂先をマテリアへと向け、若干の回転も加えて――――放つ!
白い炎が渦を描き、音を超えて飛ぶ槍に追随する。槍と炎に煽られた空気が、周囲に衝撃波を撒き散らしながら小さな爆発を起こしていく。
マテリアの"打ち消す力場"の能力には限界がきっとある。その限度を超える密度で攻撃すれば、打ち消される前に攻撃が届くはず。
だから、私の炎を凝縮して一点に集中した天焦焔ノ槍なら!
「――――!」
そのジェット流は迫るもの全てを貫き穿ち、天壌武穹の一撃が悪魔マテリアへと向かう!
閃光。衝突。そして爆発。
強烈な爆風に煽られ、照の身体は宙を踊る。体勢を崩さないよう光輪と鏡の翅を操りながら周囲に気を張る。
その中で照が見たのは、肉の檻が剥がれていく様。
「通じた……!」
「ナルホド、無意ニ姿ヲ変エタ訳デハナイ、カ」
不意に背後から聞こえた声に反応して振り向くと、既にマテリアの触手が迫っていた。
照は再び手元に槍を生成し、触手を切り払う。
だが、その攻撃は止むことを知らない。
「見事。妾ガ『反幻想』ヲ破ルトハ」
「嬉しくないよ……そっちは無傷じゃんか!」
マテリアは体中の目を一斉に細めた。
「当然ダ。オマエノ攻撃ハ妾ガ触手ヲ穿ッタダケ。妾ガ核ニハ届カナイ」
「…………ッ、アレで全力なのにな……!」
「ナレバオマエニ勝機ハナイ」
襲い来る肉の波に飲まれ、一瞬だが体勢を崩された。間髪入れずに四方八方から触手がその硬質で鋭利な先端を向け、照を刺し穿たんと直進する。
間一髪……紙一重といったところで触手を避けた。避け損なったのも一部あるが、大してダメージはない。まだ大丈夫だ。
だが、このままでは……
「ッ……もう、最悪――――!」
力ないぼやきは轟音に呑まれ、霧散する。
光の巨人が欲しい……そんな叶いそうもないことを、照は思ったのだった。




