20:未知との遭遇(1/6)~邪悪の女は空にて嗤う
学都ギーメルを見下ろす"眼"があった。
人類最後の砦・ヘレニク王国。その中心的都市である学都ギーメル。王都ヘールと併せて、今も存続する人類の文明圏はこの二つと言っても過言ではない。
そう、たった二つだ。
大雑把な見方ではあるが……その片方を落としてしまえば、その総力は半減する。故に守らねばならない虚飾の城。それが今の学都ギーメルだった。
最初に"それ"の存在に気付いたのは、見張りの交代のために仮眠を取っていた神官数名だった。
連日連夜の激務でパフォーマンスの落ちた脳は、"それ"を最初は看過した。
寝ぼけ眼をこすりながら、欠伸をしながら愚痴をこぼす彼らは始め、空の「異物」に気付かない。
だがやがて思考が晴れてくるにつれ、その"異物"を異物として認識するにつれ、彼らの表情は引きつっていく。
「お、おい……あれ……!」
「っな……何だあれは……?」
「宙に浮いている……、ばかな、何の魔力も見えないぞ……!」
「ヒッ……ヒヒッ……ヒハハハハ……」
相対する彼らが見たのは絶望か、驚愕か。それとも狂気か。
いずれにせよ、最初に相対した神官兵がどうなったのか。その顛末は、もはや語るまでもない。
――――惨殺である。
「第四班、状況を報告しろ。空のあれは何だ!?」
「ぁ、あぁ……見える……」
耳に取り付けた交信機からの通信など、既にその神官兵には聞こえてなどいない。
ただうわ言を発す神官兵に、交信機からの声は繰り返し呼びかける。
だが、神官兵は目を見開いてこう呟くのみだった。
「あ……悪魔――――――
「悪魔……悪魔だと……ッ!?」
……その時、ちょうど集合住宅の窓から城壁を見上げていた少年がいた。
ぼんやりと曇り空を見上げるその少年には、空に佇む「異物」に気づく素振りなど微塵もなく、城壁の上の神官兵が奇妙な様子を見せているのを訝しんでいた。
少年にしてみれば、「あの神官さん達は何をしているのだろう」などと見ていただけかもしれない。
だが、だからこそ、少年はその瞬間を見てしまった。
城壁には神官団が灯した明かりがあった。だから、その光景は少年にとっては逆光に晒され、シルエットのみが映し出された結果となる。
――――穿つ。穿つ。穿つ。
体中の肉という肉を貫き穿つ。抉り穿つ。刺し穿つ。血飛沫が上がる。
穿たれた穴から黒い幾何学的な破片が立ち上る。そこに何かがあるかのように。それは何か……蔓のような、そんな"うねり"を持ったもの。
敢えて急所を外されたようで、神官兵達は未だ息があった。
だがそれが救いになるとは限らない。
「うぅ……ア、AHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH!!」
絶叫。叫喚。咆哮。金切り声。恐怖に咽び泣く、音。音。音。
それはもはや「音」でしかなかった。意味など無い音。
彼ら神官兵の眼に何が写っているのか、少年には理解する術もない。
「えっ……な、何……?」
力尽きて崩れ落ちる彼ら神官兵。地に落ちた交信機から、困惑する神官の声が漏れ出ている。
黒い幾何学的な破片は、朧気ながらに"そのもの"の居場所を示していた。少年がそれに気付き辿れば、その目に飛び込んでくるのは…………
「お……女の、人――――?」
"それ"は女の形を取っていた。
黒い紋様が身体に刻まれた、宙に佇む裸の女。顔のない女。手のない女。足のない女。黒い幾何学的な破片を纏った女。
少なくとも、少年にはそう見えていた。
しかし、この不気味な雰囲気はなんだろう。見ているだけで嫌悪感を催すような、消し去りたくなるような、そんな深淵を覗き込んでいるかのような感覚は。
それは言うなれば……邪悪。
きっとあれは"邪悪の女"だ――――
「な、っ……あれは何だ……?」
「悪魔……悪魔か!?」
「おい、アンリ、リース、エルハルト、ダフィット!」
「無駄だ、とっくに死んでるよ!」
異変に気づいた神官達が続々と現場に集まってくる。そのほとんどは武装を携えて、既に悪魔と交戦する用意があるようであった。
神官兵の一人が、交信機に手を当てて声を張り上げる。
「砲手、敵性体を確認した! いけるか!?」
「ムリに決まってんだろ、仰角いくらだと思ってんだ!」
「対空砲は!? 《メテオショット》対策くらいしてるだろ!?」
交信機から返ってきた言葉に神官兵はがなり立てる。
《メテオショット》……高位の魔導術ではあるが、アストラル体によって構成された隕石を落とす、強力な対地攻撃である。遭遇率は低くても、飛行生物と併せて対策しておくべきもの、なのだが――――
「無いわよそんなの!」
「星幽障壁発生装置で防げるから付けなかったんだとよ! バカみたいな話だろ?」
本当にバカみたいな話だ。バリアが破られたらどうするつもりだったのか。その理屈も理解しがたいが、魔導が通じない相手を考慮に入れていない辺りもまたずさんだ。
神官兵は悪態をつく。
「くそったれ……!」
「言ってる暇があったら《神判の矢》でも撃ち込んだら? 空にいるヤツにはそれしかないでしょ!?」
「やってる! だが……ッ!」
神官兵達が宙にかざした手から光の矢が"それ"めがけて放たれる。《神判の矢》、神官が神の加護を受けて放つ神の矢。倒せずとも、悪魔に傷をつけることくらいはできるだろう。
だが、それは「当てられれば」の話だ。
神官達の放った光の矢は"それ"には届かない。何かに阻まれ、虚空へと溶けるのみ。
さらに撃つ。消える。
さらに撃つ。消える。
《洗礼》を受けた矢も、石も、全て。
闇に飲まれて塵になる。
「クソ、届きすらしない。何なんだあれは。加護さえ通じないとでもいうのか……!?」
「目標が動いた! 来るぞッ! 《守護光陣》展開急げッ!」
"それ"が動き出す。だが、攻撃を繰り出すかと思えばそれは違う。
ただ、"それ"は音を発した。
「っ――――え、喋っ――――
……城壁の各所で光の壁が現れるのと、"それ"が次の行動に移るのは同時だった。
そう。間に合いはしたのだ。
だが。
――――爆音と衝撃。巻き上がる土煙。光の壁は熱せられたバターのように溶け、城壁はいとも容易く崩れ去り、光の残滓と共に何人もの神官兵が宙に投げ出される。
空中を踊る幾人もの神官兵。事態を理解することも叶わず地面が迫り、叫喚の嵐が巻き起こる。
「あ――――――
悪魔は地に落ちるのを待たず、"何か"を神官兵達に差し向けた。
空気が弾け飛び、強風が吹き荒れる。
そして"何か"は神官兵達を穿つ……かに思えた。
「祓い給え、清め給え!」
一般街の方向から声がしたと思えば、神官兵達の周りに光の膜が現れる。その膜に触れた"何か"は炎を吹き出してのたうち回る。そして城壁の残骸に再び衝撃が奔り、瓦礫が舞う。
「エルくん!」
「座標指定、起動、《ジェネレート・エアドーム》!」
突如現れた巨大な半球に神官兵達は沈む。不思議と怪我はなく、痛みもなかった。
やがて彼らは、ほんの少し上方に光を放つ熱源の存在を悟る。
あれは――――
「……異郷の神、か……?」
「女神……あれが……」
三対の透き通る光の翅を広げ光輪を背負う、異郷の服を纏いし女神……と、その足元にしがみつく赤い首巻きの少年。
女神は身を翻し、神官兵達を見やって、誓言を下した。
「助けに来たよ。後は任せて!」
モブに厳しい
ようやく悪魔戦に入ります




