19:力への意志
「――――で、何で君の荷造りの手伝いしなきゃいけないわけ?」
「仕方ねえだろ。護衛もなしに外に出るとかまず許可降りねえって。あとお前色々と噂になってたぞ」
「噂、ねぇ……」
学都ギーメル一般街・三番区画。
天宮照はエルタイルに連れられて、その細い通りを歩いていた。
相変わらず人っ子一人見当たらず、街灯も点いておらず、寂れた町といった印象だ。本来ならば人の通りがあって、子供の遊び声が聞こえて……そんな感じだったろう。いや、道の狭さから言えばそうでもないか。
中世欧州の市街よろしく縦長の集合住宅が密集する区画。この中、現状の町を歩くエルタイルの心中はいかなるものか。実のところ、照にはよくわからなかったりする。
気になるが、そこに触れるのも……少し怖く思う。
「で実家に何取りに来たっての?」
だから、聞こうとしてもこんな感じに避けてしまう。照は自己嫌悪感を覚えた。
対するエルタイルはケロッとした様子である。
「いや特に何をってわけでもないけど」
「ておい」
照は思わず裏手でツッコむ。しかしエルタイルは意にも介さず、
「ただちょっと挨拶しときたかっただけだよ」
こんな風に答えた。
……気のせいだろうか。照にはその様子が少し寂しそうに感じた。
「挨拶……誰に?」
「親父と母さん。それと姉ちゃん。しばらく帰れてなかったからなー特に寂しがってんだろ姉ちゃんは」
「お姉さん……君お姉さんいたんだ」
「おう、いた。ちょっとお前に似てたかなー。いつも眠そうなとことか」
何の気なしに答えるエルタイルを見て、嫌な予感がした。
もしかして――――
そんなことを考えている内に、とある背の低い建物に着く。作業に使うと思わしき大型の道具の数々が軒先に並べられていて、まさに職人の工場といった印象だ。
けれど、色んな所が壊されていた。補修もされず。
「うし着いた。親父ー母さーんニナ姉ー帰ったぞー」
閉じられたシャッターを上げると、そこには荒れ放題の作業場があった。
工具の数々がケースからぶちまけられたまま放置されている。工具だけじゃなく、恐らく作業に使用するだろう資材の数々が散乱していて、それらに埃が積もっていた。鼻炎持ちにとっては非常に辛いところではあるが……照も鼻のむず痒さを感じた。
その現状を見て、照は一言漏らしてしまう。
「……って、もぬけの殻じゃん」
「そうだよ」
「いやそうだよって……」
困惑する照の様子に目もくれず、エルタイルは埃かぶった棚を漁る。
……物影に潜んでいた「黒い虫」に驚き、涙目で照に「燃やしてくれ」と懇願したり、そんなドタバタをして見つけたものは。
「……あったあった。ほい、コレ親父と母さんと姉ちゃんな。まぁつっても大分昔の写し絵だけど」
「あ…………」
……うん、ここまで来るとそう結論せざるを得ない。
ああ、もう。ほんと嫌だな、こういうの。
照は渡された写真とエルタイルの顔を交互に見る。
「ニヶ月前だか三ヶ月前ー……くらいだったかな。幽端末がぷーっつり繋がらなくなってさ。親父は封幽銀筒っつって、魔導士じゃなくても魔導を扱えるようにするためのモノを作る職人だったからさ、幽端末ぶっ壊れたとかじゃなけりゃ繋がらないなんて無いんだよ」
それで、こっそり帰ってみたら区画丸ごとこの有様、という話だった。
写真に写っていたのはエルタイルの家族。生活には余裕があったのだろう。彼の姉も、父も母も、みんなが笑っていた。
だがその笑顔はもう無い。
誰かの血痕で塗りつぶされて、そこにあるはずのエルタイルの笑顔も、無い。
「……なんか、ごめん」
「は? そこで謝るかフツー?」
「でも……」
「……お前さ、誰に対してもそんな顔するわけ?」
照はただ目を逸らす。
ため息が一つ、聞こえてきた。
「お前に責任無いだろ、何だその気まずそーな顔。見ててムカつくそういうのやめろ」
「……確かにさ、今の世界じゃそんな話珍しくもないけどさ」
実際、アレフ村だけでも実例はいくつかあった。マリア達はその代表だ。
生き残ったものは死んでいったものに思いを馳せ、涙を流す。それはごく当たり前の、ごく普通の話。
「それでも、悲しいのは仕方ない……でしょう?」
エルタイルは顔をしかめる。
「…………はあ。いい子ちゃんなんだなお前」
ため息混じりに吐き出された言葉の後、少しばかりの沈黙が訪れる。
照がただ呆然と立ち尽くしている一方で、エルタイルは散らかった作業場でひたすら何かを物色している。
ただものを動かす音だけが響く中、照はふと心に湧いた疑問を口にする。
彼の状況を鑑みた末に、思い浮かぶものは。
「……復讐、したいの?」
「さーどうだかなー。オレじゃ絶対勝てないしなー」
あっけらかんとした様子で、エルタイルは答えた。
だがその後、「ただ――――」と付け加えて言った。
「何にもやること無くてさ。暇になった」
暇。
照はその言葉だけを反芻する。
向き直って一言、エルタイルは呟く。
「そんな時にお前が来た」
――――ああ、そういうことか。
この気持ちは痛いほど分かる。
何か辛いことがあって、何にもする気にならなくて。外に出る気も、起きる気にもならなくて。暗闇に閉じこもって。
でもずっとそうしているわけにもいかなくて。
何かしなきゃって気持ちだけがあって。でも動けなくて。
動けないまま時は過ぎる。
自分の力で状況が変えられないから、状況の方から変わってくれるのを待っている。
固く閉ざした岩の扉を開けてくれる人を、暗闇から連れ出してくれる人を。
そうして差し伸べられた手を、この子は掴んだ。
つまるところ、照はエルタイルにとっての"タヂカラオ"なのだ。
自分、太陽神の分け御霊なのにな……などと考えて、照は苦笑する。
「ま~気に病んでくれんならさ~掃除手伝ってくれな~頼むよ~。一人ですんのはめんどいんだよ~」
不意に作業場が明るくなる。エルタイルが探していたのは、恐らく照明のスイッチ……リモコンのようなものだろう。
しかし"救世主様"に掃除させようとは。
そう照は思ったが、しかし別に構わなかった。むしろ「らしい」という感じで、悪くないとさえ思った。
「はいはい、わかったよ。何でも言いな」
「……姉ちゃんぶんのはやめろよ」
「いや私お姉ちゃんだし」
「カマのくせに」
「カマって言うな」
……それからしばらく、彼らは荒れ放題の工場の掃除をしていた。
その一時を終わらせたのは、町に鳴り響く警鐘。黒点の悪魔が現れたことを知らせる鐘の音だった。




