13:君を退屈ごと壊しに来たんだ
ここは講堂。といっても、二十人くらいが入れる随分こじんまりとした所だ。講義室と言ったほうが正確だろう。
こうした部屋はこの建物の中で三十ほど。この部屋は最も高い五階に位置している。
講堂と呼ぶからには、その用途はもちろん講義だ。
確かにそれは、"講義"とは呼べただろう。ただ……
「えー、であるからして、このコーデックスにおける構文はこちらで先んじて構築しておいた関数を呼び出すことで主構文の簡略化を……」
目に隈を作り、疲れたような顔をした中年の男が、気だるそうな声でテキストを読む。その脱力加減にこちらまで眠くなる。話すらもあくびが出そうなものだから質が悪い。
魔導――アストラル体を用いて世界に現象を発生させる技術――を学ぶのはいい。講義の内容も問題ではない。ただ意義を感じないのだ。
頬杖をついて外の景色を見たり、ページの余白に落書きしたりして気を紛らわす。
ここ最近と言わずとも、少年には身の回りのもの全てが退屈に思えていた。
明日をも知れぬ恐怖の中で、怯え暮らす人々に紛れ、ただ流されるように時間を過ごしているのは、耐え難い苦痛でもあった。
(ヒマだな……)
ぼんやりと、頭の中で呟く。
以前と違うといえば、少し前に、世界から青空が消えたこと。
曇天が太陽の光を遮り、黒い雨が地面に染みを作る。少しずつ、この世界を奪い取っていくかのように。
このすぐ左側の窓から見渡す曇り空も、いい加減慣れてきた。
……そういえば一週間くらい前だったか。南の空が一部分だけ晴れ上がったのは。
(どっか行きてえ……)
などと言ってられもしないのが世界の現状というのは、ここ人類最後の砦ヘレニク王国が擁するギーメルの学術院に在籍する少年には分かっていた。
黒点から現れた悪魔。黒い紋様に侵された獣達。
剣、仙術、魔導。人間の力の多くが効かない奴らに追い詰められた人類。こんな中でここ学都ギーメルが未だに形を保っているのが不思議なくらいだ。それもひとえに"神団"のおかげと言える。
世界がこんなになっても神様なんて現れないのに、奴らに対抗できる術が"神の奇跡"のみというのは、なんて皮肉なのだろう。
そもそもの話、この状況で講義など成立するのだろうか。辺りを見ても、人はまばらにいるだけだ。
(ま、世界が終わりそうって時に勉強なんてしてられないわな)
気持ちは分かる。少年もそう思っていたが、どの道やることがないのは同じだった。
市民は神官の庇護の下、ようやく細々と暮らしていけているような状況だと聞く。その一方で、少年達学生は学術院の寮に閉じ込められている。
言ってしまえば、どこもかしこも限界寸前、といった状況だ。
……とまあ、今や人類の生存圏はごくわずかで、少年ら学生は講義棟や寮に缶詰め、大人は日々研究と講義、講義が終われば学生たちの護衛、それと並行して対策会議。昼に夜に右往左往、なんて珍しくもない。
この様子を常日頃見ながら、少年は内心でバカにしていた。
非合理的すぎる、と。
何故世界の存続が危ういという時に、戦わずにこんな無駄なことをしているのか、と。
退屈の他に焦燥感もある。
自分はこれでいいのか、と。
でも分かっている。自分には状況を変える力は無いって――――
「わああああああああ! うわわわわわわわわうわうわうわうわうわああああ! ハライタマエキヨメタマエハライタマエキヨメタマエハライタマエキヨメタマエ~~~っ!!」
唐突に、熱と光の塊が灰色の雲を突き抜けて、少年めがけて飛んできた。
轟音、破裂、衝突、そして飛散。窓ガラスと共に壁が砕かれ、瓦礫が散らばる。しかしそれらは誰にも接触することはなかった。
それらが人々に到達する前に、全て燃え尽きて消えたのである。
さて、その人々の様子はといえば、雷光のごとく講堂に現れた闖入者……というより異物に対して、講師も学生も困惑の色を示している。
巻き上がった埃が火の粉となり、球状に光を散らす中、あまりにも少女然とした何者かが上体を起こす。その後、ものすごい勢いで押し倒してしまった形の少年を見て、
「あー……ごめんごめん。生きてるー? ちょっと胸失礼するよ。……あっ、男の子の心臓の音……良い……」
「……は?」
などと、顔の前で手を振ったり、胸に耳を当ててみたり、ちょっと恍惚したり。なんかもう、いろいろひどいと少年は思った。
「何これ……?」
……何はともあれ、このときの少年はまだ、これが彼の"退屈"を、世界の窮状とともにぶち壊す最初のきっかけになるだなんてことは、思いもしなかったのである。




