12:ゆびきり
「……よし、こんなもんでいいでしょ」
太めの樹に結びつけた縄を見やり、天宮照は息を吐いた。
これで目下の問題のうち一つは解決したことになる。
……というのに、傍らのマリアは腑に落ちない様子で、照はそこが少しばかり気になった。本当にこれで大丈夫なのかと不安になっているというか、そんな感じに思える。
「あの、言われたとおりにはしたんですけど、本当にこれでいいんでしょうか?」
「ん、だいじょーぶだいじょーぶ。ありあわせでこれなら上出来じゃない?」
「いえ、その、この細工に一体どんな意味があるのでしょう?」
言われて、照はマリアが何を疑問に感じたのか理解した。
樹の幹に縄を締め、紙を稲妻の形に折って縄にくくり付ける。知らなければただの不明な儀式だ。まあ、異文化なんてそういうものではある。
照はその辺りに介入する気はないので、説明も適当だった。
「これはね、魔除け」
「魔除け?」
「そ。村の周り数ヶ所にも同じようなの作っておいたから、これでこの山にはあの獣達は入ってこれない……と思うよ」
「……ほんとうに大丈夫なんでしょうか……?」
マリアはまだ不安そうな顔で照を見ている。
村のある小山のふもと、その四方の適当な岩や樹にしめ縄を巻き、照は結界を作っていた。自分が救った村が後になって全滅、というのは非常に寝覚めが悪い。
実はこういった類のものは大抵が気休めだったりするのだが、そこは照、その効力は本物だという自負がある。
……実を言うと、似たような結界を張っていた形跡が見受けられたので、体よく利用させてもらったわけではあるが。
「ま、効果は折り紙付きさ。神威……神様の力は結果を先に作るからね。私の『祭祀』の権能で――――
「あぁ、いえ。疑っているわけでは……」
「分かってるよ。それより戻ろっか。ちょっとお腹空いちゃったし、食べ物だって元通りにしなきゃだしね」
あはは、と照は笑う。それに対してマリアは怪訝な顔をした。
……まずった、と照は思った。"あれ"は説明しにくいし、したとしてもドン引きものだからだ。
「食べ物を……?」
「……あー、えーと……まあ、その、神威でね?」
「はあ……」
・・・
村に戻ってくるなり、村の長老が照達の前に現れる。長老はマリアを見るなり彼女に一声かけた。
「マリア、少し良いかの?」
きょとんとしたマリアに、長老は耳打ちした。
「――――はい。わかりました。ラザルと一緒に向かいます」
一体何を聞いたのか、マリアは真剣な表情になって、小走りで駆けていく。そのあとすぐに振り替えって、照に向かって声を発した。
「テラス様、すみません、また後で」
「うん」
いそいそと走っていくマリアを見送る中、長老は照にもまた声をかける。
「……テラス様。少々よろしいですかな?」
「何?」
こうしてわざわざ呼びに来るのは何用だろうと思い、続きを促した。長老の顔は眉毛と髭に隠れて読み取れそうにない。
ただ……結果から言ってしまえば、案件としては容易に予想できたものだった。
村を歩きながら話す。畑を抜け、家の残骸を抜け、布を被せられた遺体がずらりと並ぶ広場に差し掛かる。
「犠牲者の身元確認が概ね終わりましたので、葬儀の準備をと思いまして。そこでテラス様にもご協力頂きたい、と」
「協力?」
村人の供養。それはまず第一に挙げられる問題であった。
遺体は放っておけば蛆が湧き、伝染病の元となる。気は滅入るが事後処理の中でも優先度の高い問題である。
とはいえ、この世界での供養の仕方はわからないので村人に任せていたのだが……
「我々の習わしでは、人は死すればその魂は解放され、我らが創造神の御許へ還るとされております。そこで我々は死者の魂を神の御許へ還すためにその肉体を焼くのです」
とのことだ。……不謹慎ながら"創造神"の辺りで「あいつらが?」と吹き出しそうになったが、そこはこらえて。
ようは火葬だ。因みに、遺骨は砕いて大地に還すのだそうな。
「しかし此度の襲撃、犠牲者は数多く……葬儀を執り行おうにも時間も場所も人手も足りませぬ」
「みんなまとめて焼くしかないんじゃないの? 誰の骨かわからなくなるけど……」
「ええ、はい。ですので、テラス様の炎にて葬儀を行ってほしいと。ご遺族からの希望もありますし」
「…………」
確かに私の炎ならできるだろうけど……と思いつつ、気乗りしない照である。
長老はそこをなんとか、と念押ししてきた。
「頼りきりになってしまいますが、どうかよろしくお願いします」
長老の去った後。遺体置き場。布を被せられた遺体の数々が並ぶ。遺体に縋り泣く者、苦しげな表情をする者、様々だ。
そんな中、マリアとラザルが二つの遺体の前でただ呆然と立っていた。
近づいてきた照に気付いて、マリアは照を見る。その目には涙が浮かんでいた。
ラザルは顔を動かさない。遺体を見つめるままだ。
「テラス様……」
「…………これ、パパと、ママ……」
やっとのことで口を開いたラザルは、それだけ呟いた。
……彼の見つめる二つの遺体、その被せられた布の向こうには、マリアとラザルの両親の顔が……いや、顔さえ残っているかどうか……
嫌なことを考えてしまったと照は頭を振った。
マリアは手に持った額縁に目線を写す。
「家に火の手が上がって……遺品、これだけだったんですって……」
その手元にあったのは、小さな額縁のようなもの。
それは、家族の肖像……絵画。写真の類だ。恐らくは魔術か何かで描かれたものだ。
照は何を言えばいいのかわからず、ただ二人の名だけを音にする。
「マリアちゃん……ラザルくん……」
「……いえ、いいんです。生き残っただけ、わたし達は幸せですから」
などと宣ってみせる彼女らの表情は、見ていて辛いものがある。
「でも、ぼく達みたいな子供、他にもいるんだよね……」
ぽつりと、ラザルの言葉。マリアも黙って肯く。
「――――ねえ。テラスお姉ちゃん」
「……なに? ラザルくん」
「お姉ちゃん、キュウセイシュなんだよね?」
「……えっ、うん……まあ……そうだよ。私は遠い世界から来た救世主、ってね!」
不意に呼ばれて、思わず返事をする。照は話を聞く準備ができていなかったためか、少しだけ声が上ずってしまった。
照は中腰になって、ラザルと目線を合わせる。
ラザルの瞳に浮かんだ憂いが、琥珀の輝きを寂しげに彩っていた。
「きっと、ぜったい、みんなを救けてね?」
照の瞳を覗き込む双眸。その視線は何がしかの想念を照に想い起こさせた。
それは何か。
信頼。
希望。
期待。
……いいや、どれも違う。
もっと単純で、もっと強いもの。
もっと煌めきに満ちて、尊いもの。
そうだ。
これは願い。祈りだ。
ならば、それには応えなければ。
――――だって、それが私の「在り方」なのだから。
「……誓うよ。必ず、世界を平和にする。君達が、みんなが、笑って暮らせる世界にするから……!」
「やくそくだよ?」
「うん、約束!」
そう言って、私は右手を小指だけ立てて、ラザルの前に差し出した。
疑問に思ったラザルに、少しだけ説明をする。
「指切り。私の国での約束のおまじないだよ。ほら小指出して」
誘われるまま、ラザルは同じように右手の小指を差し出す。照はその指を私の右手の小指と組ませて、手を上下に振った。
「指切りげんまん、うそついたら針千本のーます。指切った」
小指と小指が離れる。それと同時に、照は身体に見えない枷が付けられたかのような感覚を覚えた。
指切り。照の『祭祀』の権能で、この誓約は神威となった。これから先の道のり、照が交わしたこの"約束"にもとる行いをした場合に、この神威が照を殺すことになるだろう。
「見てて、ラザルくん。絶対に世界を平和にするからね!」
「うん、きっとだよ、テラスお姉ちゃん……!」
そして、こうなった以上、照にはもう一つやるべきことがあった。
……日が落ちて、薪が焚べられた炎が火の粉を散らす。赤い光が辺りを照らすが、その炎が意味するものは弔いの炎である。
自らが点けた炎の前に立ち、照は群衆に目を向ける。
そして、多きく息を吸い、声を張り上げる。本当はこういう事をするのはすごく恥ずかしいが、緊張とか人見知りとか、そんなことを気にする暇もない。
「人の子よ、聞くが良い!」
場は静まり返っていた。照の声の他に聞こえるのは、火の粉が弾ける音のみ。
「我がこの地を訪いしその理由は、この闇に鎖された世界に光を取り戻すためである! 太陽なき世界に太陽をもたらさんが為である!」
その場の誰もが喋らない。目の前の"神"の言葉をただ待った。
「彼の黒き大樹を討ち滅ぼし、我が光で以て天地を遍く照らさんことを、我はここに誓う! 浮世に遍く禍つ事罪穢れを祓い清めんことを、我はここに誓う!」
照は声を上げ続ける。
「我が名は天宮照。この世界より遠く彼方の星より来たりし、太陽神"天照大御神"の分け御霊、天宮照である! 人の子よ、我が言葉を承認し、この意に従い望むならば――――我を称えよ!!」
――――歓声が上がる。
その声は夜闇を照らす紅き炎と共に舞い上がり、天へと昇るかのようであった。