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8遺稿

 黒木文也が扉を開けると、既に他の部員は集まっていた。

「あ、フミくんやっと来た!」

「遅いぞお前」

 文句の割には、思い思いの時間を過ごしていたらしい部員たち。鈴子は文庫本に栞を挟み、雪嗣はスマホからちらりと顔を上げた。

 窓の外を眺めていた彼女も、振り返った。

「フミ。今日は何するんだっけ?」

 セミロングの髪がふわりと揺れた。ピンクのリップが施された唇が、わずかに突き上がった。彼女は大抵の場合、このような自信に満ちた表情を浮かべていた。たとえそれが見せかけでも、自分を愛している彼女の生き方を、文也は好ましく思っていた。自らにはないものを持っていると。

「お互いの作品の意見交換だよ」

「……言っとくけど、私まだ書き終わってないからね」

 微かに甘えを含む、耳触りの良い声。――その甘えは自分にだけ向けられている専売特許だったのだと、後から気づいた。

「天音」

 無音の部室に、文也の声がぽとりと落ちた。

 しばしの夢想から覚めて、辺りを見回す。無人の部室は薄暗く、雨粒が強かに窓を打っていた。

 ところどころ錆びついた古いメタルラッグの前に立つ。本棚代わりにしているそこには、積年の発行物や部員たちの趣味の本、参考資料などが、所狭しと並んでいた。人差し指の腹で背表紙を辿っていく。――二〇一九年文芸部春号部誌。本と本の間からそれを抜き出した。表紙は文也自身が今年の春休み中に撮影したものだ。ありふれた教室の風景。休日、無人の学校に四人で忍び込み、机をきっちりと等間隔に並べて、文也がスマートフォンのシャッターボタンを押したのだ。表紙をめくると一ページ目には、飾り気のない白い背景に、明朝体で一言添えられていた。


「天音るかに捧ぐ」


 小刻みに震える指先で、その文字をなぞる。

 ――あの時の僕は、全ての選択肢を間違ったんだろう。

 恐らく、彼女と最後に言葉を交わしたのは自分だった。あの時、彼女をひどく怒らせてしまった。去っていく彼女を見送ってしまった。あの時、彼女の怒りに触れなければ、無理矢理にでも引き留めていれば、今も四人で部活動ができたのだろうか。

 そんな仮定を想像しかけて、自嘲の笑みを溢した。巻き戻しなどできないのだから、後悔したところで何になるわけでもない。――それに、嘘をつくことはできなかった。文也と彼女はあらゆる点で異なっていた。

 目次をチェックして、彼女の短編の掲載ページを開いた。遺稿は未完のままである。文也は半ばで途切れるこの物語を何度も読んでは、様々なエンディングを考察していた。正解には、依然辿り着けそうにない。


「なーご」


 窓の向こうで猫が鳴いた。ずぶ濡れになった黒猫は、冴えた目で文也を見ていた。

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