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6ジャンル

 自宅から小巻のアパートまでは徒歩二十分程度で、その中間地点辺りにコンビニがある。差し入れのお菓子は、いつもそこで買っていた。

 店内に足を踏み入れると、涼しさに肩の力が抜けた。そこでやっと、外の日差しが強かったのだと気がついた。まだ五月だが、着々と夏に近づいてきている。

 お菓子が陳列されたコーナーを物色する。小巻はスナック菓子が好きだが、莉々は甘いチョコレートやプリンが好きだ。しかし私はバナナが好きなので、迷うことなくバナナチップスを手に取った。このコンビニ系列から発売しているバナナチップスが一番おいしいと思っている。

「天音?」

 耳に馴染む声音が聞こえて、立ち止まった。ゆっくりと振り返ると、夢に見るほど私の頭の中を支配していた彼が、ペットボトルを抱えて立っていた。

「フミ」

 まだ懲りもせずに夢を見ているのか、と自分を疑いかけたが、どうやら本物のフミらしい。白いスウェットにジーンズという、飾り気のない服装をしていた。そういえば、フミの私服を見るのは初めてだ。

「やっぱり天音だ」

 フミは小さく笑った。もう今更、フミと出くわしたくらいでは動揺しないと固く決めた心は、フミが笑うだけで粉々になった。少しだけ口角を上げて目を細める、控えめなフミの笑い方が好きだ、なんていう馬鹿げた思考を頭の隅に追いやる。

「天音、昨日は急に帰っちゃったからびっくりしたよ」

「あ、うん、えっと……ちょっと用事があるのを思い出して、慌てちゃって」

 慌てているのは現在進行形の話である。なんとか取り繕おうしたが、そんな私をよそにフミは「並ばないの?」とレジ列を示してきた。幸いなことに、怪しまれてはいないらしい。

「フミも、コンビニ来るんだね」

「なんだそりゃ。僕、コンビニ似合わない?」

「どっちかっていうと、本屋の方が似合う」

「ああ、確かに自分でもそう思う」

 なんていう会話をしているうちに、レジが回ってきた。お金を支払い、釣り銭とレシートを受け取ったところで、はたと気づく。私はこの後どうすれば良いのだろうか。

 別にフミとの約束があるわけではないのに、わざわざフミの会計が終わるのを待っていたら、未練たらたらだと思われるかもしれない。断固否定したい。いや、未練は少しくらいあるかもしれないが、「たらたら」ではない。決して。しかし、何も言わずに去れば、それこそ「意識しています」と言っているようなものだ。それは避けたい。せっかく友達としての関係を再構築できているのだから、それを壊すような真似はしたくない。

「待っててくれたんだ」

 自動ドアの前で立ち尽くしていると、フミがビニール袋をぶら下げてやってきた。今更「手を振って先に出ていく」という最適解が浮かんだが、時既に遅しである。

「あの、天音はこの後、何か予定あったりする?」

 思いがけない一言に、フミの顔を見た。

 自分のことで精一杯になっていて、周りが見えていなかった。フミの目は何かを訴えて、私をじっと見つめていた。フミは物静かであまり自己主張はしないけれど、いつもこのようにしっかりと相手の目を見て話す人だった。

「まあ、少しなら」




 ふらりと訪れた近くの児童公園は、小さな姉妹らしき二人が向こうの砂場で遊んでいるばかりで、閑散としていた。もうすぐお昼時なので、いったん家に帰る時分なのかもしれない。

 ベンチに隣り合って座った。手摺りが錆びて赤黒く変色していた。遠くから眺めている分にはなんとも思わなかったけれど、近くで見るとかなり経年を感じる。そういえば、私も小さい頃は友達とこの公園で遊んでいた。フミはどうだったのだろうか。鬼ごっこやかくれんぼをしたり、ジャングルジムを登る幼いフミは、想像するのが難しかった。本を抱えている方がよっぽど想像できる。

「あのさ、僕、あの後考えたんだけど」

 不意打ちでフミが話し始めたので、体に力がこもった。

「何」

 言葉が固くなってしまった。深呼吸をしてもう一度、今度はもっと柔らかく「なに?」と尋ねた。

「天音は、友達になんてなりたくなかった?」

「……へ?」

「だからさ」

 フミの横顔を見る。フミの視線は遠い宙を彷徨っていたので、一重の目元や、実は整っている鼻筋が良く見えた。

「僕は天音といると楽しいから、気持ちには応えられないけど友達でいたいって言ったけど、それって僕のわがままだったのかなって。天音からしてみれば、振っておいてそんな都合のいい話あるかって思うよね」

 確かに、最初はそう思っていた。友達になんて戻れる訳ないだろう、と息巻いていた。

 でも、むしろ友達としての関係は保証されていることに安心している自分に、後から気づいた。告白して振られても、今まで通りに一緒に部活をして話して笑えることが、嬉しかったのだ。

「今更蒸し返しても迷惑かなって思ったんだけど、どうしても気になっちゃって。ごめん」

 フミも私と同じように悩んでいたのだと思うと、少し面白い。フミの視線がこちらに向いた。私を見るなり、怪訝そうな顔をした。

「なんで笑ってるの。僕、真剣に話してたつもりなんだけど」

「ごめんごめん。私も似たようなことで悩んだなぁって思って」

「過去形なの?」

「うん。友達でいいよ、私は」

「そっか」

 お互いの纏う空気が緩んだ。なんとはなしに空を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。綺麗だ。

「そういえば、天音の原稿のことなんだけどさ」

「ん?」

「こういうの先に聞いちゃうのってずるだってわかってるんだけど、あの後どうなるの?」

「ああ、あれね」

 私が今回寄稿したのは、成績不振に悩む受験生の話だ。彼女は、同じ塾に通う同級生に恋をしている。奇しくも二人の志望校は一緒だった。だが、頭の良い彼と違って、主人公の志望校合格率はとても低い。自分が行きたくてその学校を目指していたはずだったのだけれど、次第に「彼に影響されて目指していたのかもしれない」「自分の夢より恋愛感情を取っていたのかもしれない」と思い悩み始める。

「主人公は志望校変えるの? そもそも、同級生の彼に思いを伝えるの? 全く見当がつかないんだよね」

「うーん、内緒」

 まだ結末を決めかねているというのが本当の話である。

 フミは「やっぱりそうだよね」と伸びをしながら呟いた。

「じゃあ大人しく天音先生の原稿が上がるのを待ってます」

「何それ、ダメ作家担当編集ごっこ?」

 いたずらっぽく笑うフミは、とびきり魅力的だった。

 だめだ。やっぱりフミを好きな気持ちはやめられそうにない。

「フミ、やっぱもう一回蒸し返してもいい?」

 冗談っぽく尋ねると、フミも穏やかなままに頷いた。

「僕もさっき蒸し返ておあいこだから、どうぞ」

「ありがと。あの、一応言っておくと、友達だけどまだしばらくはフミのこと好きかもしれない」

 砂場で遊んでいた姉妹が、わっと沸き立った。砂山のトンネルが開通したらしい。それをじっと眺めていると、隣で身動ぎする気配を感じた。

「うん、ありがとう。……天音が、僕なんかを好きになってくれるのは、嬉しいよ」

「……フミ?」

 フミの言葉に、無性に引っ掛かりを感じてしまった。

 隣を見ると、いつもと変わらないフミがそこにいた。黒々とした目は、感情の起伏が少ないけれど、穏やかな色が垣間見える。

「…………なんかって、何」

 そんな些細なことに突っかかっても仕方がないと頭ではわかっているのに、固い声が零れ落ちた。

「天音?」

「そういうふうに自分を卑下して言うのって、フミっぽくないよ」

 私が考えた理想の像を押し付けるつもりは、毛頭ない。でも、こんなフミを見るのは初めてで、違和感を覚えずにはいられなかった。

「卑下してるわけじゃないよ」

 フミは平然としたまま、顎に手をやった。どんな言葉に表すか考えているようだった。

「ただ、僕と天音は違うから」

「は?」

 亀裂が入った音がした。近づいていたと、少しは通わせることができていたと思っていた気持ちが、急速に離れていく。

 フミが何を考えてそんなことを言うのか、理解できない。「違う」とは、一体どういう意味なのだろう。何が違う? そもそも、「違う」とは、「同じ」とは、なんなのか。

 フミの顔を凝視する。いつもと変わらない澄ました顔をしていた。だからこそ、余計にフミという人間がわからなくなってしまった。何かを言いたいけれど、フミを否定するような言葉を投げつけたいのではない。ただ、私が感じている失望感を思い知らせたい。

「フミは、そういうふうに思ってたんだね」

 向こうから子どもたちが騒ぐ声が聞こえてきた。砂山が崩れ去ったらしかった。

「それってつまり、私とフミは『ジャンル』が違うって思ってたってこと?」

「ジャンル?」

 固く張り詰めた私の声とは打って変わって、フミの声は依然として、凪いだように穏やかだった。

「ジャンル、か。……まあ、有り体に言ってしまえば、そうだね。僕と天音はジャンルが違う」

「何それ」

 ぷつん、と何かが弾け飛んだ。

 自分から言い出しておきながら、私は否定してほしかった。「ジャンル」なんていう安くて薄っぺらい言葉を肯定してほしくなかったのだ。

 立ち上がってフミを見下ろす。至って冷静な態度が余計に癪に触って、睨みつけた。

「そうやって線を引いてたんだ、私と。そりゃあ私の気持ちは伝わらないに決まってるよね。こんなんじゃ友達になれるかも怪しいよ」

 不意に、昨日の出来事が脳裏をよぎった。昼休み。図書委員の女の子と談笑していたフミ。それを遠くから見ていた私。これが、私とフミの実際の距離だ。

「あの子とは同じだけど、私とは違うってことか」

「なんの話?」

「私は文芸部でたまに小説を書いたりするけど、別に本を読むのは好きじゃない。そもそも私に文芸部なんて、本当は似合ってない。みんなそう思ってる。実は私もずっとそう思ってたよ」

「何言ってるの」

「だから違う。私とフミは交わらない人種ってこと」

「いい加減にしろよ!」

 ――ドオオン! と、どこからか地響きが聞こえた。フミの激昂の衝撃かと思ったが、違う。怪物だ。どこかに怪物が出現したのだ。悲鳴が聞こえてきた。こちらに逃げてくる人もちらほら見受けられる。意外と近いようだ。

 バッグの中でピッピが動く気配を感じた。大丈夫、わかっている。すぐに向かう。

「ごめん。でも、今日はこれ以上話しても無駄だと思う。また今度にしよ」

 フミから目を逸らして、衣装が入ったバッグを肩にかけ直した。どこか、衣装に着替えられる場所を探さなければ。

「どこ行くの?」

 背を向けて歩き出そうとした私の手首が掴まれた。思いの外、力強い手だ。

「事故だか事件だか知らないけど、なんでそっちに向かうの。早く逃げるよ」

 フミは今まで見たことがないような険しい表情を浮かべていた。そのまま手首を引いて逃げようとする。

「離して」

 私は、その手を振り払った。

「フミは逃げればいいよ。私も私で逃げるから、放っておいて」

「天音!」

 フミを振り切って走り出す。フミが私の名前を呼んでいるのが背後で聞こえたけれど、振り返らなかった。一般人のフミと違って、私は魔法少女なのだ。怪物と戦う役目を背負っている。そういう点においても、私とフミは違う。

 人の流れに逆らって走り続けると、見慣れた建物に辿り着いた。

「結界を張ったっぴ。ルルカ、早く変身するっぴ!」

 ピッピがバッグから顔を出した。慣れたこの校舎なら、着替える場所もすぐに見つかるだろう。昇降口をくぐり、土足のまま廊下を駆けた。校庭の方からは怪物の咆哮が聞こえていた。


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