2事のなりゆき
私が魔法少女になったのは、去年の六月のことだ。梅雨前線まっただ中で、土砂降りの日だったと記憶している。身を縮こませて傘の影に隠れながら下校していた時、突然襲われて死んだ。
大きな牡牛のような黒い怪物だった。凶悪なほど太い二本の角を私に向けて、突進してきた。その衝撃といったら、肺が潰れたのかと思ったほどだった。実際に潰れていたのかもしれないが、もはや確かめる術はない。その後すぐに顔も体も判別がつかなくなるくらいぐちゃぐちゃに食いちぎられたから。自分の体が蹂躙されていく様を、私はなぜか幽体離脱をしているみたいに俯瞰していた。
そして、そんな私の目の前に、妖精を名乗るウサギモドキが現れたのだ。「君の命を蘇らせてあげるから、代わりに魔法少女になるっぴ」だとかなんとか、無茶苦茶な契約を持ちかけられ、動揺のままに頷くと、あれよあれよと言う間に私は魔法少女になっていた。
最初こそ、私はピッピのことを信用していなかった。探偵天音るかは「怪物をけしかけたのも実はピッピで、自作自演で恩を着せて私を陥れた説」を疑っていたのだが、どうもピッピは正真正銘の「平和の妖精」らしかった。魔法少女と共に「闇の勢力」なる怪物と戦っているが、前任の魔法少女が戦死したので、代わりを探していたらしい。当たり屋ではなかったが、とんだブラック企業である。
以来、私は魔法少女ルルカとして、街の平和のために尽力させられている。
さて、目的地の桜駅に辿り着いた私は、まず駅の女子トイレに駆け込んだ。個室に閉じこもって、スクールバッグを漁る。手に触れた柔らかな布地を掴み、引っ張り出した。ピンクのフリルとレースに包まれた「魔法少女の衣装」のしわを軽く伸ばす。前回しまった時、雑に扱いすぎてしまったかもしれない。
これが知れたら夢見る女児をいたく失望させてしまう気がするが、何を隠そう魔法少女ルルカの変身は人力である。
「早くするっぴ!」
個室の外に置いてきたピッピが急かしてくるが、毎度急がせるのなら、衣装をもっと考慮してほしい。チャックが背中にあって上げにくいし、付属品がやたらと多いのだ。
なんて不平を呟いていたら、背中に回していたチャックを引っ張る手が動かなくなってしまった。布が食ってしまったようだ。ぐいぐいと力任せに引いてみるが、動く気配はない。それどころか、悪化してしまった気がする。おまけに狭い個室の中なので、壁に肘を強かに打ってしまった。
「いったぁ……!」
「ルルカ、何してるっぴ」
「チャックが食っちゃったのっ、あと、肘ぶつけたのっ」
「何してるんだか……ちょっと入るっぴよ」
「は? だめに決まってるでしょ変態。絶対入らないでよ」
「失礼っぴね。ルルカの子供体型なんて興味ないっぴ」
「失礼はどっちよ……って、やだ、入るなって言ったじゃん!」
扉とタイルの床の間の隙間から毛玉が這い出ててくる光景に、鳥肌が立った。汚い。今のピッピはトイレの床を掃除したモップと同等である。
「ばっちぃ、来ないで!」
「ルルカがのろのろしてるのが悪いんだっぴ! あっこら踏むのはやめるっぴ、やめてっ」
――と、攻防を繰り広げていたところに、ドオオオオン、と鈍い地響きが割り込んできた。振動で洋式トイレの便座がガタガタと揺れた。私もピッピも、ぴたりと動きが止まって耳を澄ます。敵はそう遠くないようだ。
「今の、まあまあ大型っぽいね」
「しかもパワー系の予感っぴ」
いつのまにか背中のチャックを器用に上げていたモップ、もとい魔法少女の妖精。
「現場へ急ぐっぴ」
頷いてバッグの中から白とピンクのステッキを取り出した。この女児用のおもちゃらしきもの、名を「ルルカル・ロッド」という。子供騙しな見た目とサイズ感だが、手に持つと意外とずっしりとした重みがある。これを握ると、いつも精神が静かに滾り始める。魔法少女になった、と感じる。しかし、今日はなんだかざわついたままだ。片隅に追いやったはずの昨日の出来事が、ふとした瞬間に幅を利かせて私を揺さぶる。
ルルカル・ロッドを握り直して、トイレの個室を飛び出した。高いヒールで駅の床を蹴る。初めの頃はしょっちゅう足をくじいていたが、もう慣れた。
そう大きいとは言えない地元駅だが、利用者はそこそこいる。ホームへと繋がる階段から逃げ込んでくる人々とすれ違った。この一大事では、突如出没したコスプレ女のことなど、誰の目にも留まらない。どちらにせよ、後でピッピの魔法で記憶を消すので問題はないが。
恐怖に駆られた人々の表情からは、男も女も老いも若いも全て吹き飛ぶ、と私は思う。なんて偉そうに見下ろしている私も、魔法少女の力を持っていなければ、やはり恐怖に支配されて逃げ惑うのだろう。
ドオオン! と再び地響きが鳴る。近い。間違いない、敵はホームにいる。肩乗り妖精も同意見のようなので、階段を一気に駆け下りた。
「魔法少女ルルカ参上! 悪事はそこまでよ!」
なんていうセリフは、何度も言いすぎて恥ずかしさも感じなくなった。
目前には、大きな黒い影の獣。私の背丈の二、三倍ほどの大きさだろうか。ライオンかトラのように見えるが、輪郭が曖昧なので定かではない。黒い影は蠢きながら獣の形を保っている。荒い呼吸を繰り返すたびに、ブラックホールのように闇が収縮した。
「この町の平和は、乱させない!」
ルルカル・ロッドの切っ先を向ける。獣は低く唸った。
***
少しくらいは、脈ありだと思っていた。
フミは、あまり目立つタイプではない。どちらかというと、地味な方だ。本が好きで、休み時間は読書に耽って静かに座っていることが多い。友人たちの「そういう」会話に名前が挙がっていたことはついぞない。そういう性分なので当然、仲の良い女子なんて私を含む文芸部の部員くらいだ。そしてその中で一番フミと仲が良かったのは私、だと思う。
「呼応せよ、ルルカル・ロッド! マジカル・リリカル・ルルカルチャージ!」
それと、これは自惚れではなく、私は結構可愛い方だと思う。身だしなみには気を遣っているし、メイクやファッションには割と自信がある。少なくとも、私が知る限りのフミと近しい女子の中では、一番可愛いと思う。いや、自惚れではなく。
それなのに。
「チャージマックス! 覚悟しなさい!」
それなのに。
「ルルカ・エターナルインパクト――!」
どうして振られたんだ――!
ルルカル・ロッドから吹き出した七色の光線は、影の獣に直撃した。断末魔と爆発音が弾けたのは同時だった。ぐっとヒールの足に力を込めて爆風に耐える。隣を自動販売機やら看板やらが吹き飛んでいった。
私の魔法と怨恨の光線が起こした砂埃が晴れると、獣の姿は跡形もなくなっていた。地面でチリチリと焦げる黒い燃えかすは奴の最期かもしれないが、たまたまそこに捨て置かれていたゴミが燃えただけかもしれない。どちらにせよ、息を吹きかけたら飛んでいってしまうくらい取るに足らないものに見えた。
私の必殺技の名残は、光の粒子となってきらきらと宙を踊っていた。ファンタジーな光景にしばしの間浸る。
「すごい。盛大な八つ当たりっぴ」
どこかに隠れていたらしいピッピが、のこのこと出てきて呟いた。人聞きが悪い。今のは歴とした慈善活動である。
しかし、魔法少女に精を出してみても、ちっとも気持ちは晴れなかった。溜息を吐くと、自分が思っていた以上に重苦しいものが口から出た。
「じゃあルルカ、町の人の記憶を消すから、路上コスプレ女と思われたくなければ、早く着替えるっぴ」
「あーあ。そんな便利な魔法があるなら、個人的にも使わせてほしいよ。フミの記憶だけちゃちゃっと――」
「ぴ?」
言葉に詰まった私に、ピッピが小首を傾げた。
「どうしたっぴ?」
振り返ると、線路を囲うフェンスの向こうでは、もう日が傾き始めていた。目があった途端、影を長く伸ばしていた黒いそれはぱっと逃げていく。
「いや、なんでもない。誰かがいたかもって思ったけど、猫だった」
ビルの輪郭線すれすれの空からは橙色がほとばしっていたが、上空はまだ薄白く、青空もまだ居座っていた。不気味なほど静かだ。人の気配はおろか、猫すら世界中のどこにもいないような気さえした。
「結界の隙間をかいくぐってきたのかもしれないっぴね」
「そうだね」
西日が眩しい。もうそろそろ部活が終わる時間だ。無断欠席したことを、フミにどう思われただろうか。避けていると思われても仕方がない。
避けたいわけではない。かといって、今まで通りに接することも難しい。小馬鹿にしていた「複雑な乙女心」という言葉が浮かんできて、溜息をついた。




