予想もしない人物の予想もしない背景
信じられない光景だった。あの緋美也 来音が、口から、胸から、血を流し、驚愕に目を見開いているのだ。
つい先日まで、狂気に染まった笑みを浮かべていた女。そいつが、今目の前で、自分も想像だにしていなかったであろう出来事に、戸惑いの感情を浮かべている。
「っう……なん、で……な、にが……」
緋美也 来音の後ろに、誰かが立っている。その誰かは緋美也 来音には見えない。だが、俺の位置からは見える。
そこに、いたのは……俺にとっても、予想もしなかった、人物で……
「……なんで……」
「……あ、んた、は……!」
緋美也 来音は、なんとか動く首を動かし、ゆっくりと背後へと振り替える。その人物は当然、そこにいた。
「……綾平?」
このクラスに転校してきた、新たなクラスメート。俺の復讐にはまったく関係のない、気楽に話ができる人物……クラスメートの謎の死に、本気で怯えていた女子。
転校生、琴引 綾平だった。
「あ、な……なん、で……どう、し……て……」
「それは、自分の胸に聞きなよ」
ズボッ……と、刃物が抜かれる。瞬間、傷口からは血が吹き出し、困惑の表情を浮かべたまま緋美也 来音は、倒れていく。
綾平が持っていたのは、カッターナイフのようだった。そんなもので人体を貫かれるのは疑問だが、とにかく今起こっているのは、綾平が緋美也 来音を、刺したということだ。
緋美也本人が感じていたように、俺にも疑問が浮かぶ。なんで、綾平がこんなことを。しかも、まったく接点のなかったはずの緋美也 来音を……?
俺が見た限りでは、二人の間に特別な接点はなかったはずだ。せいぜい、クラスメートとして適当な会話をするくらい……それも、一対一ではなく多人数とだ。転校生で愛想の良い綾平の周りには、人が集まっていた。
また、俺の知らない間になにかあったとしても……こんな、殺すほどのことをするなんて……
「ぁ……」
倒れた緋美也 来音は、ただ呻き声を漏らすのみ……それも、次第に消えていく。クラスメートの何人かを、手にかけた俺にはわかる……死んでいる。
あんな、持ち運びができるような小さな刃物で……命が、奪われた。急所に運悪く刺さってしまったのか、それはわからない。が、間違いない……綾平は、俺の目の前で人を殺した。
「ありがとね、神威くん」
「え……」
唖然とした意識の中、不意に俺にかけられるのは、綾平の声。なぜ、この状況でお礼を言われるのか、意味がわからない。
おそらくそれは、俺の顔に書いてあるだろう。意味がわからないと。そんな俺の疑問をわかってかわからずか、綾平は言葉を続けていく。
「神威くんが、この女の意識を引き付けていてくれたから、気づかれずにブスッといけたよ。ありがとう」
それは、まったくの予想外。お礼を言われること、その理由、そんな理由で緋美也 来音と話をしていたわけじゃない、いろいろな言葉が、浮かんでは消える。
なにを、言えばいいのか。なにを、すればいいのか。
「ふふ、ごめんね、驚いたよね。でも、これが私……これこそが、琴引 綾平って人間なんだよ」
なにを言ってるか、わからない。ただわかるのは、こいつになんの悪びれる様子もなく、狂った側の人間だったということで……
「勘違いしないでほしいんだけど……こいつは、いやこいつらは、こうなって当然なの。それは、キミも思っていたことでしょ?」
「……なにを……」
綾平がなにを考えているのか、わからない。もしかしたら、俺にもその刃物を向けてくるんじゃないか……そう思ったが、代わりに向けられたのは同意を求める言葉だ。
緋美也 来音にも、どういう手段か俺のやったことがバレていた。綾平……いったい、なにをどこまで知っているのか? しかも、自らの手で緋美也 来音を殺すなんて。
考えが、まとまらない。しかし、そんな俺の困惑などお構いなしに、綾平は言葉を続ける。
「わからないか、わからないよね。でも、これならキミの中の疑問も大抵解消されるかな? 私の本当の名前は、榁途 綾平。……このクラスに殺された、榁途 海音の妹だよ」
……俺にとって、衝撃的すぎる言葉を。




