第五話 思い出作り
石畳の通りを慌ただしく駆ける人。露店で果物を売る商人の張りのある声。城下町に張り巡らされた水路を通る小舟には沢山の米袋が詰まれている。
「凄い活気……」
オーファンがあらかじめ城下で買っておいた平民の服を着たセリンは、田舎者のように周囲を見回している。
「そりゃそうさ、俺たちの祖先がこの地に来て、えーと…百何年だったかな……」
「百五年」
「そう、百五年。西の大国から俺達の先祖が海を渡って新天地に移動してきて……あーなんだっけ……」
「そんな当たり前の事知ってるから」
ですよねー。そう言いたくなる気持ちをぐっと抑える。セリンの方がずっと勉強はできるのだ。何故説明しようとした俺。
「オーファン、誘ってくれてありがとう」
セリンの従者になったばかりの頃には考えられないような笑顔を向けられ、オーファンは思わず赤面してしまう。
「お、おう」
我ながら気持ち悪い反応を悟られないように目を反らすが、セリンは気にしている風でも無くオーファンのすぐ隣を歩く。わざとなのだろうか。
二人ともこの城を出るなら、最後に一緒に城下町で遊ばないか? そう提案したのはオーファンだった。
セリンの顔は一部の貴族を除き、国民には認識されていない。国民のセリンの容姿に対するイメージは、女性と見間違うくらいに綺麗だとか、顔も知らぬ側室のミュールに生き写しだとか、具体的な顔を知る事ができない噂だけだ。
この時ばかりはセリンを頑なに表に出そうとしなかった王妃に感謝しておこう。お陰で顔を隠してコソコソする必要がないのだから。
とは言え、セリンが相当な美少年であり、また、一般的なロリザー人とは異なるハネモト系の容姿をしている事は動かしようのない事実だ。かなり目立つことには変わりない。顔を見た者の一部はもう一度見ようと振り返ってしまうし、声を掛ける機会を伺っている気配もする。
「……あんまりきょろきょろしたら目立つぞ」
ただでさえそんな状況の上、不自然な行動をしていたら民衆の視線はいとも容易く集まってしまう。
「一応『お忍び』なんだからな。もしお前の事知ってる奴に会ったら連れ戻されるぞ」
セリンの顔を知る者がこの辺をうろうろしている事自体ほぼ有り得ないが。
「ご、ごめん。僕、城を出たの初めてだったから。えっと……」
「なんだよ?」
「みんな幸せそうで、凄く嬉しくて……」
活気のある街並みを見たセリンは満足したように呟く。
「国民の事を見た事すらなかったのに、僕は偉そうな事を言っていたのかも」
シュンとしたように俯くセリンの頭にポンと手を乗せる。
「お前が偉そうな事言ってくれたおかげで、今の俺がいるんだ」
「……? そうだっけ?」
「ああ、だから後悔するな」
「それなら、後悔しない事にするよ」
そのまま並んでゆっくりと路地を歩く。セリンは相変わらず色々な場所に視線をやっていたが、初めて街に繰り出したのだ。やめさせるのも気の毒なので好きにさせてやる事にした。
「今日はもう後ろ向きな事を言うのは無しだ、色々案内してやるよ」
セリンはもとよりそのつもりだったのか、市場の果物に向けていた視線をオーファンに戻して微笑む。
「うん、よろしくね」
本当は二人で楽しく城下街を見て歩く予定だった。その為にセリンの喜びそうな店をいくつかピックアップしたり、準備は万端にしているつもりだった。
だがしかし。予定は未定。今、そんな言葉がオーファンの頭を巡っている。
セリンと歩調を合わせる事も忘れ、無言で歩くオーファン。セリンはそれを小走りに追いかけながら遠ざかる背中に呼び掛ける。
「ま、待って……」
どすん。
その声に反応し、いきなり歩みを止めたオーファンの背中にセリンは顔面を突っ込む。
「確かに待ってと言ったけど、いきなり止まられたら驚くじゃない」
小柄で体重の軽いセリンにぶつかられたところでオーファンはバランスを崩して転倒する気配は無い。が、セリンがオーファンの肩越しにその手元を覗くと、地図を持った手はぴたりと止まったそれ以外の部分とは裏腹にがくがくと震えていた。
「……やばい……」
「オーファン? どうしたの?」
「いや……何でも……」
不思議そうに尋ねるセリンにぎこちない笑みを返す。だが、目はセリンの方を向いていない。
そして、泳がせていた視線をすぐに地図に戻す。今、俺達ってこの地図のどこの位置にいるんだ? 案内してやると言った手前、そんなことは口が裂けても言えない。
何故案内してやるなんて言ってしまったのだろう。自慢じゃないが王宮内で迷った事は数知れず。超がつくほどの方向音痴である事をすっかり忘れてカッコつけてしまった我が頭をぶん殴りたい。
「大丈夫?」
「大丈夫だ」
「でも、その地図って逆さまじゃないか?」
「えっ……」
もはやお約束過ぎて涙が出てきそうなオチであった。
休憩がてら、小舟が往来する水路に面した石段に並んで座る。
セリンはガックリと肩を落とすオーファンに淡々と訊く。
「迷ったんだね?」
「面目ない」
「いつから?」
「本当にすいませんでした」
ここまで萎縮されてしまうと、逆にセリンがオーファンをいじめている気持ちになってくる。別に、非難している訳ではないのだけれど。
「僕、帰り道なら覚えてるから。行きたかった場所があったなら一旦戻るかい?」
「あ、いや……どうせ俺が案内してもまた迷うし、お前が目に入って行きたいと思った場所でいいんじゃないか」
行きかう人々の向こうにはブティックやカフェといった建物も並んでいるし、セリンに任せた方がよさそうだ。もっとも、この通りの店はどれも女性を対象としたものに見え、セリンの興味が向かなさそうな感じではあるが。
「と言われても……ええと、オーファンは普段何して城下街で遊んでたの?」
「その辺で買い食いとか、かな」
「かいぐい……」
「ああ、でもお前あんまり食べる事に興味無いんだったよな……」
「いや、それでいい。何か食べたい。あそこでいいや」
セリンは先程オーファンの目にも入ったお洒落なオープンカフェの隣にある、こぢんまりとしたカフェを指差した。
「あ、ああ。そうか。金はあるんだよな」
「一応、持ってきてる」
「そうか、じゃあ行こう」
勝手に気まずい空気を感じていたオーファンは目の前のカフェに向かって走り出す。
「あ、ちょっと」
またもや置いていかれかけるセリン。何でも自己完結して失敗を予測せずに即行動に移してしまうのはオーファンの問題点ではあるのだが、セリンはその行動力を羨ましくも感じていた。
セリンが指さした店は本当に小さな店だった。隣の煌びやかなカフェの影響もあるのか、客はほとんど入ってないように見える。
店内を歩くウェイトレスは一人。確かに一人で回せそうだ。
頼んだものが来てもセリンは口をつけようとせずに固まっている。
「どうしたんだ?」
「外で食べた事がないからどうしていいのか……」
セリンはナイフとフォークを持ったまま身構えるように目の前のタルトを見つめる。
「そりゃ、そうだろうな」
「うぅ……食べるところを知らない人に見られるのはどうも抵抗が」
困ったように皿の上のタルトを穴が開きそうなほどに凝視する。
「人の視線なんて気にするなよ。見られるって言ってもそんなに客いないだろ」
「わ、わかった」
「自分のペースでゆっくり食えよ」
言いながらセリンの皿に視線を落とすと、目の前には信じられない光景が広がっていた。
「って早ーっ!?」
普段あれだけ食べるのが遅いセリンの皿がオーファンよりも先に空になっていたのである。
そのまま視線を上にずらしていくと、咀嚼を終え、ごくりとタルトを飲み込んだセリンがテーブルに備え付けられていたメニューに手を伸ばしている。
「こんなに美味しいものを食べたのは生まれて初めてだ」
追加オーダーをしようとしているのか、真剣な表情でメニューに視線を落とす。
「そ、そりゃ良かった……」
オーファンが脱力していると、セリンが手を挙げてウェイトレスを呼ぶ。
「ご注文は?」
「チェリータルトとラズベリータルトとプラムタルト下さい。ホールで」
「い゛――ッ!?」
ホールってなんだホールって。甘いものは別腹と言う女子がこの世にいるのは聞いた事があったが、凄まじい別腹を持った男子もいたものである。
「チェリータルトとラズベリータルトとプラムタルトをホールで宜しいでしょうか」
笑顔でセリンの注文を反復するウェイトレスにツッコミを入れたくなる気持ちを必死で抑える。
「はい。お願いします。……オーファン、顔色が悪いけど」
何だか色々な感情がぐちゃぐちゃに主張し合って脳がついていかず、オーファンはテーブルに突っ伏した。
「ま、まぁお前の金なんだから好きに使えばいいんじゃないか……」
「ここに来れただけでも街に出て良かった。有難う」
テーブルいっぱいに並べられたタルト越しにセリンが微笑む。二年前にオーファンが仕え始めた頃からは考えられないくらい、セリンは笑顔を見せるようになった。
「喜んでくれたならよかったよ」
「でも、僕だけが楽しんでるみたいで何か悪いよ。次はオーファンのやりたいことやったほうがいい」
「気にするな、俺にとってはセリンが喜んでくれるのが一番嬉しいから大丈夫だ」
「そう? 僕には理解しがたいけど……」
そう言いながらセリンはタルトを頬張る。
自分のおかげでセリンが明るくなったと感じるのは嬉しかった。セリンが自ら自分を遠ざけようとしない事も嬉しかった。
例えセリンが覚えていなくても、オーファンは彼に救われたのだ。一方的な恩だとしても、自分がこうやって恩を返すことが出来ているのが、何よりも嬉しかった。
「あーっ、疲れたー!」
帰ってきてすぐに、どさりと自分のベッドに倒れこむオーファン。
それに対し、疲れている様子があまり見られないセリンは、ぐったりとしたオーファンに声を掛ける。
「オーファン。疲れているところ悪いんだけど、頼みがある」
「ん? なんだ?」
オーファンはベッドに倒れこんだまま、顔だけをセリンの方に向ける。
「大きい空箱を貰ってきてくれない? 多分果物とか入っていたのが厨房にあると思う」
「ああ。わかった」
何のためにそんなものを必要としているのかは聞きもせず、オーファンはベッドから起き上がり、セリンの望みのものを手に入れてくるために部屋を出ていった。
数分後、扉を足で蹴るような音が聞こえてきた。
「セリン、手が塞がってるんだ。開けてくれ」
セリンがドアを開けると、扉にギリギリ入る横幅の箱を持った人物が立っていた。箱が大き過ぎて足しか見えないが、声はオーファンだ。
「これでいいのか?」
「うん。ありがとう。そこに置いてくれる?」
言われた通りに、オーファンは部屋の中心に大きな箱を置いた。
「こんな箱、何に使うんだ?」
「これにいらない物を入れていこうかと」
言いながら、大きな箱に「不用品」と書く。
「出て行く準備をしないとね」
元々あまり私物のないセリンではあったが、この城を出るにあたってゴミとなるものは出てくるのだろう。
オーファンが感心したようにセリンに言う。
「おまえ、切り替え早いな……」
「早めに準備しておいて悪い事はないから」
セリンは休むこともせず、自室にある私物の処分を始めていた。不用品と書かれた箱の中に、細かい細工が施されたガラスのランプや、分厚い本を放り投げていく。
美しい装飾が描かれた壺を箱に入れたとき、オーファンが声を上げた。
「えっ、それ捨てちまうのか?」
「うん」
タンスに入っていた洋服も普段着ているもの以外、不用品の箱の中に全て放り込む。
「あっ」
「……」
「ああっ」
「……」
「勿体無い……」
容赦なく不用品と判断されるセリンの私物を見て、持ち主ではないオーファンの方がいちいち名残惜しそうに反応する。
「……オーファン」
セリンが若干いらいらした感じでオーファンのほうを振り返った。
「な、何だ?」
「気が散る」
「ご、ごめん……俺も荷物まとめてくる」
セリンのいらいらした様子が伝わったのか、オーファンはほぼ私室になっていたセリンの寝室と繋がるコネクションルームに引き下がる。
数分もしないで、背後から「チクショー、全部捨てられねえ!」と叫ぶ声が聞こえるが、予想の範疇である。
セリンは呆れたように小さくため息をついた後、戸棚に入っているチェス盤を持ち上げ、不用品の箱に入れようとしたが、思い止まる。神殿に行けば対戦相手もいない。客観的に見れば明らかに不用品だった。それでも、最低限の物しか入れるつもりのなかった小さな鞄の中に一番最初に入ったものになった。
振り向くと、オーファンの鞄がどんどん膨らんでいく様子が見える。騎士になるのにそんな大荷物をもってどうするつもりなのだろう。
まだここを出るまでに時間はある。不用品と生活に必要のないものだけを処理したセリンとは異なり、オーファンのやり方では、詰めた荷物に必要なものが出てきてまた散らかすであろう事が容易に予想でき、自然と微笑ましい気持ちで親友の姿を見ていた。