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剣の国の魔法王子  作者: 汐胡
序章 SOLITARY
2/9

第一話 初めての従者

 レスティエード家の親子と口約束を交わしてから一週間が経った。既に国王にも伝えてある。予想通り国王は喜んでいた。どこがいいのかは分からないが、あの人はレスティエード家を気に入っているから尚更なのだろう。これで、しつこく国王から「護衛はいらないのか、従者はいらないのか」と訊かれる事もないだろう。

 もちろん、今回の話はセリンも嫌々承知した訳ではない。オーファンなら従者でもいいと思ったから承知したのだ。彼は自分に似ているはずだ。比較対象との圧倒的な差。家族から疎まれる存在。

 膿きった政治に対する考え方も同じだった。最悪、理解はできなくても不快にはならないだろう。

「そろそろくるかな……」

 セリンは呼び出しが来る前に椅子を立ち、自室を出る。

 廊下を歩いていると、貴族連中だけではなく使用人や衛兵までもが信じられないものを見るようにセリンを遠巻きに見ながら、ひそひそと話をしている。

 セリンがそちらを見やると、噂話をしていた者は慌てて距離を置き、セリンと目を合わさぬようにしながら仕事に戻る。

 王族を軽んじるような視線を向けられ、普通なら怒るべき所なのかもしれない。しかし、セリンはそんな視線を送られても何とも思わない程に感覚が麻痺していた。この不快な視線を幼い頃から浴び続けたせいで、もう反抗する気さえ起きなかった。


 不快な視線を潜り抜け、指定された応接室の不必要に立派なドアを見上げてセリンはため息をつく。

 国民の血税がこんな無意味に使われていていいのだろうか。主人と従者として顔を合わせるのにこの豪奢な部屋を使うなんて、大袈裟すぎる。そう思いながらもセリンはオーファンのように意見をした事は無い。

 自分の勇気のなさに嫌悪感を覚えながら成金趣味の応接室に足を踏み入れる。

 既にオーファンはレスティエード家の当主に連れられ、待っていた。

「セリン殿下、お待ちしておりました」

 恭しくレスティエード家の当主が禿げた頭を下げる。オーファンもセリンに会釈をした。

 セリンの父親でもあるスルフィド・レシム・ロリザー三世は国王と言う職業柄、多忙である。それだけではなく、体が弱いこともあり滅多に表には出てくる事はない。だからだろう。名前も顔も覚えていないような代理人がなにやら話を進めている。もういいから早く終わらないだろうか。

 長ったらしい口上を聞き流しながら待つ。かいつまんで聞くと、オーファンが従騎士として認められるまでセリンの下で働きながら色々な作法を学ぶということらしい。

 セリンが従者や護衛をつけたがらない理由の一つとして、こういう手続きが面倒と言うのもあった。こんなに長い話を聞かされて、いずれはオーファンは従騎士として騎士団に入るのだ。途中で自分の従者ではなくなるなんて割の合わない話である。

「それでは、これからよろしくお願いします」

 そう言ってオーファンがセリンに頭を下げた所でようやく終わったのだと理解する。

「……こちらこそ」

 セリンがオーファンに笑いかけて手を出す。我ながら気持ち悪い作り笑いである。

「はい。誠心誠意お仕えいたします」

 かくして、セリンとオーファンの主従関係が始まる事となった。

「では、早速仕事がありますのでこちらにどうぞ、オーファン」

 セリンは自分より背の高いオーファンの手を半ば強引に引くと、レスティエード家の当主や国王の代理人を敢えて無視したまま部屋を後にした。

「セリン様、何処に行くのですか?」

「最初の仕事を頼みます。黙ってついてきて下さい」

「は、はい……」

 セリンはオーファンの手を引いたままいつもの不快な視線の中を足早にくぐり、自室に戻る。オーファンを自室に引っ張り入れた後すぐにドアを施錠し、鍵がかかっているかをしっかり確認した。

「あの、セリン様?」

「……暫くはこの部屋から出るのを禁じます」

 自分自身はともかく、仕えて一日目のオーファンまで使用人の奇異の目に晒されるのはごめんこうむりたい。セリンは、そうなる前に何とか先手を打とうととんでもない事を言いだした。

「と言っても、この部屋で何をすればいいんですか?」

「僕の遊び相手をしていればいいです」

 この生活感を全く感じられない部屋の何処に遊び道具があると言うのか。しりとりでもするつもりなのだろうか。

 オーファンは一瞬反応に困って消化不良のような表情を見せたが、セリンのイライラしたような、そして怯えたような様子を見てだんだん心配になってきた。

「セリン様、何かあったんですか?」

「……」

 心底心配そうに自分の事を見るオーファンを見て、セリンは徐々に冷静になってきた。自分は何をしているのだろう。

「申し訳ありません。今言った事は忘れて下さい」

 度重なるストレスで少しおかしくなっていたのかもしれない。そう思う事にする。

「セリン様、私に対してはそんな畏まった話し方をしなくてもいいと思いますよ」

「……」

 それを聞いたセリンが顔を上げてオーファンを見やるが、オーファンにとっては睨みつけられているようにしか見えなかった。

「あ、ええと……別に嫌ならいいんです。差し出がましい事を言ってしまってすみません」

「構わないよ。ただし、君も畏まらなくていい」

 久々に砕けた話し方をしたがおかしくなっていないだろうか。セリンがちらりとオーファンを見ると、彼は変なものでも見たかのような表情をしている。やはりおかしかったのだろうか。

「さ、さすがにそれは……」

 セリンのその気持ちは有り難いのだが、王族に対して敬語を使わないだなんて色々と問題があるのではないだろうか。

「僕が許すから。そもそも僕は敬われるような人間じゃないから敬語で話しかけられると気持ち悪い」

「は、はは……」

 もう笑うしかない。思った以上にこの王子はトンデモナイ人物だ。物心ついた頃から父や兄に貴族の嗜みとして時には体罰を受けてまで叩きこまれた事が、一気に崩壊していくのを感じる。

「やっぱり、行動しないと何も変わらないよな。勇気を出してあんたに仕えたいって言って良かった」

 思わず口をついて出た言葉は、本心以外の何物でもなかった。セリンの人格がどうであれ、ずっと、ずっと、オーファンの求める王道はセリンにあった。一年前、セリンがオーファンを「認識」したその時よりも、ずっと前から。

「それは良かった。じゃあ、言った通り僕の遊び相手をしてもらう」

 セリンは戸棚を開けると、中から真新しいチェス盤のようなものを取りだし、駒を並べて行く。ちゃんと遊具があった事に少しホッとしたが、今まで全く使われた形跡が無いように見えるのは気のせいだろうか。

「よくお兄様がやってるのは見た事があるが、ルールが分からないな」

「僕が教える。これも貴族の嗜みだから」

「そう……だったな……」

 ルールを説明しながらゲームに興じるセリンはあまり楽しそうには見えなかったが、ピリピリした感情が消えていただけでも良かったと思えた。

 これから何年か彼に仕えるのだ。ゆっくり時間を掛けて信頼関係を築いていけばいい。


 ………………。

 …………。

 ……。

「う……」

 この日、オーファンが目を覚ました場所は、セリンの部屋の床であった。目の前にはチェスの駒が散らばっている。

 どうやら、時を忘れるほど遊んでそのまま寝てしまっていたようだ。

 セリンもまた、目の前で静かに寝息を立てている。

 オーファンはセリンをベッドに運ぼうと抱きかかえた。自分のような子供の力でも簡単に持ちあがる軽い身体に少し違和感を覚えたが、仕えるべき相手を床に放置するわけにもいかず、天蓋付きの立派なベッドの上に横たえた。

「さて、片付けないとな」

 普段から独り言の多いオーファンはそう独り言を言うと、そこら中に散らばったチェスの駒を、宝石が控えめにあしらわれたケースに丁寧にしまっていく。

 ふと、チェス盤を持ち上げると、裏側にかろうじて解読できるミミズの這った様な文字が書かれている事に気がついた。


  4さいをむかえるあいするセリンへ。おかあさんより。


 どう見ても「おかあさん」とイコールで繋がりようのない幼過ぎる筆跡。

「字の汚い母親だな……」

 そう呟いた後に第一王子の母親は異国の女性だったと聞いた事を思い出す。セリンの柔らかく艶やかな黒髪はロリザー王国では見ないものであり、それが母親譲りである事を示していた。

「まぁ、文字は国によって違うからな」

 そう一人で納得してチェス盤と駒を元あった戸棚に戻し、勢いよくカーテンを開ける。朝日ほど鋭くはない明るい日差しが入ってきた。既に大分陽は高くなっている。

 陽が高い……? 太陽の光を浴びて意識のはっきりしてきたオーファンから血の気が引いていく。この状況は流石にまず過ぎる。従者をつけた途端に寝坊だなんて冗談だとしてもかなり笑えない。

「セリン、起きろ。朝……多分朝だ」

 オーファンはセリンの肩を揺する。もうすぐ昼だけど。

「う、うーん……」

 今まで子供らしくない表情しか見せていなかったセリンが、年相応の寝顔を見せる。その表情はとても穏やかで、起こすのが少し可哀想になったが、そんなわけにもいかない。

「起きろ、こんな時間まで寝こけてたら怒られるんじゃないか?」

「……」

 セリンはオーファンの手を押しのけてむくりと起き上がる。

「……寝てた?」

「こんな時間まで寝ていて、大丈夫なのか?」

「それは問題無いと思う。姉上と違って僕は放置されてるから」

 まるで他人事のように無感情に言う。セリンのような年頃の子供にする仕打ちとは思えなかったが、オーファンは似たような状況を知っていた。

 貴族としての生活が恐ろしく適合していなかったオーファンもまた、家では人間らしい扱いをされていない事が多かったのだ。

「それなら、俺も似たようなものだ」

 もっとも、オーファンの場合は無視や放置ではなく、父や兄に教育と言う名の暴力を振るわれていたことが多かったが。

「……」

 そうは言ってみたものの、セリンは特に反応を見せない。昨日から何となくは感じていたが、会話しにくい事この上ないタイプだ。二日目にして確信してしまった。

「そう言えば、昨日言っていた命令はどこまで本気なんだ?」

「僕はいつも使用人や衛兵に珍獣みたいに見られてる。君もそう見られるかもしれない。それを覚悟できるなら部屋を出てもいい」

 脈絡のない行動に成立しない会話。珍獣のように見られるのも仕方ないような気がする。悪い奴じゃないのは分かるが、慣れるまでは相当なエネルギーを消費しそうである。

「大丈夫だ。そんな事は気にしない」

 むしろ、そこまで言われると逆に周囲のセリンに対する評判が気になった。もし、セリンの言うように姉を立てる為だけに碌な扱いを受けずに放置されているのだとしたら、何とかしてやりたいとも思った。

 そもそも、セリンに対する王宮の者の扱いは王位継承権のある者に対する扱いとは思えない。何か裏があるのではないだろうか。

「そうだな…じゃあ、城内を見て回ってくるよ。今まであまり来た事が無かったから構造は理解しておきたいし」

「本当はオーファンの部屋も別にある」

「そりゃそうだろ。それもちゃんとチェックしてこないとな」

「自分の部屋が気に入ったら無理にここに戻ってこなくてもいい。必要な時に呼びに行く」

「いやいやいや、戻ってくるから!」

「お構いなく」

 そう淡々と言われてしまうと逆に寂しくなってくる。

「別に無理してる訳じゃなくてだな……あー、もう! 俺が勝手にやってる事なんだからお前は気にするな!」

「それならいいけど」

 そこで、有難うとか言って欲しかったなあ。オーファンはなんだか無性に悲しくなりながら脱力する。

 ぐうううううううっ。

 それとほぼ同時にオーファンの腹の虫が盛大に鳴った。

「ううう……」

「……?」

 セリンが顔を上げ、不思議そうにオーファンの方を見た。先程の事も加えて情けない気持ちが光速を超えた気分である。

「そ、そそそう言えば、昨日の夜からなにも食って無かったな……腹減ったよな? な?」

「ああ、そう言えば」

 セリンの方は完全に忘れていたような口調である。オーファンが挙動不審になりつつある事にもまったく動じていない。

「まずは、食堂で何か食わせてもらってくるか……こんな時間だけどあまりものくらいはあるだろう。行こうぜ」

 オーファンがフラフラと部屋を出て行こうとしたが、セリンが動く気配は全くない。ドアの前まで来て、オーファンは勢いよく振り向いた。

「って来ないのかよ!」

「???」

 どうして行かないといけないのかとでも言いたそうな表情でセリンが首を傾げる。

「はぁ……お前は、食わないのか?」

「食事が運ばれてこないならいらない」

 つまり、何日も食事が運ばれてこなければ餓死するつもりなのだろうか。

「お前も腹減ってるだろう?」

「そんなに減ってない」

 セリンが本当に人間なのか不安になってきた。あと頼むから会話を発展させてくれ。

「いいから来いよ。一応、お前の健康にも気を使っておかないと従者として駄目だろ」

「お構いなく」

「構うわっ! もう俺が何か食うもの持ってくるからそこで待ってろ!」

 従者として認められた以上、健康管理にもちゃんと気を使ってやらないといけない。セリンの様子を見て妙な使命感を胸にオーファンは部屋を後にした。


 使用人がせわしなく掃除をしている中、オーファンは食堂と、ついでに自室を探す。

 場所の目星も付いていないため、ただ、広い城内を目的もなく歩き回っている状況である。

 もともとオーファンは方向音痴なところがある。このままいくと間違いなく迷子になってしまうだろう。

 しかし、人に聞く気にはとてもなれなかった。セリンに忠告された通り、精一杯好意的に見ても気持ちがいいとは言えない視線をあちこちから感じる。

 何処の閉鎖的な田舎町だ。オーファンは心の中で毒づいた。

 その視線を振り切るように進んでいくと、だんだんと人の気配が減って行った。

「やべえ、やっぱり完全に迷ったな……」

 気がつけば、オーファンは人気が全くない廊下に立っていた。高級そうな絨毯が敷かれた廊下は無意味に広い。

 視線にさらされずにホッとしたのが半分、そして不安な気持ちがもう半分。一体ここはどこなのだろう。

 しかし、今更引き返すのも何だか悔しい気だする。よく分からないプライドが、オーファンの足をさらに人気のない廊下に進ませる。

 ドンッ!

 暫く廊下を直進した所で、オーファンは誰かに突き飛ばされて体勢を崩しそうになる。

「ってぇ……」

 誰もいないと思って碌に前も見ずに早歩きをしていた自分も悪いが、避けて通ってくれたっていいだろう。そう思いながら自分に激突してきた奴の顔を見てやろうと顔を上げた。

 美しいドレスを身に纏った妙齢の女性。まとめ上げた銀髪に飾られた髪飾りが音も立てずに揺れている。後ろに控えている付き人らしき女性も城で雑用をしている者たちとは違い、オーファンに奇異の目を向けては来ない。ただ、赤い瞳から射抜くような視線をオーファンに向けていた。

「あら、ここは貴方のような子供が来る場所では無くてよ」

「あ、貴女は……」

 この女性には見覚えがある。父親に連れられた会食や、パレードで国王の隣に常に陣取っている女性。第一王女セレスティナの母親である女性。ぶつかるなんてとても恐れ多い女性。彼女は……。

「クラーレ王妃陛下! も、申し訳ありませんっ!」

 オーファンは前屈するかの勢いで頭を下げる。思わず声が裏返ってしまったがそれどころではない。やばい。本格的に父親に殺される。

 名前を呼ばれたクラーレは目の前にいる少年の見覚えのある顔を記憶の底から引っ張り出す。

「どなただったかしら? どこかで見たような気はするのだけど」

「私はオーファン・レスティエードと申しますっ!」

 咄嗟に跪き、頭を下げる。言葉遣いが悪かったのか、クラーレの従者の若い女がオーファンをギロリと睨み付けた。

 その視線に気がつき、さらに萎縮するオーファンの頭上に余裕のある声が投げかけられた。

「ああ、思い出したわ。確か、レスティエード家の次男でしたね」

「は、はい」

 跪いた姿勢のまま、チラリと視線だけをクラーレの方に向ける。

「庶長子のセリンの従者になったのですってね、御苦労様。貴方もあの子に手を焼いているんじゃありません?」

「そんな事はありません!」

 クラーレの言葉に思わず立ち上がり、脊髄反射のように反論してしまった。

「セリン様は偏見を持たずに人と接する事が出来る、王にふさわしい方だと思います! 俺……じゃない、私の求める王道は幼い頃からセリン様にあります!」

 無意識のうちにセリンを擁護する言葉が感情的に溢れる。だが、そこまで言ってオーファンはしまった、と思った。クラーレは持っていた羽根扇子を握り折りそうな程に指に力を込め、物凄い形相でオーファンを睨みつけたのだ。

 そうだ、クラーレとセリンには血の繋がりが無い。セリンは側室――それも異国からの外交カードとしてロリザー王国に送り込まれた人質同然の女の子供であり、クラーレが男子さえ産んでいれば本来王位継承とは遠い所にいる存在だ。

 だが、不幸な事に現在王の息子はセリン以外にはいない。このままクラーレ、もしくは王族に近しい貴族出身の側室が男子を産まなければロリザーの法に則れば現在の第一王位継承者は異国人の血が混じったセリン、と言う事になる。恐らく、彼女は焦っているのだろう。

「あの女、死んでまでわたくしをコケにするって言うのね……」

「死……?」

「あら、貴方何も知らないのね? セリンを産んだ異国の女はもうこの世にはいないのよ」

「あ、いえ……その……」

「……次の王はセリンじゃないわ……させるものですか……」

 セリンが置かれている立場は、オーファンが思っていたよりもずっと不安定な所にあった。この王妃の存在がある限り、セリンは愛される権利さえ奪われている。

「王妃陛下……」

 付き人の女がクラーレに耳打ちをする。

「そうだったわ……早く神殿に行かなくては」

 クラーレは自らの用事を思い出したようだ。その場を去る直前に捨て台詞のようにオーファンに告げた。

「貴方には悪いけど、セリンは王位を継げないわ。絶対にね」

 オーファンは思わず露骨にクラーレから目を逸らしてしまった。しまったと思って視線を戻すが、幸い彼女は大して気にしている様子も無く、付き人を引き連れオーファンを素通りして歩いていった。

「……」

 クラーレの後ろ姿が見えなくなるまで待ってから、オーファンは元来た道を引き返した。誰かに、セリンの事をもっと詳しく訊こう。彼を知る誰かに、彼の置かれている状況を訊いておく必要性を強く感じた。

 そんな人がいるのだろうかと一瞬不安になったが、セリンの味方が一人もいないなんて事は流石に無いだろうと思い直す。

 大丈夫だ。きっと、大丈夫。


 ……。

 先ほどまでの自分の考えはあまりにも甘かった。オーファンは楽観的に考え過ぎていた自分を思わず三年分くらい呪いたい気分になりながらセリンの部屋へと向かう。

 食べ物は無事手に入った。早急に自らの腹を満たしても良かったのだが、我慢して二人分の食事を銀製の運搬車に載せて運ぶ。やはり、一人で食べるより二人で食べた方が旨いだろう。

 自分の部屋も確認してきた。予想通りと言うか、何と言うべきか、使用人数人で使う大部屋であった。あまり世話にはなりたくない部屋である。

 そして、セリンの事を知る人物は…正直諦めた。セリンはこの城において四面楚歌である。以上。

「はぁぁぁぁぁぁ~っ……」

 溜息も付きたくなる。セリンは曲がりなりにもこの国の第一王位継承者ではないのか。正直それを抜きにしても彼の冷遇っぷりは正気の沙汰ではない。まるで陰湿ないじめである。

 権力目当ての貴族が擦り寄られる第一王子を気の毒に感じていたこと自体、自分は何も知らなかったのだと痛感させられる。

 王妃の息が掛かっているにしても、酷いなんて言葉で済ませられる状況ではない。権力目当てで擦り寄られている方が、まだマシだった。


 がちゃ。

「……?」

 手応えなく開いてしまう扉にオーファンは若干驚く。セリンの部屋に鍵は掛けられていなかった。

「た、ただいま。鍵かけてなかったんだな……」

 不思議に思いながらもセリンの部屋の中に運搬車を引っ張り入れる。

「ここで待ってたから」

 従者の声に反応して顔をあげたセリンはオーファンが出て行った時にいた場所と同じ場所に座っていた。まさか、彼の言った「そこで待ってろ」という言葉を完全に言葉通りに受け取って動かずに待っていたのだろうか。

 あまり考えないようにしよう……。

「とりあえず、飯、持ってきたぞ」

 そう言いながらオーファンはセリンの部屋の一人用と思わしきテーブルに食事を並べて行く。

「嫌いなものとかないか?」

「特には」

「……じゃあ、好きなものは?」

「特には」

 ある程度予想はしていたが、食事を楽しんだ事が無いのだろうかこの王子様は。そう心の底で愚痴りたくなったが、すぐにその思いを振り払う。楽しくなかったに決まっているのだ。

「ほら」

「……」

 セリンに食器を手渡しながら、ふとセリンの左手首に巻かれた包帯に目が行く。昨日は袖に隠れていて気がつかなかったが、セリンの青白く細い手首に巻き付けられている包帯を見ると痛々しい。

「それ、どうしたんだ? 怪我でもしてたのか?」

「大丈夫」

 その一言で片付けられてしまう。痛みを訴える様子も無いし、本当に大したものではないのだろうと思う事にする。

「よし、じゃあ食うか。我が国の繁栄をもたらす水神アクエリ様に感謝を」

「……感謝を」

 並べられたテーブルを前に手を合わせたセリンが微かに微笑んだように見えた。オーファンは一瞬セリンの表情に気をとられ、スプーンを肉に突き立ててしまったが、笑ってごまかした。

 彼が噂通り母親に生き写しの容姿だとしたら、クラーレが嫉妬する気持ちも解らなくはない。それほどに美しかった。

 小さなテーブルに向かい合って二人で食事をとる。オーファンがちらりとセリンを見ると、一口一口ゆっくりと料理を口に運んでいる。食べるのはかなり遅い。

「やっぱり二人で食べると旨いよな」

「普通」

 セリンとの会話が続かないのはオーファンにとって想定の範囲内になりつつある。

「ここの部屋って、お前一人で使ってるのか?」

 こういう時は気にせずに次の話題を出す事にする。

「向こうの部屋は、オーファンの部屋にしてもいい」

 あまり使われていなさそうなコネクションルームを指さしてセリンが言う。有難い申し出だ。

「そうか、俺の部屋って大部屋だったからそう言ってくれて凄く有難いよ」

 オーファンの反応を見てセリンはスプーンを口に入れたままこくこくと頷く。

「お前ってさ、今まで世話になった奴とかいないのか? 俺のお父様とか、一応セリン殿下には期待してる、みたいな事言ってるしさ」

「君のお父さんみたいに僕を利用しようとしてる人は何人かいる。本当に僕の味方と言えるのは母上以外にはいない」

「え……」

 クラーレからセリンの母親がもう死んでいる事を聞いていた為、オーファンとしては実に返答に困る答えである。

「やっぱり、俺しかいないのか……」

 味方が一人もいない事に、セリンがどれ程苦しめられていたのかはオーファンの想像の域を超えていた。自分なんかが何とかできる状況ではなかったと言うのが現実である。

 そんな中で自分にできる事と言えば、セリンに全面的に味方してやることくらいしか無い。

「何の話?」

 オーファンの独り言に、セリンが首を傾げる。

「いや、何でもない」

 そうだ。俺だけでもこいつの味方でいよう。セリンがどう思ってるかなんてどうでもいい。例え、成長して従騎士になってセリンの傍から離れても、絶対に見捨てたりなんかするものか。

「俺は、お前とずっと仲良くできればと思ってる。世話になった人が母上以外にいないなんて、絶対言わせないよ」

「軽々しく『絶対』なんて言わない方がいい。人の気持ちは変わってしまうものだから」

「そんな事無い。俺は変わらない」

「誰だって、最初はそう思うものだよ」

「じゃあ、お前が信頼してくれるまで態度で示してやるよ。行動しないと、何も変わらないもんな」

 セリンは少し考えた後、こくりと首を縦に振る。

「じゃあ、これからも仲良くしようぜ。これから長い付き合いになるんだから上手くやれた方がいいだろう?」

「そうだね。努力はする」

 無表情で答えるセリンを見て、それくらいの答えの方がセリンらしいとオーファンは苦笑した。

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