鬼神と呼ばれた騎士と暗殺者の少女
バーナル帝国には《鬼神》がいる。
戦場にその男が現れたら、勝つ事は考えるな。生きる事を考えろ――そんな言葉まで使われるようになっていた。
男の名はルバフ・コードン。
短い黒髪に筋骨隆々な身体付き。
戦場では鎧を着ていても、動きにくいからという理由で脱ぎ捨ててしまう事もある。
個人で大陸最強と呼ばれたルバフの最近の悩みは――
「そろそろ俺も身を固めるべきだと思うのだが」
「ブフーッ」
ルバフの一言に、目の前にいた長髪の男――デニス・グレーは口に含んだコーヒーを噴き出した。
デニスは帝国軍でも参謀を務める騎士であり、ルバフとは長い付き合いだ。
常に冷静な男で、部下からの信頼も厚い。
そんなデニスがここまで動揺するのも珍しい。
「大丈夫か?」
「げほっ……いや、すまない。まさか、君の口からそんな言葉を聞く事になるとは」
「おかしいか? 」
「おかしいも何も、君は戦いにしか興味のない男だと誰もが思っているよ」
「マジか」
ルバフが驚きの表情を浮かべる。
確かに戦いは好きだが、ルバフも男だ。
将来的には妻と子供に囲まれた幸せな家庭くらい考える事もある。
それを口にすると、デニスはまたコーヒーを噴き出した。
「……大丈夫か?」
「ごほっ、す、すまない。いや、君がそういう夢を持っていたのなら、僕は応援するよ。それで、相手はいるのかい?」
「いや、それがまったく」
「……まあ、そうだろうね。君は皆の憧れの騎士ではあるが、正直言ってしまえば君の素を知らない人々からすればかなり怖い印象だろう」
「だよな。俺自身怯えられているのは分かる」
どこへ行っても、鬼神と呼ばれたルバフの印象が付きまとう。
皆、ルバフに怯えてしまうのだ。
「どういう女性が好みなんだい? 君からの相談だ。僕も探してみるが」
「おお、助かる」とルバフは頷いた。
デニスはクールな男で、女性からの人気も高く知り合いも多い。
そういう伝手はいくつかあるのだろう。
ルバフは考えながら、理想の女性像を呟く。
「そうだなぁ。俺の前でも堂々としていて……うん、俺に負けない気迫がほしい。できれば武器とかも使えた方がいいな。週末一緒に狩りとかも行けるだろ?」
「なるほど……戦場で探した方がいいかもしれないね」
「え、いないか?」
「君に負けない気迫は無理かな」
早くもデニスが諦めてしまった。
そんな帝国軍作戦本部の、昼休みの光景だった。
***
ルバフは元々下町の出身だった。
帝国軍で役職に就く者の多くが貴族出身であり、ルバフのように今の地位まで実力で上がった者は珍しい。
だからといって、ルバフが嫉妬の対象で見られるような事はなかった。
それだけの実力のある男だと、誰もが認めている。
今のルバフが暮らしているのはそれなりの大きさの屋敷だった。
名家ではないルバフだが、帝国軍内では五隊あるうちの一隊の騎士団長という地位にある。
その地位に就きながら、いつまでも城下町の小さな家で暮らしているのは示しがつかないという王族側からの配慮もあった。
ルバフからすればありがた迷惑であったが、それも仕事のうちと考えれば仕方のない事ではある。
「おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま」
「本日はいかがでしたか?」
「何も変わらんさ。ああ、訓練兵の面倒は見る事になったな」
「まあ、それはお気の毒に」
「どちらに向けて言っている」
「ほほほっ、分かっておられるでしょうに」
侍女のフィンベルがルバフの帰りを迎える。
彼女はルバフに出会った頃から自然と話せる相手だった。
それだけ彼女が侍女として優秀だと言えるだろう。
ただ、彼女とはあくまでそれ以上の関係はない。
この家の事については、フィンベルに全て任せているが。
「お食事の準備はできております」
「ありがとうよ。食って風呂入ったら寝るわ」
「かしこまりました」
ルバフは言葉通り、食事を済ませて風呂に入った後――早々に床に就いた。
他の騎士団長の話を聞くと、夜遅くまで資料の整理や訓練方法を検討しているらしい。
ルバフも時々そういう事をしてはいるが、今はどうも身に入らなかった。
「結婚……結婚かぁ」
ルバフの今の悩みはそこにあった。
他の騎士達に比べて、かっこいいというわけではない。
ただ、純粋な強さだけで言えば他の者達から抜き出ている、それが取り柄だった。
「俺を怖がらずに向かってくるような女性……そんなにいるわけないよなぁ」
そう呟いた時、ガタリと部屋の隅の方で音がした。
ルバフはそれに気付き、むくりと身体を起こす。
部屋はすでに暗くしていたが、ルバフの目はある程度暗いところにも慣れていた。
(窓が開いているな……)
これはもしかすると、久しぶりに来たのかもしれない。
以前はそれなりにあった――ルバフの暗殺。
暗殺者を悉く撃退したためか、最近ではめっきり見なくなってしまった。
現状では戦争状態にある国もほとんどなく、ルバフが狙われる理由もない。
あえて言うならば、私怨という事もあり得るが。
ルバフが暗闇の中、立ち上がる。
「いるんだろ、来いよ」
挑発するようにルバフが言うと、暗闇の中で影が動いた。
迷うことなく、真っ直ぐルバフの下へと向かってくる。
ルバフはそれに対し、拳を振るう。
剣がなくとも、並みの暗殺者ならばルバフは肉弾戦で制圧できる。
「――っ!」
「ほう」
ルバフの拳に気付いたのか、暗殺者が小さく声を上げてそれを防いだ。
防いだ事にも驚いたが、そのわずかに漏れた声は――
(……女か)
ザッと人陰がルバフと再び対峙する。
暗がりでも分かる。
華奢な身体で、短刀をこちらに向けているその姿は――少女のものであった。
ルバフはその少女を見据える。
ルバフと正面向き合っても――決して怯まない姿勢。
暗殺者としても、少女が優秀である事は良く分かった。
それと同時に、ルバフにある思いが芽生える。
「気に入ったぞ、小娘」
「……っ!?」
ルバフの言葉に驚いた様子の少女は、困惑して一歩後ろに下がる。
それに対し、ルバフは一歩前に出た。
ルバフに対しても物怖じしない態度、その上武器も扱える。
ちょうど――ルバフが求めた女性像がそこにあったのだ。
「俺と結婚を前提に付き合ってくれ」
「……は!?」
そこで少女は、驚きの声を上げた。
***
「――まあ、そういう感じで今の妻とは知り合ったわけだ」
「ブフーッ」
話を聞いていたデニスが再びコーヒーを噴き出す。
帝国軍作戦本部の昼休み――気付いたらルバフが若い娘と付き合い始め、結婚にまで至った経緯を聞いたデニスの反応だ。
いつも冷静なデニスだが、ルバフと話しているとこういう反応が多い気がする。
そんなルバフの隣――黒い長髪の少女はドレスを身にまとい、恥ずかしそうに俯いていた。
「む、昔の話ではないですか」
「昔でもないだろ。あの時のお前は本当に情熱的だった」
「や、やめてくださいっ。殺しますよ!」
「そういうところは今も変わらないな」
「いや、まあ……君がそれでいいならいいんだが。戦場ではなく自室で見つけるとは」
「ああ、俺は満足している」
大陸最強の男の理想の相手は――他国から差し向けられた暗殺者だった。
こういう感じのお話しも最近書きたくなったのでポロリ。