束の間の休息
「虚お兄ちゃん、ですか?」
ミュゴス医師が帰ったのちに、レナードの提案で飯にすることになった。その提案に従い、レナ、アルシャナ、ザイラス、真優の順で最後に部屋から出た。その時に虚の目にある女性が目に入った。
目を潤ませながら口元を押さえる姿は、虚が最後に見た時と少し違うが紛れもなくレナードの妹、ルナマリアだった。驚いたようにそういったルナマリアに虚は懐かしさを感じた。
「ルナ、元気だったか?」
虚が声を掛けるとルナマリアは勢いよく飛び込んみ抱きしめる。
「なんでここに居るんですか?」
「なんだ? 居ちゃいけないみたいな言い方だな」
「そんなことは言ってません! 言ってませんが……」
そう言って口をつぐむルナマリアの言いたいことは虚にも予想が付いた。地球では無い世界に居るのだ。
そう言いたくなる気持ちも分からなくはない。それにしてもよほどうれしいのかルナマリアの抱きしめる力が強く虚の体をギリギリと締め始めた。
「おいおい、力が強すぎるって」
そうたしなめた虚だったがルナマリアは言う事を聞くつもりなないらしく、顔を胸板に擦り付けて何故か匂いを嗅ぎ始めた。そんな状況だ。あばら骨が軋み、顔色が悪くなっている事など気付く事などないだろう。もう限界だ、と背中をタップしても一切気にした様子はない。
「ルナ、そろそろ離してやれ。虚の顔色がそろそろ青くなっているぞ」
レナードにそうたしなめられてようやく気付いたように慌てて体を離した。
「ごめんなさい。つい嬉しくて、虚お兄ちゃん怒ってませんか?」
感動の再開の最中、血が止まって大変でしたなどとは言えない虚は「うん……、大丈夫だね」としか言えなかった。
「それはそうと、虚お兄ちゃん。何か匂いが変わってますけど何かありました?」
突然、そんな事を言いだしたルナマリア。何かが違うとルナマリアは首を傾げて不思議がる。
先ほどのやり取りで何か虚の身に起こった事を察知したらしい。
「ああ、まあ色々な」
「そうですか。では、その女性は誰でしょうか」
その視線は真優に向けられていた。
「そのような事があったのですか! しかも先輩にあたる方とは。言われてみれば確かにクロスローズでそのような伝説があったような気がします」
と次々に運ばれてくる料理の合間、ルナマリアが声を上げた。それを目線だけで非難するランフェイは非の打ち所の無い流れるような動きで淀みなく皿を配膳していく。
「僕は伝説の存在なのかな」
「いや、失踪か事故の被害者。事件の話が女学校で残っていただけだな」
思い返しても伝説などが残っていた気はしない。むしろ、居なくなった女学生の奇行は割と話は残っていたが。言わないようにするのが優しさだと思う。
「すいません。もう500程前の記憶なので」
「むしろそこだ。なんでこの世界と地球とでそんなに時間の齟齬が在るかって話だ」
話の流れで、時間の齟齬に気が付いた。虚の中では数年前の話が400年、500年とずれていた。
ファンタジー過ぎるだろうと言ったが、レナードに言われた「異世界の吸血鬼が日本で学校に通って同じ家に居たのに今さらファンタジーと言われてもな」の発言によって虚は口をつぐんだのだ。
確かにその通りである以上、何も言えなかった。
「で、僕を発見した虚君が僕を助けてくれた訳さ。しかしなんで虚君もあんな訳の訳の分からない場所に入り込んだのか。謎だね。かなりの間抜けと僕は思うけどね」
「ブーメランが突き刺さってるからな。その発言」
「んんっ、それは何と言いますか虚お兄ちゃんらしいと言いますか」
「失礼ながらルナマリア様。それは少々虚様に失礼かと」
ランフェイとルナマリアの会話が続く中、皿の上に目を落とす。皿に乗っているのは何かの肉を焼いたステーキだと思われる肉の塊だ。何故ステーキと言い切らないのは、肉塊が十五cm四方の立方体だからだ。
どうやって食べたものかと悩んでいると、横に座っていた真優が脇腹を突いてきた。何事かと横を見た虚は非常に困惑した顔で困り果てている真優の顔が飛び込んで来た。
「虚君、これどう食べたらいいんだい?」
その疑問は非常に良く分かるし、また真優に同情すらしてしまう。真優も同様に皿の上に焼いた肉塊が乗っているのだ。それも虚と同じ量だ。切り分ける事無くそのまま載せられた肉塊。手元にはナイフもフォークも無い以上真優の疑問も当然と言える。
そもそもだ。俺と同じ量出すか普通。
困惑気味の真優は「そもそもなんでメインが先に出てきたのかが分からないね」と言う始末である。
問題点はそこではないような気がしないでもないがそこが気にかかっているなら虚には特に問題はない。
「メイン云々は知らん。食いたかったからじゃねえの? 後、多分目の前で切ってくれるから気にすんな。
切り分けて貰った後は手で食べるなりあーんしてもらうご自由にどうぞ」
「君ね、そんなこと言うけど虚君の手元にも何もないじゃないか。どうするのか非常に気になる」
真優もそんな事を言いながら目線は常にランフェイの動きを捉えていた。
そのランフェイは各皿の肉を手ずから切り分けている最中で在りながら、アルシャナやザイラスの飲み物のオーダーまで見事にこなしている。
「そういえば虚。我々が居ない間は食事はちゃんと取っていたか?」
「ああ。食ってた食ってた」
「いえ。レナード様もご存知の通りです。何かに熱中し始めると何も食べなくなるので私が軽食をご用意させて頂きました。真優様も同様ですね。アルシャナ様やザイラス様も説得なさったのですが聞く耳を持たぬところなどよく似てらっしゃる」
サクサクとあっという間に切り終わったランフェイが優雅に一礼した。出来ればいらない事は喋って欲しくなかった。
「それ言うか。ランフェイ」
微笑んだランフェイはレナードの分も切り分けようとした直後。
「ランフェイ。そっちが切り分け終わったらのなら、飲み物のお代わりを頂戴」
「畏まりました」
アルシャナに言われたランフェイは一礼して部屋を出た。これほどの家なのだ。きっと何か金持ちめいたワインセラーなどがあるに違いない。むしろない方がおかしいと思う。まあそれはともかくとしてまず聞かなければならに事がある。
「なあ。レナ」
「コース料理ではないから好きなものを言え。ランフェイが作ってくれる。私が完全に箸派なのでナイフやフォークはそこに立っているメイドのメズに頼んでくれ。虚。後ろだ」
言われて後ろを見てみると。そこには確かにメイドが立っていた。金髪碧眼巨乳。メイド。縦ロール。
横には食器類を乗せた台車。目が合うと微笑んできて、何と無く居心地の悪さを覚えて横を見ると真優も同様な顔でこちらを見ていた。つーかお前も観てんのかよ。
「なあ。レナ。お前の趣味か?」
「残念ながら違うな。本人の趣味だ。メズ」
「はい。旦那様」
名前を呼ばれたメズ、というメイドはすぐにレナードの言いたいことを察したのだろう。直ぐに行動を開始する。流れるような動きで虚と真優の目の前に箸を出した。その動きには目を奪われてしまう。
「考えが至らず申し訳ありませんでした」
そう言って頭を深く下げたメズはその場で固まったままで止まってる。
「ああ、いいよ気にすんな、な。真優」
「そうだね。気にしないで欲しい」
そう言われたメズは頭を上げて元の立ち位置に戻っていった。そもそも特に気にしていなかったのでそのまま箸を手に取って肉を口に入れた。その瞬間。舌が痺れるような感覚と、その後に襲ってきた鼻に抜ける痛み。これは。
「ワサビ! ワサビだよ虚君!」
「ああ、これはちょっとびっくりした」
異世界にもワサビがあるのか、そう思いレナードの顔を見ると悪戯が成功した時の様にクツクツと笑っていた。ルナマリアも同様にだ。
「この世界にもワサビがあってな。ちなみに醤油もある」
「さすがにちょっと都合が過ぎないか?」
「そればかりはな。そう言われても困るが、まあ強いて言えばこの世界に居る異世界人は何もお前達だけではないという事さ」
ああ、納得したと真優がうなずいた。
「成程ね。お約束ってやつかな? こっちにも召喚だったり、転生したりがあるという事かな」
「そうですね。こちらにも異世界からいらした勇者様や転生して新たな人生を全うされる方が居ます」
「という事はお決まりの神様もいるという事だね」
真優とルナマリアの会話を聞き流しながら考える。これからの事だ。なんにせよこの世界で生きるには身分が必要なはずだ。それをどうやって手に入れるか。やはり冒険者という道がある以上それに越したことは無い。ザイラスやレナ―ドとの会話から察するに身分の証明する手立てがない者でも簡単に身分が手に入るというなら手に入れないという選択肢はない。
「やはり冒険者になろうとしているのですか?」
考えにふけっているとザイラスがそう聞いてきた」
「ああ、まあな。そうなろうと考えてる」
「やはり僕はお勧めできませんが」
「やっぱ、魔術がネックか」
やはりそこなのだ。ザイラスがそういうようにやはり魔術は欲しい。だが、無いものねだりは出来ない以上そこら辺は真優に頼るしかないか。
「あら、そんなことは無いですよザイラス」
あらかた考えが固まった辺りでルナマリアがそんな事を言った。何故か誇らしそうな顔をしているのが不思議だが、言葉が続くのを待つ。
「冒険の大公と呼ばれるレナードお兄様に冒険を教えたのは虚お兄ちゃんですから」
「という事は、虚さんがシュガーホロウですか!?」
アルシャナが驚いた顔でこちらを見たが、こちらも驚きだ。シュガーホロウってなんだ。直訳するとサトウウツロでビックリだ。そんでもって痛々しい中二ネームを持った記憶が無い以上別人だと主張したいがレナードが「そうだ」と肯定した以上否定が出来ない。
「なんで虚君まで驚いてるのさ」
「真優。そう言うな。俺は今余りの事に驚いています」
「なんで英語のテキストみたいなしゃべりかたなんだい?」
知るか。だが、もう何もかもが遅い。アルシャナやザイラスはキラキラした目でこちらを見ている。
「ホントに居たんですね」
ザイラスがそういうが何がと聞いたかった。
「では、ウツロさんは妖精なのですか?」
アルシャナの謎の問いかけは意味が分からないが、取りあえず違うと答えると「では」とアルシャナは続けた。
「おじい様を含めた32人の勇者様が神様に特別な才能をもらって世界を救ったというのは本当でしょうか」
「あー、うん。それは本当。実際は勇者でもなんでもないからな。どうせおおかたレナが子供向けに話を改変したんだろ」
「なんだ。良く分かっているな」
こうやって夜は更けていった。