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空腹人狼からの逃走

 名前が分からないという少女はずいぶんと気まずそうな顔をしていた。当たり前だろう。普通自分の名前など分かって当たり前のことだ。が、彼女にはそれが分からないというだから。


「本当に分からないのか」

 確認のために聞いたが少女は寂し気な笑みを浮かべて吐き捨てた。


「本当さ。こんなことで嘘ついてどうすると言うんだい」

 もうこの時点で虚からしてみれば笑える話だった。


「マジかよ。どうかしてんな」


「ふふん。どうもと言うべきかな? まさか意味不明な叫び声をあげていた君にそんなことを言われるとは思わなかったよ!」


 憤慨したように言う少女は近くに転がっていた小石を虚に投げて叫んだ。幸いにして当たる事は無かったが壁にあたり転がった石はからりと転がって後はわずかに反響音を残した。

 呟くように、語り掛けるようにでも誰にでもなく、ただ自分に言い聞かせるようなそんな言葉を

少女がこぼす。

 


「……、最初ここに来た時には確かに覚えていたはずなんだよ。でもね、判らなくなったんだ。いつからここに居て、自分が今何をしているかそんな生活だった。生活だったっていうのもおかしい話だね。実際には何もしてないから。そんなうちに自分の名前すら判別できなくなってしまったよ。知ってたかい? 暗い場所に一人で居る時、名前は必要ないんだよ。だって名前っていうのは他者と己を判別するときに使うんだ。

だからだと思うよ」


少女の言う『だからだと思う』にどれだけの思いが有るのかは想像に難くないが、それでも口が裂けてもそのような思いをした事がない虚が肯定できるようなものでは無い。

 だからといって、そうだね分からないね。などとも言えない。ただ虚が出来ることは可能性を探る事だけだった。

「なあ、その制服さすげぇぼろきれになってるけどさ、聖クロスローズのやつだろ」


だから見覚えのあるものから探っていくことにした。それは虚にとって非常に見覚えのある制服。

創立200年を数える伝統と格式を兼ね備えた有名な女学校。なぜそんなことを知っているかと言えば見ていたからだ。3年間もの間毎日と言って良い程に。妹と言っても過言ではないほどの幼馴染が来ていた制服だ。彼女は常に胸のポケットに学生証を入れていた。


「胸のポケットに学生証入れてないのか?」


「成程ね、中々に良いアイディアだと思うよ。ポケットが破れてさえなければね」


言って指さした先には成程確かにあるはずのポケットが無い。少女が頭を振って「もういいさ。僕が誰だって困りはしないんだから。それよりも」


と続けようとするがそれを遮り微かに引っかかる違和感を必死に追った。


何かが引っかかる。虚の思考にわずかに、だが確かにわだかまる靄にも似た違和感の欠片を丁寧に拾い、あわせていく。過去の幼馴染たちとの会話。過去有ったとされる事件それらを必死に探った。


「失踪して、誰も探さない訳はないんだ。失踪? じゃあいつからだ? いつ」


考えて、考え至った。ただ信じられないような答えでこれが真実ならばこれまで培われていた常識という常識が全て打ち壊されてしまう程に非常識極まりない。


「まさか、神隠しか……? いやでも待て待て待て。あり得ない。そんな筈はない」


至った答えが二十数年前にあったという。神隠し。虚自身も高校生の身で在りながら本気で探し、追った怪奇譚だ。探した結果、四方山話だと自分自身で結論づけたあの話。仮にあの話が本当だったとして。


「いやいやいやいや、それはおかしいだろ。人間飲まず食わずで二十年も生きてけないだろ」


 今さらのような言葉。考えないようにしていたがその結果現実を突きつけられ急に汗が噴き出してくる。冷えた汗が背中を伝い虚の身体を震わせた。居心地悪げに少女は虚を見ていたが耐えきれなかったようで、心配そうに「大丈夫かい? 顔色が悪いようだけど」そう言った。


 自分を心配してくれる少女を見やる眼はどうなっている事だろう、と虚は思う。だが思うだけである種の恐怖感を虚は抑えきれなかった。この少女は、本当に生きているのか。もしかして幽霊の類ではないのか。

そういえばなんか、虚の居た集落周辺および周辺都市部で幽霊と思わしき目撃証言があったような気がする。そうなって来ると全てが疑わしく、とある考えが浮かんだ。

「なあ、お前さ」

声が微かに震える。


「生きてんのか?」


「さあね。でも足がついてる。何なら触ってもらっても構わないよ? ほらこの通りさ」


 少女はそういうと足を見せてぶらぶらと左右に振った。「あ、でも」と顔をそむけた。


「なんだ、何か心当たりがある事でもあるのか。死んでるんだな? そうなんだな? 俺は今幽霊と話をしてるんだな?」


「何でそんなに僕を殺したがるんだい? 殺し屋なのかな君は? そうじゃないのだけれど、おかしな話僕は外の世界を知っている。というと語弊があるのだけれど、僕の知ってる世間というももからはかなり乖離した世界になってるね。なんて言うのかな、こう進化した世界というか、進歩した世界というのか、がらりと変わっているのは知っているよ」


 何か隠したように言い淀む少女は、これ以上ないくらいに顔をしかめた。整った顔立ちが残念だな、などと思っていた考えを打ち砕くものだった。


「実は外に出たことが有る」

「マジか!」

「誤解をしないでくれたまえよ。こんな状況だからね、実際に出た訳じゃない。なんて言うのかなこう夢の世界で、というか確かに外に出ていたのだけれどふと気が付くと僕はここに居る的な事さ。多分それが君が怯えていた理由じゃないかな? 幽体離脱ってやつさ」


「じゃあやっぱお前じゃん!」


そういうと何かしら思ううところがあったのか。はにかんだ。


「いや、まさかそんな話になっているとは思いもよらなかったよ。何せずっと古代人もびっくりな穴倉生活だからね。有名人なってしまった」


「怪奇譚だよ!」


「どうしようか、サングラスとかマスクとか持ってない」


 能天気にそんなことを宣う馬鹿に虚は一気に脱力してしまい、地面に転がった。





「で、本当の所何か僕について心辺りが有るんじゃないかい」

 

 一通り馬鹿話をした後、不意に真面目な口調で少女は言った。見透かしたような、ある種の確信を持ったような、そんな口調。


「ああ、それな、それは……ある」


 有る、どころではなかった。虚の中で疑惑に満ちた憶測だったに過ぎないものは既に確信に満ちた結論に至っていた。間違いない、疑いのしようもない程に。何より今まで集めていた情報による確定が大きかったと虚は考えていたが、それは間違いないだろう。


 こころなし、洞窟の空気は張り詰め、緊張を孕む独特な空気を醸し出していた。


「お前の名前は弓狩真優 (ゆがりまひろ)、こっからちょっと山を下って歩いた所にあったお屋敷の令嬢って事になるな」


 大して声を張っていないはずの虚の言葉は、静まり返った洞窟内にいやに反響し重なっていく。


「ここら一体の土地の大地主の家だ。間違っても絶対防御の乙女なんてとち狂った痛々しい名前じゃない」


「あった、って事はもう無い、もしくは無いに等しいような憂き目にあってるってことかな」


「察しが良いな。没落して細々とした生活を送ってるよ。元々旧華族の家系だから落ちても気位だけは落とさないもんだから鼻つまみ者だけどな。何とか残ってるには残ってる。お前の妹が家を継いでるがどうにもなりそうにない。前御当主の口癖は、お前が居たなら家は落ちなかっただ。笑える話だ。妹の立つ瀬がねぇ。つまりはお前は世が世ならお嬢様学校出のエリートで、家を守って、なおかつ更なるお家の繁栄させるはずだった天才少女だった、って訳だ」


「仮にもその本人を前にえらい言い様だね。というか、絶対と言い切っても良いけど僕が居たとしてもそんな事にはならなかったと思うけどね。時代に抗っても飲み込まれるだけだろう。言っちゃ悪いけどそういう運命だったのさ。多分そんな押しつけがましさが嫌で家を出たんじゃ無いかい? 僕だってこんな性格だ。

お家の為より自分の為さ。おあいにく様だし、ざまぁみろと言っても仕方ないんじゃないかい?

まあ、結局は他人事のように思えるし。記憶があいまいだしね、その話が本当かどうか僕にはわからないけどまあその妹さんには、ご愁傷様としか言いようがないけどね」


 肩を落とした少女ーーーーーーもとい、真優は肩をすくめて笑って言った。あくまでも他人事そう言い切った真優は申し訳程度の同情と、同情に有り余る毒を吐く。と、唐突に真優は服を脱ぎ始めた。


「おい、何やってる」


「ああ悪いね。まあちょっとの間、後ろを向くなり、目を背けるなり、見つめるなりしていてくれないか」


そう言い切って特に何も気にする事無く脱ぎ勧める真優に困惑した虚はどうするべきか迷うが視線は真優に固定されたままだった。シュルシュルという衣ずれの音が進んで、そして。


 およそ、少女の体に刻まれて良いようなものではない痣が痛々しいまでに付けられていた。何より、下着、ブラジャーとごく一般的に呼ばれるものが、あってないような状態でおよそ機能していない事は一目瞭然だ。気付いているのかいないのか。気付かないはずはないだろう。が、真優は一切気にせず虚の顔だけを直視し続けた。



 不味いだろう。非常に。左の胸がまろび出た状態。小ぶりながらも存在感を主張する乳房にくっきりと付けられた青黒さの目立つ痣。日に当たって無い為か病的ともいえる白さのアンバランス差に息が詰まった。 


絶句。


 まさか、こんなものを見せられるとは思いもしなかった虚は即座に言葉をかけることが出来なかった。


 何故、こんな痣があるのか、転んだだけじゃないのか? いやこの話の流れでそれは無いはずだ、だがこれは余りに。そしてなぜ下着が壊れているのに見せようとしたのか。虚にとって分からないことが山積みだ。だが、あえてそれを追求する勇気はないが指摘しないのは人としてどうなのか。意識して痣だけに集中する。


 至る所に点在する痣は何か棒のようなもので叩かれなければ付かないほどの青黒い物が上半身だけでも両手の数では足りない。この分では下にも同じような痣が有るだろう。


「この洞窟に落ちてからはこれほどになるまで転んだ覚えがないからね。多分ここに来る前の物さ。

だとするなら、これは誰に付けられたのかな。学校でいじめにでもあったのかな? ここまでになるまで叩くとは思えないけどね。じゃあどこだろうね」

記憶がなくなっても身体に蓄積された経験は消えることは無いというが、それに近い物が有るのだろう。

 真優に唐突な質問を受けた虚は、考える。


 いじめ。いやありえないだろう。あの女学校はそのような仕打ちを黙って見ているような場所ではないと言っていた。じゃあ、どこだ。


「分からないかい? 話の流れを追ってみれば辿り付きそうなものではあるけれど、あえて考えないようにしているのかな? まあいいや。ヒントその一。僕は記憶を失っている。ヒントその二、僕は冒険や謎解きが好きだけど今まで行った場所や考えてきたことは覚えている。ヒントその三、僕はなんで上の池に来たのかな? これに関しては僕の趣味が近いかもしれないし、たまたまかもしれないけどその時の心理的な状況を鑑みれば見つからない場所が好ましかったんじゃないかな? ヒントその四ーーーーーー」


「心的外傷後ストレス障害、通称PTSD。ようはトラウマだって事か。

憶測に過ぎない事だが、迷信や謎解きや不思議が好きな少女が、親に暴力を振るわれて心を痛めて山に入り人知れず命を絶とうとしたがなんかの拍子でここに来た、って事かよ」


「そこまでの事はわからないけれどね。心を閉ざしてる状況なんじゃないかい。今の僕は。心を守るために。そう考えると割と辻褄が合うんだよ」


言いながら服を着ていく真優は、本当に他人事でまるで他者の心理状況を推測するかのように自分の事をそう言い切った。


「真っ暗な洞窟に訳も分からず落ち込んだからって事は、無いか」


 言いながら自分の上げた可能性の低い言葉を否定していく虚。それならば体中の痣の説明が付かない。しかし虐待からの物だとするならばとてもではないが正気ではいられなくなるほどの憤りが胸に渦巻いていく。


「胸糞わりぃ話だな。一発挨拶に行きたい気分だ。まさか娘に虐待とはな。何考えてんだ。良い家柄でそれが出てくるとミステリーっぽいが気分悪い」


が、ミステリー的な話に持っていくと両親を殺して、みたいなことになるのだろうか。どちらにせよいい気分の話では無い。

 虚のぐっと握った拳を見た真優は何処となく嬉しそうな表情を見せながらも、こまったような表情を見せた。が、すぐさま何を考えたかニヤニヤとし始め、それを不思議に思った虚は首を傾げた。

「出られらね。で、痣があるけれど割と良い物だったと思うんだけど」


突然、なんの脈略も無くそういう唐突にそんな事を言う真優に、虚は顔を背ける。理由は単純でバツが悪いからだ。

 何が。とは聞かなくても分かる事だが、真優はわざと保温シートの前を抑えるようにして身を守りながら意地の悪い事に虚の近くに、にじりよってきて枝垂れかかった。


「僕のか・ら・だ」

妖艶に言ったつもりなのだろうが声が笑っている為に冗談だというのは手に取るように分かった。だから虚も冗談で返す。


「5点」


「酷い! 乙女が体を晒したんだよ? もしかして照れてるのかい? あ、あれだ。5点満点中の最高とくてーーーーーー」


「100点満点中に決まってんだろ」


「鬼!」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






そんなやり取りが続き、真優が頬を膨らましてすねた頃。虚はずっと思っていたことを尋ねた。

 

「なあ、この洞窟に広がりが有る訳だ。つまりは道って事だが、行ったことはあるのか?」


幅はそれほどでもないが落ちてきた場所から伸びる唯一の一本道がぽっかりと開いた闇に飲み込まれているという事。それについて虚は聞いたのだが。


「知らないね! 知ってても教えてあげないね!」


 先ほどの会話を終えてからというものずっとこんな調子の真優は、うずくまって顔を隠していた。

何故こうなったかを説明するまでもないが、単純に下着が壊れていてなおかつポロリしたことを指摘しただけなのだが、結果こうなった。自らの身体がどうこう言っているのだから多分知っているものだと思い、つい確認しただけなのだが、真優は気付いていなかったようだ。正直なところ、気付いていないとは考えて居なかった。変態的露出趣味という真優の特殊な性癖なのだと思って許容したのだがそれが間違いだった。


「虚君。君にはどうやらデリカシーというものが無いようだね。何故目を反らさなかったんだい」


 地獄の底から響くような低い声。冷や汗をかきながらも対応する事で事なきを得たがそれからずっとこのような調子だ。



「いい加減なこと言ってんじゃねえ。自分から見つめるなり好きにしたらどうだつってたじゃねえか。つーか減るもんでもないしいいんじゃねえ? 気にすんな。俺も気にしねえよ」


ビクリ、と身を震わせて真優は顔を上げると耳まで真っ赤に染まった顔を晒す。


「い、いいかい? それは見た側からの意見で有って、見せた側に通用すると思ったら間違いだよ」

 もはやどうしろというのだという諦めににた感情が虚の中に湧きあがる中、閉口していると不意に暗闇の奥の方から物音がした。 

 何かが小石を蹴ったようなそんな音。何が居るのかは暗く見ることはできないが確かに音がした。


「なあ真優。ここには俺たちだけじゃないのか?」


「いや、厳密に言えば違うね。居ることは居るけど」


先ほどの虚とは違う雰囲気を感じ取った真優はすねる事無く答える。だが何か含みを持たせるような言い方は何か心をざわつかせた。


「しまった。忘れてた」


「何をだよ。何を忘れてた。まずいのか? やばい事なんだな? そうなんだな」


 足音が近くづく中、真優は同意することなくあわただしく立ち上がると辺りを確認しだした。



「何やってんだ」


「隠れられそうな場所を探してるんだよ」


 そうは言っても洞窟内では身を隠すような場所は無く、何者かの気配はすぐそこまで感じ取れるまでになっていた。

足音はもちろん、その息遣い。人間のそれではない、何か獣じみたようなそんな短く発せられる呼吸音は、すぐ近くまで近づいていた。


「あのね。よく聞いて欲しいんだ虚君。厳密に言えばいないことも無いなんて言ったけどさ。あれ、人じゃないんだ。もっと言えばそうだね。限りなく獣に近いけど括りとしては人にならなくもない、かな」



「そうだろうさ。皆まで言うな。もう見えてる」


視線の先には濃い体毛に覆われた二足歩行の獣。仄かなランタンの赤に照らされ浮かび上がった姿は狼と人を掛け合わせた姿に見える。正確には人間大の狼が大きく背を曲げて立っているの方が正しいだろう。その獣はじわり、と距離を詰めた。わずかに湿り気を帯びた唸り声が示すのは威嚇。多少でも身動きをすれば即座に飛びかかろうとする捕食者の声だ。


「僕はいつもコレが来るたびにじっと岩の陰にうずくまってじっとやり過ごしていたんだけれど今回はそうもいかないみたいだ」


「これさ、人狼って言わない?」

喋りながらも視線だけは獣から絶対に外さない。ヤバすぎた。

 虚が断言に近い疑問を真優にぶつけた直後、弾丸の如く駆けだした獣の突進を真優を突き飛ばし左右に分かれることで避けたが質量をともなった風に引きずられその勢いで転んだ。


 声も出せないような緊迫感の中、獣は躱された事に気付き壁を蹴って即座に体勢を整える。得物を仕留めようとするその大きな顎が開かれ鋭い牙の間から粘度の高い液体が糸を引き零れ落ちる。


「どうも僕達をご飯にしたいようだね」


冗談ではない。まるで自らをペットフードか何かのようにいう真優に対して虚が取れる唯一の行動は逃げる以外にあり得ない。



「なにボサッとしてる! 逃げるぞ」


 荷物と共に真優の手を取り一気に洞窟の奥に走りだした虚は真優が遅れるのを構わずにグイグイと引き全力で走る。


「ちょっと待ってくれないかい! 逃げたって結果は変わらないよ」


「馬鹿言ってんじゃねえよ! あんなの相手に逃げる以外の行動をどうとれっていうんだお前は。

立ち止まって仲良く胃袋に収まるかってのか?」


「そんなことは言っていないじゃないか! ていうかなんで君はちょっと笑っているんだい!」


「ああ? そんな風に聞こえたか? じゃあそいつは聞き間違いだ」



 息が上がり始めた真優の言葉に対して虚は適当に返してどうすれば良いのかを考える暇もなくただ走る。

闇に紛れた事によって真優に見られることは無かったが声でバレたのだろう。

実際、虚の口角は僅かに上がっていた。この状況に対して理不尽な状況に対しての怒りからくる嗤いと恐怖による諦観からの笑い。そしてわずかな期待からくる笑い。


 今まで見た事も無い生物に追われている。それはこの何もかもが異常なこの状況下に置かれた時から虚の中にあった隠しようもない期待感。何が起こっているのか。今まで想像し、期待し、だが自分にはあり得るはずが無いと諦めていた『何か』に出会えた事に歓喜するどうしようも無く、心から湧き出る言葉に出来ない『何か』なのだから。

今まで必死に隠していたそれが予想だにしなかった事態に見舞われて露わになった。


 まさか期待とは裏腹に全く期待していないどころか願い下げの腹ペコモンスターのお食事のメインに大抜擢で突撃ご招待だとは思って無かったし、これ以上の『何か』を願う以上ここで喰われる訳にはいかなかった。ゆえに真優の手を引き続け、暗闇を走り続ける。

 


 どれ程走ったか分からないというのは辛いものがある。距離も分からなければ時間も分からない。

何分かもしれないし、何時間かもしれない。その中で獣の声はずっと付かず離れずの距離を保つ中、真優の息もかなり限界が近づいていた。そんな中、虚はずっと考えていた。

 明かりを置いて来てしまった以上ほぼ手探りでの全力疾走だが、奥は思ったよりも広いのぶつかることも無かった。


それが問題だ。


 何で一切曲がる事無く走り続けているのに何にも当たらないんだ? そんな疑問が湧きあがる。


 そんな洞窟が有る訳はない、と虚が訝しむ中、繋いでいた手が離れた。荒い息であう、と声を上げ地面を滑る音が虚のすぐ後ろで上がり真優が転んだのだと気が付いた。


「大丈夫か、すぐ立てるか」


見えないながらも虚は転んだと思わしき場所にしゃがみ手探りで抱き起す。かなり消耗が激しく息も絶え絶えで真優は首を振って「もう無理」とだけ短く呟いた。



 相手は獣。逃げ切れないという事は分かっている。隠れても無理。今は逃げられているがいずれは捕まる。逃げた所であの獣の瞬発力をもってすれば開いた距離など一瞬で縮まり喰われるのだろう。しかし一向に差は縮まらないが逃げ切れるという事も無い。その証拠に虚達の音に混じって獣独特の息遣いや足音が聞こえていた。

 

 遊ばれている。それが純然たる事実であり、虚には打つ手はない。

もし遊ばれているのではないのだとすればそれはこちらが弱るのを待っているという事になる。しかしながらこの暗闇の先が出口に通じているという確信は何一つないし、ただ走っているだけという結果だ。

そんなことは虚だって分かっている。それでも逃げないという選択は無かった。


 ふ、と気が付いた。ただの気のせいかもしれないし思い過ごしかもしれないが、足音が増えている。

思い過ごしで有ってくれという淡い期待に顔が引きつるがやはり期待は期待。

足音はまじかで止まり暗闇から3匹に増えた獣が唸りを上げていた。


 今まで感じていたどうしようもない焦燥と無力感など生ぬるい絶望感に虚は「チクショウが」と知らずこぼしていた。

逃げ場がない。 打つ手がない。ついでに言えば希望もない。ないこと尽くめてもはや笑えてくる。

ついてない。


「ほんと増えるとか無しだろ」

自分でも何がおかしいのか判らないがただただ笑えて仕方なかった。今にも死がやって来るというのにそれすら嗤える。

ゲラゲラと腹を抱えて笑っている虚の姿に気が付いた様子の真優は顔を上げず「何か良い事があったのかい? 出口が見つかったとか」と未だ息が上がりつつも少し期待が見て取れるそんな声。


「ああ、立派な出口だ。人生のだけどな」


「それ出口じゃ無いじゃないか」


「そうか? お見送りが3匹に増えてるぞ。VIP待遇だぜおい」


「それはぞっとしない話だね。」


 言うが速いか、真優は荒い息のまま右手を広げそのまま人狼に向けた。どこか余裕さえ見受けられるその口元には僅かな笑みが浮かんでいる。


 一瞬ではあったがその目が、澄んだ青色に発色したように見えた。


「ふう。どうだい。これで大丈夫だと思うけれど」


「お前さ、何した?」


 問う虚の声がわずかに震える。


「目、今光ってなかったか」


「それは分からないけれどまぁ、色々なんて言えればカッコいいんだろうけど生憎残念ながらワンアクションしかしてないね。それは」


「それは?」


「まあ見てれば分かるさ」


真優がすぅ、と指さした先を見ると、そこにはこちらに飛びかかろうと殺到しているが、何かに阻まれ涎をまき散らしながら暴れる獣の群れが居た。まるで何か見えない壁に阻まれるかのようで、というよりは間違いなく何かに阻まれている。

 

 にひ、と笑う真優はどうだと言わんばかりの目を向けてきたがどういって良いのかが分からない。

「ナニコレ」


「言っただろう? 絶対防御の乙女だって」

 酷く見えずらいが獣を阻んでいる何かは、時折ではあるが僅かに光っている。それは真優が手をかざした瞬間に目が発光した時と同じあの淡い青色。それが獣の行く手を遮っている。壁だ。

 虚には何をが起こったのかは判るが何をしたのが判らない。が、判らなくとも現状を打破する手だてが付いた事には変わりない。チャンスだ。


「そんな便利なことが出来んなら先に言えってんだ」


「それをさせる前に君が僕を引っ張って走り出したじゃないか」


「そうだっけか?」


「君適当過ぎるだろう」


「お前超能力者かなんかかよ。後でなにしたか教えろよ」


「話を聞く気はないのかい?」


「現状を切り抜けたらな」



 後ろに壁一枚? で腹ペコモンスターが待ち構えている以上戻ることはできないしそもそも戻る気も無いのだが、取りあえず真優を立たせて先に進む。相変わらずの暗闇だが防ぐ手段が有るというのは精神的に大きい。その分だけ余裕が生まれるからだ。



「え?」


 その油断ともいえる余裕が悪かった。気を抜いたのは一瞬。その僅かな間に岩の壁が歪に裂けた。眩いっ光を放ちながら大きく開いていく。

まるで生きているかの如く口を開けたように感じられるほど自然に。その裂け目から何かコードのようなものによって一瞬にして体を絡めとられる。

「虚君!」


 引き込まれる虚が最後に目にしたのは、必死の形相で手を伸ばしながら叫ぶ真優だった。


 


 

 

遅くなってしまいました。次回で序章終了です。

いつまで序章やってんだって感じですよね。

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