日本語変更?
2071年9月6日
日本語がなくなるらしい。
正確には、「なくなる」というよりも「かわる」といった方が良いのかもしれぬ。
だが我々日本人にとって、日本語とは今現在使われている言語のことであって、それが新しく取って代わることは、「日本語がなくなる」ということとなんら変わらない。
新たに生まれ変わる言語が日本語であるなどと、どうして認めることができようか。
それは他国から押し付けられた文法を元に作られた言語様式なのであって、例え、政府が日本語であると認定したところで、それは変わらない。
日本語がなぜなくなるのか、詳しいことはまだわからない。
わかっていることといえば、米国やEU加盟国らが日本に公用語の変更を求めていて、政府はそれに応じる予定であるということだけだ。
日本語がいつなくなるのか、公用語がどのような言語になるのかもわからない。
早く知りたいが、知るのが怖くもある。
2071年9月10日
昨日、日本語がなくなる理由を知った。
甥から聞いたのだ。甥は新聞記者をしていて、信憑性の高い情報だという。
日本語がなくなる一番の理由は、その難解性ゆえだ。
例えば、英語の「 I 」という言葉。
日本語では「私」だけでなく、「僕」「俺」「わし」「わい」と多数存在する。英語であれば「 I 」だけで済むのにも関わらず、だ。
我々にとってそんなことは当たり前のことであるのだが、外国人が日本語を覚える際には大きな障壁となるという。
甥は他にも、今の日本語が外国人にとって、いかに難しい言語であるかということを熱心に説明してくれた。英語を始めとする多くの言語と文法が異なること、ひらがなだけでなく漢字やカタカナが含まれていること、などだ。
しかし、だ。
そんなことは知ったことではない。
外国人にとって日本語は難しい。それがどうしたというのだ。
難しいなら覚えなければいい。
どうしても覚えたいのなら、難しくても頑張って覚えればよい。現に、日本語を流暢に話す外国人を私は何人も知っている。
日本語が難しいから覚えやすい言語に変える、そんなことがまかり通るはずがない。
だが、甥によれば、そういうわけにもいかないらしい。
知っての通り、二十一世紀に入ってから日本は少子化による人口減少に歯止めがかからなくなり、二十年前の国勢調査では、人口は八千万人を割り込み、六十五歳以上の高齢者が占める割合も三十九パーセントに達した。
わずか半世紀の間に四千万人もの人口が減り、高齢化率は倍以上増えたわけである。
日本の労働者人口の減少は当然の帰結として、年金制度の破綻を引き起こし、十六年前の2054年にはついに、日本国家の財政破綻という最悪の結果をもたらした。
そこで政府は十四年前から米国の指導の元、外国人の大量受け入れを敢行することとなった。空き家の無償提供や税制優遇などの措置によって、大量の外国人が日本へ移民してきたのだ。
そのおかげで、今や日本の人口は九千万人にまで回復、高齢化率も三十四パーセントにまで減少した。一方、日本の外国人比率は三十パーセント近くなり、労働人口の半数近くを外国人が占めるようになった。
外国人の大量受け入れについて私は賛同したわけではなかったが、致し方ない部分もあった。
人口減少を食い止め国家を立て直すためには、それしか残された道がなかったのだ。
治安の悪化などの問題点については当然の副作用として受け入れるしかなかった。
しかし、それが公用語の変更という結果をもたらすとは、思ってもいなかった。
今、日本にいる三千万人近くの外国人の中で、日常会話レベルの日本語を話せるのは四割に過ぎないという。
その理由が日本語の難解性ゆえだ、と移民外国人は主張しているのだ。
そして、それがゆえ、日本語の変更が政府に求められるようになった。
前述した通り、日本の労働者人口の半数近くを外国人が占める。その外国人の多くが日本語を話せないとなれば、日本経済にとっても大きな足枷となる。
そのためか、日本企業、さらには政府までもが日本語の変更には肯定的なのだという。
甥から聞いたことをまとめると以上のような内容になる。
なんとなく理由はわかった。
だが、もちろん納得できるものではない。
日本人は「日本語の美しさ」を忘れたか。
日本語の美しさや歴史に比べれば、そんなものは日本語を潰す理由になり得るはずはない。私は断固反対していく。
2071年9月12日
今日、無理を言って会社帰りの甥を自宅へ招いた。
あれから他に何か分かったことがあったか聴くためだ。
甥は今日も貴重な情報を教えてくれた。
まず新しい公用語についてだ。
新しい公用語については英語や仏語などの既存の外国語ではなく、かな文字を使った言語様式になるらしい。
それを知って、私は少し安堵した。
他国の言語になるのではなく、日本固有のかな文字を使う、ということだけでも幾分救われる。政府は、日本人としての誇りを少しは(ほんの少しであるが)持っていたようだ。
だが、漢字・カタカナについては廃止し、さらには、かな文字を使うといっても今の日本語の名残を一切感じ得ないほどに変えてしまう、というのには、納得いくわけもない。
そして、今の日本語の扱いについて、だ。
これについては、強い怒りを感じずにはいられない。
公用語が正式に変更となった暁には、今の日本語を使用することは一切禁止されるというのだ。
これは基本的人権にも関わってくることだ。と思ったものの、十六年前の財政破綻の際に、米国の勧告の元、憲法解釈の変更が行われたことを思い出した。
国家再建のためには表現の自由についても一定の制約を受ける場合がある、というような解釈への変更があったはずだ。
米国は既に、その時から公用語の変更を考えていたのかもしれぬ。
だが、日本語の使用を一切禁ずる必要性があるのか。私は強い口調で甥に訊いた。
どうやら、今の日本語の使用を禁じなければ新しい公用語が定着しない、という考えならしい。
私は怒った。
お前には新聞記者としての誇りがないのか。日本語の使用を禁じられるというのは、お前の仕事が根本的に否定されるということだぞ、と。
この時ばかりは、身体中から沸き起こる怒りを鎮めることはできなかった。
だが、甥は上の言うことを聞くしかない立場なのだ。甥に怒鳴ってもどうしようもないことである。
思えば、今日は私の誕生日であった。81歳になった。
現代の高齢社会においては、老いぼれというのにはまだ早い。だが、最近不可解なことが増えすぎている。
2071年9月20日
昨日の夜、ようやく日本語がなくなることについて、各種メディアが取り上げ出した。
昨日まで一切、それについての報道がなかったのだ。
報道規制が行われていたようだ。これまでも、私は報道がないことを不思議に思って何度も甥に確認していたが、記事にすることを上層部から止められているということだった。
こんなことは、百年以上前の戦争の時以来なかったはずだ。全くけしからん話である。
それだけならまだ許せるかもしれないが(いや、やはり許すことはできないのだが)、さらに問題なのは、メディアの取り上げ方である。
賛成する見方が大勢なのだ。
確かに、反対意見も報じられている。
しかし、それは反論するために作られた反対意見にすぎない。
公用語の変更を正当化するために作られた反対意見だ。
反対意見の後には必ず、それに対する反論意見が述べられ、改めさせていくのだ。
例えば、今日の朝刊ではこんなことが書いてあった。
『新しい日本語を作ったとして、果たして日本人はそれを覚えることができるのか。公用語の変更は無意味な混乱を招くだけではないか。』
その意見はこう反論される。
『新しい日本語は、今の日本語はもちろん、世界中のどんな言語よりも、簡略的な言語となる。それに、今の日本語から「がらり」と変わるといっても、使われるのは我々のよく知っている、かな文字である。
新たな外国語を学ぶのよりもはるかに簡単に、新しい日本語に馴染むことができるだろう。
確かに、最初は戸惑いがあるかもしれない。
しかし、今の日本語が使われ続けることの悪影響を考えるとどうだろう。
日本人と移民外国人間の意思疎通が充分にできていない今の状態は、様々なところに、大きな悪影響を与えている。
現に、警視庁は、昨年一年間の犯罪件数の約六割が日本人と移民外国人とのコミュニケーション不足から生じたものだと発表している。また、内閣府の調査では、上場企業の約九十七パーセントが、日本人と移民外国人間のコミュニケーション向上により業績は改善すると答えた。
今のことではなく、十年、二十年先のことを考えなければならない。財政破綻の際、我々はそれができなかった。
我々日本人は学んだ。あれから、日本人は変わったのだ。
今こそ、明るい未来のために動く時である。』
もはや、日本のマスメディアには、国家の暴走を止める力はないようである。
2071年9月21日
バーチャル草野球の仲間たちと、日本語廃止について意見を交わした。
チームには、七十八歳から百六歳までの十五人が所属している。
仲間の全員が日本語の廃止については反対していた。
だが、最年長の健一さんによると、日本語廃止はもうどうしようもないところまで来ているらしい。
「政府の決定事項だからね。覆ることはまずないだろう」
どっこいしょっと椅子に座った健一さんは歩行補助器を取り外し始めた。
「だけど、健一さんも公用語が変わったら大変でしょう?」
絢香は、握力増強装置の目盛り調整をしながら訊いた。
「政府は我々老人のことなんか考えとらんよ。考えるのはどうやって財政を立て直して、アメリカやイギリスの間接統治から抜け出すか、それだけだ」
「確かに、最近はそのための政策ばっかりですね」
チーム最年少の達也は呟いた。
「そう。我々が新しい日本語を覚えようが覚えまいが、奴らには関係ないんだ。要は、納税者の外国人と日本人の意思疎通がしっかりできるようになったら、それは成功なんだ」
「全く、住みにくい世の中になってしまったなあ」
達也の言葉に場の空気が重くなった。
「でも、納得できないな」私は口を開いた。「そんなこと黙って容認できるわけがない。日本語の歴史をなんだと思ってるんだ。財政再建よりも大事なことがあるだろ」
梨花さんは頷いた。
「そうよ。なんで財政再建ぐらいのことで、日本語を失わないといけないのよ。国民も国民よ。なんでもっと反対しないのよ」
「外国人が増えすぎたんだ」健一さんは歩行補助器をゆっくりとケースへ入れ、吐息を吐いた。「大部分の移民外国人は当然、公用語の変更に賛同している。そして、日本企業も、そこで働く人たちも、ほとんどが賛同しているということだ。学生たちは自分の考えを持たない。彼らは無意識に、メディアの意見と自分の意見を同化させてしまうんだ。メディアが公用語の変更に賛成すれば、彼らも賛成する。猛反対しているのは我々老人ぐらいだ。だが、いくら高齢者が多いといっても、老人が言うことはほとんど相手にされない。そういう考えだから、財政破綻を引き起こしたんだ、と一蹴されて終わり。もうどうしようもないところまで来ているんだ」
それでも、「はい、そうですか」と言って素直に受け入れることなどできるはずもない。
私は、国会議事堂と米国大使館前でのデモを呼びかけた。
達也や梨花さんはじめ、八人が手を上げてくれた。来週の日曜日決行となった。
指をくわえたまま見ているわけにはいかない。今は自分にできることをするだけだ。
2071年9月25日
本日、午後二時の空は雲ひとつないほど晴れ渡っていた。
達也なぞは「デモ日和だ」と息巻いていたほどだ。
だが、肝心のデモは非常に腹立たしく残念な結果に終わった。
国会議事堂前には五百人近くが集まった。バーチャルキャプチャー(立体映像)での参加を含めると二千人近くになった。
ほとんどが、七十歳以上の高齢者であった。
これほどまでの人員が集まったのは、今日まで我々がネットでデモを呼びかけてきた結果だ。
デモは、国会議事堂前での日本語廃止反対に関する掛け声の斉唱及び演説、それから後、米国大使館への行進を予定していた。
だが、斉唱を始めようかというときになって、ある集団が現れた。
その集団は外国人が大半を占め、中には日本人の若者も何人か混じっていた。彼らは、「日本語即刻変更」のプラカードを掲げていた。
その集団のリーダーらしき白人の男が、「無駄な抵抗をやめろ。日本語変更は決定事項である」と叫んできた。
私は「よそ者はだまっとけ。我らは断固反対する」と言い返した。
両者のにらみ合いは続いた。
我々は、乱闘も辞さない構えだった。
彼らと闘って勝てるはずはない。数でも彼らの方がわずかに多かったようだし、なにより体力は向こうに圧倒的に分がある。
だが、乱闘騒ぎになった方が、メディアに大きく取り上げられる。そのことは我々にとって悪いことではない。
だが、次の瞬間、予想だにしないことが起こった。
右方向から、ものすごい圧力がかかってきたからだ。
我々の集団の人員は皆、その圧力に逆らうことはできず、左方向へ倒れた。
バーチャルキャプチャーは全て消えてしまった。
私の衣服はずぶ濡れになっていた。それで、水だ、とわかった。
右方向を見ると、警官がホースを我々の方に向けているのが見えた。
しかも、水をかけているのは、我々の集団だけにであった。外国人の集団は腕を組んで、水圧に悪戦苦闘する我々を嘲笑っている。
達也を含む何人かが、水圧に抗いながら、警官に近づいていった。
よろよろと水圧に立ち向かっていった達也はなんとか警官のそばに行き、ホースを掴もうとした。その時だった。警官は右手を大きく振り上げた。警官は右手を強く握りしめてげんこつを作っていた。げんこつは達也の右頬めがけて飛んでいく。ドンという鈍い音がした。達也はゆっくりと崩れ落ちた。
警官は怒号を発した。
なんと言っていたのかは覚えていない。だが、我々を侮辱する内容であったのは確かだ。
しかし、我々は何もできなかった。
家に帰ってテレビを見ても、デモのことは一切報じられていなかった。
この国は終わりだ。今日、私は確信した。
2071年10月8日
先週、公用語の変更が正式決定された。来年の一月一日からの変更となるらしい。
それと同時に、「新しい日本語」が発表された。
全くふざけた言語である。
例えば、「青い」は「はわ」、「湯たんぽ」は「うちょぐ」となるという。
「こんにちは。今日は良い天気ですね」は「さるる。のりそりむなそんそ」になるという。
挨拶言葉が「さるる」など、ふざけているとしか思えない。
だが、各種メディアは案の定、「新しい日本語」を絶賛する。外国人も若者も絶賛する。
カルチャーセンターでは「新しい日本語教室」が満員なっているというし、テレビも「新しい日本語」についてのレクチャー番組ばかりになった。
国民は「新しい日本語」を覚えるのに躍起となっている。
もう慣れたとはいえ、この状況は本当に歯がゆい。
しかし、もうどうしようもない。
健一さんが言っていたように、我々の力ではどうしようもないところまで来てしまったのだ。
皮肉なことに、デモの日に私はそれを実感した。
最近は何をするのにも億劫になってきている。
この日記を書くことも、最近は気が進まない。
2071年12月4日
あと一ヶ月をきった。
あと一ヶ月足らずで、日本語が無くなる。話すことも書くことも禁止される。
ネットへの日本語の書き込みも禁止される。というよりも、ネットに関しては、今の日本語が書き込めないようプログラムが改造される。
あと一ヶ月。
それがすぎると日本語に触れる機会は激減する。
甥によると、今の日本語が使われた書物は二月一日より没収が開始されるらしい。
必要な書類は一月中に、「新しい日本語」に書き写さないといけないようだ。
私はもう、諦めている。この流れを止めることはもはや不可能だ。
だが根っこの部分では、私は抗い続ける。
隠れて日本語を書き続けることは可能なはずだ。
そんな抵抗をしてもどうにもならないだろうが、私はやめない。一人で抗い続けるのだ。
それが私の執念だ。
2071年12月27日
あと五日。たったの五日だ。
日本語の歴史に幕が閉じる時が近づいてきた。
何百年と続いてきた歴史を我々の世代で途絶えさせてしまうことは、本当に残念で、不甲斐ない。
2071年12月31日
ありがとう。日本語。
今日で最後だ。悔しいが、この日が来た。
明日からは「新しい日本語」の使用が始まる。
明日からは、隠れてしか日本語を書けない。
本当に残念だ。
恥ずかしながら、私は昨日から「新しい日本語」の学習を始めた。
しょうがないことだ。
「新しい日本語」が分からなければ、テレビが言ってることもちんぷんかんぷん、ネットもできやしない。
考えてみれば、この「ちんぷんかんぷん」という言葉。
意味がわからない様が、言葉の雰囲気だけで醸し出されている。英語であればこうはいかない。
本当に日本語とは偉大であったな、と改めて思う。
この「ちんぷんかんぷん」も、明日には「なっとと」とよくわからない言葉になる。
本当に悔しいし、もったいない。
でも日本で普通の生活をしようと思ったら、「新しい日本語」を覚えるしかない。
悔しくて悔しくてたまらない。
2072年1月1日
こんなに気分の悪い正月は、今まで八十一年間生きてきて初めてだ。
朝、テレビをつけた時の違和感は一生忘れることができないだろう。
「ぬあっそ。とるとーるなむけね。ぶどんぞぞるけろ。こぬあぬんそ、のるけっとみってて」
NHKのアナウンサーが真面目くさった顔でニュース原稿を読み上げる姿は滑稽ともいえる。
よくこんなふざけた言葉を真面目に話すことができるものだ。
だが、これは他人事で済ますことができるものではない。
気になったニュースでは、ネット辞書片手に食い入るように見ている自分に気づき、愕然とした。ちなみにこのネット辞書には「前の日本語」が書かれているが、一月中だけ使用が許可されており、二月一日になるとデータ削除が行われる。
外に出ると、多くの警察官が通りを歩いていた。
「前の日本語」を話す人がいた場合、彼らはすぐに厳重注意及び罰金徴収を行うのだ。
店の電子看板は全て、「新しい日本語」に変えられていた。
スーパーで餅ときな粉を買った。
餅の袋には「ぬぬ」と書かれていて、きな粉には「ぬき」と書かれていた。
レジ打ちの店員は「696あざじじ」といい、金を手渡すと、「ぽぷぷ」と言った。
私は一言も言葉を発しなかった。
バーチャル草野球に行くのが怖い。「新しい日本語」を使うしかないからだ。
外には「旧日本語探知機」の電波が張りめぐされていて、「前の日本語」を使いたくても使えない状況なのだ。
とりあえず、次のバーチャル草野球は欠席する予定だ。
2072年2月1日
旧日本語書物の回収が行われた。
私はいらない書物だけ国家の犬に渡し、必要な書物は金庫に隠した。
この日記もその中の一つである。
今日から、外で「前の日本語」に接することは、皆無になってしまう。
残念なことに皆、「新しい日本語」に慣れ始めているようだ。
不甲斐ないことに、私も「新しい日本語」をほとんど理解してしまっている。
毎日、毎日、否応無しにこの言葉を聞かされるのだからしょうがないことかもしれぬ。
だが、なんだかやりきれない思いになる。
こうしてどんどん慣れていって、「新しい日本語」を使うことへの違和感がなくなっていってしまうのだろうか。
それは本当に寂しいことである。
2072年4月16日
慣れとは恐ろしいものだと思う。
新しい日本語を使う抵抗感が、日に日になくなっていく。
この前まで、新しい日本語の意味を理解するときには、一度、前の日本語に変換してから意味を理解していた。
しかし、今ではそんな変換は不要になってしまった。
新しい日本語を聞いて、そのまま意味を理解する、というのができるようになってしまったのだ。慣れとは恐ろしいものだ。本当に本当に恐ろしい。
2072年7月6日
今まで古い日本語でこの日記を書いてきたが、書きにくくなってきた。
今の日本語は簡単に短い言葉でかけるのにも関わらず、古い日本語は長い。
漢字も画数が多い。分かりにくい。
2072年9月27日
ぬあっそ、そるとるんごりん。ごるぷりーのねそしよ。
そんこなるみせ、ざんくりあ。
ぴるまるるごりね。なそんご、ごあっそ。
うな。うな。うなな。ぬそっそよ!
2072年10月2日
なりるんご。ささふぁりるんどめそるんこ。
るるんこりたなあ、あなくぁっさ。
さるぬんだぬんたりんこなかったーどんざねく。
どるどさもっそり、むならんさもっこみ。
こらこら。さあるねんだりむす。むす?
さぬるんきる、なむるわかみそるぬんそとっちょりこるんだ、むたるんた。
感想待ってます!