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クロエの戦い

「ささ、キノコにキャベツ、カブにニンジン、野菜が飽きたら豚鶏牛その他のお肉、何でもありますよ。ワインのほかにも色々な種類のお酒がここにはありますよ」


 長年連れ添った女房かとおもうほどにクロエは勇者アルベルヒに尽くしていた。

 その優しさが、かえって怖かった。


「この館はもともとレイウォン王をもてなすために建てられたんです。だから山海の珍味がそろっているんです。ほかに食べたい料理があったら言ってください。何でも用意できますから」


 たしかに料理はうまい。

 酒もとびっきりの極上の品物である。

 にもかかわらず、アルベルヒは心から味わうことができなかった。

 原因は、クロエである。

 この小さな妖魔学者である。

 吸血鬼ヴァンパイアに対するあの態度。

 彼らにとって人間の小娘など餌でしかない。怪物どもの研究をやっているくらいならヴァンパイアがいかに残忍であるか百も承知のはずである。

 クロエはそれをわかっていながら平然としていた。楽しんでさえいた。そんな人間、見たことがなかった。

 アルベルヒは、この三つ編みの小さな少女がこれまでに出会ったことのない得体のしれない化け物のように思えてきた。


「クロエ、さっきの吸血鬼だが……」


 クロエは箸を止めた。


「気になりましたか? 裸踊りでも頼みましょうか?」

「いや、いい……。お前は本当にやらせかねない。それよりも火酒あるか?」

「……はい? 火酒?」

「わからないか。では、度数の強い酒を持ってくればいい」

「ああ……はいっっ!! 今すぐお持ちしますっ!!」


 矢のような速さでクロエは酒とグラスを運んできた。


「これでいいですか? 冬麦とトウモロコシを使った蒸留酒で度数は50%ちかくありますが」

「問題ない」


 アルベルヒはグラスに酒を注ぐと、一息に飲み干した。

 そして訊ねた。


「レイウォン王の側近という話は聞いていないぞ」

「側近なんて大げさですよ……。王さまはたいへん妖魔学について理解のあるお方で、色々と質問されることはありますけど。誰がそんな話を言ったんですか?」

「『猫の街道』を怪物どもに作らせたのもお前なんだってな」


 クロエの表情が強ばった。

 唇の端が微妙に引きつっていた。


「あの吸血鬼、そんなことを言っていたんですか……」

「クロエ、お前はいったい何者なんだ?」

「ですから、あたしは妖魔学者……」

「それはわかる。だが、どうも話がおかしい。俺はお前の手のひらで踊らされているような気がする」

「それは気のせい……」


 アルベルヒは黙っていた。

 仕方がない、といった様子でクロエは語り始めた。


「勇者さま、人狼の討伐のためにここにやってきたんですよね」

「そうだ。奴らが人間を襲ったからな」

「では、どんな風に襲ったかご存知ですか?」

「……どういうことだ?」

「スカートめくり、なんですよ」

「……はあっ!?」

「彼らが徒党を組んで近隣の住民を襲っているのは事実なんです。ただ その内容は人間の女の子を見つけてスカートめくり。『ひゃっほう~、今日のパンツは純白だぜ!!』とか言っているわけです」

「嘘つけっっ!! スカートめくり程度で勇者に退治を依頼する奴がいるかっっ!!」


 アルベルヒの、こめかみのあたりの血管が浮かんでひくひくと動いている。


「俺が聞いた話と違うぞっっ!! 俺は家を人狼どもに焼かれたと聞いたぞ。アデーレがとは長い付き合いだ。彼女が嘘をつくはずがない!!」

「ああ、『水晶の湖』の人? 彼女は嘘をついていないと思いますよ。しかし、彼女に話をもちかけたギルドの人間はどうですかね……。依頼の内容が本当かどうか確かめもせずに紹介したわけですから、これは信用問題になりますよね」

「クロエ。お前まさか俺をだましてないだろうな」

「とんでもない!! 勇者さまをだますなんて……でも、襲った村に足を運んで、一度確かめてみたらどうですか? 本当に焼かれた家があるかどうか確かめてみては。事件の当事者である人狼たちを一緒に連れていってもかまわないと思いますよ。それにしてもスカートめくり程度で勇者さまに依頼するとは……。貧しい農民だけでなく、貴族の娘のスカートまでめくるようになったのが原因ですかねぇ?」


 アルベルヒの怒りは静まった。

 そのかわり、別の感情が湧き上がっていた。


「ひょっとして、お前、最初から俺を説得するためにこの館へ連れてきたのか」

「いえいえ、そんなことありませんよ! 勇者さまを取材記事はちゃんと出版しますよ!」

「だが、俺が人狼を討伐する内容ではないんだな。お前の予定では」


 ここまでくれば、さすがのアルベルヒでも気がつく。

 腐っても、勇者は勇者なのである。


「そろそろ全部しゃべってもいいんじゃないか」

「それでは……」


 クロエは箸を置くと、床の上に正座した。


「はっきり言って、勇者さまは悪い人たちに利用されていますよ!!」

「俺がか?」

「ギルドはご存知ですよね?」

「冒険者たちに仕事を依頼する組織だろう? 俺たちみたいな冒険者は当然知っている」

「あいつら……とんでもない悪人ですよっっ!!」


 と、いままで冷静だったクロエが唾をとばして叫んだ。


「というか、そもそも最初から犯罪者集団みたいなものでしたけどね。怪物のお宝をくすねたり、自分たちの犯罪を濡れ衣をきさせて、それらの口封じのために冒険者たちに退治させているんですよ……。もちろん、ちゃんとした依頼もありますよ。でも、怖いのは、ギルドから仕事を請ける酒場のほとんどが正規の手数料以外にワイロをもらっているんですよね。その点についてキレイなのは『水晶の湖』くらいです。だから、あたしがそれをあちこちでしゃべっているおかげで『水晶の湖』以外のどこの酒場でも出入り禁止になりましたよ。お酒が飲めないのにいつの間にか酒乱にされてますし」

「なるほどな……」

 アルベルヒはうなずいた。


「お前の言うことはよくわかった」

「じゃあ……」

「しかし、それでもなお人狼どもは滅ぼさないわけにはいかない」

「なっ……」

「たしかにお前の言うとおり、最初はスカートめくり程度かもしれない。しかし、これがいつどんな犯罪に発展するかわからん。そのためにも悪の芽は摘んでおかなければならないのだ。そもそもスカートめくりは性犯罪……。性犯罪は怪物のみならず、人間といえども矯正が難しい。このまま捨てておくわけにはいかないのだよ」


 クロエは顔を真っ赤にした。

 今まで冷静をたもっていたクロエも、限界だった。


「だ、だから、アルベルヒさまはアホベルヒって言われるんですよっっっ!!」

「なっ!!」


 アルベルヒは唖然とした。

 いかにアルベルヒが未成年とはいえ、すでに19歳。まだ14,5歳くらいの小娘にまでアホベルヒ扱いされる理由はない。


「お前、よりによって伝説の勇者であるこの俺をアホ扱いするとは……。納得のいく答えを言えなかったらどうなるかわかってるんだろうな……」

「いいですよっっ!! ただしこれは勇者さまだから特別に教えるんで、絶対に他人には言わないでくださいっっ!! これはレイウォン王と話した密談の内容でほとんど国家機密ですからねっっ!!」


 そう言うと、クロエは部屋を出た。

 トイレかとおもったらオレンジジュースを持ってきた。

 そしてふたたび床に正座して、オレンジジュースをラッパ飲みした。

 ぷっはあ。

 一口で瓶の中身が半分になった。

 クロエは語り始めた。


「現在、怪物たちと一番友好的なのはパルニスなんです。どうしてだかわかりますか?」

「あいつら怪物どもを自分の配下にでもする気か?」

「半分合っていますが、正確には違います。パルニスが欲しいのは税収と労働力です。とくに税収」

「税収?」

「勇者さまは税金のことなんておわかりにならない。勇者さまは世界中どこへ行っても非課税ですから。法人税とか所得税とかさっぱりでしょう?」


 たしかに何のことやらさっぱりわからない。

 そもそもアルベルヒは勇者として怪物を退治する以外のことはさっぱりわからない。


「怪物どもは金なんか持ってないだろう?」

「そんなことはないですよ。昨日泊まった『烏の行水』のことを忘れたんですか?」


 アルベルヒは、あっ、と小さく叫んだ。


「まさかあいつら通行人を襲って……」

「そんなことはありません。それが事実ならそれこそ討伐すべき相手です」

「じゃあ、なぜ金を持っている?」

「彼らは『猫の街道』の建設に協力してくれんですよ。その分のお給料です」

「じゃあ、あのオークどもの酒代はもともとお前が払った金かっっっ!!」

「あたしじゃなくて、レイウォン王の払ったお金ですけどね」

「俺からすれば、同じようなものだが……」

「怪物たちはお金を持たなくても生きていけます。しかし、一度お金を使い方を知ってしまえば、怪物たちは今度はお金のために働くようになるのです。なにしろお金で欲望を買えることを知ってしまったのですからね……。働けばおいしいお酒が買えるわけです……。もちろん、お金欲しさに悪さをする連中も出てくるでしょう。それは今後とも冒険者なり軍隊が討伐するでしょう。勇者さまのお力を借りることもあるでしょう。しかし、同じ経済圏で人間と怪物を取り囲めば、人間と怪物の間の争いは激減します。愛や正義がダメなら通貨で二つの種族を結びつけるんです」


 アルベルヒは、クロエの鳶色の瞳をじいっと見た。


「一度金を与えておいて、それからまた奪うわけか? 怪物ども怒るぞ」

「源泉徴収で人間側に税金を払わせれば、すくなくともオークたちからは文句はでないでしょう」

「げんせんちょうしゅう? なんだそりゃ?」

「それは……」

「いや、いい。難しい話は俺にはわからん」


 と、クロエが説明しようというのを止めた。


「お前が俺の十倍、いや、百倍頭がいいのはわかった。いくら議論しても俺はお前には勝てん」

「えへへ……」

「つまり、怪物たちはすでに裏でパルニスとつながっている。だから、手を出すなと」

「いや、人狼たちも悪いことは悪いので懲らしめられても文句は言えないかと。ただし軽犯罪レベルでいきなり討伐はいかがなものか、と」

「……お前の言うことも一理ある」


 すでに酔いも醒めていた。

 アルベルヒはクロエの言うことを真剣に聞いていた。


「だが、同意はできんな」

「……勇者さま?」

「お前の話を聞くと世のためではなくパルニスのためという気がする。お前の考えどおりにすれば、人間と怪物は仲良くなるかもしれん。だが、それは民の考えではなくて王の考えだ。パルニスの民衆は納得しているか? もし民衆が怪物と仲良くする道を選ぶというのなら、俺は人狼討伐をやめる」

「で、ですから、そのためにかわいい怪物たちのぬいぐるみをバラまいて……」

「あのグロテスクなぬいぐるみは効果が出ているのか?」

「ま、まあ、子供たちの間ではちらほらと……」

「子供はだましやすいからな」

「宣伝には効果がかかるものですし……」


 突然、クロエが立ち上がった。

 じっとしていられないといった様子で、部屋じゅうをあちこちと歩き始めた。

 目が血走っていた。


「どうしよう……。もう最後の方法しか残ってないけど……。これを言うと、本当のことを言ってしまうと、勇者さまを傷つけてしまうけど……。でも、このまま黙っていたら勇者さまが死んでしまう……」


 よほど悩んでいるのか、三つ編みの髪を血が出るほどに引っかいていた。つぶやく声がアルベルヒに聞かれているのさえも気にしなかった。やがて意を決すると、クロエは叫んだ。


「はっきり言います!! このまま行くと勇者さま殺されますよっっ!!」

「誰に? お前とパルニスにか?」

「いいえ。パルニス一国どころじゃありません。大陸じゅうすべての人間にです!!」


 勇者アルベルヒは笑いをこらえることができず、ぷっ、と吹き出した。


「この俺がか? 面白いな」


 しかし、クロエはこの上なく真剣だった。


 握りこぶしを2つ作ってみせた。


「これが人間と怪物のパワーバランスです。かつては怪物が圧倒していました」


 そういって右手のこぶしを上げた。


「しかし、勇者さまが登場したことでパワーバランスが逆転しました」


 左手のこぶしを上げて、右手のこぶしを下げた。


「いまでは人間が怪物たちを圧倒しています。このまま勇者さまが怪物たちを退治すれば、人間たちは怪物たちを滅ぼすでしょう……」

「理想的じゃないか」

「そうですか? 人間と勇者さまが生き残る……。しかし、勇者さまはお強いんですよ? 天下無敵なんですよ? 国ひとつくらい滅ぼせちゃうんですよ? そんな人が歩き回っていたら不安でたまらなくなりますよ。怖い怪物たちはもういないんから、勇者さまは用済みになるんですよ……」

「うっ……」


 アルベルヒは初めて言葉に詰まった。

 クロエの言葉には思い当たる節があった。怪物を退治して 民衆は心の底からアルベルヒにお礼を言ったものだが、

 猜疑心という黒い影が忍び寄ってきた。


「お前の言うことももっともだ。だが俺は民衆のため……」


 それに対するクロエの返事は意外なものだった。


「勇者さま。民衆民衆といいますけど、民衆が絶対に正しいとはかぎりませんよ」

「え?」

「あたしのおばあちゃん、火あぶりにされましたから」


 アルベルヒの表情が凍りついた。


「やったの誰だ? 国王か? 教会か?」

「それがえらい人たちじゃないんです。普通の村の人々なんです」

「そんな馬鹿な……」

「おばあちゃんはいわゆる魔女だったんです。べつに魔法も使えません、ただ祈祷して雨乞いをすることはありました。薬草にくわしくて村の人たちの病気を治してあげてました。でも、ある日、村に疫病がおこったんですよ。たくさんの人が死んじゃったんですけど、どういうわけかそれがおばあちゃんが呪いのせいだということになって……。おばあちゃんは火あぶりにされて、家族は無一文で追い出されたんです。まだあたしが3歳くらいの話です」




 いわゆる魔女狩りである。アルベルヒもその光景を何度か見たことがある。聞けばクロエと似たような理由で、民衆の無知蒙昧が原因であった。アルベルヒは魔女狩りの噂を耳にするたびに現場に飛んでいって火あぶりを止めさせたものだった。火あぶりを止めるためなら、村どころか国とでも戦争する覚悟の勇者アルベルヒ相手に、噂に流されるばかりで自分で考えない民衆たちは一も二もなく従った。




「それでパルニスに亡命したんです。当時のパルニスはとにかく人口をふやしたかったので、難民でもあたたかく受け入れてくれました。吸血鬼たちがあたしの故郷を襲って火の海にしましたが、あの人たちにすれば報復のつもりだったのでしょうが、それがおばあちゃんの仇を取ってくれたのだから皮肉なものです。友達のドラゴンさんがお礼参りに行きましたが、村を出た事情なんか知らないですから」

「火あぶりは俺も嫌いだ」


 アルベルヒは全面的に同意した。


「あれは残酷きわまりない。たとえ死刑となる極悪人であってもその方法は人道的であるべきだ」

「勇者さまが罪もない人々を火あぶりから助け回っているのは知ってます。だから助けに来たんです。いくら強くても、心のやさしい人でなければ助けに来ようなんて思いません」

「……俺を、お前がか?」

「昨日『烏の行水』であたし戦っているといいましたよね? 冗談でも何でもないんです。勇者さまのお考えを変えるために戦っていたんです。このまま行けば、人間は勇者さまのお力を借りずとも怪物たちを滅ぼすところまで来ているのです。権力者たちがその事に気づけば、民衆をだまして勇者さまを殺させるかもしれません。お金持ちというだけで魔女の濡れ衣をきせて火あぶりにして財産を没収する権力者だっているんですよ。怪物のいない時代がやってきたら、かならず人間たちは勇者さまを殺します。平和な時代を生きるには勇者さまはあまりにも強すぎます」


 アルベルヒは、クロエの言葉をじっくりと聞いていた。

 一語一語、噛み締めるように。


「……怪物どもが元気でいるうちは人間たちは俺を殺さない、と」

「はい」


 クロエはうなずいた。


「先ほどの吸血鬼さんみたいに怪物でも悪い人たちはたくさんいます。それは人間も同じこと。善良な者たちを守っていただきたいのです。人間と怪物、両方を守っていただきたいのです。それができるのは勇者さましかいないんです。そしてそれが、勇者様ご自身の安全を守ることにもなるんです」


 アルベルヒは、クロエの鳶色の瞳をじっと見た。


「心配してくれてありがとう」


 勇者アルベルヒは素直に頭を下げた。 


「だが、見くびらないで欲しい。勇者の名声というのはそう簡単に崩れるものではない」

「勇者さま……」

「クロエ。お前は竜王を知っているか?」

「りゅうおう? 竜の王さまですか?」

「そうだ。俺が生まれる前の伝説の時代の話だ。竜王というのは竜の王、文字通り恐ろしい魔王だった。国一つの軍隊などあっという間に吹き飛ばしてしまう恐ろしいまでの力の持ち主だった。竜王は王女を誘拐すると地下深くの牢屋に閉じ込めた」

「はぁ」


 クロエは気のない返事をした。


「だが、その時伝説の勇者が国王のもとを訪れた。伝説の勇者は魔物どもを蹴散らし、王女を牢屋から助け出すと、伝説の武具を手に入れて竜王を倒した。王国に平和が訪れた。そして伝説の勇者は王女と結婚して新しい国をつくるために二人で旅に出たのだ……」

「……素晴らしいお話だと思います。それは大陸じゅう誰でも知っているおとぎ話です。でも、それが何か?」

「たしかに今の世の中に竜王ほどに恐ろしい魔王は存在しない。しかし、婚姻の申し出はある」

「なっ……!!」


 クロエは、アルベルヒの肩をゆすった。切羽詰っていた。勇者に対する敬意も吹き飛んでいた。


「どこですか? いったいどこですかっ!?」

「ま、待て……、お、おちつけ……」

「勇者さまと結婚しようなんていう不届き者は、いったいどこのどいつですかっっ!! 汚らわしい……そんな脳みそ腐った馬鹿はどこに住んでいるんですかっっ!! 言えっ!! 言いなさいっっっっ!!」


 クロエは手加減を知らなかった。勇者アルベルヒの首が揺れに揺れても、遠慮するどころかさらに力いっぱいゆするものだから、頭はくらくらして吐き気をおぼえ、視界は二転三転して馬車の車輪のようにぐるぐると回り、気を失ってそのまま昇天してもおかしくはないと思うほどだった。


「てぃ、ティターンとケイロスだ……」

「なっっ!!」


 パルニスは新興国家で、レイウォン王とその父親の二代で急速な発展をとげた。

 現在、パルニスよりも強い国家は片手の指を折るほどしか存在しない。

 その指を折るほどの国家がティターンとケイロスである。

 国王の質はともかく、国力はまちがいなくパルニスよりも強大である。

 この二国どちらかの王族になれば、誰であろうとアルベルヒに手出しできないだろう。

 しかも、ティターンの皇帝の娘とケイロスの国王の娘はどちらもたいへんな美人と評判である。

 たとえ彼女たちが貧しい農民の娘だろうが、結婚を断る者はまずいないと言われている。


「こ、このとおり勇者は誰からも尊敬される存在なのだ。だから心配は無用だ……」


 クロエは、手を離した。

 深い絶望に突き落とされた……そんな表情をしていた。


「……それで、どっちと結婚するんですか?」

「結婚? 馬鹿を言え。伝説の勇者であるこの俺が王族と結婚して王宮でのんびり暮らせというのか? 俺の助けを待っている人々がどれだけいると思う? かりに万が一平和な世の中が訪れた日には、剣術をおしえたり畑を耕して暮らすつもりだ」


 それを聞いたクロエはぽかんと口を開けた。


「結婚しない!? ティターンとケイロスから婚姻の申し出があるにもかかわらず!?」

「当然だ。俺は権力には興味ないし、女の価値は容姿ではないと思っている」

「うふ、うふふふ……」

「ん?」

「えへ、えへへへ……」

「どうした? 急に笑い出して。気味の悪いやつだ」

「えっへっへっへ……。ひっひっひひ……。くくっくっくっくっ……。くっくくっひっ。けぇ~けっけっけけっけっけ。

ひい~ひ、ひ、ひひっひ、く、け、ふぉ~っふぉっふぉっふぉっふぉっふぉ」


 言葉にならないような笑い声でクロエが笑い出したものだから、さすがのアルベルヒも蒼ざめた。


「おい、本当にどうしたっ!? 具合でも悪いのかっっ!!?」

「何でもありませんよ。えへへ……」 


 やっとのことですこし落ち着きを取り戻したクロエは、それでも笑いをこらえきれない様子で、目に涙をうかべながら語った。


「やっぱり勇者さまは勇者さまだぁ」

「そりゃ、どういう意味だ」

「だって、それはどう考えても勇者さま殺されますよ。えへへ……」

「はああああああっっっっっっ!?」

「さっきのおとぎ話だって、王女さまと結婚して旅に出るから、王さまも快く二人を送り出したんですよ。王女さま『自分を連れていってくださいませ』って頼んだと思いますよぉ。何回、何十回、何百回といくら勇者が断っても頼み倒したと思いますよ。もしも万が一王女を連れずに自分ひとりで旅に出た場合、そこの王さまや王女さまたちは、勇者をどうしたんでしょうねぇ……」

「な、なんだと……」

「もはや英雄がどの陣営にも属さずエルフの娘でも連れて大陸を自由に旅できる時代じゃないんです。歴史の本を読んでみてください。チート勇者は権力と結びつくか悲劇的な最期をとげる、そういう宿命なんです。婚姻を断っちゃったら、間違いなく勇者さまは自分たちの敵陣営に回ったと判断しますよ。のんびり余生なんて過ごさせてくれませんよ。人類は一人だけ勝ち組にするのを許しません。くりかえし申し上げますが、怪物たちがいなくなったら勇者さまは用済みで消されますよ。なぜなら本当の勇者の心をもった人だから……」


 アルベルヒは暗闇のどん底に叩き落されたような気分だった。

 クロエは、そんなアルベルヒの手をしっかりと握りしめた。その手はとても暖かかった。


「アルベルヒさま。世界中があなたの敵に回ろうとも、あたしはあなたの味方です。 勇者アルベルヒさまを古い時代から新しい時代へお導きする……それがあたしの戦いなんです!!」

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