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しゃぶしゃぶで接待

 勇者アルベルヒが案内されたのは、白鳥の湖に囲まれた瀟洒な館だった。


「こんな場所に、こんなに美しい館があるのか……」


 湖の上を橋でわたって、館に入った。

 館のなかの調度品はどれもこれも高価なものばかりだ。


 アルベルヒは館のなかの一室に通された。

 広い部屋だった。ベッドも何人でも寝れるほど巨大だった。


「ここは館のなかでも一番大きな部屋なんです。すぐにお食事にしますか? それともお風呂にします? あたしが背中を流しますよ」

「食事にしてくれ。怪物どものど真ん中で鎧を脱ぐとかありえん」

「はぁい……」


 クロエは食事の支度をするために部屋を出た。


 やがてクロエが戻ってきた。アルベルヒはテーブルについて食事が来るのを待っていた。

 クロエが鍋を運んできた。

 しかし、中には熱く煮えたぎったスープしか入っていない。

 具が一切ないのである。


「これは……?」


 しばらくして、豚肉を乗せた皿とタレを持ってきた。


「この肉をスープのなかでくぐらせて、それからこのタレをつけて食べます」

(また変わった食べ物だな……) 


 これは異国では『しゃぶしゃぶ』と呼ばれる食べ物だが、アルベルヒは当然知らない。


 クロエは箸をたくみに用いて肉をくぐらせて、タレにつけてアルベルヒに渡した。

 箸を知らないアルベルヒは、用意された銀のフォークで肉を突き刺して食べた。

 うまかった。

 舌がとろけるほどうまかった。

 クロエはふたたび席を外した。アルベルヒは箸が使えないので、フォークで肉を刺して茹でて食った。しばらくしてクロエはブドウ酒を持って戻ってきた。 

 酒を注ぐクロエの横顔を、アルベルヒは眺めていたが、


「お前、ひょっとして怪物どもに脅されているのか?」

 と訊ねた。

「…………はあぁ!?」

 クロエは唖然とした。

「いや、いい。何も言わなくていい。クロエ。お前からは敵意というのが伝わってこない。なのに怪物どもの肩をもつのはなにか弱みを握られているからじゃないのか?」

「あの、野菜も持ってくるので……」

「いや、お前はここにいろ」


 アルベルヒはクロエの手首をつかんだ。


「俺と一緒にいるかぎり安全だ。化け物どもの所に戻る必要はない」

「いや、大丈夫ですから……」


 クロエは、アルベルヒの手を振り払って部屋を出た。


「不憫な子だ」


 アルベルヒはつぶやいた。


「俺が助けてやらなければならない」


 そう言って、アルベルヒはまた肉を食べた。

 が、やめた。

 フォークを置いた。

 邪悪な気配を感じたからだ。

 この黒い悪意に満ちた気は、アルベルトは何度も出会ったことがあった。


「隠れてないで出てきたらどうだ。どうせ吸血鬼、ヴァンパイアだろう?」

「ふふふ……。やはり伝説の勇者にはかないませんな」


 黒いマントをつけた男が扉を開けた。中年で端正な顔立ち、身につけている服も上等、しかしその面構えは残忍そのものであった。


「何の用だ?」

「おっと。あなた様と戦うつもりはまったくありませんよ。館全体から不思議な気配を感じたものですから立ち寄ってみたら……。この怪物の村でめずらしいものですな」

「肉はやらんぞ」

「結構です。我々が口にするのは汚れなき乙女の血だけですので」


 廊下に立ったまま、吸血鬼は返事した。


「クロエに手を出したら貴様を滅ぼすぞ」

「ほう、ここには人間の娘がいるのですか」

「まさか貴様がクロエを脅している張本人ではないだろうな」

「何のことですかな? 言いがかりはやめていただきたいですな」


 吸血鬼は辺りを見回す。


「会ってみたいものですな。こんな怪物だらけの村に人間のしかも娘がやってくるとは。どれだけ人間の娘の血を啜っていなかったことか」

「貴様……」

「あの耳にするのもおぞましいクロエという名前と同じなのは癪にさわるが、名前は名前、我慢するしかあるまい。さて、紳士たるものレディに挨拶しに行かなければなるまい……」

「クロエは妖魔学者とかおかしな仕事をやっているが、根は悪くない。貴様の餌にするわけにはいかないのだ」


 その瞬間。

 吸血鬼は恐ろしい形相をした。

 まるで伝説の怪物メデューサに睨まれたかのようであった。夜の貴族としての誇りなど吹き飛んでいた。妖魔学者、その言葉を聞いただけで吸血鬼の膝が震えていた。


「ま、まさか、な……」

「どうした。まさかクロエを知っているのか?」

「勇者よ。そいつはたしかに自分で妖魔学者と名乗ったのか……?」

「名乗った」

「おお、何ということだ……。まさかあの化け物がこの館で蠢いているのか……!?」

「お前は何を言っているのだ? そもそも化け物はお前だろうが」

「そいつは眼鏡をかけていて、髪は三つ編みだったか?」

「そうだ」

「恐ろしいことだ。恐ろしいことだ、地獄に君臨する魔王さま……。これが間違いかニセ者であったなら、とびきりの生け贄をささげます……。勇者よ、最後に、最後にひとつだけ確かめたいことがある……」


 まるで熱病に犯されたかのようにぜいぜいと喘ぎながら、吸血鬼は訊ねた。

 その表情は恐怖に怯えきっていた。


「その小娘は、えへへ、と笑うのか?」

「そうだ。よく知っているな」

「おお、何ということだ。何ということだ……」


 吸血鬼は髪を掻きむしった。


「あの化け物が間近にいるとは……。どうしよう……。最悪だ……」

「誰と勘違いしているか知らんが別人だろう。そいつは剣術も魔法も全然ダメで勉強以外何の役にも立たん」

「たしかに無力だろう……。貴様ら人間にとってはな。だが、あの小娘は我々闇に住む者たちのことを知り尽くしている……。スライムからドラゴンまですべてだ!! 忌々しいことに、我々の力はあの小娘には一切通用しないのだよ。我々の仲間の一人があの小娘を襲ったことがすべての始まりだった。無防備にも一人で夜道を歩くクロエ……ああ、その名前を口にするだけでも吐き気がする……音もなく背後から忍び寄って、その牙を首筋に突きたてたのだよ」

「馬鹿な!」


 アルベルヒは叫んだ。


「それではあの子は貴様らの手下に……。いや、そんなはずはない。吸血鬼に血を吸われた者はその者も吸血鬼と化しさらには何でも言うことをきく奴隷となる……。しかし、クロエは普通の人間だったぞ」

「効かんのだよ、我々の牙が!!」


 信じられないといった風に吸血鬼は叫んだ。


「あいつは吸血鬼の毒を中和する血清を開発していたのだよ……」

「嘘をつけ。普通の人間が大量の血を吸われたら無事ではすまないはずだ」

「その血清というのは我々には猛毒でな」


 吸血鬼は遠くを見るような眼差しだった。


「牙が肉を食い破り、あの小娘の血触れたその瞬間、その者は生まれる前の世界に旅立った……。その身体は霧のように消滅してしまったが、あの忌々しい小娘はまるで蚊にさされた程度にしか感じずにその場を立ち去ったそうだ」


 たしか、夜の貴族ヴァンパイアが血を一滴飲んだだけで腹をこわして寝込むような腐った血をもつ女だと酒場『水晶の湖』で聞いた。それは確かにデマだった。

 ただしアルベルヒが想像していたのとはまったく逆の意味で。

 なにしろ腹の痛みを感じることもなく、この世から消え去ったのだから。


「このままでは我々の沽券にかかわるので我々は報復行動に出た。あの小娘の居場所を突き止めて襲撃したのだ……。が、駄目っっっっ!! まるで歯が立たなかった……!! 何人で襲おうが何十人で襲おうが、どういうわけか知らんが。すべてあの小娘に捕らえられた……。あの小娘、何と言ったか知っているか? 『えへへ。これはこれはいい研究の材料が手に入りました。ああ……もっと襲ってくれればいいのに♪』とか抜かしたらしい……。あの小娘が我らが同胞にどのような仕打ちをしたか知っているか……!?」



 吸血鬼は泣いていた。

 文字通り、血の涙を流していた。



「まず牙を折って何日で再生するか測定するのは序の口、吸血鬼の再生能力は群を抜いているというので身体は切り刻まれる……、さらには流水は苦手だからと腰紐をつけられて川でどこまで泳げるかの実験、僧侶たちを呼び集めて賛美歌を聴かされたやつは神経がおかしくなったらしい……、太陽の光をどこまで浴びて平気かはりつけにもされた……、逆にどこまで人間の血を飲めるかフードファイト、吸血鬼の舌をためすため老若男女の血を採取してのテイスティング、下等なオークどもから、どうして採取できたのか知らぬがドラゴンまで様々な血液を輸血してどれだけIQが上下するかの実験、人間と吸血鬼の美醜に対する感覚の違いを調べるため『ドキドキ♪お嫁さんにしたい女の子は誰?』などというくだらんアンケートまでやらされた……、鏡に姿がうつらないのになぜ普段から身なりが整っているのかしつこく訊ねられたらしい、答えられなければ独身のオーク女やゾンビ女たちに唇を奪われる……、さらには密室に閉じ込められて人間と妖魔が仲良くできるためのアイデアを1日3つ提出、できないあるいはアイデアが劣悪なら臭気ガスを送り込まれる……、そんなのは吸血鬼の研究と関係ないだろうがっっ!!」 


 文字通りの血の叫びであった。


「さらには印刷とかいう新しい技術で信じられないほどのスピードで大量の本を製造してその論文を出版……ご丁寧なことに子供用にイラスト付きの平仮名ばかりの論文まで作りおった……。お陰であの小娘の論文は大陸中に読まれることになった……。その瞬間、我ら吸血鬼の威光は地に墜ちたっっっ!!!」


 さすがの勇者アルベルヒも驚きを隠せなかった。


「あのバジリスクも目を背けるという噂は本当だったのか……」

「なに? そんな噂は知らん。だが、バジリスクにサングラスという光を遮る眼鏡をかけさせて、一緒に肩をならべてミルクを飲んでいるという話は聞いた。いったいどうやって恐るべき蛇の王にサングラスをかけさせたのか……」



(あいつ、どういう頭の構造をしているんだ……)

 発想が、ぶっ飛んでいた。

 アルベルヒの考えられる範囲を完全に超越していた。もはや狂気の沙汰。



「何としても復讐しなければならない……。だが、我々の特性を知り尽くしているクロエという化け物には我々の攻撃も通用しない……。そこで考えた我らの一団は報復としてクロエ本人にではなく、あの小娘がかつて住んでいた故郷の村を襲撃したのだ……。そこに住んでいた人間どもは逃げ惑い、恐怖に陥った。我々吸血鬼は溜飲の下がる思いであった。だが、次の日、村を襲った同胞たちの 住む古城に巨大なドラゴンがお礼参りにやってきたのだ。数万度の炎で同胞たちは古城ごと蒸発してしまった……」

「ドラゴン!? ドラゴンだと!!?」



 アルベルヒは腰を浮かして叫んでいた。

 ドラゴンといえば、まさに怪物のなかの怪物なのである。


 吸血鬼ヴァンパイアとくらべても格が違う。

 勇者もドラゴンと戦ったことがある。二日間寝ずに戦ってやっと勝てたほどの強敵だった。

 大陸に生きる生物のなかでもっとも神に近いと言われている。

 それが、いったいなぜ……。

 クロエという少女は謎だらけであった。



「もう終わりだと思ったその時、ふとした偶然で地獄の魔王さまを呼び出す本を手に入れた我々は、隠れ家にて本に書かれた通りに魔方陣を描いて魔王さまを召喚した。その場には我ら吸血鬼の生き残りすべてが集まっていた。わずか一週間で我らの数は半数にまで減っていた。召喚の呪文により、魔王さまはそのお姿を見せてくださった。そのお力でクロエを倒してくださるようお願い申し上げた。が、駄目……っっ!! そもそも不死の者である我々には契約のかわりにさしだす魂がないのだ……。魔王さまは『けっ。交通費返せよ』との捨て台詞を吐かれて去っていった……。あとで知ったことだが魔王さまを呼び出す魔道書は、じつはクロエが、あの忌々しい小娘がわざと我々に送ったものなのだった。我々では魔王さまと契約できないことを知った上で……。あの小娘は完全に我々のことを馬鹿にしていたのだ……。どうしようもないほどの舐めプレイっっっっ!!!!」


 アルベルヒは椅子に腰を下ろした。

 腕を組み、考え込んだ。食事をしていることも忘れていた。


「我々は結局無条件降伏した。レイウォン王に仲介を頼んでな……」


 しばらくの沈黙があった。

 まったくの冗談話だが、冗談には聞こえなかった。


「それが事実だとすれば、あの女はとんでもないな……。俺に嘘をついているわけじゃないよな?」

「隠せる事実なら隠している。だがあいつの書いた文章が大陸中にバラまかれれいるのだ。あの女が登場してから我々の世界は変わった。人間の……あの女の発案した『猫の街道』によって……」

「あいつはただの学者だろ?」

「伝説の勇者というのは何も知らなくても務まるのだな。クロエはレイウォン王の側近中の側近だぞ」



 沈痛きわまりない表情で、吸血鬼は言った。

 アルベルヒは愕然とした……なにしろその側近中の側近を蹴り倒したばかりである。



「そして『猫の街道』は我ら魔物によって作られたのだ、クロエの指揮によって……。あいつは我々を知り尽くしている。あの女は人間と妖魔が共存できる社会を目指しているのだ。人間と妖魔は水と油、決して交わりあうはずは……」


 吸血鬼は、しゃべるのを止めた。

 二人は気配を感じた。


「まさか……」

 吸血鬼は震える声で言った。

 二人の予感は当たっていた。
















 えへへ。

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