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いざ行かん魔屈へ

 翌朝になった。アルベルヒとクロエは宿屋『烏の行水』を出た。



 勇者アルベルヒは苦虫を噛み潰したような表情をしていた。


 二人を待ち構えていたのは四匹のオークだった。オークというのは豚の頭を持った二本足の怪物で、人間に近いがやや知能は劣る。両手足の指は四つ、上は革鎧に下は腰巻、トゲのついたメイスを装備していた。肌は本来の豚というよりも赤銅色に近い。その表情は人々が想像しているよりはるかに従順である。見るからに獣臭そうだが接近しても体臭はほとんどなかった。


 そして彼らは輿こしをかついでいた。木製の粗雑なものだったが、アルベルヒとクロエが二人乗れる大きな輿だった。



「俺が、これに乗るのか……。怪物どもを退治する勇者のこの俺が……」

「彼らはまだ誰にも迷惑をかけていないんだから、いいじゃないですか」



 クロエの声は弾んでいた。

 重い荷物を運ばなくてすむという理由だけではなかった。



「そもそも喋れない相手にどうやって命令……」


 ブヒヒヒ、ブヒブヒと、クロエと豚の怪物オークたちが、わけのわからない言語で会話している。


「大丈夫ですよ。目的地まで運んでくれるそうですよ」

「し、しかし……」

「急がなくていいんですか? 民衆がいつまた襲われるかもしれませんよ」

「それ以前に、こいつらが俺たちの油断している隙をついて襲ってくるかもしれんぞ」


「大丈夫ですよ。あたしがいますから」


 二人は輿に乗った。

 豚の頭の怪物たちが輿をかついで『猫の街道』を駆ける。


 その異様な光景に、『猫の街道』を歩く冒険者たちはびっくりして目を丸くした。彼らが日頃から戦っている憎むべきべき敵オークが、人間を輿に乗せて走っているのだ。しかもその人間が大陸で知らぬ者はいない勇者アルベルヒとあっては絶句せざるをえない。



 クロエはすっかり喜んでいた。彼女自身、怪物の輿にのって旅をする経験がよほど貴重だったのか、すっかり舞いあがっていた。わあ、すごい、などと感嘆の声が引っ切りなしにクロエの唇から飛び出る。高いところから見る光景はクロエを興奮させた。なにしろクロエは背が低くて小さい女の子なので他人を見下ろす機会などほとんどないのだ。いま目にしている光景を脳裏に焼きつけようと必死だった。いつも好奇心で光っているクロエの鳶色の瞳はさらに輝き、じっとすることもできず、正座した状態で左右を交互に見て、座っているアルベルヒの膝越しに身を乗り出しては指を差し、素晴らしい光景ですね、と迷惑そうなアルベルヒに話しかけた。とにかく黙っていられなかった。

 いま、クロエはとても幸せだった。

 一方、アルベルヒの表情は複雑だった。



「おい」

「何ですか?」

「そもそもどうしてこいつらを呼べたんだ?」

「え? 宿屋の主人に呼んでもらったんですよ」

「だからどうやってこいつらを呼べたのか聞いているんだ」

「ああ、そういうことですか……。あの宿屋の主人もオークの言葉はしゃべれますよ。今では酒にかんしては売上の100%がオーク相手なんですよ。オークの言葉をしゃべれないはずがないんです」

「だからといってこんなに汚らわしい怪物と一緒にいるなど……」


 するとクロエはアルベルヒにも聞き取れないほどの小声で、


「勇者が怪物を倒す時代はとっくに終わっているんです。すでに新しい時代が始まっているんです」

 と、つぶやいた。

「ん? 何か言ったか?」

「ああ……。舌噛んじゃったんですよ。だから何かしゃべっているように見えたんでしょう」

「そうか。本当に馬鹿な女だな、お前は」

「えへへ……。あっ!! ちょっと止めて!!」

 クロエは輿を拳で何度も叩いた。

 ひどく慌てて止めた。



 オークたち相手にブヒヒ、ブヒだのわけのわからない言語で怒鳴った。

 急いでオークたちが輿をおろしたのでアルベルヒの身体が傾いた。

 輿が止まると、クロエは大きな本と羽ペンを持って走った。

 そして草むらのところで腰を下ろして、あぐらをかいた。


「どうした? 用でも足したくなったか」

「見てください」


 クロエは指差した。


「これも怪物ですよ」

「どれが? 草しか生えてないだろう」

「これですよ。この植物がです」



 それは摩訶不思議な植物だった。

 人の姿によく似た植物だった。人間の上半身が土に埋められている形に似ていた。目を凝らしてよく見ると、その剥き出しのこげ茶色の肌からは無数の繊毛が生えていた。頭部には青々とした葉が何本、何十本と、ピンと立って生い茂っている。額の部分には紫の小さな花が咲いている。


「なんだこれ?」

「マンドラゴラですよ」


 アルベルヒは近づいた。


 すると、くにゃくにゃ、とマンドラゴラは植物とはおもえない形容しがたい動きをした。


「うわっ……!!」


 アルベルヒはおもわず身構えた。


「かわいいでしょう?」

「かわいい、だと……」



 アルベルヒはもう一度マンドラゴラを見た。

 どう見ても無気味だ。

 クロエはマンドラゴラの姿を大きな本に描いていた。



「これは薬として重用されているんですよ。街に持って帰れば高値で売れます」

「ふうん。それなら……」

 アルベルヒは手をのばした。

「あっ!! ダメですっっ!!」


 びっくりして、アルベルヒが引き抜こうとするのをクロエが止める。


「これは引き抜くときにもの凄い悲鳴を上げるんですよ。さすがに勇者さまは死にませんけど、あたしのような普通の人間は死んじゃうくらい怖いんです」

「そ、そんな化け物がかわいいと言うのか!?」

「はい、かわいいです」


 クロエはにこにこと笑っていた。



「あたし、学者なんです。魔物専門の」



 羽ペンを動かしながら、クロエは言った。



「もともと父の研究の影響なんですよ。父は植物学者で薬剤師でした。色々な植物を捜し求めて大陸中を回っているうちに、魔物の生態について調べるようになったんです。あちこち回っていると、どうしても怪物たちに襲われることもありますからね。それで襲われないようにするにはどうすればいいか考えたのが研究のはじまりです」

「お前の父親は変わり者だな」

「はい。父もあたしもそう言われています」


 クロエは元気よく答えた。

 まるで変わり者と言われるのを喜んでいるかのようだった。


「あたしは冒険がいつも楽しみです。街の中では出会えないような出会いがいっぱいです。冒険で出会う魔物たちはみんな美しいのです」

「じゃあ、あいつらも美しいのかっ!?」


 アルベルヒは後ろに控えているオークたちを指差した。


「はい。美しいです」


 クロエは即答した。


「彼らは力いっぱい生きているんです。生きていることはそれだけで美しいんです」




 えっほらえっほら。

 オークたちのかつぐ輿が『猫の街道』を走る。

 すでに夕方である。日も暮れている。

 オークたちは走るのを止めなかった。

 目的地である人狼たちの巣窟が、もうすぐだからである。

 勇者アルベルヒは、横に座っているクロエを横目で見た。


(どうも、こいつと一緒にいると調子が狂う……)


 どこにでもいる普通の少女である。

 たしかに頭はいい。魔法以外これといって勉強をしたことがない勇者からみれば、おどろくほどに知識がある。

 だが、そればかりではない。勇者としての直感が何かを告げている。その直感は外したことがない。

 それがいったい何なのかと問われれば、勇者本人にもわからない。


「勇者さま!! 見えましたよ!!」


 森の中から煙が立ち上っていた。


「山火事か!?」

「違いますよ。あれはかまどの煙ですよ」

「なに? かまど?」

「行けばわかりますよ」



 すべてを知っているような口ぶりだった。

 オークたちのかつぐ輿は『猫の街道』から脇道にそれて、森の中に入った。

 すこし進むと門が見えてきた。木を二本切り倒して立てただけの粗雑な門だった。

 門をくぐると、そこは村だった。

 人間の住む村とほとんど変わりなかった。

 輿から下りて中に入った。オークたちも一緒についてきた。


「もう遅いから、彼らは今日ここで寝泊りするんですよ」


 呆然とするアルベルヒに、クロエが説明した。

 家は木造の簡単な造りで、壁は漆喰塗りがされていた。どの家も扉や窓が開け放されていて、中を覗くと、アルベルヒがこれまで切り伏せてきた怪物たちや、または見たこともないような怪物たちがパンやシチューを作っていた。

 どう考えても悪しき人狼たちが巣食っているとは信じられなかった。


「道を間違えたかな?」


 アルベルヒは地図を見直した。


「いや、たしかにここで合ってますよ」

「お前、ここに来たことがあるような口ぶりだな」

「ええ、ありますよ」

「お前、人狼の手先じゃないだろうな」


 アルベルヒが警戒する。


「まさか」

 クロエは笑った。

「その人を襲った人狼というのは本当に会ったことがありません。犯人捜しは明日にしましょうよ。それよりも今日はもう休みましょう。勇者さまのための宿もちゃんと用意してありますよ」


 アルベルヒは返事しなかった。

 まるでクロエの演出する舞台の上で踊らされているような気分だった。


「そうだ。宿に行くまえに行きたい場所があるんです」

「どこだ?」

「工場です」

「……はぁ?」

「行けばわかりますよ」


 と、オークたちが四本指の手で、ポンポン、とクロエの肩を叩いた。


「ああ、オークさんたちにはお世話になりましたから。荷物もちゃんと運んでおくよう言わないと」


 ブヒ、ブヒヒ、とクロエがオークの言葉をしゃべると、オークたちは満足そうに去っていった。手でビールジョッキで酒を飲む仕草をして談笑しているのがじつに微笑ましかった。

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