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猫の街道

 次の日、二人は人狼の巣へと向かった。



 クロエは堂々と歩くアルベルヒのすこし後方にいた。

 しかし、その足取りは見ていてじつに危なっかしい。


 なにしろ二人分の荷物を大きな風呂敷に包んで背負っているのだ。


 ただでさえ華奢で力の弱いクロエが重たい荷物を運んでいるものだから、あっちをオロオロこっちをオロオロ、すでに疲労で汗もダラダラ流れていて、これ以上歩くのはたいへんだ。

 だが、勇者アルベルヒにとってそんな下々の苦労など知ったことではない。

 クロエの方を振り向きもせずに先を急いだ。


「はあ、はあ……、勇者さまぁ……」

「何だ?」

 足も止めずにアルベルヒが言った。

「ちょっと、この辺で休みましょうよぉ……」

「何を言っているのだ。先はまだ長いぞ」

「でもぉ、もう歩けません……」

「このくらいで根を上げてしまうのか。根性のない奴だな」


 二人は木陰を探してそこで休んだ。

 やっと休める……とクロエは呟いた。

 目の前には舗装された石畳の道路が広がっている。


 別名『猫の街道』と呼ばれている。


 この街道はレイウォン王が首都エルムントから四方八方に蜘蛛の巣のごとく王国中に張り巡らした。一般の人間も利用しているが、本来の目的は軍事利用である。周辺を荒らす怪物どもを速やかに征伐するために道路網を整備したのだ。道路網は重要な都市ばかりではない。辺鄙な村々にまで張り巡らされていた。

 さらに道路は人の踏み入ることのできない魔物たちの巣窟にまで伸びていた。ゴブリンやオークどもとの暮らす住居に吸血鬼どもの蠢く古城に炎の精霊サラマンダーの猛り狂う洞窟、龍の住む山まで、『猫の街道』の道は伸びていた。確認した者はいない。が、レイウォン王はたしかに道はあると言っている。

 そんなことはどう考えても不可能なはずであった。

 そもそも魔物たちの住処まで道路を建設した者がいないのだ。兵隊も住民もそのような命令を一切受けていないのだ。どんなに偉大な王でも誰かを使役せずに道路をつくることなどできるはずもない。

 しかし、レイウォン王はたしかに『猫の街道』をたどれば魔物たちの巣窟までたどり着くことができると、ペロペロキャンディーを舐めながら主張した。

 その証拠に、魔物たちの住処までの詳細な地図を持っていた。

 冒険者たちに探索させたところ細かい部分まで地図のとおりであった。おどろいた人々はレイウォン王にわけを訊ねたが、王は決して理由を言わずただペロペロキャンディーを舐めるばかりであったという。



「……勇者さまぁ」

「どうした」

「喉が渇いたので水が飲みたいんですけど」

「好きにしろ」


 クロエは風呂敷から水筒を取り出した。

 ぷはぁ。

 うまそうに飲んだ。

 疲れ果てたクロエの表情に生気が戻ってきた。


「勇者さまもお水どうですか?」

「いらん」


 アルベルヒの態度は素っ気なかった。


「ところで勇者さま」

「ん?」

「勇者さまは、どうして勇者さまをやっているんですか?」

「はあ? 何を言っているんだお前は?」


 疲労のあまりおかしくなったのかと思った。


「いえ、そうではなくて」


 クロエは手をひらひらと振って、


「勇者さまはとってもお強い御方じゃないですか。最強なんですよね? 無敵なんですよね? 王国、いや大陸で一番強い御方ではないですか? 王様だってかなわない。それなのにどうして小さな仕事を引き受けたのですか? 今回の人狼討伐だってあまり報酬のお金をもらえないんですよね? その力をもっとうまく使えば国のひとつだって持てるでしょう」

「それは俺が勇者だからだ」


 アルベルヒは即答した。


「勇者たるもの弱い者のために戦わなければならない。報酬がすくないからといって断るわけにはいかんのだ。そこに冒険があるかぎり立ち向かわなければならないのだ。報酬の多寡などどうでもいいのだよ。俺はこの地上の怪物どもを滅ぼし尽くすためにこの世に生を受けたのだ」

「カッコいいです!! 勇者さま本当にカッコいいです!!」


 パチパチパチパチ。

 クロエは力いっぱい拍手した。


「勇者たるもの自ら進んで苦難を引き受けなければならんのだ」

「ちょっとカッコよすぎます勇者さま。今のお言葉は記録させてください」


 クロエは本と羽ペンを取り出すと、無我夢中で紙に文字を書き込んだ。


「勇者さまと一緒にいられるだけであたしは幸せです。首なし騎士デュラハン退治もわずか金貨一枚で引き受けたんですよね?」

「そんなこともあった気がする……。お前、なんでそんなことまで知っているんだ?」

「それはもう勇者さまのことなら何でも知ってます!!」

「そうか。まあ、俺は有名だから俺の知らないことまで知っているファンがいてもおかしくないか」

「そうです。勇者さまのことなら何でも知ってますよ。何でも、ね……」

「さて、こうして油を売っているわけにもいかない。討ち果たすべき人狼どもがいつまた罪もなき民衆を襲うかもしれないのだ。先を急ぐぞ」

「それなら、これから一時間ほど歩いた先の宿で今晩は寝泊りした方がいいですよ。そこを通り過ぎると今夜は野宿しなければなりません」

「本当かぁ?」


 アルベルヒは疑わしそうな眼差しを向けた。


「本当ですよ。嘘だと思ったら宿屋の人たちに聞いてみてください。皆さん、勇者さまには絶対に嘘をつかないと思いますよ」

「お前、この道を通ったことがあるのか?」

「はいっ!!」


 クロエは大きな本を元気よく閉じた。


「あたしは書くのが仕事ですから! だから色々な場所に行って調査しないと」

「お前は小説家か吟遊詩人か?」

「違うけど似たようなものです」


 それ以上アルベルヒは詮索しなかった。基本的に自分大好きのナルシストで他人に興味を示すことはあまりない男だった。

 クロエは、えへへ、と笑っていた。




 クロエの言うとおり、たしかに一時間ほど歩いた先に宿屋は存在した。黒い烏の描かれた釣り看板には『烏の行水』と書かれていた。

 中に入ると、無愛想な中年の男が応対した。彼が宿屋の主人らしかった。パイプをふかしながら勇者とクロエを一瞥すると、ベッドが一つしか置いてない部屋ならあるよと言った。

 二人は了承した。

 あてがわれた部屋に入ると、クロエは大きな風呂敷を地面に下ろした。

 やっとのこと重労働から解放されたクロエはほっとした。



「ベッドは勇者さまが使っていいですよ。あたしは床で寝ますから」

「お前は勘違いをしている」

「はい?」

「部屋の外の廊下でお前は寝るんだ。女と同じ部屋で寝れば民衆からいらぬ誤解を受けて俺の名声に傷がつくかもしれないからな」


 クロエはぽかんと口を開けたまま返事ができなかった。


 食事の時間がきた。

 先ほどの主人が荷台で食事を運んできた。木の器には小麦粉の薄い粥と野菜のシチューが入っていた。酒がないかとアルベルヒが訊ねると、そんなもんはない、とぶっきらぼうに宿屋の主人が答えた。

 食事の最中、クロエは熱心に本を読んでいた。先ほど書き込んでいたのとは別の本だった。アルベルヒの知らない言語だった。



「非力なのだから、無駄な物を持ってこなければ荷物も軽くて済んだのではないか?」

「ん? これですか?」


 クロエは読んでいる本を木製のスプーンで指した。


「好きなんですよ、本が」

「そうか。俺は魔術書以外は読まないからよくわからんがな」

「でも勇者さまは強いじゃありませんか」

「そうだ。この前も21匹いる魔物の群れを19個もやっつけたぞ」

「399匹も!! すごいですね!!」

「待て。その数字はデタラメだろう。仮に計算できたとしても速すぎる」

「そんなことありません」


 クロエは真顔になった。


「因数分解という計算方法を使ったんです。(a+b)(a-b)=aの2乗-bの2乗という公式があります。21は20+1、19は20-1なので、a=20、b=1が代入できるわけです。つまり21×19は、20の2乗-1の2乗で、400-1、つまり399となるわけです」

「そ、そういう方法があるのか。うむ……」

「ところで勇者さまは馬に乗らないんですか?」

「え?」


 突然、アルベルヒが不安そうな顔をした。


「だってゆっくりしていると、いつまた人狼たちが民衆を襲ってくるかもしれないんですよ。馬に乗っちゃったほうが早いんじゃないですか?」

「そ、それは……」

「ひょっとしてお金がない、とか?」

「じつはその通りなのだ……。勇者が貧乏とは恥ずかしい話だがな。儲けなど考えずにどんな頼みも引き受けるものだから、馬にも乗れなくなってしまった。ははは……」

「あれ? それはおかしいですね」


 クロエは首をひねった。


「勇者さまはミントの葉をつかった高価なカクテルがお好きなんですよね? ほかにも『水晶の湖』では、色々と高価なお酒を飲んでますよね? それに冒険のたびに高価な様々な薬草を買い込んでますし」

「さ、酒くらいはかまわんだろう……。薬草も冒険者にとっては必需品だ……」

「それに銀行の口座にはたいへんな預金を持ってますよね。以前、村が魔物に襲われて食料がなくなってしまったときに、小麦粉を大量に買って見返りなしで寄付したじゃないですか」

「よくそんなことまで調べているな……」

「ひょっとして勇者さま、馬、嫌いですか?」

「そ、それは……」

「そういえば子供の頃に落馬したと聞いてますけど、ひょっとしてそれがトラウマになって馬に乗れなくなったとか?」

「う、うるさい……」

「ねえ、どうなんですかぁ。勇者さまぁ」

「うるさいっっ!! お前ごときに何がわかるって言うんだっっ!!」


 アルベルヒは怒鳴り散らした。


「そもそも俺はみんなのために戦っているんだ!! お前は戦っているのか!?」

「あたしも戦っていますよ。勇者さま」

「お前がかぁ?」

「はい。こうして今も戦っていますよ」


 アルベルヒは部屋を見回した。

 無論、敵の気配などない。


「誰かが俺の命を狙いにきたのかと思ったが、くだらぬ冗談か。よく考えたら、俺でさえ察知できないものを弱いお前が察知できるはずがないか」


 えへへ、とクロエは笑った。


 宿屋の主人が食器を片づけにきた。


「そういえばこの店にはお酒がないそうですね」

「ない」


 クロエの質問に、主人は無愛想きわまりない態度で答えた。


「でもおかしいですね。こういう宿屋でどういう商品が一番売れるかといったら、やっぱりお酒じゃありませんか。お酒が一番儲かるんですよ。大陸中どこを飛び回ったって、お酒を置いていないお店なんて一つもありませんよ」

「うるさいな。俺は酒が嫌いなんだよ」

「そうですかぁ。オークには売ってないんですか」


 店主は仰天してクロエを見た。


「人間はお酒の値段の価値を知っているから高く売れない。しかし、お金の価値のわからないオークには高く売れる。だから本当はお酒が置いてあるんだけど、人間より高く買ってくれるオークのために残しているんですよね」

「し、知らん。そんなの……」

「それならそれでいいんですけどね」


 店主はしばしその場で立ち止まっていた。

 やがて、食器を荷台に置くとクロエのところに歩み寄って、耳元でささやいた。


「お嬢ちゃん。どこで聞いたか知らんが黙っててくれないか。デザートはどうだ? 蜂蜜をたっぷりかけたクレープに季節の果物をたっぷり詰め込んだやつだ。特別な客にしか出さねぇ。怪物どもに酒を売っていることがバレると商売に悪い影響が出ちまうんだよ」

「ありがとうございます。せっかくだからいただきます」


 クロエは深々と頭を下げた。


「それでご好意に甘えるついでにもう一つお願いしたいんですが……」

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