愛と平和と肉球と
すでに夜更けだが、アルベルヒは眠れなかった。
鎧をつけているからではない。いつも冒険のときは鎧をつけて寝ている。
風呂に入らないからでもない。熱い湯の入った桶とタオルをもらって身体をふいている。もちろんその時は鎧は脱いだが、裸でもそんじょそこらの怪物には負けない。
原因はクロエである。
あの妖魔学者の少女である。
(スカートめくり……。それが事実なら、そんなくだらんことで人狼を討伐した俺の勇者としての沽券にかかわる。ここはクロエの言うことを聞いてやるか)
だが、他の問題が残っている。
アルベルヒをだましたギルドのことだ。
彼らはほかにも嘘の依頼をしたのではないか、くだらぬ理由で怪物を討伐してしまったのかもしれない……後悔の念がアルベルヒの胸を締めつける。
現にここの怪物たちは平和な暮らしをしている。
これはアルベルヒの想像だが、怪物たちを平和でおだやかな生活に導いたのはきっとクロエだろう。
そしてその想像は、人間と怪物による新しい時代が始まっているのかもしれない……。
さらにアルベルヒの不安をかき立てたのは、このまま怪物を退治しつづければ、今まで守ってきた人間たちに殺されるというクロエの予言であった。
勇者が人間を滅ぼすという噂はすでにある。アルベルヒの耳にも入っている。伝説の勇者である自分に対する嫉妬だと笑い飛ばしていたが、クロエの話を聞いたあとだと冗談事とは思えなくなってきた。
(馬鹿な……。人間を守るために戦いつづけてきた俺が、逆に人間に殺されるだと!? いくら俺が世界最強とはいえどれだけ死ぬほどの危険にあったことか……。俺は人々の平和を守るためにどれほど苦労していると思っているんだ……。くそ、くそっっ!!)
館にある美酒を何本もクロエに用意させて、全部飲んだ。
しかし、いくら飲んでも心から酔えない。
目に見えないがたしかに存在する重い現実がアルベルヒの心を苦しめる。
廊下の方から誰かやってくる気配を感じた。
酒に酔っていても鋭い感覚のおとろえないアルベルヒは、それがクロエであると察した。
ほかにも数名連れてきている様子だった。
殺意は感じられない。寝込みを襲いにきたわけではないようだ。
「勇者さま、起きてらっしゃいますか?」
「何の用だ? 鍵なら開いてるぞ」
「無用心ですねぇ」
「閉めたところで合鍵で開けられるだけだ。入れ」
クロエたちは中に入った。
アルベルヒは起きて、明かりの呪文を唱えて部屋を照らした。
すると、
「勇者さまだぁ!!」
なんと人狼たちがアルベルヒに向かって駆け寄ってきたのである。
ただし、その人狼たちはどれも小さかった。
愛くるしい子供たちばかりなのだ。
わぁい、わぁい、と小さな人狼たちはアルベルヒの身体を遠慮なく触る。
「こ、これは……」
呆然とするアルベルヒに、クロエが近づいて耳元でささやいた。
「勇者さまが討伐しようとした人狼の子供たちですよ」
「げえっっ!!」
それからクロエは人狼の子供たちに向かって言った。
「みんな。勇者さまはみんなを人間たちから守るためにやってこられたんだよ」
「……はああああああああああっっっっ!!?」
アルベルヒはクロエの胸ぐらをつかんだ。
「お、お、お、お前、な、何を馬鹿なことを言ってるんだっっっっ!!」
「勇者さまは、あなたたちのお父さんお母さんを守るためにやって来られたのです。ほら、お礼を」
ありがとうございます勇者さま。ありがとうございます勇者さま。
アルベルヒは身体を震わせていた。べつに人狼の子供たちが怖いわけでもなければ、感動しているわけでもなかった。
「何を勝手なことを言っているんだ、貴様という人間は……」
「ほら、見てください。かわいい子供たちを。勇者さまが人狼を退治したら取り残された子供たちはどうなっちゃうんですか?」
「お前……そういう卑怯な手を使うかっっっっ!! 子供は反則だろ子供はよおっっっっ!!」
「卑怯だろうが何だろうがかまわないんですよ。勇者アルベルヒさまに目を覚ましていただく……そのための手段は選びませんよ。えへへ……」
「クロエェ、貴様あああああっっ!!」
「ふぁはぐうううっっっっ!!」
「お前、俺の一番弱いところをついてくるとはっっっっ!! 情に訴えるのはありえんだろっっ!!」
アルベルヒはクロエの首を絞めた。
そして親指でクロエの気管を圧迫した。
14,5歳の少女の首を絞める伝説の勇者などまさに前代未聞。
「お前は酒場で聞いた通りの女だなっっっっ!!! とんでもない性悪女だっっっっ!! 死ねっっっっ!! 死んでしまえっっっっ!!」
「ひぎ、ぐ、ぐるぢい……」
一方、人狼の子供たちはというと、アルベルヒの剣の鞘をいじったり、オリハルコンの鎧をぺたぺたと触っては『これを売るといくらになるの?』などと気安く訊ねたりしていた。
やがて、アルベルヒは手を離した。
すっかり力が抜けてしまった。
(俺、何を馬鹿なことをやっているんだろう……)
アルベルヒは、気を抜けた顔で人狼の子供たちを見た。
人間でも怪物でも、子供は愛くるしい。
つい先ほどまでは、アルベルヒは彼らを滅ぼそうとしていたのである……。
何も知らない子供たちは、無防備でなついてくる。
そう思うと、涙腺がゆるくなる。
アルベルヒは人狼の子供たちの目を見ることができなかった。
「どうです? かわいいでしょう」
いつの間にか、クロエが幽霊のようにアルベルヒの横に立っていた。
何事もなかったかのように人狼の子供の手をとると、それをアルベルヒに握らせた。
「ほら、勇者さま。人狼の肉球ですよ。さわってみてください。気持ちいいですよぉ」
「お、俺にはできんっっっっっっ!!」
こうして、伝説の勇者アルベルヒはプヨプよとした肉球に敗れた。
村から戻ったアルベルヒは真相を確かめるために早速ギルドに行った。
あの勇者アルベルヒが血相をかえて怒鳴り込んできたものだから、ギルドの連中は大慌て、普段はアホベルヒと陰で笑っているが敵に回すと天下無敵の伝説の勇者、こうなったら責任を依頼人の村の貴族どもに押っかぶせてしまえと判断した。
上は首領、下はアルバイトにいたるまで全員土下座して、依頼の嘘をついていたことは認めたものの、じつは依頼人に脅迫されていたとか断ったら家族の命がないとか さらに嘘八百をならべると、人のいいアルベルヒはすっかり信じ込んでしまい、ギルドを飛び出てスカートめくりの現場の村へと向かった。
ギルドの連中はアルベルヒの報復をおそれて、しばらくの間社員旅行に出かけることにした。
スカートめくりの現場の村に到着したアルベルヒは、村人たちから事情を聞いた。
たしかに人狼には迷惑していた。被害がスカートめくりだけとはいえ、相手は恐ろしい魔物、このままいけばもっとひどい目に合わされると思っていたのは事実だった。
(ならば、なぜ俺に事実を隠した……)
アルベルヒは城に行って、この村をおさめる領主とその家族に面会した。
「村の農民どもを襲っている分には我々には関係ないのだよ。しかし、貴族まで手を出したとなると なんだよ」
アルベルヒはブチ切れた。
伝説の勇者である自分をだましたことについて何の反省もしていなかった。
だが、それ以上にアルベルヒが腹をたてたのは、ここの領主には民を守るという自覚がまったくないことであった。
堪忍袋の尾が切れたアルベルヒは、業火の呪文を唱えて城を焼いた。
おどろいた領主やその家来の貴族たちは兵士たちに出会うように命じたが、なにしろ相手は伝説の勇者、しかもここの領主は人徳が皆無なので、誰かこいつらのために戦うものかと兵士たちはみんな逃げてしまう。
アルベルヒの怒りは止まらない。剣を抜いて四方八方に暴れまわると城はあっという間に崩壊、さらに逃げまどう領主の残り少ない髪をつかむと、その顔面に地面にむけてガンガンと叩きつけた。
そこから先は言わぬが人情。
事件はあっという間に大陸中に伝わった。人々は口々にこう言った。
『勇者さまをだますとは自業自得だな』
クロエはやっと足りないものに気がついた。
吸血鬼に無理やり書かせた台本を読んだクロエは、さっそくそれを自分の手で書き直した。
本当に伝えたいことは自分自身の手でやらなければ伝わらないのだ。
クロエはぬいぐるみ工場に何日も泊まった。
そして脚本を書きながら、ぬいぐるみ製作を指導した。
やがて製品の試作品ができ上がったとゾンビからの報告をうけた。
その試作品を受け取ったクロエは、じつに満足していた。
それは勇者アルベルヒのぬいぐるみであった。
「やっぱり主人公はカッコよくないといけません」
クロエは を大事そうに撫でた。
手には書き上げたばかりの脚本が握られていた。
その表紙の題名にはこう書いてあった。
『人間と怪物の将来を守る伝説の勇者の物語』
(お・し・ま・い)




