メイクループ
「俺はお前を愛している」
大鷹敏郎はそう言った。
実はそれはテレビ画面の中のことであり、大鷹敏郎はここ数年で人気が出てきた33歳の俳優だった。
元々はお笑い芸人だったのだけど、コメディアンとしては目が出なかった。
だけれども、たまたま出演したテレビドラマが人気となり、彼も脇役ながらその演技力が評価され、今となってはコメディアンとしての仕事よりも役者の仕事の方が多くなっている。
今年の秋には始めての主演ドラマが深夜枠ながらも決定し、充実した日々を送っていると言えるだろう。
腰が低く、人当たりの良い性格はファンや共演者達にとても愛されているらしい。
私はそんな大鷹敏郎の姿を寝室のベットの上で見ていた。
とても隣で寝ている夫と、同一人物には思えなかった。
歯ぎしりとイビキが酷く、疲れ果てて寝るその表情と、加齢臭も漂い始めた、サバを読んでいる38歳とは言え、実年齢よりもさらに老けて見える。
「メイクの技術って凄いわね。私も教えてもらおうかしら」
私も彼と始めて合った売れないアイドルの卵で、20歳だった頃よりもずいぶんと歳を取ったと思う。そう言えば私は「愛している」なんて言われたことはなかったなとも思った。いつの間にか私が住んでいたアパートへ、お金がなかった彼が転がり込んできて、あれよあれよという間に長男を妊娠したので、結婚式は挙げずに籍を入れたのだった。
長男、次男、長女と立て続けに年子で産み、生活するだけで精一杯だったから、結婚式を挙げる余裕もお金も無かったと言うのが真相だ。
今はその頃より生活にも余裕が出て、そんな事を考えたりすることもできるようになったのだけれども、基本的に彼は愛しているなんて言えない人間だ。
芸能人なんて仕事をしているが、基本的に酷くシャイな人なのだ。
籍を入れる時も、私が気を利かせて全ての手続きをして報告すると、彼は私の方を見ないで、そうかと言っただけだったりする。
シャイなところがカワイイ人。
私はテレビ画面の中の大鷹敏郎に言う。
「私も愛しているわ」
私はテレビの画面を消すと眠りについたのだった。
大鷹麗子の出演するドラマの第一話はそうして終わった。
大鷹麗子はここ数年で人気が出てきた30歳の演技派女優だった。
画面の向こうにいる大鷹麗子と、私の隣で寝ている妻とは同一人物とは思えない。