古機(ふるはた) 誠(一年五組 出席番号十一)の愚痴④
「――であるからして……」
ということで、おれは今、授業を受けている。
ごく普通の、キャラ高の制服姿でだ。
授業の中身も、第三の目の開き方とか、自分の中にいるもう一人の自分を封印する方法、といったものではない。
これまたごく普通の――織田という名の教師が行なっている、日本史の授業だった。常に眠そうな表情の織田は、やはり今日も眠そうな表情で授業を進めている。天使のくせに少しばかり生気に欠ける織田先生は、このクラスの担任でもあった。
そう。
この一年五組の教室で展開されている光景は、八割方が正常な、どこにでもありそうな高校の風景なのだ。本当に。八割までは。
では残りの二割は何かというと、哀しいかな、それはやはりニ人――この組でキャラをエンジる生徒に集約されているのである。
彼らの、首から下は問題がなかった。他のみんなと同じ、制服姿だ。
問題は首から上、キャラの面影を残した頭部にあった。
つまり、野影純香こと『不実な執事』は、銀髪とリボンカチューシャが、黒村正之助こと『民知らずの王』は、激しく乱れた髪と波紋のような瞳が、キャラの時のままなのである。
ちなみにおれ、古機誠こと『傾国の参謀』も、やはり頭部はキャラの状態を維持している。
ただしそれは六:四に分けた髪と細長いメガネという姿なので、見た目だけならそれほど違和感はない。難を言えばメガネが通常よりも細長い作りのため、使い辛いということくらいだ。
おれは板書を書き終えると同時にシャーペンを置き、頬杖をつきながら教室を眺めた。先月の席替えで引き当てた一番うしろの窓際からは、皆の様子がよく見えた。
授業を無視して内職に励むやつ、先生が口頭で言うことまでノートに書くやつ、寝てるやつ、しゃべってるやつ、ブラウス越しに透けるブラ紐――。
その中にあって、『不実な執事』の銀髪も『民知らずの王』ボサボサ頭も、実に浮いていた。それでいて普通に(純香はウトウトしていたが)授業を受けているのだから、思わず「ねえよ!」とツッコみたくなる。
だが悲しいことに、これは現実なのだ。
入学以来、毎週のように続いてきた、確かな事実なのだ。
しかし――と、おれはあらためて思った。
なんでおれのような人間が、この学校に入学できたのだろう。
確かに、わざと落ちようとまでは思っていなかった。半ば強制的に受験する羽目になったとはいえ、一方で勉強を続けるのも嫌だったからだ。
そういう中途半端な気持ちのおれは解答用紙を白紙で出す勇気もなく、かといってどうせコレで落とされるんだろうと思いながら、面接に臨んだ。
キャラ高名物(とアイツが自分で言ってる)、「神さまによる個別一斉面接」。
そこでおれは、初めて神さまを目の当たりにした。
アイツは、テレビで見た時と同じ格好だった。帽子とサングラスで顔を隠し、首にロングマフラーを巻いた、何とも言えない感じの服装。
職員の天使は全員スーツ姿だったのに、校長であるはずの神さまだけは、チュッパチャップスまでくわえていたのだ。
もっとも、違ったところも少しだけあった。マフラーの柄だ。青と白のストライプから、黄色と赤のそれに変わっていたのである。毒ガエルみたいだな、とおれは思った。
「やあ!」
受験の面接という、人生の一大イベントに対するヤツの第一声が、それだった。不意に沸き起こった暴力的感情を抑えながら、おれは「よろしくお願いします」と頭を下げた。
そんなふうに始めから不可解な状況で行われた面接だったが、それに続くヤツの質問は、さらに奇妙だった。
「風呂に入って最初に尾骶骨を洗うことについては、どう思う?」とか何とか、そんな感じの質問だったように思う。
それについてどう答えたかは、覚えていない。そんなことに記憶使うわけにはいかないと、脳が自動で拒否したのだろう。
ただそんな質問が十分ほど続いたのちにアイツが言ったことだけは、なぜか未だに覚えている。
ヤツは口から出したチュッパチャップスの棒を指で回しながら、こう言ったのだ。
「うん、キミは実にキタナイ人間だね――」
「……は?」
おれは言われた意味がわからなかった。
神さまは続けた。
「――だって、友達のピュアな思いに乗じてこの学校に入学する口実を手に入れようなんて、実にキタナイじゃないか」
「……は?」
同じリアクションをしつつも、おれは思った。
友達のピュアな思い。
「……なんで知ってるんすか?」
「神さまだからね」
直後、唇が皮肉っぽい笑みを浮かべたのがわかった。
なるほど、神さまなのだから、それくらいは知っていてもおかしくはない。明快な解答だ。
だが、それに“乗じて”、というのはどういう意味だ。
むしろ拒んだにもかかわらず、半ば強制的に、おれはここに座っているのに。
「いやおれは無理やり――」
「ハハン――そこがキタナイって言ってるのさ。キミはしっかりわかっていたんだ。ちゃんとお膳立てしてもらえるってことがね。あるいは自分でそういう環境を創ってきたと言ってもいい。うんうん。キミはいいキャラになりそうだ。頑張り――いや頑張る必要はないな。そのままキミは、大いに屈折していたまえ」
そしておれは、その場で“合格”を告げられた。
ならせめて『CC』じゃなくて『EC』にしてくれないか、との願いも却下された。というか、言い終わる前に消えやがったのだ。
おれは呆然としながらも、「あいつはやっぱり神さまじゃなくて、悪魔なんじゃないか」と、現在まで根強く残る説を思い出していた。腐っても神さまならおれの気持ちもわかってるはずだし、ならば絶対にこんな結果にはしないはずなのだ。
おれは面接の終了を告げる職員の話を無視しながら、黒歴史となること確実な未来について絶望していた。
「――であるからして……あ、じゃあ今日はここまでにしておきましょうか」
おれが回想を終えてから二十分後、織田先生は授業の終了を宣言した。いつもチャイムの五分後に来て、五分前に終わることを忘れない、実にいい先生だ。
挨拶が終わると共に、教室のあちこちから話し声や物音が聞こえた。
おれも教科書を片付けて体を伸ばす――と、二つ前の席に座っている正之介が立ち上がり、ドアの方に向かうのが見えた。
直後、空気が変わった。
といっても、それはこの学校にいる者にしかわからないくらい微妙な変化だったが、それでもこのなごやかな教室には、糸のように細いかすかな緊張が走っていた。
やれやれ……と、おれは立ち上がった。
実際はまだ全然だいじょうぶなんだが、しかたがない。
『キャラ』ともなれば悲しくとも笑わねばならず、空腹ならずとも食わねばならず、感じなくとも喘がなくてはならないのだ。
よって未だ膀胱に余裕があろうとも、連れションくらいはやらねばならない。
「正之介――」
声をかけると、彼は振り返った。
「――トイレか? おれも行くわ」
「あ、うん」
正之介はうなずいた。
まったく――と、おれは思った。
やっぱり、自覚はないらしい。
今の自分が、というか正之介のエンジる『民知らずの王』というキャラが、どれほど警戒されているのかについては。
廊下に生徒の姿はなかった。他のクラスは、最後の三分間に必死で耐えているのだろう。おれ達はこの「H」型に作られた校舎の中、縦棒と横棒が交わる部分に設けられたトイレに向かって歩いた。
静かな廊下を進みながら、不意にあのことが思い浮かぶ。
それを彼に訊くことにした。こういうことは早めに、率直に、何度となく確認しといた方がいい。
「それで正之介さぁ――」
「ん?」
「――いつ告白すんの?」
「ふぇいぁ!?」
それは忘れられた言語による呪文のような叫びだった。
「なんだよそのリアクションは」
「だだ、だ、だって――」
「だいたいここに入ったのだって、正之介があの女――」
不意におれの体が強く前方に引っ張られた。同時に、正面から目を見開いた正之介が迫って来ていた。
「しいいいぃぃぃぃぃっっっ!!!!!!」
「ぎゃあああっっ!!!」
何年も放置された庭を連想させるボサボサ頭に、三重の同心円が描かれた瞳。ただでさえ怪しい風貌なのに、それが全力で目をむき出しにして迫ってきたのだ。そんなのに「しー(=静かに)」と言われても、叫ぶ以外の選択肢が見つからない。
しかし誰かが様子を見に来てもおかしくなかったおれ達の叫びは、廊下に響くことはなかった。ちょうどいいタイミングでチャイムが鳴ったからだ。
近くの教室で起こる物音を聞きながら、おれは胸ぐらをつかむ正之介の手を引き剥がした。
「怖えんだよ! 呪われたかと思ったわ!」
「あ、ごめん……で、でもまこっちゃんが急に変なこと言うから……」
そう言ってうつむく正之介の顔は、指で突いただけで血が吹き出しそうなくらい真っ赤に染まっていた。
まったく――
「大物ルーキー」とまで呼ばれ、一年生にして『ハルマゲドン』優勝候補とまで噂されるほどのキャラをエンジているくせに、そこのところだけは何も変わっていない。
「――わかった。悪かったよ。でもやるんなら早くやらねえと、このままズルズル行くかもしれないだろ?」
「う、うん……でも――」
だが会話はそこで打ち切られた。他のクラスの生徒がやって来たからだ。
おれ達もそれに続き、とりあえず済ますべきことを済ます。周りの生徒は皆、ごく普通の格好だった。
だが彼らの中におれ達のことを気にするやつはいない。まあ違う意味では気になっているのだろうが、それを表情に出さない程度には慣れているのだ。この学校のシステムに。
さて――と、次の授業を思い出しながらトイレを出る。
二時間目は英語だった。さっきの織田先生と違い、担当の山田はキリのいいところまでやりたがるからめんどくさい。
そんなことを話しながら教室に戻りかけた時、不意に空気が張りつめた。
「ぁ……」
隣で正之介が怯えたようにつぶやく。
だが知らぬ人がこの状況を見れば、奇妙に思うに違いない。
なぜなら正之介が見つめているのは、怯える対象とは程遠いような存在だったからだ。
それは一言でいえば、「お人形さんのような」という形容がぴったりな女の子だった。
正之介よりも小柄な体に、細い手脚。肌は朝日を浴びた新雪のように輝き、ホクロひとつ見当たらない。こちらを見つめる瞳は驚くほど丸く大きく、それでいて他のパーツと完璧に調和している。お近づきになりたいというよりは飾っておきたいと感じるほどの、絶妙な外見だった。
だが、おれ達が彼女に注目しているのは、その可愛さのせいではなかった。
それは彼女の頭を飾っている、金髪のふわふわ巻き毛と大きなネコミミという、およそ高校生らしからぬ(というか人外の)部分からわかるように、彼女もやはり『キャラ』だからなのだ。
一年三組七番 捻子森 美樹
それが彼女の所属および名前だった。
入学二ヶ月ということで、まだキャラ設定に慣れてない一年生が多い中、『無邪気』というテーマでおれたち五組と並んで強力なキャラを作り出したクラス。
そこで主役をエンジているのが彼女――いや彼女達なのだ。
「……」
捻子森は教科書を抱えたまま――おそらく別教室での授業だったのだろう――じっとこちらを伺っている。その瞳は、外見に見合わない冷めた色をしていた。
ふむ――と、おれは彼女から視線を外して周囲の様子を確かめた。
ざわざわと雑談の入り混じる、極めて平凡な休憩時間の風景。
だがその空気の奥には、おれ達への強い緊張が張り巡らされていた。廊下に出ている生徒の中には、不測の事態に備えて『EC』のやつらも待機しているのだろう。
とはいえ、と再び捻子森に視線を移し、口を開きかけた瞬間だった。
「おや、黒村君に古機君じゃないか」
捻子森のうしろに伸びる階段。
そこを上がってきた男子生徒が、彼女の右隣で立ち止まる。
おれの視線は、一気に数十センチ引き上げられた。
一年三組十四番 馬戸井 慎悟
その顔には、さっきのセリフにふさわしい、やわらかい笑みが浮かんでいる――のだが、やはりそこはキャラの哀しさというべきだろうか。メイクのおかげで、それはずいぶんと違った意味を帯びる結果となってしまっている。
腰に届きそうなほどの長髪。右耳には大量のリングピアスが並び、左の眉にも釘のようなやつが刺さっている。極端に痩せた体と高い鼻を含め、彼が浮かべる笑顔は、どう見てもイケナイクスリを売ってくれそうな雰囲気を醸し出している。
「ああ、馬戸井か――」
「こ、こんにちは……」
おれと正之介は言った。
おれたちが挨拶をしたのは、彼と顔見知りだったからだ。
いくら戦わなければならないといっても、それはあくまでキャラとしてのエンギであり、そうでない時まで険悪である必要はない。それはそれ、これはこれってやつだ(まあそうでない場合もあるみたいだが)。
そう。
それはそれ、これはこれ。
だがそれは同時に、おれ(と正之介)が馬戸井と個人的につながっていようがいまいが、こんな時には戦わなければならない可能性もあるってことだ。
それは彼も充分に承知しているのだろう。菩薩のようなやさしい笑顔の中にも、状況を探る一筋の緊張感がしっかりと縫いこまれている。
だが――と、おれは馬戸井から視線を外した。
やはり今は避けるべきだろう。
いかに正之介エンジる最狂キャラ『民知らずの王』といっても、『寄進数』第三位の彼らとガチで戦うのは得策ではない。タイマンならともかく、“三人いっぺん”なら尚更だ。
おれは馬戸井から外した視線を逆側、捻子森の左隣に立つ人物に向けた。馬戸井に遅れて階段を登ってきた彼は、未だフウフウと荒い呼吸を繰り返している。
一年三組十二番 華逆 慈
身長は正之介と同じくらい。
だが階段で息切れしているところからもわかるように、横幅はここにいる誰よりも勝っていた。それはちょうど、ラグビーボールとバスケットボールのあいだに子供が生まれたらこんな感じだろうと思わせる体型だった。髪は鮮やかなブロンドをオールバックにし、その下の丸く大きな瞳は、ぼんやりと虚空を見つめている。巨大な口は顎が外れたように大きく開いていた。
「…………」
酸素の補給に忙しいのかただの無口なのか、華逆が何かを言う気配は無い。ただやはりキャラである以上、彼も他の二人と同じ緊張感を持ってその場に立っていた。
……ふむ。
相変わらず、なんなんだこの光景は。
と、知らない人にとっては奇妙どころではない四人(一応おれは除外)が見つめ合う状況が展開しているわけだが、アグレッシブにバトルを仕掛けることで人気の彼らも、『民知らずの王』に対しては躊躇してしまうらしい。
そして当の正之介はというと、少し前から小さな声で何やらブツブツとつぶやいていた。
「――――――――――――――――――――――――――――」
それはお経をラップのリズムで読んでいるような、何とも言えない代物だった。正之介が『民知らずの王』をエンジる際、いつもつぶやいているジンクス代わりの呪文なのだ。
おれ達を取り巻く緊張感が、少しずつ増してきていた。
その直後。
「ふぁあ~あ」
露骨に間の抜けた、わざとらしいあくび。
そんな気恥ずかしい真似をやらかしたのは、おれだった。
だがこういう時は、これくらいベタな方がいいだろう。必要なのは、ただのきっかけなのだ。おれの読みが外れてさえいなければ。
「――ハハッ、古機君、寝不足なのかい?」
馬戸井の言葉に、おれはホッと息をついた。
「ああ、昨日三時間しか寝てないんだ――」
ほんとはたっぷり九時間寝たのだが、そんなことはどうでもいい。これはただの儀式なのだ。
おれは情勢が変わらない内にと足を踏み出し、儀式の締めを口にした。
「――じゃあな」
「うん。それじゃあまた」
視界の端で、馬戸井が逆の方向に体を向けるのが見えた。
直後、周囲からも緊張感が消え、どこか惜しみつつも平和な空気が戻ってきた。もっとも、それはこの学校の生徒だからわかるだけであって、あくまで見た目は平凡な休憩時間の風景が続いていたのだが。
「……ふん――」
その挑発的な声は、二歩目を踏み出したところで聞こえてきた。
振り返らなくとも、はっきりわかる。
小さい子供のようなそれは、三組の主役キャラをエンジる捻子森の発したものだ。キャラとは正反対のようでも、好戦的なところは変わらないらしい。
だがそんな安い挑発に乗るわけにはいかない。今日は昼休みには、二年生の『エージェント』が契約した注目のバトルがあるのだ。そんな日にここで戦っても、前座のようにしかならないだろう。おそらくはたいした『寄進』もされないのに、無駄な体力を消費する意味はない。
よっておれは無視して足を進めた。すぐに正之介も隣に並んだ。
彼がホッとした笑みを浮かべながら言った。
「――ありがと。助かったよ、まこっちゃん」
「いやぁ、さすがに三対一はキツイからな」
おれは応えながら、皮肉っぽく笑った。
そう。
今回の『ハルマゲドン』での注目候補である五組だが、その重責を担っているのは、実質的に正之助のエンジる『民知らずの王』だけなのである。
おれのエンジる『傾国の参謀』も純香の『不実な執事』も、あくまで彼のキャラを成立させる支柱のようなものなのだ。
三位一体というか、三人なのに一人というか――そんなおれと純香に対し、CBの『信者』達は、『寄進数』の低さとジョーカーとの関係を皮肉りつつ、こう呼んでいた。
すなわち、『食えないアヒル(ジョーカー・ダックス)』と。
(ま――どうでもいいんだけど)
おれは純香の嫌う口癖を心の中でつぶやきながら、我が教室に帰還した。
そこで展開されているのは、やはり平凡な風景だった。
残り少ない休憩時間の中、次の授業の準備をする者もいれば、構わず騒ぎ続ける者もいる。
ごくごく当たり前の、なんてことのない日常。
そこに鮮やかな銀髪と大きな黒いリボンカチューシャを付けた者さえ混じっていなければ、本当に完璧だった。
だが当の本人、野影純香は、そんなことを気にする様子など微塵も見せない。窓際で仲の良い友達と一緒に、「キャハハハハ!」という擬音がぴったりの明るい表情で笑っている。
おれと正之介がそばを通りかかると、彼女はこちらに振り向いた。
「あ、マコ。あんたどこいってたのよ?」
「便所だよ」
なんでそんなどうでもいいこと聞くんだよ。それとその呼び方はやめてくれって何度も――と振り返ったところで気づいた。
銀髪の奥から見つめる瞳に込められた、意味あり気な視線に。
「……あぁ――」
おれはつぶやいた。
そのキラキラと輝く目に宿るのは、まぎれもない“恋の炎”。
ただしその対象は断じておれなどではなく、さらに言えば彼女自身のものでもない。
純香はおれにだけわかる程度に視線を移すと、すぐに友達との会話に戻った。
おれはやれやれと自分の席に戻り、頬杖をつきながらその場所を見つめた。
黒板の近く。
そこにある窓に向かって、正之介は立っていた。
ぼんやりと夢見るような視線を追って、グラウンドに目をやる。
その一角に、ジャージに身を包んだ集団が、ゆるやかな固まりを作っている。
五階のここからでは、彼女がどこにいるのかはわからなかった。
けれど、正之介には見えているのかもしれない。
『三年六組九番 神木 春風』の姿が。
それは、八年越しの片想いだった。
きっかけは、小学生になった正之介が、集団登校の時に神木先輩と一緒の班になったことだった。当時からやさしい性格だった彼女は、何かとドジを踏むあいつの面倒をよく見てくれたらしい。
それからどのようにして恋心が芽生えたかの詳細は省くが、ともかく正之介は神木先輩に恋をして――けれどその想いを伝えることはできないまま――この高校に入学したのだ。
それは彼女がここにいたからでもあり、かつ想いを伝える勇気を持つためでもあった。
これなら気が弱く勇気のない自分を変えてくれるかもしれないと、正之介はエンギに身を捧げる道を選んだのだ。過去に幼稚園の発表会でスズムシの役しかやったことのないあいつが、自分で決めたのだ。
そして――と、おれは思い返していた。
その手の話を大好物とする純香が、感動のあまり自分達も協力すると言い出し、何の考えもなくこの高校への進学を決めたことを。
またそんな彼女と妙に気が合い、人生の重大事を勢いで決めた母親が勝手に願書を出しやがったことを。
さらにそんな展開に呆然としていたおれに、二人が一緒ならがんばれると宣言してとどめを刺してくれた正之介のことを――だがそのピュアな想いとは裏腹に、ものすごい勢いで間違った方向に進む羽目になったあいつのことを、おれは思い返していた。
教室にチャイムが鳴り響いた。不意に会話が止まり、あちこちで物音がした。
扉が開き、数学担当の佐藤先生が入ってきた。やたらと痩せた体格に、ゆっくりとした歩行。どちらかと言えば救済される側のようだが、やっぱりアレも天使なのだ。
ちなみにメチャクチャな制度の組み込まれたこのキャラ高だが、哀しいことに学校としてはかなりの評判を誇っている。
だがそれは決して、CBが行われているからではなかった。
それよりはむしろ、「すべての職員が天使」という要素の方が圧倒的に大きかった。肩書きだけのそれとは違う、本物の聖職者である彼らに対する信用が、この学校を成立させている条件のひとつなのだ。
日直の号令がかかり、皆が一斉に立ち上がる。
おれは着席すると同時に、再びグラウンドに目を向けた。
目鼻が見分けられなくなるほどに小さい、三年女子の集団。
だがその中に一人、ここからでもはっきりと見分けられる生徒がいた。
鮮やかな金髪に、右目を覆う割れた仮面のような形の眼帯。静かにたたずんでいる姿は、ここからでもオーラを感じられる。
三年六組七番 戈倉 陽子
前回の『全国大会』で三位となったキャラをエンジる彼女。
その実績は校内二位の『寄進数』を持つおれたち五組を遥かに引き離し、現在『KAMISAMA立 キャラクターズスクール “羽舞原校”』において、堂々の一位を獲得するほどの影響力を持っている。
それも、今回の予選ではまだ三回しか戦っていないにもかかわらずだ。
キャラのテーマは、『英雄』――その二つ名は、『神の瞳』。
それは全国に四人しかいない、“神”の二つ名を持つことを赦されたキャラの一人だった。
その名を頭に思い描くたび、おれは思う。
まだ『傾国の参謀』の方がマシだろうか、と。
あけまして、おめでとうございます。
新春一発目の更新です。キャラも用語も、一気に増えました。
そしてまだ増えていきます。
できるかぎり短い間隔で更新したいと思いますので、どうか忘れないでやってください。
ここまで読んでくださった方、まことにありがとうございました。
それではまた次回、お会いしましょう。