古機(ふるはた) 誠(一年五組 出席番号十一)の愚痴③
「『つい』……あっ、わかった! 『タイマン』!?」
「うん。めっちゃ顔キラキラさせとるけど、ちゃうで。それは『対話』や」
「しかも意味反対なっとるやん。なんで平和なコミュニケーションが、プライド賭けたどつきあいなんねん」
「で――でも拳だからわかりあえることだってあるでしょ!?」
「「昭和か」」
完璧なハーモニーでツッコまれた彼女は、「う……っ!」という断末魔とともに力無く机に突っ伏した。
「ハァ――やっぱ全部にルビ振らなアカンかぁ」
「せやねぇ。なんせ『刺客』が『らいきゃく』やからねぇ。命狙てるやつを接待して、どないすんねんっちゅう話やん?」
言いながら、『ライター』である双子姉妹――「小円 日目」および「玻波」は、目の前で凹む彼女の手から本を抜き取ると、そこに書かれている様々な二字熟語にルビを振っていった。
やれやれ――と、おれは本日何度目かも忘れた心の中のため息をついた。
だから無理だと言ったのに。あいつは小三まで「五つ」を「ごっつ」と読み、小五の時にも「ごっ――」と言いかけ慌てて口をつぐんだようなやつなのだ。
そんなやつが『二字熟語で会話する』などというキャラをエンジるなど、無理に決まっているのだ。
「……古機くん?」
その声で、おれの意識は戻された。
顔を正面に向け、胸元に手を伸ばす人物に焦点を合わせる。
「うしろを向いてくれるかしら?」
「ああ」
相手の手が離れ、おれはその場で反転した。再び伸びてきた手が、襟や袖を確かめるようになでる。
「今日もカノジョの心配?」
「いや――べつに」
「いいわねぇ。あたしも見守っていてくれる人がほしいわぁ」
直後、できたわよ、と言われたため、おれは重ねて言いかけた否定の言葉を心の中のため息に変え、再び相手と向き直った。
「……うん。今日も完璧ね。かっこいいわよ。『傾国の参謀』ちゃん❤」
上から下までじっくりと観察したのち、彼はニンマリとした笑みを浮かべた。そこに意地の悪いものを見て取ったおれは、渡されたダテメガネをかけながら応えた。
「完璧なのは、一引の方だろ?」
ベリーショートの髪、両耳のピアス。モデルのような体格に、鼻にかかったような声。さらには頬に添えられた手。
『スタイリスト』である彼――「一引 七緒」は、それこそ自身のオカマキャラを体現するようなパーツで自分を固めているのだ。
そんなおれの嫌味に対し、一引は軽く笑って言った。
「ふふ――オカマは『エンギ』こそが現実なのよん♪」
「だったら変わるか? お前がエンジた方がよっぽどいいんじゃないか」
「あらダメよ。そんなことしたらまた『設定』を考えなきゃいけないじゃない❤」
フォックスちゃんとのラブロマンスなら考えてもいいけど、と一引が頬に右手を伸ばしてきた時点で、おれは負けを認めてその場を離れた。相変わらず、本気がどうかわからないところが怖い。
「お? 『傾国の参謀』も用意できたんか。ほんなら『セリフ合わせ』しよか」
「ま、しやけどあんたは『不実な執事』とちごて、あんま直すとこないねんけどな」
「それはよかった」
応えながら席に着くと、先週の『CB』の時のセリフ回しについて指摘する小円姉妹の話を意識半分で聞きながら、横目で隣を伺った。
彼女は、未だ机の上に突っ伏したままだった。
まだ凹んでんのか――と思ったところで気づいた。
ゆっくりと膨らんでは、しぼむ背中。
スースーと繰り返される穏やかな寝息。
(……子供か!)
「おっふ――!?」
小声でツッコミつつ横腹に手刀を極めると、彼女は熱いおでんを口にした時のような声と共に上半身を起こした。にらみつけてくる視線をはっきりと感じたが、気にせず無視する。やがてあきらめた彼女は、カンペ兼「小道具」である本――ルビの振られたそれに視線を向けた。
「――って言うたんは、『やぶさかではありません』っていう言い回しの方がええと思うねん」
「もって回った言い方がフォックスはんの特徴やからね」
「なるほど――」
応えながら、おれの眼は再び隣に向けられていた。
(『笑止』……? これ『しょうてん』じゃないの!?)
じゃねえよ。つーか、そんなご長寿番組のタイトルをお前の『キャラ』が言うわけねえだろ。
なんだか日に日に残念なことになっていく気がする彼女を見ながら、やはり心の中でため息をつく。
まあ彼女の漢字に対する著しい勘違いは今に始まったことではないとはいえ、その『キャラ』でそれをされると一層の悲哀を帯びることは確かだった。
普段はややクセのついたマニッシュショートの髪に引きしまった長い手脚、そして喜怒哀楽のはっきりした表情が特徴の彼女だが、毎週の土曜日――つまり、「野影 純香」という一人の人間から『不実な執事』というキャラに変わる時、それらの特徴のほとんどは封印されてしまう。
後者の彼女ときたら、長いストレートの銀髪に黒いリボンカチューシャを付け、体には大きなリボンタイが特徴的な、黒い半袖のゴシックドレスを身につけている。また手脚も、黒のロンググローブとロングブーツで覆われているのである。
そんな姿の彼女が「笑止」という熟語に困惑する様は中々に物悲しい光景であったが、それでも『本番』ともなれば神秘的かつ知的な雰囲気を帯びるのだから、不思議でしょうがない。
最初に聞いた時は思わず笑ってしまったものだが、もしかしたら純香は彼女の親が言うように、器を持っているのかもしれない。女優とやらの器ってやつを。
まあ……と、おれは正面に視線を戻しながら思った。
だとしてもおれにはどうでもいいんだけど。
「――ほいで……こんくらいやろか。玻波っちは何かある?」
「いんや。ウチもそんくらいでええと思うで?」
……ちなみに、『ライター』である小円姉妹が着ているのは、普通の制服だった。フロントにプリーツの入ったブラウスが特徴といえば特徴だが、それでも充分に高校生に見える格好だ。
そしてそんな普通の学生の格好をしているのは、彼女達だけではなかった。
『ヘアメイク』である宵座まどかも。
『スタイリスト』である一引七緒も。
服装だけなら実に普通の高校生なのだ。
そう。
この喧騒に満ちた教室兼『スタジオ』という空間で非高校生な姿をしているのは、『不実な執事』を含めた三人だけ。
その中には(決して認めたくはないが)このおれ、『傾国の参謀』も含まれている。
あるいはこんな二つ名を持っていて、普通の格好をしている方がおかしいのかもしれない。
しかし、こんな昔のヨーロッパの貴族のような服装は、さすがにキツイ。
白のワイシャツに黒のボタンベスト、さらにはそろそろ本格的な夏がやってこようかというこの時期に、おれは立襟の付いた黒のロングコートなんて代物をお召しになっているのだ。コートの左胸と袖先には金糸で刺繍が施されており、それが時代錯誤な雰囲気をいっそう高めてくれている。
その首元に大きな白いスカーフのようなもの(クラヴァットというらしい)を巻いたのが、今のおれの姿なのである。
髪をきっちり六:四に分け、細長いメガネをかけた顔。
正直おれはこの姿になるたび、自分で自分に引いている。
だが仕方ないのだ。
いちど約束してしまったからには。
あいつのキャラ設定上、おれの『傾国の参謀』も彼女の『不実な執事』も、必要なキャラなのだ。
あいつ――おれの古くからの友人にして、このスタジオの生み出した最狂キャラをエンジる彼は、いま黒板近くの窓際で『プロデューサー』と向かい合っている。
そいつは今、あちこちが汚れていながら、それでいて妙な迫力を醸し出している、黒のロングコートを着ていた。
髪型は激しく乱れ、顔全体は病的に白く、しかし目の周りだけが黒く縁取られている。おまけにその瞳の周囲には、波紋のような同心円が三つ、くっきりと浮かび上がっていた。もちろんそれはおれや純香と同じように、メイクによって作り上げられた代物だった。
そんな彼は、おれや純香と違ってすでに『キャラ』に成りきりつつある。
顔を下に向けて相手を見上げるように見つめる様は、このスタジオのテーマである『狂』をしっかりと体現している――ように見えるのだが、それでも『プロデューサー』には不満らしく、先ほどから何度も厳しいエンギ指導を繰り返していた。
そのたびにあいつは素に戻り、ビクビクしながらも必死の表情で指導を聞いていた。
すると不意に『プロデューサー』がこちらに振り返り、叫んだ。
「『スマイリー』! 『ロング』! 準備できたのか!?」
「ほ~い。ええよ~」
「こっちもちょうど、でけたとこよ~」
小円姉妹が応え、それに合わせておれはやれやれと立ち上がる。隣の純香も――熟語をボソボソとつぶやきながら――やはり立ち上がった。
「よし、じゃあお前達は……」
『プロデューサー』が言った瞬間だった。
ヒュッ――と、風を切って襲いかかってくるものがあった。
常人の目には捉えられないであろうそれを、しかしおれは人差し指と中指であっさりと受け止める。
「……まったく、何のお戯れですか?」
おれはそう言って、指のあいだのトランプを投げ捨てた。
「無駄……」
『不実な執事』の方も、静かなまなざしを本に向けたまま、手の中のトランプを落とした。
「――――ふん」
そんなおれ達を見て、『プロデューサー』こと「暮継 百夜」は、薄い笑みを浮かべた。趣味はランニングといった感じの爽やかな外見とはかけ離れた、底意地の悪い笑みだ。だがこのトランプと同じく、その笑みにもすっかり慣れてしまった今となっては、特に感じるものはない。
暮継は視線をおれ達の後方に向けると、クラスメイトに向かって言った。
「よし! じゃあみんな片づけに入ってくれ! そろそろ授業が始まるぞ!」
は~い、と教室中の『スタッフ』が応え、スタジオ内の様々なアイテムが、手際よく片付けられていく。
「まこっちゃん――」
「ん?」
そっと呼ばれたその声に、おれは振り返った。
中学生になってから、おれをそう呼ぶやつはずっと少なくなった。
というか、この教室にかぎって言うなら一人しかいない。
「――今日もよろしくね」
「……あぁ」
おれは頭半分ほど下にある瞳を見ながら、心の中でため息をつく。
たとえ奇抜なメイク越しであっても、その素朴な笑顔を前してはなかなか言えない――「お前やっぱり騙されてるぞ」とは、なかなか。
彼は次に純香に振り向くと、同じように言った。
「スミちゃんも。よろしく」
彼女は無表情のまま、つまりキャラをエンジたまま、コクリとうなずいた。
だが付き合いの長いおれにはわかっていた。
彼女も、彼と同じくらい気合が入っている。
というか、そもそもおれがこうなった原因の七割は彼女にあるのだから、まあ当然だろう。
「よし、じゃあお前達、最後に流れ確認すんぞ」
暮継の言葉に、おれたちは『プロデューサー』である彼の前に立つ。
(やれやれ――)
だがこうなってしまった現在、もう引き返すことは不可能だった。いちど引き受けてしまった以上、事が成就するその日まで、おれは耐え難きを耐えながら『傾国の参謀』をエンジ続けなければいけないのだ。
しかし――と、おれは彼を見つめながら思った。
こいつは本当にできるのだろうか。
我が友人にして、この組の主役キャラをエンジる彼――「黒村 正之介」。
その二つ名は、『民知らずの王』。
それはおよそ一ヶ月後に開催される『ハルマゲドン』において台風の目、人によっては優勝候補とまでされるほどのキャラなのである。
しかしそれをエンジる正之介の願いは、『ハルマゲドン』に優勝することでも、有名になることでもない。
彼の願いはただひとつ。
エンジることで度胸をつけて、いつかあの人に告白したい――
だがそのピュアな思いに反し、ものすごい勢いで間違った方向に進んでいるとしか思えないのは、おれだけなんだろうか。
ここまでお付き合いくださった方、まことにありがとうございます。
一挙二話掲載。キャラも文字数も増えました。
できたら年内にもう一回更新できたらいいな、と思っています。