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古機(ふるはた) 誠(一年五組 出席番号十一)の回答

作品は、見る人間によって解釈が変わる。

だがそれは、おれ達の関係を知っているやつがあんな作品を創っていいことを意味するわけではないのだ。


(マコ――それでどうするのよ)

(いま考えてるところだ)


おれと純香すみかは、事態を見守りながらささやいた。

暮継くれつぎをぶん殴りに行きたいのは山々だが、目の前ではそれ以上に重要なことが進行している、のかもしれないのだ。


今いるのは、二階の家庭科室だった。

おれ達は机の陰に隠れ、二人の様子をうかがっていた。


二人とは、黒村正之介しょうのすけ神木春風かみき はるかぜのこと。正之介はおれ達の幼なじみで、神木先輩は、あいつの(八年越しの)片想いの相手である。

おれ達が暮継を探して校舎を走り回っていたところ、家庭科室に向かう正之介を見つけた。

それを追って中に入ろうとしたところ、そこに先輩がいたことに気づき、もうひとつのドアから忍び込むことにしたのだ。


家庭科室には、屋台に使う食材などが積み上げられている。先輩も正之介も、誰かに頼まれて来たのだろう。

教室にも廊下にも、人の気配はない。つまりは絶好のチャンスだったのだが、それだけに「あのこと」が、よけいに悔やまれた。


(クソ――)


勘違いするように創られた映像。事実を元にした嘘。

スマイリーとロングを救い、しかしそれ以上に現実をややこしくしてくれたアレのおかげで、こんなことになっているのだ。


「そういえば惜しかったね。ハルマゲドン。あれエンジてたの、黒村くんの友達でしょ?」

「ぁ――――は、はい! そうなんです! まこっちゃんは頭良くて、すみちゃんは強いし、いつも助けられてて。このあいだも――」


ちょっと待て正之介。褒めてくれるのは嬉しいが、おれ達を売り込んでどうすんだ。

それよりは自分のことを話し、相手のことを知るんだ。一方的に探って得るだけじゃなく、お互いに渡しあうんだ。お前に必要のはコレクションじゃなくて、コミュニケーションなんだ。


しかしそんな願いもむなしく、正之介はおれ達のことを売り込み続けた。

そんなあいつの話を、神木先輩は変わらぬ笑顔で聞き続けている。なんてやさしい人だ。こっちは飛び出そうとする純香を押さえつける右腕が限界を迎えようとしていたが、おれはがんばって耐えることにした。


「そうなんだ。いい友達だね」

「ぁ――はい!」


目的は達せられたと言わんばかりの表情で、正之介は応えた。

そんなあいつに天使の微笑みを浮かべながら、彼女は続ける。


「それなら、黒村くんがあの子を好きになっちゃうのも、しかたないよね」

「ぇ――――――――?」


あぁ……。


キョトンとする正之介を見ながら、心の中でため息をついた。

やっぱりアレを見た人は――『配膳時間』のPVを見た人は、そう思うのだ。


『配膳時間』とは、ハルマゲドンの前半終了後に設けられる、再投資のための時間のこと。

それまでに倒されたキャラのKを他キャラに分配できるこの時間には、各スタジオが創ったPVプロモーションビデオが流されることになっている。そうしてキャラを宣伝し、再投資をアピールするのだ。

映像の中身は様々で、シンプルな殺陣たての場合もあれば、ダンスやセルフパロディ、あるいは我がクラスのように、「ドキュメンタリー」なんてものをアップするところもある。


ハルマゲドンに向け、必死で取り組むクラスメイト達。ぶつかったり、悩んだりしながらも、彼らは少しずつ前進していく――と、おそらくはそんな感じの内容を想像するだろう。

一年五組のそれも、ある意味ではそうだった。

失敗に対する悔し涙。そこに差し出されるハンカチと、仲間の温かい手。泣いているそいつを必死に励まし、奮い立たせる。その様子を陰から見守る、別の仲間――


しかし泣いていたのが正之介で、それを励ますのが純香、そんな二人を見守るおれ、という素材を暮継が調理した時、できあがったのは、ドキュメンタリーという名のフェイクだった。

つまりそのPVは、まるで純香が正之介に、さらにはおれが純香に片想いしているかのように見える作りになっていたのである。


映像は、スマイリーとロングのキャラ作りを、大急ぎで進めていた時のものが使われていた。

おれ達の外見はキャラの格好に加工されており、ジョーカーやスマイリーが泣いたり笑ったりする様子は、実にシュールな絵面だった。


しかし最初にただ笑っていた視聴者は、奇妙な格好での大まじめなやり取りに、少しずつ引きこまれていくことになる。純朴な正之介、直情的な純香、いかにもひねくれた感じのおれというバランスも、興味を持たせやすい位置づけだった。

そこに前後関係を絶妙に編集した映像と、思わせぶりなナレーションを入れることによって、最悪にすばらしい青春物語が誕生したのである。


エンジることに青春を捧げた正之介の、華々しいデビューと挫折。そんな彼に対し、自分の想いを抑えながら励ます純香と、同じ苦しみを抱えた誠。

特に、ジョーカーとあまりに異なる正之介のキャラクターは、見る者をして応援させずにはおかないほどのインパクトがあった。

そしてその印象はそのまま純香と誠に受け継がれ、スマイリーとロングに多くの寄進が流れ込んだのである。


おれと純香がPVの内容を知ったのは、ついさっきのことだ。ハルマゲドンで敗けたあと、すぐに打ち上げが始まったため、確認する暇がなかったのだ。

そのことを思い出したおれは、CBキャラクターズ・バトル専用サイトを立ち上げ、そこでPVを確認した。

その結果、こうして家庭科室の片隅で、盗み見をするはめになっているのである。


暮継をぶん殴ることも重要だが、元はと言えば彼らの件があったからこその問題だった。

大切なのは、二人が無事にハッピーエンドを迎えること。そうすればおれ達も安心して暮継をぶっ飛ばすことができるのだ。


「ぁ……ぁの…………それは………………じゃなくて……」

「え?」

「ふぅ!?」


不意に耳を近づけてきた先輩に、正之介が出産間近の鹿のような悲鳴を上げた。


(正之介、がんばれ! こうなったら、想いのたけをぶつけるんだ!)


だがそんな願いとは裏腹に、正之介の意識はブラックアウトしかかっていた。片足を引き、顔を真赤にしながら、かすかなうなり声を発している。


「……黒村くん?」

「ぅ――ぁ――――」


ダメだ。

たとえどれだけ不自然だろうと、おれ達が出ていくべきかもしれない。

そう考えた瞬間だった。


「ぬあ!」

「きゃ!?」


何かに引っ張られたかのように、正之介がうしろへと飛んだ。着地と同時に体を折り曲げ、そのまま動きを止めてしまう。


「黒村、くん……?」


だが先輩の呼びかけにも、反応はなかった。上半身を力なく投げ出し、彫刻のように固まったままだ。


「……ふ――――」


それから数秒後、不意にその体がピクリと動いた。

直後。


「ヒャアアアアアホウゥゥゥゥッッッ!!!!」

「いやあっ!?」


奇声と共に、正之介が天を仰ぐ。おれと純香もうっかり叫んでしまったが、神木先輩のそれに上手く紛れてくれた。

血走った目で先輩を見つめながら、正之介は言った。


「……見つけたぜ――」

「ひぃ!」

「おれの魂にふさわしいからだを。前のは、虚無ヴォイドに置いてきてしまったからなぁ……ヒャハハハ!」


正之介の足が、前に踏み出された。唇は歪んだ月の形に吊り上がり、瞳は狂気に染まっている。


お前いったい――と、思ったところで気づいた。隣を向くと、純香が小さくうなずいた。

そう、あれはジョーカーだ。正之介は、『民知らずのジョーカー』をエンジているのだ。


その目的は、ただひとつ。

「黒村正之介」では言えないことを、「ジョーカー」に伝えてもらうためだ。そのために、あいつはメイクもなしにキャラをエンジているのだ。

ちなみにあいつが言った「虚無ヴォイド」云々とは、ジョーカーが引きずり込まれた(という設定の)異次元空間のこと。

どうやらあのジョーカーは、そこから脱出してきた(という設定)らしい。

あいつの中でどういう理屈になっているのかはわからないが、そんなことはどうでもいい。

今の場面で重要なのは、八年越しの想いを伝え――願わくば最高の結末を迎えることなのだ。


がんばれ。


おれは正之介に祈った。それがお前にできる形なら、それでやるしかない。虚構キャラでも何でもいいから、真実おもいを口にするんだ。


がんばれ。


おれは神木先輩に願った。我がクラスが誇るスーパールーキーの狂気は、想像を絶するものがあるかと思いますが、どうか最後まで逃げないでいてください。たとえ気絶しても、おれ達が丁重に保健室までお運びしますから。


背中を曲げた姿勢で先輩を見つめながら、正之介は言った。


「すぐにわかったぜ……お前を見た瞬間にな。よくぞここにいてくれた。これこそまさに、運命ってやつじゃないか? (はじめてあったときから ずっとすきでした いまぼくがここにいるのも いまそこに あながたいるからです)」


……おお。聞こえる。聞こえるぞ、正之介。セリフの裏に隠された心の声が、おれにはハッキリとな!


(ねえねえ……。先輩、おびえてない……?)


何を言う! まだ――大丈夫だ! たぶんな! というか、耐えてくれ!


おれは純香の訴えを無視しつつ、引きつった笑顔の先輩に念を送った。

そんな彼女に、正之介が右手を差し出した。


「さあ腕を取れ……貴様には最高の悦楽を与えてやろう。禁忌を日常とした者だけが得られる、至福の愉悦だ。普通ならば決して得られぬそれを、その美しき肉魂に教えてやる(あなたにあうために わたしはうまれました だからどうか わたしのてを おとりください そして これからのわたしのすべてを あなたのために つかわせてください)」


狂気に乗せた八年分の想いは、すさまじいエネルギーとなって先輩に降りかかった。

彼女は右足を半歩下げているものの、とりあえず逃げ出す様子はない。立ったまま気絶なんてことにもなっていないようだ。


となれば、あとは先輩が、狂気の裏に縫い込まれた想いに気づいてくれるかどうかだ。

もちろんこれが普通の人なら絶望的だろうが、神木先輩は正之介と同じ『アクター』なのだ。彼女なら、あいつのエンギに何かしらは読み取ってくれるはずだと信じたい。


そんな分析とも願望ともつかない思いで見つめていると、不意に先輩が右足を戻した。

そして右手をまっすぐに伸ばし、彼女は言った。


「わたしのなかの勇気よ――」


まっすぐに伸ばした人差し指が、正之介の額に向けられる。


「白き光となり すべてを浄化せよ」


彼女の目が力強く見開かれた。


「ホーリー・ウェーブ!」



「……あれ?」


沈黙に包まれた教室の中、神木先輩がつぶやいた。


「もしかして、エンギの練習じゃなかった……?」


……うん。そうですよね。そんなところですよね。


やはり正之介の想いは読み取られることなく、(それでも)エンギの練習だと解釈してくれた先輩は、自身もキャラで対抗したのだ。


「……ハッ!? あ、いえそんな……ありがとうございます! 勉強になりました!!」

「よかった。でも熱心なのね。こんなところでも練習を欠かさないなんて」

「はは……えへへ……」


……終わった。


正之介の全身全霊のエンギは――それこそ八年間の集大成は――ものの見事に何も残さなかったのである。

告白する勇気が欲しいとキャラ高を目指し、そこで圧倒的な注目を集めたキャラは、あいつにまともなセリフひとつしゃべらせることができなかった。


(やれや――おっふっ!?)


そんな徒労をため息に変えて吐き出そうとした瞬間、脇腹を激痛が襲った。原因はわかっている。それでも半ば義務的な思いで、おれは隣を向いた。


(……何だよ)

(なにあきらめてんのよ! ショウがピンチじゃない!)

(どうしようもねえよ。代わりに告白するわけにもいかねーし)

(でも……だったら暮継ぶっ飛ばしに――)

(それであいつが納得するならな)

(ぅぅ――――)


純香が不満たっぷりにうなる。

その不満が怒りへと変わり、口から飛び出そうとしている。

爆発不可避を悟ったおれは、二人への言い訳を考えておくことにした。

その直後。


なんであんたはいつもそうなの!?


「って、さすがにでかすぎんだろ!」


予想をはるかに超える絶叫に、思わず立ち上がってしまった。

しかしおれは正之介たちに振り向くこともなく、そのまま固まっていた。


「ハロー♪」


しゃがんだまま、そいつがヒラヒラと右手を振った。

純香の代わりにそこにいた者。

誰もが知っているそいつの名を、おれはつぶやいた。


「……神さま」

「そう。ボクは神さまだ。“さま”を漢字にしないところに可愛げを感じてくれたまえ」


チュッパチャップスをくわえながら、そいつは言った。


「……なんだ。時間を巻き戻しにでも来てくれたのか?」

「ん~、まあそれもいいけどね。ただどうしても“因子”は残っちゃうから、キミの望む結果にはならないかもしれないね」

「……どういうことだ」

「つまり目の前の“これ”がひとつの過去かたちとしてできちゃった以上、それは巻き戻された現在においても存在してしまうってことさ。現在っていうのはすべての過去を包摂することによってのみ成立する事象だからね。まあ時間を不可逆として捉えた時には矛盾が生じるかのように――」

「わかった。とにかくやる気は無いってことなんだな?」

「辛辣だねぇ。もう少しくらいボクを敬ってもいいんじゃないかな。仮にも神さ――いや“仮”じゃねえよ。めっちゃ神さまだよ」


やかましい。おれはお前との面接の時から、無神論者になると決めてるんだ。いない者を敬うことなんてできるか。


おれはやつの提案を鼻で笑うと、視線を正面に向けた。

そこにはやさしく微笑む神木先輩と、泣きそうな顔を必死に取り繕う正之介の姿があった。彼らは彫刻のように固まったまま、ピクリとも動かなかった。

そのことに対して、おれは何とも思わなかった。隣にこいつがいる以上、目の前でゴキブリが人型に進化したって驚く必要はないのである。


「で、何しに来たんだ?」


おれは神さまに言った。ちなみに服装はいつもどおり、シャツとパンツに帽子とサングラスとロングマフラーを身につけた、年齢および性別不詳の格好だ。威厳は何ひとつ感じない。

ふわりと空中に浮かんだ神さまは、胡座を組んだ姿勢で応えた。


「なに、がんばったキミに、特別賞をあげようと思ってね」


そう言って、やつがジャケットのポケットから取り出したのは、小さなナイフだった。


「それは――」

「キミがブービーに投げたものだ」


ナイフをもてあそびながら、神さまは言った。

そう、それはスマイリーが護身用として持っている(という設定の)ナイフだった。ハルマゲドンの時、おれはそれをブービーに投げつけたのだ。


「これには、“神殺し”の力が備わっている」

「――は?」

「キミはボクに不満を感じているんだろう? だからあげるのさ。その怒りを行使するための権利をね」


やつの手の中で踊っていたナイフが、放り投げられた。目標はおれの胸元。反射的に動いた両手が、とっさにそれを受け止めた。


「……危ねえだろ」


といっても、実際は模擬ナイフなのだが。


やつは正之介達を見つめたまま、ナイフの使い方を簡潔に説明した。


「それで刺せばボクは死ぬ」


おれは手の中のものを見つめた。刀身が光り輝いてるわけでもなければ、不思議な紋様が刻印されているわけでもない。ただの模擬ナイフだ。


「ほんとに死――つーか、死んだらどうなるんだ?」

「世界から神さまがいなくなる。過去からも現在からも未来からもね」

「……それって、世界はどうなるんだ? それにあんた、さっき“因子”がどうとかって言ってただろ?」

「んん~嬉しいねぇ。ちゃんと覚えててくれたんだ。でも心配することはないよ。それはキミタチのルールであって、神さまには適用されない。徹頭徹尾、ボクは何も残さず消える。キミの“神殺し”の記憶を除いて、ボクはどこからもいなくなる」

「記憶は残んのかよ……」


べつにECエキストラ・クラスに行けたらそれでいいんですけど。ていうか、記憶とか残さないでほしいんですけど。


「ん~、それは無理さ。だってキミは、神の意志に反しようとしてるんだからね。だったらその望みがどれほど些細であれ、こうするしかないのさ。それに秩序のためには常に誰かが例外を背負せお


そこで言葉は途切れた。やつは口を半開きにしたまま、首元に突き立てられたナイフを見つめた。


「……嘘じゃねえかよ」

「んっん~、だいた~ん。いやびっくりだねぇ。せめてキミ、もうちょっと叙情を入れようよ」

「やかましい」


心底うれしそうな神さまに、おれは言った。抜いたナイフには血の一滴すらついていない。貫通したはずのマフラーも、もちろん無傷だ。


「ああ違うんだ。神さま嘘つかない。効果は本当だ。ひとつ、条件があるだけでね」

「条件?」

「うん。それは、キャラの時じゃないと使えない」

「それって……」


ハルマゲドンで優勝しろってことかよ。


CBに登場するすべてのキャラは、あらゆる時代のあらゆる地域から、強い願いを持った者を神さまが集めてきた、という設定を持っている。

そのため、ハルマゲドンが終了すると、優勝キャラは願いが叶った時の映像をエンディングとして制作することになっている。


確かにその時なら、キャラとして神さまと対峙できるが――


「意味ねえじゃん……」


もうCBには出ねーんだし。


今回はあくまで正之介のからみがあったからであり、あいつが(結果はともかく)目的を果たした以上、もうキャラをエンジる理由はない。あとは所属クラスの優勝を願って、できるかぎりささやかなお手伝いをさせていただく次第であります。


「そうか。じゃあ好きにしたまえ。自由意志はキミタチの特権だ」


おまえ面接の時、思いっ切りおれの意志を無視したじゃねえか。


だがその抗議が伝わることはなかった。

その時にはすでに、やつの姿は消えていたからだ。



(ちょっと!?)


不意に世界が歪み、気づいたら床に転がされていた。


(なんで立ち上がってんのよ!?)

(……すまん)


純香を見上げながら、おれはつぶやいた。寝転がったまま、制服のポケットに手を入れる。そこにナイフは確かにあった。


……まあ、どうでもいいんだけど。


あれが夢などとは思ってないし、これにも確かに“神殺し”の効果があるんだろう。

だが、もう関係ないのだ。エンジるつもりのない、おれには。


ナイフから手を離し、そっと上体を起こした。

机の陰から顔を出し、様子を見守る。幸い、正之介達には気づかれなかったようだ。


しかし、それで何がどうなったわけでもない。

今も正之介の告白は失敗したままなのである。


「――あ、ごめんなさい。そろそろいくね」


そう言うと、神木先輩は近くの机に置かれたダンボールに手を伸ばした。


「ぁ――」


と、正之介がつぶやく。しかしそれはすぐに、


「ぁ……」


という、諦めへと変わった。

野菜の入った箱を抱えた先輩が、ドアへと向かう。

失意の正之介は、呆然と彼女を見つめるしかなかった。


「ねえ、黒村くん――」

「ぇ……?」


だが、ドアにたどり着いたところで、不意に先輩が振り返った。

きょとんとする正之介に、彼女がやさしく微笑みかける。


「“ホーリー・ウェーブ”をかけたんだから、今度はちゃんと言ってね?」


それだけ告げると、神木先輩は去っていった。


「……おお」


おれは、思わず声に出していた。

だがそれに反応する者はいなかった。純香も正之介も、ぽかんとドアを見つめているだけだ。


確かに、おかしいとは思っていた。

神木先輩のエンジたあれ――何とかという魔法少女は、人気が出ずに一ヶ月で打切りとなった幻、というか、先輩にとっては黒歴史なキャラなはずなのだ。

にも関わらずあれを選んだのは、あのキャラが人に取り憑く「魔」をはらうという設定を持っていたからだ。


今回、“ホーリー・ウェーブ”によって祓われた「魔」とは、「悪魔」のこと。

ジョーカーが取り込んだ(という設定の)悪魔を、彼女は浄化したのである。


「(悪)魔」は祓われたのだから、あいつはジョーカーの力を借りて話すことはできない。

つまり、神木先輩はわかっていたのだ。

だからこそ、ジョーカーとしてではなく、自分の言葉で伝えてほしいと告げたのである。


「きゃっ!?」


と、不意に隣で悲鳴が上がった。

見ると、立ち上がった純香が、床に転がっているジャガイモを見つめている。どうやら机の上にあったのが、落ちてきたらしい。


「「ぁ――」」


二人同時につぶやいたが、すでに遅かった。

正之介が、こちらを見つめていた。


「……スミちゃん、まこっちゃん――」


顔だけをおれ達に向けたまま、正之介は言った。瞳は曖昧な焦点を結び、口元にはゆるんだ笑みが浮かんでいる。

そして正之介は続けた。


「浄化されちゃった……」


正之介がゆっくりと歩き出した。空箱に野菜や割り箸などをつめ、それを持って扉へと向かっていく。

ドアにたどり着いたところで、正之介はもう一度おれ達に振り返った。


「浄化されちゃった……」


彼は去っていった。



「……よかった、のか?」

「……たぶんね」


まあ言いたいことは伝わっていたみたいだし、それでいて断られたわけではない。

これまでの八年間と比べたら、近所のコンビニと火星旅行くらいの差があると言ってもいい。正之介が若干気持ち悪い笑顔になるのも、しかたないというものだ。


(しかし――)


引っかかるものが無いわけじゃなかった。

それは喜びとともに抱いた、率直な感想だった。


これだからキャラ高のやつは――。


去りぎわの一言を聞くまで、完璧に騙されていた。どこか別枠として考えていた神木先輩も、やはりキャラ高の生徒なのだ。


こんな曲者ぞろいの場所で過ごす三年間を思い、心が水を吸ったように重くなる。

こみ上げてきた憂鬱を、空気と共に吐き出しかけた瞬間だった。

脇腹を狙って飛んでくる、えぐるような手刀。熱血純香の、喝注入の儀式である。


いつもなら甘んじて受けるところだが、その時のおれは違った。


「甘いっ!」


すばやく横を向くと、急角度で迫ってくるそれを両手で


「ぐふ……っ」


手刀は深々とみぞおちに突き刺さった。


「あ! なんで受けようとするのよ!」


いや素直にくらうルールなんてないだろ……。


悶絶しつつも、心の中でツッコんだ。

やはり無理だったのだ。

キャラなら成功していたであろう白刃取りも、現実では不可能だったたのである。


「もう。せっかくショウがよろこんでんのに。ほんと、なんであんたはいつもそうなの?」


ようやく立ち上がったおれに、純香が言う。


「だからそれは――」

「……それは?」


……まあ正之介もカミングアウトしたことだし、べつにいいか。もう一度くらうのも困るし。


じっと見つめてくる純香から目をそらし、おれは言った。


「お前がそうだからだよ」


正確には、お前「ら」だけどな。

三人中二人が暴走キャラなら、残った一人がブレーキにならざるを得ないだろ? 

だからおれがしかたなく


「――って、純香?」


視線を戻したおれは、言った。


ついさっきまで怒りに染まっていた顔が、なぜか驚きに変わっている。顔が赤いのは、怒りモードの名残だろうか。

目を見開き上体をそらす彼女を見て、おれは思った。


まばたきしないと、目が乾くぞ。


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