古機 誠(一年五組 出席番号十一)の予言②
「残念ねぇン❤」
地上からわずかに浮かんだ場所で、イシュタルは言った。周囲を覆う霧は晴れ、場違いにさわやかな日差しがおれ達に降り注いでいる。
「チッ――堂々と外してきおったか」
クマのキグルミ姿のまま、ブービーが忌々しげな表情を浮かべる。
「……まったく。望まないシーンにかぎって、主役を演じさせられるね」
地面から起き上がったピーカブーが、服を払いながらつぶやいた。セリフはずいぶんと悲観的だが、相変わらずの無表情だった。
おれ達の確信は、ものの見事に外された。裏の裏を読まれたのだ。
賭けに負けたおれ達を、空中で膝を抱えたイシュタルが、楽しげに見つめている。
だがそんな彼女に対し、ブービー達が攻撃をしかける様子はなかった。
レベル差のこともあるのだろうが、それよりもイシュタルのエンギに飲まれているのだ。ルーキーらしからぬ高いエンギ力を持つ者は、それだけに場の力学に感化されやすくもあるらしい。
イシュタルはそれを見抜いているのだろう。
“未来はぼくの手の中”のタイムリミットなど微塵も感じさせない様子で、彼女は言った。
「で、どうするのン❤? もう一回、する?」
「ええ、もちろん」
その空気を読まない即答に、イシュタルがわずかな驚きを示した。
ブービーも同様の反応を示していたが、おれは無視して続けた。
「ただし今度は、もっと激しくいきましょう」
「……あはン❤?」
空中で三角座りをしたまま、イシュタルがキョトンと首を傾けた。
そのわずかにゆるんだ膝の隙間から必死に目を離し、ブービーに向き直る。
「ブービーさん――」
「……なんだ?」
「わたしを、殴ってくださいませんか」
「は――?」
沈黙が生まれた。キャラをエンジてなければどうなっていたかわからないほどに、混乱した空気だった。
いや違う。誤解だ。
おれは天使の物言いがつかないうちに、続きを説明した。
「ご心配なく。錯乱したわけではありませんから。ただお互いに賭け金を上げようかと思いまして――」
視線をピーカブーへと移し、おれは続けた。
「ピーカブーさんもいらっしゃることですし」
またも沈黙。
しかしその意味は完全に変わっていた。先ほどの発言が、特殊性癖に関することではないと理解されたのだ。
「……なるほどな」
そう言って、ブービーが腕を組んだ。
「しかし小僧、本気か?」
「ええ」
「ふん、阿呆が――おもしろいではないか」
「ありがとうございます」
胸に手を当て応えると、イシュタルへと向き直った。
「いかがでございますか? イシュタルさん」
「ふふ――❤」
三角座りから、ファンサービス満点なポーズに切り替えた彼女が応える。
「❤最高❤ スマイリーちゃん。やっぱりあなた、イイわン❤」
そうして妖艶に微笑む瞳の奥は、しかしぞっとするほど冷徹だった。
「お褒めいただき、ありがとうございます」
浅く頭を下げつつ、心の中でため息をつく。
とにかく目的は果たせたのだ。小さく気合を入れてから、ブービーに言った。
「それでは、お願いします」
「ああ――」
ブービーがニヤリと笑う。無邪気キャラよりもよっぽどハマってる表情だ。彼女もドS気質なんだろうか。
ブービーは右手を握り締めると、それを大きく後ろに引いた。同時に、愛らしいクマのキグルミが、リアルなそれへと変わっていく。
「……殺さない程度に、お願いしますよ」
「保証はできんな」
先ほどのイシュタル同じく、微笑む瞳の奥はまったく笑っていなかった。
そして、クマが完全に野生へと変わった瞬間だった。
「ハアッ!!!」
すさまじい勢いで放たれた拳が、おれの腹を叩いた。「突き破った」という表現に限りなく近い威力だ。
しかしそれだけでは終わらない。吹っ飛びかけた体は、一瞬で後ろへ回り込んだ彼女によって蹴り上げられ、次の瞬間には地上へと叩きつけられていた。弾んだ体に数十発の拳を浴びた直後、鮮やかな後ろ回し蹴りが鳩尾にめり込み、そこでようやく最初の続き――つまりおれの体は、遥か後方へと吹っ飛んだのである。
「――ふん、生きておったな」
「……ええ、どうにか」
おれは立ち上がると、コートの裾を手で払った。ステータス画面をポップアップさせ、残ったHPを確認する。
って、マジかよ……。
八割ほどあったはずのHPは、ニ割を切っていた。
だがこの作戦は、ある意味でダメージが大きいほどいいのだ。とりあえず死ななかったことを喜ぶとしよう。
ステータス画面を消したおれは、ブービー達の元へと向かった。
「さて、ピーカブーさんの方は、上手くいきましたか?」
「ああ。うんざりするほどバッチリさ」
そう言って、彼は両手の拳を掲げた。
肉付きのよいそれの甲のところには、「ドゴォン!!」という文字が書かれていた。筆を使ったかのような、荒々しいフォントでだ。それはおそらく、後ろ回し蹴りの効果音なのだろう。
ピーカブーが使ったその異能の名は、“春のハチ(ブンブン)”。
効果音を吸い取り、その威力を再現することができる技だ。
たとえば、「バキッ!」と殴って100のダメージを与えたとしたら、彼はその「バキッ!」という“音”を吸い取って、同じ威力のパンチを放つことができる。それも相手の防御力などに関係なく、まったく同じダメージを与えられるのだ。
ただし吸い取れるのは、味方の攻撃による効果音だけ。
だからブービーに、自分を攻撃するよう頼んだのだ。
先ほどのラッシュはあれ全体で一発という仕様だから、上手くいけばあのすさまじい威力の技を二発叩き込むことができる。
イシュタルが“灰化”を使ってブービーの背後を取った際、彼女は(レベルダウン前の)ブービーの攻撃をくらっている。
そのダメージを考えれば、ラッシュ二発で倒せるはずなのだ。
「準備できたみたいねぇン❤」
イシュタルが、ファンサービスその2といった感じのポーズで言った。
おれはにっこりと微笑むと、それに応えた。
「ええ、これから仕上げに取りかかるところです」
「……あはン❤?」
イシュタルが、キョトンと首を傾ける。隣を伺うと、ブービーも似たような顔をしていた。ピーカブーは無表情だった。
今のうちだ。
おれは右手を口の前に持って行くと、異能を使って声を録音した。こういうことは、勢いで済ましてしまわなければならない。
切札を込めた右手を掲げ、微笑みと共にイシュタルに告げる。
「この賭けを成立させるためには、我々のタイミングを合わせなければなりません。よって、わたしは右手に、“予言”を録音しました」
一瞬の沈黙。
直後、イシュタルの唇が大きな三日月を描いた。
彼女の了承を受けたおれは、隣の二人へと振り向いた。
「ブービーさん、ピーカブーさん、お付けしてもよろしいですか?」
「ふん――小細工の過ぎるやつだ」
「まったく、物事はできるかぎり単純であるべきだね」
「申し訳ありません」
応えながら、おれは録音した“予言”を、彼らの耳のそばに貼り付けた。
そういう空気ができていたとはいえ、こうもスムーズに行ったのは、「一回目」で彼らと同じ行動をしたからだろう。あの時にブービーのカードを選んだことが、同志的な感覚を強めたのだ。
よし――と、心の中で気合を入れた。
すべての準備は整った。
「お待たせいたしました」
そう言って振り返った瞬間、周囲は灰色の霧に包まれていた。あちこちから、血をかき混ぜるような粘ついた音と、少女のような笑い声が聞こえた。
「ふん――忙しないのう」
まったくだ。
お遊びは楽しみつつも、“未来はぼくの手の中”の制限時間を忘れる気は無いらしい。さすがはイシュタル様である。
だが、ゲームは始まったのだ。嘆いている暇はない。
おれは一歩うしろに下がると、ブービー達と背中合わせになった。
小さく膝を曲げ、全身をわずかに緊張させておく。隣では、ブービーがギリギリとパワーを溜めているところだった。それをからかうかのように、少女の笑い声が大きくなった。
焦点をどこに定めていいかもわからないまま、おれは待った。
ブービーのレベルが半減している今、おそらくはこれがこちらの用意できる、最大火力だろう。
おれのHPはニ割を切り、さっき攻撃をくらったピーカブーも、かなりのダメージを負っているはずだ。
つまりこのゲームができるのは、一回だけ。外れた方はそのまま食い尽くされて終わりとなる。
おそらくは、もっと違うやり方もあっただろう。
だが体育館に行くためにも、早くケリをつけたかったのだ。
笑い声が止んだ。
粘ついた音がおれの右耳をくすぐり、わずかに遅れて遠くからも聞こえた。
必死で苛立ちを抑えながら、なおも待つ。
少女の笑い声が余韻を残しながら小さくなり、かすれた音へと変わった瞬間だった。
ひあっ!
と、飛び出してきたイシュタルにビビりつつも、おれは“疑心ありき(リサイクル・ボイス)”を発動させていた。
再生される“予言”に従った行動を取りながら、おれは言った。
「それでも、勝つのはわたし達です」
顔の前で両腕をクロスさせ、全身の筋肉を緊張させる。
おれが取っていたのは、ガードの体勢だった。
【あはン❤】
同じ声が、三箇所から聞こえた。
正面には、真紅の爪を構えたイシュタルが迫っている。
その彼女を二つの影が挟んだ直後、十本の凶器がおれを襲った。
重い衝撃と共に、HPはついに一割を切った。
「ふん――自らに賭けるとは、たいした自惚れだの」
「ま、謙虚が己を救うとは限らないってことだね」
そう言って、ブービーとピーカブーは、構えていた拳を躊躇なく放った。
まずはピーカブーの「ドゴォン!!」が、イシュタルの右脇腹に突き刺さった。
続けて叩き込まれる、ブービーのラッシュ。
すさまじい殴打の音が途絶えた時、グラウンドに立っていたのは、おれとブービーの二人だけだった。




