古機(ふるはた)誠(一年五組 出席番号十一)の愚痴①
二日続いた雨の翌日は、快晴だった。
窓の外に広がる空には雲ひとつなく、夏に向けて日々力を増していく太陽は、冷えた地表に充分すぎるほどの光を降り注いでいる。天気予報によると、明日も晴れるとのことだった。
おまけに今日は週末、つまり土曜日なのだから、多くの学生にとって心はずむ日となっているに違いない。
少なくとも、おれ以上に沈んでいる人間はほとんどいないはずだ。
まったく――と、おれは心の中でため息をついた。
どうして神は、土曜日などというクソ忌々しい日などを創ったりしたのだろう?
土曜日さえなければ――いやいや、せめて八年早く生まれていれば、こんなことに巻き込まれずに済んだのだ。そうすれば俺だって、土曜の存在を認めるくらいのことはしてもいい。なんなら土曜日が週に二日あったって構わない。月曜日か水曜日あたりを譲ってやろう。
もちろん言われなくても、おれが想定していた平凡な人生ってやつにも考えられないアクシデントはいくらでもあり得るってことは知っている。
だがその中には少なくとも、「魔刀」などという代物で斬られたりとか、半人半熊の人形に襲われたりするなんてことは、含まれていないのだ。
「……古機くん?」
その声で、おれは現実に引き戻された。
目の前の鏡に焦点を合わせる。椅子に座ったおれの後ろで、垂れた瞳が印象的な女の子が鏡越しにおれを見つめている。
だがおれがやはり鏡越しに見つめ返すと、彼女――「宵座 まどか」はすぐに自分の役割である『ヘアメイク』を再開した。
「ちょっとだけ右に向いてくれるかしら?」
「はい」
顔の両サイドを挟む手の力に合わせ、おれは少しだけ右を向いた。
「どうしたの? ぼうっとしちゃって」
手を離した彼女が、繊細な手つきでおれの髪型を微調整しながら尋ねる。
「いや――」
と、やわらかく微笑む鏡の中の彼女を横目で見つめる。何か適当に誤魔化さないと、とおれは視線を正面に戻しながら言った。
「――今日もすばらしい胸だなと思っ」
「剃るわよ?」
聖母の如き微笑はそのまま、いつのまにか右手に装備されていたカミソリを前に、おれは素直に沈黙した。一応、それはそれで正直な考えだったのだが、それはそれでタブーでもあったらしい。おれはブラウスから盛り上がる至高のそれから目を逸らしつつ、コミュニケーションの軌道修正をはかった。
「いやいや、冗談に決まってるじゃないか」
「あら、そうよね。冗談に決まってるわよね」
「ああ、そうだろ。冗談に決まってるよ」
「ええ、冗談に決まってわよね。『傾国の参謀』がハードモヒカンなんて、ありえないわよね」
「ハハハ――それは冗談じゃ済まないな」
右手にカミソリを持ったままクスクスと笑う彼女に合わせて、おれも笑った。
だがそれはあくまで表面上のこと。心の中は先ほどよりもさらに暗く重く沈んでいた。
とはいえ、その理由は彼女の鎖骨の下に屹立する二棟の神殿を拝めなくなったことでも、伝統的パンク・ヘアスタイルにされかけたことでもない。
もちろん前者に限ってはとても哀しいことではあったが、おれがこれほどまでに打ち沈んでいるのは、それを凌駕して余りある強烈なフレーズが耳に飛び込んできたからだった。
傾国の参謀
彼女が当たり前のような調子で口にしたそれが、おれの心を原油のように暗く重たくしたのだ。
それはおれ、古機誠のもうひとつの名前――いわゆる、二つ名だった。