第七話 堕ちる城
外が暗いのは、夜のせいだけではない。
魔神や魔獣が現れた時、その地点から禍々しい黒い瘴気のような物が溢れ出すのだ。その瘴気に触れた者は、精神汚染と呼ばれる症状に陥り、教会で清めてもらわなければならない。魔獣の放つ瘴気は濃度が薄いため、二、三日は精神に異常はきたさないが、魔神の瘴気は、吸ってしまった時点で永久的な精神異常を引き起こす程に危険であった。
一応、個人差はあるらしく、魔神の瘴気を受けても異常が無い者達も少なくない。
そして、その瘴気は魔神や魔獣が出現した『奈落』と呼ばれる場所から出ている霧状のものなのだ。だが、それならどうして、城の中から出ているように見えるのか、ハイルには不思議だった。
まさか、ミャーが言っていたのは、出現地点が城であったということだったのか。てっきり、城に攻め入れられたものかと思っていたが、違っていたらしい。
「いや、まずは訓練場だな」
ショートソードを引き抜き、夜の町を駆ける。
獣の息遣いが聞こえてきた。
後ろから三匹。
黒い毛から、鋭い爪を持った手足が生え、口は牙を剥き出しにして開き、よだれをまき散らしながら走ってくるそれは、まさに魔獣と呼ばれる敵だった。
応戦すべきだが、出来ない。一匹ずつであれば、奇跡的に勝てるかもしれないが、見ての通り、魔獣は必ず群れを組んで襲ってくる。ならば、囮役として走り回っていた方が良いだろう。
それに、訓練場まで辿りつけば、形勢は逆転できるはずだ。
はず、だった。
「ハ、ハイル!」
リーナの声が前から聞こえてくる。
後、五百メートルくらいで訓練場なのに、リーナはここで何をしているのだろうか。
「リーナ! 立ち止まるな、とにかく逃げるぞ」
「訓練場が魔獣の巣窟になっているのです」
「え?」
足が止まり、魔獣たちが今にも食らいついてきそうな勢いで迫る。
その時、地響きが魔獣の進行を止めた。
ミュエルのハンマーが、三匹のうちの一匹を踏み潰したのだ。
ハンマーの下にいた黒い塊は瘴気となって、溶けるように消えた。
「ぼさっとしてんじゃないよ! こっちだこっち」
ハンマーの柄に乗っていたミュエルは、柄を持ち替えて、遠心力をつけて回転。もう二匹を粉砕した。
その姿はまさに、騎士団長の名に相応しい姿である。
「お、おう」
ミュエルの後ろにつくハイルとリーナ。
魔獣が更に増え、三人でも手が負えない量に達する。
「どこへ!」
「総騎士団長様のところ! 城で戦っているはずだから、きっと、他の騎士たちもそこへ!」
走りながらの会話に、身体に負担がかかる。
ハイルでも、三文字程度しか喋れないのに、ミュエルは疲れるどころか、ペースをこちらに合わせているようにも見えた。
だが、最も不安なのは、リーナである。
「平気か?」
「はいぃ」
今にも倒れそうな声を出すリーナ。
先ほどまで、訓練場が魔獣によって制圧されたという事態を言い回っていたそうだ。ハイルの住む地域は、第十三地区で最も奥にあるため、伝達が遅れているのか、それとも途絶えたのかもしれない。
しかし、それを今のリーナに伝えてしまうのは気が引けた。
「見えてきた! 城だよ!」
ミュエルの指が、城に向けられる。
けれど、眩いばかりの白い城はどこへ消えたのか。
見えるのは、黒い瘴気ばかり。
「なぁ、あれって――」
「行ってみなければ分からないでしょっ!」
言われなくても分かる。ミュエルは遠まわしにそう言っていた。
「きゃっ……」
黙り込むハイルの後ろで、倒れる音と短い悲鳴が聞こえる。
リーナが、つまずいて転んでいた。
「ミル!」
「分かってるってば!」
ハンマーが空を飛び、走ってくる魔獣たちを次々と消していく。
結果的に、もう取りに行くことは出来なくなった。
また後で、取りに来るしかない。
「走れ、すぐそこ……だ?」
リーナを立ち上がらせるハイルは、手を引き、強引に走らせようとする。
足を見ると、リーナは靴を履いていなかった。
まさか、慌てていて、履くのを忘れてきてしまったのか。
やれやれ、とリーナを抱きかかえるようにして、そのまま走る。
「え、ハイル」
「良いから。そのまま、な?」
腕の中で、リーナは何も言わずに口を閉じる。
城門が見える。
三人がその場から逃げ去る瞬間、
魔獣たちが再び走り出した瞬間、
爆音が魔獣たちを吹き飛ばした。
「何!?」
ミュエルは何事かと振り返り、爆煙の中に立つ人物を見る。
獣耳をぴくぴくと動かし、両手にいっぱいの機械部品を持つ少女、ミャーであった。
爆弾を回収して家々を飛び回っていたのか。
ハイルは片手でリーナを支えて、空いた方の手を振ると、ミャーは会釈で応え、再び闇の中に入っていく。
「知り合い?」
「まぁな。さ、急ぐぞ!」
会釈の相手がハイルであることに気がついたミュエルは、疑惑の表情を浮かべつつも、すぐに城へと進路を変え、走り始める。
ハイルは、腕の中にいるリーナに、「大丈夫か」と聞き、「大丈夫なのです」と返事を聞くと、ミュエルの後に続くのだった。
――城が、奈落と化している。
ハイルとミュエルは、その事に気付いていたが、話題にはしなかった。
信じたくなかったからだ。
神聖なる城が、今や憎むべき魔神に支配された魔獣の砦になっているなんて。
城には、建国されて二百周年となる式典が開催されて以来、来た覚えが無い。それも十数年も前の話なのだから、ろくに覚えてはいなかったハイル。
城門を抜け、広い庭園を通り、城内へと入る三人。
いい加減降ろしてください、と胸をぽかぽかと叩くリーナを無視し、城を守る騎士たちがどこにいるのかを探すハイルとミュエル。
しかし、騎士たちは外にもいなくて、城の中はもぬけの殻である。
ただ、この城は瘴気だけが渦巻き、王宮へと続く赤いカーペッドの脇に置かれた無数の鎧たちが今にも動き出してきそうな、そういう不気味さを醸し出す場所になっていた。
前へと進むと、王宮への扉が開いた音が聞こえる
「そっか、王宮に怪我人を避難させていたのね!」
「待て」
小走りになるミュエルの背中に、ハイルは声をかける。
何、とハイルの顔を見たミュエルは、絶望に染まる。
「おかしいとは思わないか?」
いや、最初からおかしかった。
城から瘴気が出ているのに、警報はまだ鳴っていない。
住民の避難活動だって、行っているのはきっと第十三地区だけだろう。
瘴気が出ている城に居るのに、どうして魔獣たちが現れていないのか。
それらが意味していることとは――。
「くっ! じゃあ、どうしろっての? 仲間と、戦えって、の……?」
力無く、その場にしゃがみ込むミュエルの後ろから、剣を引く音が聞こえた。
精神汚染とは、単に人間としての大切な何かを失ってしまうだけではない。
「あぁ、魔神様の良い匂いだぁー!!?」
心から体まで、その全てを魔神に捧げることを意味してるのだ。
――この国に居る騎士たちを含め、全ての住民は、魔神によって支配されてしまったのかもしれない。
昨日ぶりです。上雛平次です。
そろそろ第一章も終わります。ですので、ここまでの主要キャラクターと職務的な話を書きたいと思います。
本作の主人公 ハイル・ライクス
モンキー武器屋の百二十七代目の主人。年にして十八。
騎士になりたいと思う気持ちを抱きながらも、憧れだったお爺さんの武器屋を継げて良かったと、更にそのお爺さんを超える武器屋になると目標を立てている。
貧困少女騎士 リーナ・デュード
第十三地区最弱の騎士。年にして十五。ハイルの造ったレイピアを扱う。
ハイルとは、「リーナを世界一の騎士にさせる」という約束をしている。本人はそれを夢見て、日々の稽古に励んでいる。
第十三地区騎士団長 ミュエル・ガーランド
ハイルとは幼馴染の関係にある。年にして十八。
第十三地区の騎士団長であり、全長一メートル五十の巨大なハンマーを扱う。ハンマーを持ちながらも、その重量を感じさせないかのような身軽な動きと、戦況を判断する能力に長けている。
しかし、一度スイッチが入ってしまうと、誰にも止められない程に鬱陶しくなる。
狂戦士 ラルフ・アインセル
第十三地区最強の騎士。年にして十六。
温厚で、とてもじゃないが最強とは呼べないが、武器を握ると性格が豹変する。
獣人 ミャー
まだ謎が多く、分かっていることと言えば、自分に素直な獣人であることのみ。