第六十一話 地図から消えた南の地
――どうして、この場所を選んだのだろう。
見たこともない神域とか、西の奥地にだって、何か凄い物があったのかもしれないのに。
どうして――原始の魔神が降りた、この南の大地を選んだのだろう。
魔神が奈落を開くために抉りとった、国の跡地。今は大穴が広がり、ハイルはその上空に浮かんでいた。もう、血を出して、足場を作る必要も無いのだ。
目の前に広がる大穴を、じっと見つめるハイル。先が見えず、頂上に向かう日の明かりが差し込んでいても、底の方は絶えず暗い。
底を見ようと近付いてみるが、真上に来たとしても何も変わらない。ただ、周囲に広がる痩せこけた大地が、目に焼き付くだけである。
下まで降りて見てみようと思ったが、今すぐに見る必要は無いのだろうと思考を止める。
もう、この全てが滅んだ南の地で生きていくことしか選べない。
楽しみは、後でとっておこう。
今まで、自分が歩んできた地の事を思い出す。
北には、自然を広げるために努力している魔法使いがいる。
西には、行ったことは無いけれど、奇術師なんて録でもない奴らばかりなんだろう。
東には、熱心に武器を作る者たちと、家族がいる。
中央には、かけがえの無い仲間たちがいる。
目を瞑れば、自分自身を変えるきっかけとなった者たちの声が聞こえる。
「ハイルは、馬鹿です……いえ、大馬鹿者です!」
「さ、もう帰るよ。中央に」
「ぼくにも、剣の稽古をつけてくださいよ」
「お父さん、帰る、一緒、家に」
「私は、魔法を使うためにここに来たけどさ。やっぱり、別の方法を探そうよ?」
大穴の手前。大声で叫ぶ者たちが横一列に並んでいた。
見覚えがあるのに、とても大切であったはずなのに、もう顔も名前も思い出せない。いや、一つだけ覚えている。これが正しいのかも分からないし、合っているのか分からない。
仲間。
中央を離れた目下の仲間たちは、北に住む魔法使いと共に――最後に出現した魔神が待つ南へと訪れた。
ハイルが消えてから七日目。
リーナは、いつでもハイルが帰ってきても良いようにと、モンキー武器屋の内と外の掃除を毎日欠かさず行っていた。
日課のようにもなってきたある日。旅の終わりへと向けた、一日前の出来事である。
朝。掃除道具を持ち、歩いていたリーナは、モンキー武器屋の看板が今にも外されようとしている現場を目撃する。
見れば、二匹の竜とその背に乗る竜操者たちが取り外しの作業を行っていた。
「ちょ、ちょっと待って下さいです!」
箒を掲げ、追い払うために跳躍するが、飛龍の足にさえ箒の先が届かないリーナ。素早く二階まで駆け上がり、窓を開く。
そして、竜操者たちに理由を尋ねた。すると、ハイルに指示されたのだと、彼らは言うのだ。
「昨日の夜に、手紙が来たんですよ。もう使わないだろうから、撤去しても良いって」
竜操者の一人がリーナに、モンキー武器屋内に置かれた物の全てを撤去するようにと書かれた紙を渡す。
震える手。一体、何を考えているのです、と口に出していた。
看板外しに戻ろうとした竜操者たちに、撤去はしなくても良いですと話し、リーナは再び掃除へと戻る。
「ねぇ、竜たちがここから飛んでいったように見えたけど、どうしたの?」
部屋をノックしようと扉を見たが開いていたため、そのまま入っていたミュエルがリーナに聞くと、先に起きたことを全て話すリーナ。
ミュエルは、「別に撤去してもらっても良かったんじゃない?」、と冷めた口調で言ったため、リーナはむっと頬を膨らませると、反抗した。
「ミュエル様も、素直になったらどうです。ハイルがいなくて寂しい、とです」
「はぁ? 本人が帰りたくないって言っているんでしょ? なら、それで良いじゃない」
本心で言っているのか怪しい、ミュエルの言葉。リーナは溜め息をつくと掃除に戻ろうとしたが、ミュエルを見て手が止まる。
不自然な動作を行うミュエル。両手を背の後ろに回している。
言うとすれば、手に持っていた何かを隠すように。
箒を動かすふりをしながらミュエルを横目で見る。無理に作り笑いをしているせいか、遂には、そちらの方に注意が逸れたリーナ。
「あの、ミュエル様。後ろに持っていられる物は、ひょっとして、箒です?」
図星なのか、赤くなるミュエル。
口では散々にハイルの悪口を言っていても、戻ってきて欲しいと少なからず思っているのだ。
我慢が効かず、吹き出すように笑ってしまったリーナに、ミュエルのスイッチが入る。
「リーナァ、ちょっと東に忘れ物したから取って来てくれない? 今日中に」
「え!?」
想像を絶する道のりと、費やされる時間から考えるに、今日中に行って帰ってくる事は不可能に近いだろう。片道だとしても、途中で時間切れになるに違いない。
ましてや、体力が向上したと言っても、ミュエルやラルフと比べれば下の下を歩むリーナにとって、重労働の三文字と縁を持ちたくないはずだ。
首を横に振ると、ミュエルは、「訓練場内百周を、リーナの訓練メニューに追加するから」、と笑顔で言う。
リーナは、半泣きでうなだれる。
「嘘。さ、掃除しようね」
からかわれていた。
リーナは箒を強く握りしめて、いつか絶対にミュエルに復讐するのだと、心に決める。
(ハイルの助けが必要なのです……)
ミュエルがリーナをからかうように、ハイルはミュエルをからかえるし、上手であった。
だから、と言うのは間違っているのだろうが、一刻も早く帰ってきて欲しい。
南の国は数千年前の昔に、突如として消えた。
先にある獣人たちの島に逃げたのでは無い。影と形が跡形も無く消えていたのだ。
生き残りがいたとしても、とうの昔に死んでいるはずだ。今の時代を生きていられるとすれば、精霊か、魔物、その類であろう。
それらよりも重要なことは、ハイルがその南の地に向かったという事実。
誰にも相談せず、自分勝手に決めてしまったハイルを、殴りに行かなければいけないのだ。
「目的が変わっているよ。リーナ」
夕食。
自分たちが向かう場所の話をしながら、リーナは心に潜ませていた思いを口に出してしまい、後悔する。
リーナの独り言を指摘したラルフは再び、食事を摂り始める。
ハイルが使っていた机を借り、食卓を囲むのはリーナとミュエルとラルフとディアとマイヤの五人。
この五人が、ハイルを封印するために揃えられた人員であった。
そんな表現はしたくない。けれど、演説を聞いていた民の殆どはそう思ったに違いない。
六日前である。
ユーティリアが竜操者の長であるマシューとリーアムを連れて、北の大地に住む民――元魔法使いたちと、北で起きた魔神出現の際に救護できなかった事実を謝罪し、険悪のままでいた仲を取り留めるための会議を行っていた頃の話だ。
ユーティリアの代理を任された騎士は、普段緊急時にしか使わない警報用の精霊を使い、六日後に、魔神の出現を根絶する作戦を立てたと発表してしまった。
誰が口外したのかと言えば、リーナの隣で、並べられた色鮮やかな料理を無心に食すミュエル。
実際は、ミュエルは第十三地区の騎士団長を勤めていたため、休みを貰うためには、王宮を警護する騎士たちに話をしなければならない。だが、どのように聞き間違えたのか、もしくは言い間違えたのか、騎士たちに話した言葉は一人歩きしていくと、当たらずとも遠からずの話になってしまう。
「まったく、どうしてそんな面倒な話になってしまったのか、立ち会いたかったわね」
文句を言いながら、ペースを一向に落とさないミュエルを睨む不機嫌そうなマイヤ。
それもそのはず。この数日間、いや、ハイルたちが旅立ってからの時間も含むため、その間マイヤは四六時中、禁呪法を使うこと無くハイルを救う方法を、隣に座るディアと共に探していた。
今も、二人はその話をしている。
「どうしても、無理。禁呪、私、使う」
「駄目。使えるのは私だけだし、使う対象も私なのよ。それに、ディアの魔力だと、詠唱だけでマナを使い切ってしまうわ」
マイヤの指が、ディアのおでこを優しく突いた。
ディアはおでこを押さえると、口を尖らせて話を終える。
何度同じことを言わせれば気が済むのよ、とマイヤは呟くと、食事に戻った。
再び、空気は沈黙する。聞こえるのは、口に運ばれた食事が喉を通る音だけである。
懐かしい感覚に駆られるリーナ。こんなにも寂しい夕食を摂るのは、ハイルに出会う前のことだろう。
少し、思い出話に付き合って欲しい。
訓練場で最弱と呼ばれ続け、皆と一緒に食べるご飯は不味いと感じるようになってからか、一人になれる場所を探しては、リーナはそこでご飯を食べるようになった。
ハイルと出会ってからは、昼食の時間になると全速力でモンキー武器屋に駆け込んでいた事も、今となっては良い思い出だ。
だから、リーナは宣言するために立ち上がる。
どうした、とリーナを見つめる一同。
「みんなで、美味しいご飯を食べましょう」
「今、食べてるじゃないの」
茶化すミュエルを、睨むように一蔑すると、流石にミュエルも謝った。
皆が、リーナが言いたいことが何なのか、分かっていた。
分かっていたからこそ、今まで言わないでいたのだ。
「私たちだけではなくて、ハイルも、王女様も、みんなで一緒に、です」
照れくさそうなリーナの笑顔。
純粋で、真っ直ぐな青い瞳に見つめられた皆の決意が、一つとなってまとまった一夜であった。
ハイルが消えて、八日目の朝。この無意味に日数を数える日々も、今日で終わる。
晴天が、今日の旅の始まりを祝福しているかのように、心地良い。日課であった掃除も、今日は行わない。
帰ってきたハイルに、自分で掃除をしてもらうためだ。そして、稽古を付けてもらって、強くならなければいけない。
――全てを守れる騎士になる。
いつの間にか、目標が変わっていた。
「んー、良い朝です」
寝泊りも、ハイルの家を使っていたリーナ。しかし、寝場所はベッドでは無く、一階の販売所に置かれていた、ふかふかな横に広い座椅子。寝心地が良く、丁度真上に位置している扉から差し込む光が心地良い。
とは言え、その光が眠りの妨げになるような事は無い。むしろ、今日以上に寝覚めの良い日は無かったとはっきりと言える。
既に食事を済ませたリーナは、外に出る。
モンキー武器屋の前に立っていた仲間たちの顔。
だが、こんなに晴れた日でも、マイヤの顔には雲がかかったままである。
「ごめんなさい。やっぱり、禁呪以外の方法が見付からないの……」
夕食の後、リーナたちは王宮へと出向くと、書庫に向かった。各方角から集められた本によって連ねられた書庫。新旧共に残されており、魔神について書かれた本も少なからず存在していた。
書庫の存在を知ると、マイヤは一目散に城を目指して移動。後を追うリーナたちであったが、初めから、マイヤは手伝わなくても良いと言っていた。だが、皆はそれを無視したため、無理矢理各自の家に帰してしまう(転移魔法を使って)。
それから、マイヤの元に向かったのはディアのみ。最も信頼しているのか、それとも最前線に立って戦う騎士たちの体の事を案じたのだろうか。
いや、その両方に違いない。
長い時間、数々の書物に目を通していたはず。結果、目元が黒く染まり、体調も優れているようには到底見えないマイヤとディアがそこにいた。
身を案じて、肩を貸そうとするディアの誘いを断るマイヤ。
自分が、対抗策を見い出せられなかったことを悔いているのだろう。
マイヤ以外の四人は目を合わせると、お互いに頷き合い、頭を下げて謝るマイヤに声を揃えて言った。
『マイヤは、良く頑張った(です)よ』
頭を上げて、目を見開いたマイヤは涙を零す。
次々に飛び出す、マイヤを賞賛する言葉の数々が、暗い気持ちになっていたマイヤの心に火を灯していく。
禁呪を使ったところで、誰かがいなくなってしまうなら、使わないに越したことは無い。
重要な事ではある。だが、ここで追及したとしても問題解決には至らないだろう。
それよりもまずは、ハイルに会わなければならない。
日差しが一層、強くなる。眩しそうに瞳を瞬かせる少女たちは――全てが終わりし南の地を目指す。




