第五十三話 城を目指して
竜の吐息が聞こえる町並み。不気味で、聞いているだけで背筋が凍るような、おぞましい吐息。しかし、それに恐怖する人間は、この城下町にはいないだろう。
何故なら、民は城の地下牢に捕らわれているのだから。
日が傾き始める。普段の中央であれば、旅商人たちが商品の値を下げる頃だ。自分の店を持つ商人は、夜中営業をしているが、旅商人の場合は自分の村へと帰るための時間も必要であるため、早々に店を閉じなければならなかった。
その、自分の武器屋を持つ、銀色の髪で、癖っ毛を気にする男――ハイル・ライクスは、青く晴れ上がってしまった頬を冷やしていた。
「師匠、辞めようかな」
「す、すいませんです……」
工場に集まる一同は、これからどうすべきかについて、話し合っていた。
ハイルの隣に座る、黒髪で長髪の少女。小柄な自分に若干のコンプレックスを抱いている騎士は――リーナ・ミュード。
自分の下着を見られたことにより、何故か、地面にうつ伏せになっていたハイルの顔面を、鎧を纏ったままの足で蹴り上げてしまったのだ。
普通の人間であれば、首が折れ曲がって生き延びるか、首が折れ曲がったまま死に絶えるか、どちらか二択を勝手に選択されるはずだ。けれど、ハイルの場合は別である。
――ハイルは人類が倒さなければならない、絶対的な力を持つ、『魔神』と呼ばれる存在である。そして、その力を意のままに操ることができるまでに、侵食は進んでしまった。
銀色の痣も、もう首筋まで迫ってきている。上半身と下半身には、見るだけで吐き気を催してしまいそうな、銀色の異様な模様が描かれている。
なんとか、さらわれてしまった中央国の現王女――ユーティリア・クロムハーツと人類最後の魔法使い――マイヤ・オリクスを救い出すまでは、自我を保ちたい。
いや、保たなければならないのだ。
そんなハイルの顔を見ていた、リーナと同じくらいの背で、短めの金髪の少女。また、聖剣を所持している唯一の騎士――ラルフ・アインセルと、リーナが所属する騎士団の団長――ミュエル・ガーランドは、大振りのハンマーの球体部に腰かけながら、整えられていたはずの赤い髪を自分で掻きむしり、痛々し気なハイルの顔を見る。
「ハイル、それで戦えるの?」
「おい、どういう意味だよ」
ミュエルは、ハイルと幼馴染という関係であり、気兼ねなく話ができる数少ない人間の一人である。
それも、つい数週間前からの話。
ハイルは武器屋なのに武器を造れないといじけて、部屋に篭っていたのだ。自分の行いがそもそもの原因で、ミュエルとも疎遠になってしまったことを忘れてはならない。
そして今、新しい氷を持ってきてくれたリーナと出会ったことで、周囲の環境が一気に変わった。もちろん、良い意味での変化だ。
――頬は痛むが、感謝しないとな。
「ありがとうな」
「い、いえ、私が悪いのです」
蹴ってしまった事を、未だに詫び続けているリーナ。今のありがとうは、氷を持ってきてくれた事に対してでは無かったのだが、勘違いしてくれている方が恥ずかしく無いから良いか、と頷く。
「それで、これからどうしますか?」
周囲の音に神経を通わせていたラルフは、物音一つ聞き漏らさないという姿勢で、いつでも敵が入ってきても良いようにと、腰にかけた聖剣の柄から手を離さない。時々、一人で喋る様を見るが、あの聖剣には精霊が着いていて、その鉱石を触れている者、また、それを介して話ができるのだ。
けれど、鉱石の状態よりも精確な聖剣となり、他人に聖剣の声が届くことは無くなってしまった。
そう、正当な所持者である、ラルフ以外には。
「夜が濃くなったら、城に向かおう」
立ち上がり、頬に氷を当てていたハイルは、その氷を椅子の上に置くと、精霊による薄明かりが残る窓の外に指先を向ける。
「暗闇の中なら、奇襲は楽に行える。地竜は、一体一なら戦えるけど、二対一になったらすぐ逃げた方が良い。飛竜は、夜目が効くとは思えないが、できるだけ視界に入らないように、建物の屋根を利用していこう。……ここは、俺たちの国だ。絶対に取り戻すぞ」
『おー!』
外で歩く地竜に聞こえぬよう、最小限の声で、最大限の気合を込めたかけ声を掲げる一同は武器を持ち、城を目指す。




