第四十九話 英知を捨てる魔法使い
水しぶきを高く上げて、入水。
竜の体液が一度水面を汚したが、すぐに溶けて消えていく。広がる深緑よりも濃く、濁って澱んだ竜の体液。体の疲れを取る治癒の効果があるらしいが、水に溶けてしまえば、どんな効用でも無意味になる。
いくら待とうと、水面に上がってくるはずだったディアの姿は見えず、水の中に沈んだものは竜のみである。
落下中であった竜の固い鱗を蹴ることで飛翔し、空中で舞っていたディア。先に竜が入水したのに対し、ディアの着地は遅れていた。
赤く染まった空が、ディアの背を飾る。
入水した竜が向かう場所。そこは、海の更に深い海。何があるのか、人の身では到達することができない場所への思いを馳せながら、ディアは、竜の体液で汚れた剣を振るうことで払う。
沈んでいく夕日。
その赤き光が剣を追い、左右に付けられた鞘に収まって消える。
風を全身に浴びながら、ディアの落下はもうすぐ終わりを迎えようとしていた。
「今、迎え、行く」
接地。砂浜の感触が足を伝い、ディアの体は見えなくなる。
同時に砂は砂塵となって、赤い空を覆い隠すように、凄まじい勢いで跳ね上がった。
「急ぐ、中央へ」
何も見えない視界の中、ディアの目は真っ直ぐに、何かを見ていた。
竜が空を飛び、地を駆け回る大地。
ハイルたちが旅立った後の北は、最北の大地とその先の領域を除いて、竜たちに占領されてしまった。
唯一残っている場所があるとすれば、北の森。最北の大地に通じる山のすぐ下に広がっていたはずの森は今、見下ろせば、中央国にそびえ立つ城から見えるのではないかと感じられる程にまで、中央国に近付いていた。
三回くらい、回ったのだろうか。結界によって操作されるマナの流れが一定の場所であれば、気付く事は難を成さない。そのため、場所を変える必要性は大いにある。結果、魔法を使って転々としている内に中央へと近付いてしまったのだ。
その移動は、つい昨日の出来事。また、ハイルたちが出発してから数週間の月日が経とうとしていることを意味している。
視覚を惑わせ、狂わせる魔法結界が張り巡らされる北の森。
移動する度に結界を張り直さなければいけないため、マナが枯渇し、自然が減った。今は半日歩くだけで一周りできてしまうほどに小さくなっていた。
そこにいたのは、人類最後の魔法使い――マイヤと、中央国の現王女――ユーティリア、そして、魔剣士――ディア。三人は、ハイルたちが聖剣を持ってくる瞬間を待ち侘びていた。
「お茶淹れて、ディア。南のハーブなら摘んで良いから」
「美味しいねー、このお菓子ー」
果たして、本当に待ちわびているのだろうか。
ハーブを入れるための器を渡すマイヤに、何百冊もの魔道書が置かれていたはずの机の上に広げられた焼き菓子の山に手を伸ばすユーティリア。
その光景に唖然とし過ぎて、最早どうでも良くなってしまったディアは黙って頷くと、森の南側へと移動する。
何か愚痴をこぼすわけでもなく、無言のまま歩くディア。ところどころに咲いた花をバスケットに入れながら、漂うハーブの匂いが鼻を通る。
日が次第に傾き始め、自分の目の方がおかしいのではないかという、錯覚に陥るディア。
目の前に広がったのは、踏み荒らされたハーブ畑。
そこにいたものと、目が合う。
翼が退化し、代わりに進化した強靭な肢体と、刃物のように尖った尾を持つ地竜。飛龍とは違い、目が衰えている地竜は、嗅覚で相手を見つける。目が見えないのに、見つけるとはおかしな表現かもしれないが、事実なのだから仕方がない。
地竜を見た途端、ディアの手は自然に腰に下げられた剣へと伸びていた。
「相手、する。ここ、通す、無い」
両手で握られた剣の形が変わっていく。
一対の槍。飛龍を落とした時と全く同じ形状のそれを頭上で回すと、地竜へと突いた。
風が唸りをあげ、槍の先にあったものは空。
地竜の俊敏な動きに対応できず、背後に回られたディアは武器を可変させる。
リーチが短いが、素早いひと振りが特徴的である短剣。致命傷は与えられないにしろ、持久戦に持ち込めば勝機はある。精神が汚染されていたディアを蝕む瘴気の残気は、身体にまで及んでいたのだ。
人の機能を超えた身体能力。魔獣とも十分に渡り合える力を持ったディアの前に、もう一体の地竜が現れた。
地面を抉るように強く蹴り、跳んだ地竜はディアに食らいつく。背後の地竜は、手に付けられたカギ爪を立て、ディアを切り裂く。
絶体絶命の状況。だが諦めることを知らないディアは、隠していたのか、ナイフをもう一本取り出す。
両手の短剣が牙と爪に応じるが、呆気無くも弾かれ、二体の竜はディアを挟んで立つ。
いつ来るのか、どちらからどのようにして向かってくるのか。右の目と左の目が絶え間なく行き来する。
二体の竜の同時突撃。
短剣では抑えられないと思ったのか、最初に握っていた剣の形に両方を変化させた。
短いか、長いか、それだけの違い。それだけの違いなのに、力の加わり方や、この剣が手に馴染んでいるせいなのか、小さいディアを圧巻していたはずの地竜は地面に伏せている。
魔物との戦い方を心得ていたディアには、単調な竜の攻撃など取るに足らない。
そう、ディアには、だ。
この森にはディア以外に、戦い方を全く知らない魔法使いと王女がいる。
駆けるディアを追い越す巨大な影が頭上を通り過ぎた。
広げた翼は、森の半分を覆ってしまう程に大きく、地竜とは比べ物にならないほどの威圧を放つ竜。
深紅と表現するに相応しい鱗。その一つ一つが太陽の光を受けて揺れ、轟いた咆哮は空中地上を飛び、歩き回っていた全ての竜を呼び寄せる一声となった。
開戦。
早く戻らなければならない。
急いでいるときこそ、慌ててはならないのだ。けれど、竜の強大さに恐怖を覚えるディアは飛翔し、空を跳ねて目的地を目指す。
巨大な竜は高度を維持していたが、背から何かが落ちると、空に向かって上がっていった。
落ちた物体が何なのか。それを確かめるよりもまず、その物体が落ちた場所が問題である。
呑気にお菓子を食べて談笑するマイヤとユーティリア。間に置かれた机のお菓子が文字通り、踏みにじられた。
机が破壊される粉砕音と共に。
お菓子が砕け、粉々になった地面へと散っていく。マイヤは座っていた椅子が後ろに倒れて頭をぶつけ、ユーティリアは、敵が襲撃してきたことよりも、口元に持ってきたお菓子が無くなっている事に驚いている。
「王女発見」
耳に手を当て、何かを呟く白髪の少女。小さい体には合わない、巨大なマントを引きずって歩く少女はユーティリアを見つけると、無味乾燥な眼差しを送る。
続いての動作は想定できたものである。逃げもせず、ただ、じっと座るユーティリアを捕らえようと、少女はマントをなびかせて、飛びかかる。
内側に見えた鎧。その胸に刻まれた刻印は、東の国のものであることにユーティリアは気付く。
刹那。
少女とユーティリアの間に、再び、何かが落ちてくる。
ディアである。着地と同時に双の剣を引き抜き、少女へと斬撃を浴びせる。敵と分かれば、人でさえも斬る姿勢であったディアに、迷いは無い。
ところが、少女は空中を蹴ると、壊れた机の上に落ちた。
魔法が使える者であれば分かる。この少女は、空中で見えない壁を作り出し、それを蹴ることで、ディアの斬撃を回避したのだ。
戦い慣れている。まるで、ディアがここで剣を振るう事が予測できたかのような動き。少女は、マントをはためかせると、武器を取る。
透き通っているかのような透明度。戦闘用とは程遠い、観賞用にしか到底見えないその剣は、少女の体格に見合っていた。
剣幅は狭いが、柄から剣先までの長さは短剣のそれの三倍。ディアの剣よりも小さめな剣を細腕と綺麗な手で支える少女は、ディアを見据える。
「戦闘開始」
跳躍からの突き。剣幅が狭い難点をむしろ、突きに応用することで利点に変えている少女は、ディアの心臓を一直線に狙う。
しかし、そんな安直な攻撃を受けるわけもなく、ディアは剣を交差させることで、少女の一撃を受け止める。
力は殆ど無く、当たれば刺さるという単純な思考が垣間見えたディアは、少女の剣を弾き飛ばそうと剣を十字に振るおうとした。
だが、できない。何故なら、少女はまだ、地面に落ちていないからだ。
足場を作り、その足場で踏み込むことによって、勢いを落とさない少女の突き。ならば、とディアは後ろに飛び、ユーティリアを抱えて、更に遠くへと離れる。
すると、逃がさないと言わんばかりに少女は、素早い動きでディアを追う。ユーティリアを抱えている時点で、身体能力が同値となった二人。追って逃げての状況が続く中、ディアの体が何かにぶつかる。
見えない壁に、囲まれていた。身動きがとれないディアに、腕から落ちるユーティリア。ディアの周囲のみに張り巡らされた壁は、ユーティリアには作用しない。
勝敗が完全に決したところで、マイヤの悲鳴が戦闘の終わりを告げる。
「は、放しなさいよ!」
倒れていたところを狙われたらしく、魔法を行使できずにあっさりと捕まっていたマイヤ。拘束するのは、少女と全く似た顔つきの少年。いや、髪の長さで女か男を判断しているため、実際は逆か別の何かかもしれない。
重要な事はそれではない。周囲から注がれる視線。
空では飛龍が、地では地竜の群れがディアたちを眺めていた。
見ているだけで、向かっては来ない。それも、少年と少女が指示を出さないせいだからであろう。
竜操者。中央国を占領した者たちの呼称であり、ユーティリアを追い詰めた者たちの、ほんの一部でもあった。
「一緒に来てもらうよ、魔法使い。まだ僕らには完全な魔法は使えないからね」
「戦闘終了?」
小首を傾げながら、少年の隣に立った少女の隣には、ユーティリアがいる。少年はにこりと微笑むと、少女の頭を撫でて頷いた。
「うん、お疲れ。彼と一緒に中央へ戻っていて」
彼と称された、竜。
巨大な影が地に迫り、木々を押し倒しながら着地する。
首を曲げて、背に乗るようにと少女に促す竜。少女はユーティリアを引っ張りながら飛び、竜の背に乗った。
「さて、あの騎士には竜のお腹を満たす餌になってもらおうか」
少年が手を振ると、獰猛な竜たちがディアに迫る。
「させないわ」
マイヤが魔法を唱え終わる。ディアが壁に包まれた時点で詠唱を終えていたが、全ての竜が一点に集中するこの時を待っていた。
二重詠唱。
一つは、ディアを東の国へと送るための瞬間移動。
もう一つは、今ある自然を破壊してしまう程に強力な魔法。
「神聖堕天!」
空中に描かれた巨大な魔法陣。
空を飛ぶ巨竜の背に乗る少女とユーティリアには、大魔法の全貌が見えていた。
魔法陣に刻まれた印が日の光を受けて輝き、その印の一つ一つが光の線となって、地面へと落ちる。
これは、範囲内にいる全生物を消滅させる魔法。運が悪ければ、自身でさえ被害を受けかねないそれを、マイヤはいとも簡単に発動させてしまった。
「そっか。魔法使いって、みんなそうだよね」
少年は、この絶望的な状況に震える。しかし、それは恐怖心からではない。
自分の期待に応えてくれる何かに出会えたことによる、感動の震えなのだ。
「じゃあ、僕も使わせてもらうよ。……瞬間移動」
視界が暗転し、次に目覚める場所には緑一つ無く、不快になりそうな鉄の檻を四六時中、見ることになった。
12月02日ぶりです。上雛平次です。
あらすじでも書いた通り、更新頻度がこれから著しく悪くなりますが、年内終了を目処に活動していきますので、宜しくお願いします。
次回作の目処も同時に立っており、そのせいで更新が遅れているのでは、と思ってしまう時もありますが、そんなことはありません。面接練習や就職活動に躍起になっているせいです。
言い訳ばかりの後書きで申し訳ありませんが、ここまで読んで下さりありがとうございます。
遅れてしまったことに再度、謝罪をし、これからも頑張っていくという意気込みを残して終わりたいと思います。
では、また明日。




