第四十八話 聖剣精製の鉱石と三人の騎士たち 3
頭上に広がっていた薄暗い雲が嘘であったかのように、眩いばかりの日の光が、大地へと差し込む。その要因となったのは、山頂にて対峙する、竜と羽獣の争い。
濡れているのか、両者の翼と羽が光を受けて瞬く。
睨み合いが続き、膠着状態であるかのように見えたが、風向きが変わる。
先に仕掛けたのは、竜の方であった。
大きく息を吸った竜の黒い鱗の隙間から、色の変化を繰り返す光が漏れるように溢れ出す。その光は尾から背を通り、竜の口元へと到着した。
竜の息吹。
だが、放たれた先は真上。羽獣の拳によって、頭の向きを天へと変えられたのだ。息吹は雲を貫いて、真っ直ぐに天を目指した。
限界を超えたのか、徐々に威力が弱まる息吹。攻撃を行っている間、竜は全ての行動が制限されるため、反撃の好機であった。
そのはずなのに、竜の鱗が異様に厚いせいなのか、羽獣の牙が竜を捉えることができない。
息吹が完全に収まり、竜の反撃。長く伸びた竜の尾が、羽獣の太い首に巻きついて締め上げる。
再び、集められる光。周辺のマナを取り込み、一点に放つその息吹に触れた物は、形を残すこと無く消滅してしまう。
しかし、その口から放たれようとした光、鱗の合間から溢れ出していた光が次第に輝きを失い、マナを供給できないように通り道を塞ぐ塊へと変わってしまう。
羽獣は竜と違い、強力な息吹による攻撃や長時間の飛行が可能ではない。
その代わりに、マナの扱いに最も長けた魔物として、人々に恐れられていた。
羽獣の一番の天敵になる民は、魔法使い。理由とすれば、羽獣は周囲に漂うマナを冷やし、凍らせることができる。
つまり、マナを取り込むことができなくなるため、魔法を使うことができなくなるのだ。
結果的に、それは竜を蝕む毒になる。
全身にマナを循環させることによって放たれる息吹。その出現地点とマナを供給するための器官が凍る事により、息吹の放出を食い止める障害物になった。
塊を噛み砕いた竜は、次いで全身を震わせて翼を羽ばたかせる。
上空へと飛翔し、羽獣のマナ制御が届かぬ場所にまで到達すると、マナを取り込み始める。
高い知能を有する竜ならではの戦い方。
けれど、敵は一人では無かった。
「平穏、脅かした、恨み、ここで……!」
山よりも、雲よりも高い天空。
翼を羽ばたかせる竜よりも高い場所から、悠長に喋ることのできない、一人の少女が落ちてくる。
魔剣士――ディア・ヘイクテス。
小さな両の手に握られた二対の剣がマナを纏い、羽獣の牙でも貫くことができなかった鱗を切り、背を裂いた。
竜の背に飛び移ったディア。傷ついた竜から流れる体液を浴びながら、憎しみに溢れた眼光を燃やす。
竜が天へと消えた今、羽獣が戦うべき相手は別にいる。
相手とは、山頂を目指す三人の騎士たちのことだ。
獣が持つ嗅覚は、三人の匂いがどこから漂っているのか、正確に羽獣へと伝える。
場所を知ったのか、羽を開いて、滑空するように山頂から下へと向かう羽獣。
木々のせいで、上の様子が見えない。結果的に、羽獣の羽音だけが目的地を目指すための道標になった。
後ろにも前にも、一緒に走っていたはずの人たちがいない。
相変わらず、体力が微塵も無いリーナは、ミュエルとラルフとの間に大きな差をつけられていた。少しくらい、成長してくれていても良いと思っていた体力。
何も変わっていないことにショックを覚える。
自分の息切れだけが、森の中に聞こえていた。
いや、『だけ』、とは語弊がある。
もう一つ、音がしているのだ。
背後から、草木を踏みながら、素早く駆けているかのように聞こえる音。
そこまで具体的に表現をしておきながら聞こえていないわけが無いのにと、誰に言うわけでも無い言い訳が続かないことに苛立ちを覚えるリーナ。
戦おうと、決意する。
「もう無理です! って、え?」
剣を引き抜き、体を半回転して構えたが、思わず剣を落としそうになってしまった。
羽獣。
周囲にそびえる木々を優に超える大きさであったことを想定していたため、あまりにも的外れの外観に驚いているリーナ。
足音で大体の大きさの予測はできていたが、まさか本当にそうなっているとは思いもしない。
先まで竜と戦っていた羽獣が目の前で、牙を剥く。丸太のように見えていた大きな牙。今では、リーナのレイピア程のサイズに縮まっていた。
体も、巨大と呼ぶには程遠い。
リーナの広げた両手で羽獣の胴体の幅を表現できてしまいそうな、それ程までに最初に見た時と比べると、天と地の差があった。
整えられた真っ白い毛並み、獰猛という一言が最も似合う黄色い眼を輝かせる羽獣が口を開く。
噛み付いてくるのか、と身構えるリーナであったが、羽獣はリーナの知る言葉を話してきたのだ。
「聖剣の鉱石を欲する者か?」
以前に竜と対話をしたことがあるが、この羽獣はそれと違い、男の人の声のように声色が太い。
爪をしまった羽獣は極力、リーナを怖がらせないようにと距離をつめる。
「えっと。は、はいです。そ、その……」
「どうした?」
聞くべきかどうか迷うリーナ。羽獣の催促により、質問するためのきっかけができた。
「どうして小さくなっているのです」
「……」
どう答えたら良いのか、そもそも、このような神聖なる状況で聞くべき質問ではないことを一番に知って欲しいと思う羽獣。
ぽつりと、「変わった人間だ」、とだけ呟くと、話を始める。
「お前が大きい人間なら、小さい人間と話しをするとき、何をする?」
「それは、その人と同じ目線に合うようにします」
そこで、リーナは気付く。つまり羽獣は、リーナと会話をするために、体を小さく変化させたのだと。
「ありがとうです、答えてくれて」
「……」
リーナの感謝の言葉。羽獣は何も言わず、代わりに、羽から何かを落とした。
聖剣の鉱石。
それも、一つではない。幾つもの形を持った石が、無数に羽から落ちていくのだ。
奇妙な光景に、リーナは尋ねる。
「え、力試しとか、命を賭けた戦いは無いのです?」
「人間どもの他愛も無い噂か。我は、無益な争いは好まぬ」
溜め息混じりの羽獣の声。あまりにも人間らしさを帯びていたそれを聞くと、リーナは少し、笑ってしまいそうになる。
しばらく、金属音がこだまするだけの時間が続き、最後の一つが地面に落ちると、羽獣は羽を開く。そこで、リーナは尋ねた。
「なら、どうして人の里に降りて、聖剣を造る手伝いをしないのです?」
「聖剣は何のために造られる武器なのか、考えてみるのだ。人は、一度素晴らしい物の正当なる価値を知ってしまった時、他の物の価値と基準を合わせてしまう。本当に大事な物を見つけるための目を、失ってしまうのだ」
さっきの問いとは違い、今度は言い返そうにも言い返せない。羽獣はリーナが答えを出せないと悟ったらしく、聞くまでも無く飛び立った。
想像ができないのだ。
今よりも、素晴らしい物で溢れた世界を。
そんな世界になってしまったら、次に自分は何を求めるのだろう。
目の前に転がる聖剣の鉱石の山を見ながら、リーナは羽獣が飛び去った方を眺めていた。




