第四十一話 金に輝く夜の空
雲一つ無く、月が輝く夜。
暗い森の中を走るハイルは、明らかに朝とは空気が違っている事に気付いていた。
充満する瘴気。視界を霞ませるそれを放つ者を、ハイルは知っている。
魔神。
絶対的な力を持つそれが、現れたのだ。
ひたすらに走るハイルの前に、無数の魔獣が降り立つ。進化したのか、羽を生やした魔獣や人の真似事をするかのように、武器を持つ魔獣もいる。
剣を引き抜いたハイル。すると、空から聞き忘れたことが一度たりとも無い、女の笑い声が響いた。
「はははっ! 新しい武器? あのショートソードはお姉ちゃんへのプレゼントってことで良いの?」
上から聞こえていたはずの姉の声は今、目の前から聞こえていた。
次いで、貫かれた木々と、その木の葉が舞うように落ちる。木が倒れた事による地響きが全ての音をかき消したことにより、ハイルは自分の身に何が起きたのか分からなかった。
「二度と来るなって、言ったよな……?」
腹部に刺さるショートソード。ハイルが造った武器である剣が刺されている状況よりも、ハイルは別の方に気を取られた。
血が、赤くないのだ。
月明かりのせいで変色しているように見えていたが、木々が無くなり、視界が開けた現在。ハイルの目には、自分の腹部から流れ、剣を伝って地面に流れていく鮮血が――金色に見えている。
血を見て、冷や汗が止まらないハイル。更に、自分が人として保っていられる時間が極めて僅かであることを知る。自分の血が赤い内は、大して心配はしていなかった。他の人にも赤い血が流れているのだから、自分も同じだという現実に甘えていたから。
しかし、自分の体に流れている血が、明らかに周囲と異なっていれば、不安に思って当然なのではないか。このまま、魔神化が進み、自我が保てなくなったらどうするのか。ハイルの頭では、不安を煽る思考ばかりが沸き起こる。
対して、シエルが嬉しそうに剣を引き抜くと、血は結晶化し、止まる。
ハイルの意思とは関係無しに、勝手に力が機能している。
きっと、銀の痣は全身に広がっていることだろう。憎しみに歪んだハイルの瞳が、剣をゴミのように投げ捨てるシエルを捉えて離さない。
――お前さえいなければ。人間が言って良い言葉ではない言葉を吐き捨て、剣先を指でなぞる。
出血。
金色の血が絶えず流れる。まだ頭の中で命令をしていないのに、次に自分がすべきことを感覚的に理解していた金色の血は、バスターソードを覆うように、はびこり、まとわりついた。
鉄製だった剣の面影は無い。血だと分からなければ、王金の剣とも見えるそれをハイルは両手で握ると、シエルに向けて振るう。
明らかに触れられない距離。けれど、ハイルにとって重要なのは、相手を切れるか切れないかではなく、どれだけ多くの血を相手に付着させられたか、である。
シエルの体を纏う銀色の刺々しい鱗に、金色の模様が付けられる。一種の鎧とも形容できるその皮膚は、奈落に堕ちた魔神であれば共通して行える業の一つだ。
死んだ人間たちの魂を折り重ねることによって作られた鱗。シエルの場合は、露出を多めに身軽さを重視しているらしいが、そんなことをしなくても、動きは十分に早い。
血の付着に成功したハイルは、以前と同じ戦法をとる。
血を鎖に変え、思い切り引き寄せる。方手で引っ張る間、もう片方の手では、空中に無数の、血によって作られた金色の綿帽子が浮かぶ。
ハイルは、すぐ側を浮いていた綿帽子に足を乗せる。
マナを使った血の操作。そこに絶対的な魔神の力が加わる事により、不可能な事でも現実にできる。
例えば、この綿帽子という小さな物に、鎖に巻かれた姉と重たい剣を腰にさげるハイルが乗った時、どういう変化が起きるのか。
そう、マナが耐え切れず、四散することになるだろう。
上に広がる奈落を目指して駆け上がっている最中、急に鎖が重くなったことを理解する。
同じ手は食わないと言わんばかりに、シエルは別の綿帽子を足場にし、欠伸をしながらハイルを見る。
――頭部が吹き飛ぶかと思った。
小首を傾げたシエルの体は既に攻撃へと動作が移っており、ハイルが瞬きした瞬間、跳躍したシエルは蹴りの姿勢を整え、ハイルの頬を蹴り飛ばす。
脳に感じた強い振動。体が打ち出され、地面へと体が叩きつけられるかのように、痛みを受ける。
正直に言えば、次に手足を動かそうとすれば、命は無いだろう。
それほどに、姉は強く、怖い存在だ。
ハイルが最も恐れていた人間が姉であった。何をしようにも、姉の許可は得なければいけなかった過去。今も尚、その姉に恐怖心を感じるハイルは足が震えて立てずにいた。
横転した木に寝転がるハイルは、姉が側に来ていたことが分かっている。
――もうすぐ、死ぬのだ。
魔神の力がどんなに優れていても、勝てなければただの飾りにしかならない。
それを、姉が証明しようとした。
響音。
鋭く伸びた姉の爪を弾き返し、ハイルを囲むようにいて立つ騎士たち三人が、薄目で前を見るハイルの目に写る。
三人の中の一人。一番背が低く、三人の中で比べれば、最も弱い騎士が、剣先をシエルに向けながら叫ぶ。
「貴女を、始末します」
これが、弱い頃のリーナなのか。違う、気迫から何もかもが全て違っている。一体、この半日で何が起きたというのだろうか。
確実に強くなった弟子に対し、師匠の体は動こうとしなかった。
昨日ぶりです。上雛平次です。
書いていると、主人公がとてもヘタレのように見えてくるから不思議です。
まぁ、ヘタレと言っても過言では無いのかもしれません。
では、また明日。




