第三十六話 揺るがぬ精神
父との思い出なんて、殆ど無かった。
偉そうな事ばかり言って、逃げるように、母と一緒にどこかへと消えてしまったからだ。
――どうして、連れて行ってくれなかったんだ。
何よりも初めに聞きたかったこと。
自分は、望まれて生まれてこなかった人間なのか。
また、嫌いだから離れていったのか。
家族の意見が聞きたくても、聞けたのはお爺さんとシエルだけであったハイル。
二入だって、辛かったはずなのに。ハイルから見たら大事な親であり、お爺さんから見たら大事な息子なのだから。
その父が今、目の前にいる。
目に輝きを失い、今にも折れてしまいそうな程にやせ細った腕で武器を造り続けている父。年齢は五十を越えていなかったはずだが、見た目だけで言えば、六十は越えていてもおかしくない程に、年老いて見える容姿であった。
父に、声をかける。でも、振り向くだけで何も話してくれない。
いや、違う。
話してくれないのではなく、話せないのだ。
ハイルの母は魔神だ。そのすぐ近くにいた父に、変化が起きないはずが無い。
これがきっと、ハイルやシエルから離れ、東の離れ小島に住まいを築いた理由なのだろう。
精神汚染。
心と体にまで影響を及ぼしたことにより、父はただ目的を果たすための人形と化していた。
泣きながら、崩れるようにハイルはしゃがみ込む。
芝生がハイルの足を受け止める。けれど、体は重く、頭が痛い。
せっかく出会えたのに、どうして、こんなにも悲しいのだろう。
何か声をかけなければいけないはずなのに、ハイルの後ろ姿を見ながらも、騎士たちとスタットは沈黙を維持し続けることしかできずにいた。
ホバー車を、父の住む家から近い場所に置くと、車から降りるスタット。ミュエルとラルフとリーナは、他に人がいないかを探しに行った。
何故、人の出入りが全く無いこの島に、武器屋がいるのか。
それは、古くから東に伝わる話が関係している。
『東の離れ小島。聖剣精製の鉱石あり。優秀な武器屋。ここに位置す』
短文が連ねる、話と呼んで良いのか分からない伝承。東に住む民であれば、皆が知っている事であるのだ。
つまり、東の離れ小島には、聖剣を精製するための鉱石があり、優秀な武器屋をそこに建てなければならない、という意味になる。
どうして、そんな伝承が広まったのかは分からない。ただ、優秀な武器屋以外の東の民がこの島に来ても、聖剣を精製するための鉱石を手に入れることはできない。加えて、優秀な武器屋が鉱石を手に入れて、聖剣を造ったとしても、正しい使い手が剣を受け取らなければ本来の力を発揮できない。
選ばれた優秀な武器屋は使い手が現れるまで、一生、ここで武器を造り続けなければいけないのだ。
ここにいるハイルの父が、今代の人間。未だ現れない使い手を待ちながら、武器を造り続けている。
いや、他にできることが無いという見方もできる。すぐ側で、武器を造る様を見ているハイルはそう思っている。
自分の父が、目の前で武器を造る姿を見るのは初めてであった。
お爺さんは、武器をまともに造れないろくでなしと言っていたが、後ろに置かれた木製の机に置かれた武器の数々がその腕を示していた。
しかし、納得ができないのか、熱鉄を叩く手が止まらない。
泣き崩れ、涙が止まってから一時間が経つ。ホバー車に戻ることなく、じっと、父の動作を見ていたハイル。
見ているだけじゃない。何度も、声をかけていた。
自分が武器を造っていて、周りに騒ぎ立てる奴がいたら追い出しているところだが、父はそれをしない。
本当に無関心で、武器を造ることしか頭に入っていないらしい。
ハイルが俯き、深い溜め息をついたときである。
足音。
地面に落ちていたのか、木の枝を折る音が背後で聞こえる。
黒い修道服姿。銀色の長い髪に、手に持つバスケットには多種多様な花々を抱えて、くりくりとした黒い瞳を瞬かせる女。次いで、笑みをハイルに向けると、声をかけてきた。
「よく、似ていますわ」
「えっと……」
誰か分からない。父が島に居るとすれば、この人がハイルの母になるのかもしれないが、若すぎる。
思考を開始する前に、まずは、誰なのか尋ねてみる。
「すいません、どちら様ですか?」
「あら、月日とは恐ろしい。お母さんの事を忘れてしまいましたか」
困惑の表情を浮かべている、自分の事を母だと呼ぶ女は微笑みながら続ける。
「冗談ですよ」
一瞬、本当に信じかけてしまったハイルは、女がくすくすと笑っている事に気が付かなかった。
女の名前は、アリシア・パトリック。ハイルの母が、父の精神汚染を癒すために雇った聖職者だと自分で名乗った。
清らかな心を持ち、魔神の瘴気に脅かされる事が無い聖職者の数は、世界中を探しても百人に満たない。
その一人が、一人の武器屋のために仕事をしている。
感謝すべき場面だが、ハイルは真っ先に、ある疑問に到達した。
「母さんは、どこに?」
元凶とは、呼びたくない。けれど、母が父をこうしたのは紛れもない事実。
アリシアは少し考えて、決心したのか、頷いて指を向ける。
「北に」
立ち上がったハイルが見つめた先には、半壊して、今にも崩れだしそうな、古びた城が建たれていた。
昨日ぶりです。上雛平次です。
第四章は、かなり欝要素を含む章になっております。見るのが辛い方は、ここで引き返した方が宜しいかと思われます。
では、また明日。




