第二十一話 故郷
東に戻ってくるのは、初めてだ。
騎士になる、と実家の武器屋を飛び出して、中央国で選抜試験に受かり、今は騎士団長を任せられるまでに至った。
あいつにだって、この話はしていない。出会ったのはモンキー武器屋の工場だったし、東に戻る気も無かったから、適当に辻褄を合わせていたと思う。
東に行くという話になったとき、どうして、もっと情報を与えることが出来なかったのだろう。
――後悔していたから。
女だからと、一生を工場で過ごすことなどしたくはなかった。
母に連れられて中央に来た時、ここで暮らすんだ、と自分の中で強く願っていたことを覚えている。
排気ガスや汚れた水、絶えず香ってくるオイルの匂いが服について離れなかった。対して、中央は清潔で、何より、騎士の姿が格好良かった。
――あたしは少し、変わった女の子だったのかもしれない。
親が中央に転勤するのを皮切りに、六歳で中央に住み始める。
それから、東には帰っていない。騎士団での寮生活が始まったからだ。
残された兄貴と工場の人たち。半月に一回、父親が東に戻っては、様子を見ていたようだが、あたしには気がかりだった。
兄貴は、どう思っているだろうか。逃げるように東を離れ、中央に来てしまった、あたしのことを――。
体中が痛い。
地面から数メートルの高さに転移させられ、そのまま地面に背中を落とし、次いで、体の上にリーナ、ミュエル、ラルフの順番で落ちたことは覚えている。
で、どうして今、倒れている場所が地面ではなく、
「ベッドの上、なんだ?」
柔らかくて、ふかふかな地面だな、と思って右手を動かしてみたら、右で眠るリーナに触れ、左手を動かしてみたら、左で眠るラルフに触れる。
「……ふにゃ?」
「ぼ、ぼくにマッサージは必要ないですよ?」
寝ぼけているリーナに、元から起きていたと考えられるラルフが目を覚ます。
少しずつ、現在の状況を把握していくリーナ。
「あ、あれ? どうして、ハイルが、私の、ベッドに?」
「ベッドの中で剣を抜くのは止めてくれ」
何故か、防具を着けたままの姿でベッドの中に入っていたリーナの手を掴んで止める。
すると、顔を赤くしたリーナはハイルに頭突きを食らわすと、「ハイルに汚されましたですー!」、と泣きながら部屋を出て行った。
とんでもない、誤解であるが、左にいるラルフの方に疑問が移る。
「えっと、ラルフは何している?」
「ぼくは、事情を説明しようと思って来たんです。そうしたら、リーナがハイルさんのベッドで寝ていたから……」
「寝ていたから?」
気持ちが悪いくらいにくねくねと体をねじらせ、目をうるうるさせながら言ってくるのだ。
「ぼくも、一緒に寝ようかな、と思って」
「……」
ラルフと少し、距離をとるべきだ。ハイルの人間としての直感が告げていた。
照りつける太陽が、燦々と輝く。
地面に落ちた時、ハイルは気を失っていた。
リーナとラルフは、ミュエルによって抱きかかえられるようにして(ハイルの体をクッションの代わりにして)落ちたため、身体的外傷は皆無だった。
落ちた場所と言えば、鉱山に入る手前。
山頂へと向かうための上下に移動する可動リフトのすぐ側に、ハイルたちは落とされた。
このリフトは鉱山の入口と出口の両方に設置されており、大荷物を運ぶ時などに重宝する。どうせなら、頂上に落として欲しかったと思うミュエルであるが、直接東の国に落とされるよりは良いかと頷く。
ハイルを肩に乗せたミュエルは二人を起こすと、リフトの前に向けて移動する。
「騎士団長。そのリフト、動きますか?」
慌てて付いて来たラルフとリーナ。すると、ラルフはリフトを指して尋ねてくる。
よく見ると、『部外者お断り』、の文字。
入国証は持っていても、リフトの使用許可を申請していなかった。確か、一週間前には予約をしておかないと、使ってはいけないという決まりがあったはず。
この山を登るのか、と溜め息をついた時、うるさいくらいのエンジン音が後ろから聞こえてきた。
砂埃を巻き上げて、走ってくるバイクや車の群れ。中央は、環境に悪いと、移動方法は全て動物の上に乗る手法をとってきたが、自分たちが良ければ全て良いという考えでいた東は、お構いなしに様々な乗り物を開発していた。そういうところも、ミュエルが東を嫌う点の一つだった。
「あれ? おーい、お前、ミュエルかー?」
懐かしい声。
のんびりとした喋りで、会話をするたびに苛々していたことを思い出させる、運転席に座る姿は、ミュエルの兄――スタット・ガーランドであった。
四輪駆動で、巨大なタイヤをつけた車はミュエルの隣で止まる。
「帰ってきたのか! じゃあ、家まで送ってやるから、乗れよ!」
「う、うん」
変わり果てた容姿。十年以上も経つのだから、変わるのも当たり前だろうとミュエルの中で前向きにまとめる。
あまりにも突然過ぎて、動揺を隠せそうにも無いが、ミュエルは流されるように車に乗り込む。
リーナとラルフはどうしたら良いのか分からず、うろたえていたが、スタットが「おーい、お前たち、ミュエルのダチなんだろー、乗れよー」、と叫ぶ。
奇抜な服装をした男が叫ぶ姿を見て、乗る気が薄れる二人。
そして、ミュエルが手招きして、二人はやっと、乗る決意をした。
「兄貴? どうしたの、その格好。それに、武器屋は?」
助手席にミュエル。後ろに、気絶しているハイルとリーナとラルフが座る。
久しぶりの家族の会話が、このような形で行われることになるとは思わなかった。
「あん? 何って、ドライブだよ、ダチ公と。武器屋は、まぁ、週一ペースで開いているかな」
週一。事実だとすると、まともに経営していないのではないか。そう言おうとした時、先にスタットが口を開く。
「……騎士生活は、順調のようだな」
儚げに告げられたスタットの言葉。心に、何か刺さるものがあった。
やはり、兄は恨んでいるのだ。自分のことを。
しばらく、重たい空気が車の中を包むと、可動リフトのゲートが開き、中に車が入っていく。
全ての乗り物が入り切り、次第にゲートが閉じていくと暗くなる。聞こえるのは、リフトが可動する音のみ。光は、リフト内の街灯だけになった。
「あ、あの、ミュエル様の、お兄さんです?」
耐え切れなくなったリーナは、運転席で何かを思っている兄貴に声をかける。
「おう! スタットって名前だ。宜しく頼む。で……『様』を付けたってことは、ミュエルの部下か?」
「はい!」
元気良く返事をするリーナ。
数十年振りに、兄の笑った顔を見た気がする。
「そうか、ミュエルも、立派になったな」
スタットが、ミュエルの頭を撫でる。
昔も、こうやって、何か良いことがある度に、スタットはミュエルを褒めていた。それが嬉しくて、ミュエルはスタットのために頑張っていたことを思い出す。
――今は、もうその資格は無い。
リフトが止まると、スタットは手をハンドルに戻し、アクセルを踏んだ。
「あれから、十年が経つんだよな。なぁ、知っているか? 東は、最高の技術大国になったんだぜ」
ゲートが開き、車は外に飛び出した。
鉱山の頂上。そこから見る、故郷の光景は異常とまでに変わっていた。
排水やオイルは全て無くなり、魔法による武器の製造。
空中には、マナを吸収しながら飛ぶ乗り物や、警備システムも、魔力が原動力になった物が多くなった。
車に乗った時に、どうして気が付かなかったのだろう。むせ返るくらいの排気の匂いが無い。
東の国は、武器の製造に飽き足らず、魔法にも手を出したらしい。
スタットが言うには、北の民が東に来て、マナの扱いや魔法についての知識を提供したことで、東は大きく変わってしまったという。
――ミュエルの故郷の面影は、ここからでは見えなかった。
昨日ぶりです。上雛平次です。
第三章からは、主人公の描写よりも、周りの変化を細部に書いていこうと思っています。(後半に残しておかなければいけませんからね)
続いて、誤字脱字、文章の誤った表現等がありましたら、報告をお願いします。
では、また明日。